表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タビサとアーサー  作者: 奈良沢水城
第一章 新しい生活
11/13

そして「日常」が回り始める

フレイアのセリフ:⦅⦆=唇を動かしたもの

        :〈〉=ノートに書いたもの

 「いつも通り」の朝を迎え、今日の世話係を待つ間、フレイアはベッドの上でここ最近の生活についてじっくりと考えてみた。


 まず、近衛兵が部屋の外に待機するようになったことだ。これまでは近衛兵がフレイアのいる隣室で待機するか、アーサーといる時はその部屋にまで入ってきていた。それが、室外待機となった。はじめは気づかなかったが、数日前にアーサーと会った時にそのことに気づいた。


(要するに、警戒されていたということね・・・仕方のないことだけれど)


 自分がタビサという猫だった頃、随分と色んなことを見聞きした。皆、まさか猫がそこまで人間の言葉とその内容を理解しているとは思わなかっただろうし、タビサ自身も年を取るにつれそうやすやすとアーサーやディーン以外の人間がいる場に無防備に姿を現すことは無くなった。

 主人であるアーサーよりもずっと早く大人になったタビサは、王宮内のありとあらゆる場所を巡り、王族を取り巻くありとあらゆる思惑を耳にした。そうした今までの知識と記憶、この屋敷に人間としてやってきた日からの状況とを照らし合わせると、自分がどのような存在と見なされて、対策を取られていたのかが自ずとわかる。


(大方、アーサーの命を狙ったと思われたか、王妃の手下とでも思われたのね)


 フレイアの記憶と異なる点は、間諜を洗い出す役目を負っているのがエリックからアブドゥルになったことだろう。


(アブドゥルは、あの軽さに目くらましされてしまいがちだけれど、王宮の外の事情に精通している・・・そして、隊商出身の傭兵を配置する・・・元猫の身元調査と監視にしては随分厳重ね)


 ま、事情を知らなければ当然だけれど・・・と、改めて自分の置かれた状況を整理する。


(おそらく、マルサス公爵に会った日あたりを境に、私の身元調査が完了したのね・・・洗ったところで何も出てこないでしょうし・・・そこで、私の立場が多少良くなった、だから近衛兵の警備体制も通常通りに戻った、と)


 そこでふと、ディーンの父親であるマルサス公爵の真実を探ろうとする意志を宿した瞳を思い出した。


(昔から勘のいい人ではあったけれど、怪しまれないように気を付けないとね・・・)


 マルサス公爵の考え次第では、そう意思を曲げないアーサーも考えを変えることがままあるということは、17年間の生活の中でよく知っている。特にマルサス公爵は、「フレイア嬢の右脚の怪我の痕」を随分と気にしている。


(まさか、タビサだった時の傷跡が人間の体にもついているなんて・・・神様はいったい何をお考えなのかしら・・・)


 フレイアの右脚には、怪我とその治療痕―手術痕がある。しかし、これはフレイアが怪我をしてできたものではなく、タビサであった頃に負った傷の痕である。猫の時にもなかなか痛々しい大きさの傷跡だったが、人間の大きさになるとまた見た目の痛々しさは増すものらしい。歳の近いエリカなどは、フレイアの世話をするたびに痛々しそうな顔をする。


(とにかく、また不審者に逆戻りしないように、気を付けなければね・・・)


 それでも、ここ最近の変化には良いことも多い。おそらくフレイアの監視も兼任しているであろう新顔のアンジュ・ベルは気さくで付き合いやすく、真面目そのもののようなエリザともすぐに打ち解けた。そのお陰で、フレイアの日常は随分と楽しいものになった。


(アンジュは本当に面白い子。エリザも肩の力を随分抜いてくれるようになったし・・・毎日が楽しいに越したことはないわね)


 そして、新たに家庭教師二人がフレイアの教育係としてやってきた。一人は礼儀・作法全般を担当、もう一人は学問を担当している。学問に関しては、まだまだ話を聞くだけで精いっぱいだが、様々な分野の話を聞くのは新鮮で楽しかった。


(学問なんて猫には必要のないことだったけれど、人間には必要ね)


 また、礼儀・作法の講義には、王宮外から来たアンジュも参加している。一通りのことを知っているとはいえ、王宮式のマナーを系統立てて習ったことが無いということで、一から学ぶフレイアと共に講義を受けている。


(子供の頃のアーサーが礼儀・作法の講義を嫌がっていた気持ちがよくわかるわ・・・)


 かつてのアーサーは事細かに決まっている王宮式の礼儀作法を学ぶ時間をとてつもなく嫌っていた。子供のころなどは、礼儀作法の講義の時間が近づくと決まって逃げ出し、侍従長であったピーターにつかまり、宥めすかされて渋々といった態で講義を受けていた。


(確かにこれだけ細かく決まっていたら、うんざりするわね・・・)


 でも、アーサーは逃げずに礼儀作法の講義を受け、その内容を頭と体に叩き込んで、今では意識することなく、それらを行動にしている。そして、そんなアーサーの所作をフレイアは美しいと思っている。


(私も人間になった以上は頑張らないと)


 そこまで考えたところで、隣の部屋に人が入ってくる気配を感じた。


(この足音は・・・アンジュね)


 この屋敷の人間は皆驚くほど足音を立てずに歩くが、その中でもアンジュは特に静かに歩く人間だった。そして、エリザたち王国軍の人間の足音がある程度似ているのに対して、アンジュの足音は誰とも似ていない独特のものだった。


 洗面道具を載せたワゴンを押して近づいてくる足音に耳を傾けながら、タビサの一日がまた始まった。


◇ ◇ ◇


 これまでの日課であるピーターとアンナから読み書きを習う時間に家庭教師から勉強を教わる時間が加わったとしても、フレイアの生活はゆったりとしたものだった。こうなってくると、猫だった頃の性がよみがえって来るのか、ついつい屋敷の中や庭をうろうろと歩いてしまう。


(断じて暇なのではない・・・これは私の仕事よ!)


と、タビサだった頃のように「屋敷の警備」をしてみると、猫だった頃には気にも留めなかったような様々なことが目について、毎日新鮮な発見があった。

 屋敷の中で公式にフレイアの存在が明かされたこともあってか、どこに行っても「フレイア様」と声をかけられる。特に楽しいのは厨房で、料理長が菓子を作っている様子は何度見ても飽きなかった。

 今日も今日とて日参している厨房に行き、じっと料理長が焼き菓子を作っている様を見ていると、気の良い彼は「焼きたてを持って行ってください」と焼きあがったばかりのクッキーとやらを、紅茶の入った水筒と一緒に持たせてくれた。厨房を出る時に笑いながら「今日も探検を楽しんできてください」と送り出してくれた彼ににっこりと頷くと、フレイアはいつも通り庭に出てみた。


(もう間もなく冬が来るのね)


 庭のなかでも特に日当りのいい場所に腰を落ち着けて、さてどこに行こうかとぼんやりしていると、鋭い冷たさをはらんだ風が吹き抜けていって、やがて来る季節を感じさせた。


(それにしても、あんなに服を用意してどうするのかと思ったけれど、どれもこれも随分と役に立っているわね)


 ルイーザから買ったレディメイドに、オートクチュールの服の数々・・・あまりの数に全てを着ることができるのかと思ったが、思っていた以上にこの季節の人間は着こむ必要があるようで、日々その日その日の世話係(アンナ、エリカ、アンジュ、エリザのうちの誰か)が見た目と温かさに気を配った服を組み合わせてくれる。吹く風は冷たいが、そう寒い思いはしていない。


 こんな日にこの場所に座っていると、遠い日のことを思い出した。


◆ ◆ ◆


「タビサ!またここにいた!」

ぱたぱたと軽やかな足音の主が近づいてくる。

「にゃぁ(なぁに?)」

とりあえず返事をすると、小さな主人は日向で丸まるタビサの隣に腰を下ろし、その毛並みを梳くように撫でた。心地よさにぐるぐるのどを鳴らすと、さらに丁寧な手つきで体全体を撫でられた。

「・・・・・・・・・」

アーサーは何も言わずにただひたすらタビサを撫でている。けれど、ずっとアーサーに寄り添って生活をしてきたから分かることもある。アーサーは今、不安でいっぱいなのだ。


 タビサがアーサーに拾われたのは、アーサーが3歳、タビサが生まれたての時だった。1人と1匹にとって、お互いは良き遊び相手であり、兄弟であり、切っても切り離せない片割れ同士であった。アーサーが学校に通うようになってから、昼間一緒に過ごせる時間は減ってしまったけれど、可能な限りタビサはアーサーの傍にいたし、アーサーもタビサを求めた。


 今日も学校が終わり、タビサを探しに来たらしい。

(出迎えに行けなくてごめんね)

そんな気持ちを込めて首を傾げると、それが伝わったのかどうなのか。アーサーはタビサを膝の上に抱き上げた。

「タビサ、今日も探検してたの?」

「にゃあ(そうよ)」

「じいやも心配してた・・・宮殿の中をうろうろしちゃだめだよ」

「・・・」

「わかってる?」

タビサの瞳を心配そうな緑が覗き込んできた。

「あそこは危ないよ」

タビサを抱く腕にきゅっと力が籠められる。


(たしかにね・・・)

アーサーはあの宮殿で母親を亡くし、たびたび命を狙われている。そんな状況もあり、最近では王宮の敷地の隅にある“忘れられた宮殿”で過ごすことが多くなった。

 幸いにも、アーサーは身の回りの人間に恵まれていた。だから、この屋敷で生活をする時間が増えたとしても、生活に不自由することも無かったし、立場を失うようなことも無かった。

 最近、弟ができたようだが、それ以来アーサーは“忘れられた宮殿”でタビサと過ごす時間にこれまで以上に執着を見せるようになった。

(まぁ、こちらにいた方が安全かもしれないわね)

今日の「探検」は、アーサーの侍従長であるピーター・ラインズに発見され終わった。その後、準備のために先乗りするアンナに連れられてこちらの屋敷にやって来た。

(今はまだ、第二王子の誕生に浮かれているけれど・・・この騒ぎが落ち着いたら、王妃がまたアーサーに固執するわね・・・)

アーサーに抱かれながら、タビサはその平穏そのものの表情とは裏腹な不穏な現状について考えていた。

(猫でいるのももどかしいわね・・・いろいろなことを知ってはいるけど、伝える術も力も無い・・・)

でも、とタビサはアーサーの顔を見上げた。

(今、この子に癒しを与えられるのは私だけ)

そうよね?とタビサがアーサーの首筋に鼻を摺り寄せると、アーサーはくすぐったそうに身じろいだ。


「タビサ・・・」

「にゃぁん?(アーサー?)

すり寄せられたアーサーの頬からタビサの頬に熱いしずくが滴り落ちた。

(よしよし。私がいるわよ)

アーサーの頬を濡らす涙を舐めてやると、アーサーは絞り出すような声でささやいた。

「どこにも行かないでね。ずっと僕のそばにいてね」

今やタビサにしか聞かせない頼りない声は、アーサーが王子である以前に、一人の十歳の子供なのだということをタビサに思い知らせた。

(私は命ある限り、ずっとあなたのそばにいるわ)

返事の代わりに体を寄せ鼻先を舐めてやると、タビサの意図が伝わったのか、アーサーは「大好きだよ」とタビサを抱きしめた。


◆ ◆ ◆


「フレイア、またここにいたのか」


遠い昔のものよりも随分と低くなった、それでいて聞き慣れた声が、タビサの新しい名を呼ぶ。サクサクと地面を踏む足音は、重みを増したけれど、記憶にあるものとそう変わらない。

「隣に座ってもいい?」

⦅どうぞ⦆

手を差し出して隣を勧めると、アーサーはタビサの隣に腰を下ろした。

「今日も屋敷の探検をしてたの?」

⦅うん⦆

「何か発見はあった?」

〈庭の中では、ここが一番居心地いい〉

「そう・・・ふふふ」

笑いだしたアーサーに首を傾げると、アーサーは服の中からカメオの嵌め込まれたロケットを取り出して、開いて見せた。片側にはこげ茶色の長い髪が波打つ女性、もう一方にはやはりこげ茶色の髪の少年と赤い毛と金色の瞳の大きな猫の肖像画が入れられていた。どちらにも見覚えのある肖像画で、もっと大きなものがアーサーの部屋に飾られていた。

「これは、俺が飼ってた猫。タビサって言うんだ」

(・・・・・・)

「元々は森で拾ったスコグカッテルの赤ん坊だったんだ」

(ええ、あの時のあなたも今思えば小さな子供だったわね)

フレイアが小さく頷くのを見ながら、アーサーは話を続けた。

「タビサは俺と一緒に育った猫で。猫だけど、俺の唯一の家族だった」

(私にとっても、あなたは唯一の家族だったわ、アーサー)

「賢くて、優しい子だった・・・あんまり長生きするもんだから、死ぬなんて思わなかったんだ」

(私も、できることならもっと長生きしたいと思ってたのよ?)

「でも、生き物だから、いつかは死ぬ。でも、そのことを考えないようにしてた」

(そうね、いつか死ぬ、と思いながら毎日を過ごすのは楽しくないわね)


「フレイア、君の髪の色も瞳の色も本当にタビサとそっくりなんだ」

⦅うん⦆

「タビサもよく“探検”をしててね。でも、この屋敷の中ではここがお気に入りの場所の一つだったんだ」

(だって、日当たりが良いんだもの・・・)

「君を見てると、タビサが帰って来たんじゃないかって錯覚することがあるんだ」

切なげに細められた緑の瞳を見て、フレイアの心は痛んだ。「私はタビサよ」―その一言が言えればどんなに楽か。けれど、言ったところで信じてもらえないだろう。それどころか、“大好きなタビサを騙った”と軽蔑されるだろう。

(フレイアになったタビサは・・・フレイアは、あなたの家族にはなれないのかしら・・・)


「ごめん、こんな話して。つまらなかったね」

〈そんなことない〉

「そう?」

⦅うん⦆

「フレイアは優しいね」

泣き笑いのような表情を見て、こんな顔をさせたいわけじゃないのよ、とフレイアの胸はまたずきりと痛んだ。フレイアには「タビサの面影」が多すぎて・・・でも、フレイアにもそれらをどうすることもできない。人間に―フレイアになった自分には何ができるか。猫ではできなかったこと・・・


「ん?それなに?」

人間だからこそできる楽しみだろうと思い、料理長が持たせてくれたクッキーの入った籠を差し出した。

〈料理長がくれたの〉

「ああ、探検用におやつをもらったんだね」

こくりと頷き肯定すると、「じゃあ、ちょっとわけてもらおうかな」とアーサーがクッキーをつまんだ。

(これも要るかしら?)

料理長が持たせてくれたもう一つの探検用アイテム、水筒を開けて籠に入れてもらっていた木製のカップに中身を注いで渡すと、アーサーがにっこりと笑った。

「ありがとう、フレイア」

⦅どういたしまして⦆

フレイアも笑い返すと、穏やかな空気が二人の間に満ちた。

(うん、人間としてアーサーと過ごすのもすごく楽しい)


 フレイアの声は未だに出なかったけれど、筆談は確実にできるようになっていて、これはタビサだった頃にはできなかったことだからこそ新鮮だった。そして、自分の思うことを伝える手段を得たことが、心底嬉しかった。


 この日以来、探検の途中にアーサーとお茶をするのがフレイアの日課になった。ただし、偶然だと思っていたアーサーとの遭遇が、実は偶然などではなかったとフレイアが知るのはずっと先になってのことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ