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タビサとアーサー  作者: 奈良沢水城
第一章 新しい生活
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講義

 フレイアは、目の前にいるシュテファン・オルホフのことがもっと好きになっていた。小柄で、背筋がピンと伸び、つややかな灰色の髪を綺麗にうしろになでつけた、常ににこやかな笑みをたたえた好々爺は、フレイアにこの国の歴史や政治、経済を教えてくれている。とはいえ、フレイアの知識が本来シュテファンの教えるような域に達していないため、今は初等学校で習うようなことを教わっていた。


 シュテファンは元々アーサーの家庭教師だった。王宮内で「黄昏の王子」と揶揄され、王子としての将来を諦められていたアーサーの元に来てくれた数少ない教師の一人であった。国民大学で教授として政治や経済を教えていたシュテファンは、国外でもその名を知らぬ者はいないと言われるほどの学者であり、アーサーに身分と命を守るだけの能力をつけさせた人物である。王宮内の大方の予想を裏切って命を落とすどころか、王子の身分を守り続けているアーサーを疎ましく思う者は、アーサーに高度な政治的能力を授けた老教授を「影の宰相」として恐れてもいた。


 アーサーやその周りの人間が「シュテファン先生」と呼ぶこの人物は、日常では能力という名の鋭い爪をまるで無いもののように隠している。

 タビサだった頃、シュテファンはタビサをただの愛玩動物ではなく、一つの人格と知性を持つ者として扱ってくれた。人間になった今も、まるで無知なフレイアに対して、呆れることも焦れることも無く、フレイアの学びたいという姿勢を尊重し、知識を授けてくれている。


 天気も穏やかな午後、窓からの陽射しが降り注ぐ中、窓辺にテーブルを寄せてシュテファンの講義に耳を傾ける。

「この国は、大陸のほぼ真ん中、周りを山に囲まれた盆地に位置しております。そのために、一度戦争が始まれば守りを固められる反面、長期的な籠城戦ともなりますと、兵糧の問題もあり、不利な立場に陥ることも歴史の中でしばしばありました。なぜならば、そもそもこの国の標高が比較的高いこと、それに加えてかつての未熟な農業技術のために、穀物類の生産量が伸び悩んでいたうえに、生産できない作物も多かったのです」

シュテファンは様々な色を使って描かれている子供向けの大きな大陸地図と、王国の地図を指しながら、この王国の歴史について丁寧に説明をしていく。シュテファンの講義は時に本筋から脱線することもあるが、その脱線すらもフレイアにとっては大切な知識となった。さらに各地域に、生産されている作物の絵が描かれている地図と、教育・研究機関の場所を示す地図を差し出しながら、シュテファンは続ける。

「こうした経緯から、王国は主に軍隊と大学、この二つの機関の改革に乗り出しました。交通の要衝であり、様々な国と国境を接しているがゆえに争いの火種が生まれやすかったこともあり、どの国にも与しない中立国となることを宣言、軍は自衛に徹することを旨としました。そのために、軍関連の教育施設を充実させるとともに、装備を開発するための研究機関を立ち上げました」


 シュテファンはフレイアがメモを取るのを待ちながら、用意されていたポットからそれぞれのカップに紅茶を注いだ。荒技、とも言えるが、まだ字を覚えたばかりのフレイアに、講義を聞きつつノートを取るように指示していた。そうすることで、より早く読み書きを覚えられるように、というシュテファンならではの指導だった。しかし、どんなにフレイアが文字を書くのに時間がかかっても、その内容が稚拙であっても、決してそれを急かすことはなく気長に待ち、書き取った文字の形が不格好でつづりが怪しくても、丁寧で熱心な指導を施した。

 ノートを書き終えたフレイアが顔を上げこくりと頷くのを見て、シュテファンは続きを話し始めた。

「軍隊の人間と装備の充実を目指したわけですが、それを支えるために改革されたのが大学でした。王国には今、王立大学と国民大学の二つがあり、王立大学は代々の国王陛下並びに王室が管理をしてきた大学です。王立大学の学生のほとんどが王族と貴族の子弟であるのに対して、一般の国民に対しても開かれたのが国民大学です。アーサー様が学ばれたのも、この国民大学です」


「王立大学がまず取り掛かったのは、軍の装備に応用できるような技術の開発でした。それが進むにつれ優秀な研究者も多く育ち、軍の研究機関にも派遣されるようになりました。そうして技術開発と軍の充実が進むにつれて、より明白になったのは我が国の食料自給率の低さでした。そこで、次に重点が置かれたのが農業でした」

先ほど差し出された地図と、シュテファンが持ってきていた最新版の『王国の農業』に目を向ける。この本には過去に行われた検地の際に描かれた絵や、写真が掲載されており、各地の農業の歴史が通覧できるようになっていた。解説文は、まだフレイアにとっては難解な文章であったが、絵や写真を見比べるだけで農業技術の発達が一目瞭然であった。

〈どうして、食料問題よりも軍隊が優先されたのですか?〉

「良い質問ですね」

シュテファンはにっこりと微笑むと、『王国の農業』のページを繰った。そこには、フレイアも厨房で見かけたことがあるものとよく似たラベルの貼られた缶詰が並ぶ絵があった。

「我らが王国の冬は短くなく、そして寒さが厳しいのはもちろん、雪に閉ざされてしまうこともしばしばあります。冬を乗り切るために様々な保存食が考案されてきました。私たちの食の歴史は、保存食の歴史と言っても過言ではないほどです」

シュテファンのこの話に、フレイアもうんうんと頷いた。確かにこの国の冬は雪に閉ざされることが珍しくなく、寒さに強いスコグカッテルだったとはいえ、その寒さは人間となった今でも骨身にしみて覚えている。タビサであった頃は、アーサーの部屋の暖炉の前やサンルームに入り浸っていた。そして、普段は食事について文句など言わないアーサーも毎年冬の終わりになり春が近づくと新鮮な食材が待ち遠しいとぼやくのだ。

「さらに、我が国の“通行料”が食料備蓄量を底上げしてしまうがために、実際の深刻な状況が見えづらくなってしまっていたことも大きな原因となっていました」

かつての王国の通行料は厳密であり、ある意味ではとても緩い規則でもあった。規則によると、大陸の地図を王国中心に同心円状に分割し、どの地域や国の身分証を持っているかによって、通行料が定められていた。この通行料は決して安いものではなかったが、険しい山脈越えや時間がかかりすぎる迂回をせず安全かつ時間を節約して大陸を横断、縦断するためには高すぎるものでもなかった。ただし、規則に付随するリストに示された農作物や鉱物資源を納めれば、満額を貨幣で支払わなくてもよかった。

「このリストに示されたものを通行料の代わりに納めようとすれば、それなりの質と量が求められましたので、必ずしも貨幣で支払うよりも安いとは言えなかったのですが、特定の地域にとっては非常に安上がりな手段で、利用する人々も少なくなかったのです。このような方法によって、王国では栽培しづらい農産物をある程度安定して手に入れていたので、王国の食料庫は一見潤っているように見えたのです」


 シュテファンの話に、フレイアは「愚かだ」と思った。

 フレイアの知る限り、子供のころのアーサーは安全な食事を得ることが難しかった。その原因は人の悪意によるもので、アーサーが現在の屋敷に移り住み、仕える者を厳しく選別し、不特定多数を排除するまで続いた。だからこそ、単純な比較ができる問題ではないが、他者に依存する食事の危険性はよく知っているつもりだ。ましてや、食料を手に入れる主な方法が、相手の意志任せな方法では、あまりにも不安定すぎる。


「そんな状況を打開したのが、我が王国の中興の祖、アーサー1世だったのです」

シュテファンが『王国の農業』をめくると、どことなくアーサーに似た青年の肖像画が現れた。

「アーサー王は、当時はまだ農民や職人たちの集まりでしかなかった“国民大学”に目をつけ、私財を投じて農地改革から作物の品種改良、保存方法、保存食の調理法まで様々な研究を行わせ、自立した食料体制を作ったのです。また、“国民大学”を公式な組織として確立し、一般国民に対しても学問の門戸を開きました」

更にページをめくると、何人かの肖像画が現れた。

「アーサー1世の時代に活躍し後世に名を遺した学者の多くは、農民や職人の家庭出身なのですよ」


肖像画がいくつか続いた後、“成功”と題された挿画があった。簡素な服を着たアーサー1世を中心に、様々な姿の男たちが木製の小さなテーブルに載せられた大きなパンを盛った籠を囲んだ絵だ。不思議な絵だ、と思って見ているとシュテファンがこの挿画の元になった絵が宮殿にあると教えてくれた。

(宮殿に行くのは気が進まないけれど、いつか元の絵を見てみたいわね)

素晴らしき過去の王の功績と、王国の発展がどのようにかかわりあっていたのかを聞くうちに午後の時間は過ぎてゆき、フレイアの知的好奇心は大いに刺激された。


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