後ろ盾
仕立屋のルイーザは朝から元気だった。
(この人、人間としてはいい歳よね。なんでこんなに元気なのかしら?)
なんとなくこのテンションについていけず、浮かべる表情が苦笑いにならないようにするのが精いっぱいだった。
先日採寸して発注したオートクチュールの普段着を納めに、ルイーザが前回ほどではないものの大量の商品と共にやってきていた。今、執務室(と言う名の第二応接室)の机とローテーブル、ソファの上に所狭しと大小の箱とガーメントバックが積み上げられていた。
ルイーザがいちいちガーメントバッグや箱の蓋を開けて中身を見せ、それをまたアンナが連れてきたメイドといっしょに一つ一つ問題が無いか確認していく。フレイアからすれば、ルイーザが手抜きをするような人間にも思えなかったのだが―何しろアーサーの他にも貴族たちを顧客に持つ仕立屋らしいのだ―品質確認は勿論、安全確認のために省けない手順だと説明されれば、「そういうものなのか」と納得した。
とはいえ、色とりどりの仕上がった服や靴、装飾品を見ればいまいち人間の美の基準がまだ分かっていないフレイアでも楽しくなった。
(絵を見ても仕上がりのイメージが曖昧だったけれど、あの絵がこんな風になるのね)
世の女性なら"黄昏の王子"とはいえ、王族からこれだけの贈り物をされれば歓声をあげて喜ぶなり、恐縮するなりの反応をしたのだろうが、フレイアにとってアーサーは一緒に育ち、そして精神的にも肉体的にも一度年齢を追い越していった相手だ。嬉しいとか、感謝の気持ちはもちろんあったが、それ以上に人間として味わう感覚や感情の新鮮さに興味津々となっていた。
(絹も綿もとても肌触りが良いわ。今着ている服だって着心地が良いし、ルイーザってすごいのね)
アンナも手放しで褒めてくれているようだったし、きっとデザインも素晴らしくそして良く似合ってもいるのだろう。
ルイーザとアンナに勧められて濃紺のドレスと、こちらも誂えてもらった靴を履いてみれば、今着ていた服以上にフレイアの体に合い、「これが誂えた服なのね!」と感動もひとしおだった。アンナとメイドが折角だからと言ってくれたので、今日はこの服で過ごすことにした。
寝室内に設けられていた衣装室も、朝起きた時は先週あれだけ服を買ったのにもかかわらず空いている部分がほとんどだったのに、ルイーザが持ってきた服を入れた途端かなり賑やかになった。それでもなお空いている部分にはこれから納品されてくるパーティ用のドレスを仕舞うらしい。
(こんなにたくさん・・・アーサーになんてお礼を言えばいいのかしら・・・)
アーサーの元に戻ってこられただけで幸せなのに。もともと飼い猫にはとにかく甘かったアーサーは、そうとは気づいていないが人間となって帰ってきてもやっぱりべらぼうに甘かった。
ルイーザの帰り際、覚えたての拙い文字で感謝とどのドレスが特に気に入ったのかを伝えるとこちらが驚くほど喜んでくれ、フレイアの手を両手で包み「新しい衣装がご入用の際は、是非またこのルイーザにお申し付けくださいませ!」と言われた。
(これだけ服があっていつ次の機会が来るのかわからないけれど・・・)
ルイーザの仕立ててくれたドレスがあまりにも着心地が良かったので、次の機会があるのならまた是非ルイーザに頼みたいと思った。
◇ ◇ ◇
アーサーの書斎に、アーサーの他ディーン、エフィー、エリック、そしてマルサス公爵がいた。
「マルサス公爵、こちらから出向かなければならないような用事だったのに、わざわざ来ていただいて申し訳ない」
「いえいえ。思いのほかお申し付け頂いた用事が早く済みましたもので。早く結果をご報告したいと思いまして、参上した次第です」
ディーンの父親であるマルサス公爵は細面の顔に柔和な笑みを浮かべてアーサーに答える。「相変わらず仕事が早い」
「内容が内容でしたから、もし誘拐が横行しているようでしたら捨て置けない問題です」
マルサス公爵はテーブルの上のカップを手に取ると、口を湿らせてから話し始めた。
「結論から申しますと、貴族の子女の誘拐や行方不明となる事案が頻発しているということは無いようです。下級貴族の子女で行方不明になった者がこの数年に数人いたようですが、息子を通じてお伺いしている方の特徴と一致する人間はいませんでした」
「そう、ですか」
「この一週間ほどの間に、妻もお茶会を開く予定がありましたから、それとなく探りを入れさせましたが、やはり私が掴んだ情報と変わらない結果が出ただけでした」
マルサス公爵の言葉で、この場にいた一同は、フレイアに対する監視体制はアブドゥルの掴んでくる情報如何で変わってくると理解した。
「それにしても、アーサー殿下が一人の女性にご執心とは、珍しいことがあったものですなぁ」
はっはっはっと笑うマルサス公爵は、実に愉快そうに言う。それとは反対にアーサーは困ったような表情を浮かべている。
「執心、しているつもりはないのですが・・・そんな風に見えているのでしょうか」
「アンナ殿とピーター殿が教えてくれましたよ。随分な入れ込みようだと。お母様のお部屋を与えられたそうですね」
「・・・すぐに人が住める状態にできる部屋がそれしかありませんでしたから」
「ルイーザを呼んで随分と服や小物を贈られたとも聞き及んでおりますよ」
これ以上この公爵の言葉に返していたら墓穴を掘るだけだ、と思っていたところに裏切り者がべらべらと余計なことを話し出した。
「出かければ土産は欠かさないし、護衛として付けている近衛兵が不可抗力で触れてしまったときは人が殺せるほどの目つきになる、果てはカトリーナ先生やシュテファン先生をつけようとしている。全くもって我が主は、一人の女性にご執心のご様子です」
ケラケラと笑いながらエフィーが言えば、ディーンとエリックも「そうだな」と同意している。
「お前なぁっ・・・!はぁ・・・。そういうことのようです、傍から見たら」
「若い時分にはよくあることです。私は、貴方の政務に不都合が生じない限りは、恋愛事も応援いたしますよ?」
いたずらっぽく笑う公爵は、若いころ随分と浮名を流したらしい。事実、マルサス公爵の跡継ぎであり唯一の子供であるディーンは庶子だった。もっともこじれるようなことはせず、一夜限りの遊びが主だったようで、今のところディーンに異腹の兄姉弟妹はいないことになっている。
妻である公爵夫人と出会ってからは遊びを一切しなくなり、以来社交界では知らない者が無いおしどり夫婦となった。しかし、残念なことに夫人との間には子供に恵まれず、かねてから存在を認知していたディーンを正式にマルサス公爵家の継嗣として迎え入れた。
「殿下のことですから私が言わずとも理解なさっていることとは思いますが・・・保護された女性の素性に問題が見られなかった場合、彼女をどの様な待遇でおそばに置かれるのか、それを考えてくださいませ」
笑いを収めたマルサス公爵は、労わるような口調で話を変えた。
「結束の固いサドラー隊ではありますが、箝口令を敷いていない以上、早晩、王妃様にフレイア様のことが伝わってしまいます」
そうなればどうなるか―王妃の悪意の矛先はフレイアに向けられるだろう。
「王妃様は、御心が子供のままなのです」
マルサス公爵の言葉に、アーサーは乾いた笑いを口から漏らした。
「こんな言葉で過去のおこないが許されることは決してありません。しかし、だからこそ大切なものを守るためにこちらが気を付けなければならないのです」
王妃の悪意とそれによる過去のおこない、それを直接、詳しく知る人間はこの場にアーサーとマルサス公爵しかいない。
「公爵、貴方はわが父よりも余程私の父親のようだ」
寂しいような表情を浮かべたアーサーが、ぽつりと漏らす。
「国王陛下も、殿下を愛していらっしゃいますよ」
「父は、私の向こうに母を見ているだけだ」
アーサーの言葉を否定することができなかったのか、マルサス公爵も困ったような表情を浮かべる。
「ロナルド様と、ラルフ様も大変お会いしたがっていらっしゃいますよ。なぜ、面会の申し出をお断りになるのですか」
「おじいさま、伯父上、どちらに対しても今私と接触を持つことが利にならないからですよ。ただでさえ、私と・・・第一王子と血縁というだけで碌な目に遭っていないのです」
「でも、レベッカ様にはお会いになられていますよね?」
「・・・おばあさまはすぐにルイーザについてくるのです」
「間諜の内定調査もおろそかにはできませんが、たまにはロナルド様やラルフ様にもお会いになってくださいませ。お二人にとって殿下は、王子である前に孫であり甥なのですよ」
マルサス公爵の情に訴えかける口ぶりに、アーサーも頑なになることに意味はないと悟る。自分が父と母の子として生まれ、王妃が輿入れしてきた時点で、祖父母や伯父には損ばかりが降りかかってきたはずなのだ。
「・・・わかった。公爵、なにか用事を作ってくれ」
そもそも、箝口令を敷いていない理由―この屋敷に紛れ込んでいる間諜の内定調査―まで言わずともわかられてしまっているのだ。この公爵相手に隠し事をするのは難しい。
「決して、殿下の不利に働くようなことには致しません。ご安心くださいませ」
そう請け合ってくれる公爵に、この人物は王国の中枢を担う五大公爵の一人なのだと実感する。
国王を支える五大公爵であるマルサス公爵は、若いころからアーサーの母方の祖父と交流があり、決して利益をもたらすとは言えないアーサーを支え続けてくれている。アーサーが未だに「王子」として王宮にいられるのも―暗殺されずにいるのも、ひとえに公爵が目を光らせてくれているからに他ならない。
もう一人の五大公爵であるサドラー公爵―エリックの父親とともに、人数は決して多くは無いものの、有力・有能な人間を集めた第一王子の家臣団を形成してくれているマルサス公爵は、今の地位を捨ててしまいたいと思っているアーサーが王子として在り続ける原動力のひとつだった。
「マルサス公爵」
「なんでしょう、殿下」
「なにか不都合が生じればいつでも私を切り捨ててくれて構わない」
いつも、マルサス公爵に会うたびに言う本心。自分に尽くしてくれる公爵だからこそ、そして親友の父親だからこそ、心の底から頼むのだ。
「私は五大公爵の一人です。不都合など発生させません」
不敵に笑うマルサス公爵は、確かにこの王国を支える人間であり、アーサーを守る盾たる権力そのものだった。
◇ ◇ ◇
情報交換も終わり、いつも通りマルサス公爵を昼食に誘い、ディーン、エリック、エフィーも同席した。食堂に行けば心得たもので、アーサーたち5人とフレイアの分の食器がすでに用意されており、間もなくフレイアもアンナと近衛兵に伴われてやって来た。
「フレイア!ルイーザが来たんだって?ドレスも靴もよく似合ってるよ」
アーサーの傍にやってきたフレイアに、フレイアが食堂に入って来た時から目が釘付けになっていたアーサーは、フレイアの手を取りながら言った。「こっちは?」と首を少し傾げながら触れた指先を見ると、先日アーサーが贈った髪飾りが結った髪に輝いていた。
「それもよく似合ってるよ」
〈ありがとう。うれしい〉
「今日は紹介したい人がいるんだ。こっちにおいで」
アーサーはフレイアの手を取ったままマルサス公爵の元に連れて行くと、公爵にフレイアを紹介した。
「マルサス公爵、我が屋敷の新たな住人のフレイアです。・・・フレイア、こちらはマルサス公爵、ディーンの父上だ」
それぞれを手短に紹介すると、マルサス公爵がフレイアに手を差し出した。
「お会いできて光栄です、フレイア嬢。カール・マルサスです。以後お見知りおきを」
フレイアは、にっこりと笑みを浮かべ隙の無い所作でマルサス公爵の手を取った。
〈私も、お会いできて光栄です〉
「殿下からお話を伺っております。こちらの屋敷で行儀見習いをされているそうですね」
マルサス公爵は、先ほど聞かされたフレイアの「設定」の通りに話を振った。こくりと頷くフレイアをマルサス公爵は、何も知らぬ者が見れば優し気な、公爵をよく知る者が見れば何かを測ろうとしているとわかる表情で見つめている。
「勉強はいかがですか?退屈してはいませんかな?」
公爵の言葉に一瞬目を見開いたフレイアは、大きく首を横に振ると、ノートに言葉を書き付けて差し出した。それに目を通した公爵は面白いものを見たように口端をかすかに上げると、再び慈父が如き表情を浮かべた。
「さようでございますか。面白うございますか。それは良かった。ぜひたくさん勉強をして、立派な淑女となってくださいませ」
ひとまずの紹介が終わると、昼食の時間となった。
昼食では、多少の進歩はあるもののフレイアはやはりカトラリーの扱いに四苦八苦していた。その様子を時折マルサス公爵がそれとなく観察していた。
(不思議な娘だ。王宮のしきたりに詳しい人間に教わったとはいえ、上流社会に馴染みのない人間が一朝一夕にあのような所作ができるとは考え難い・・・それでいて、文字を習ったことも無ければ、食器の扱いすらままならない。一体どんな素性の持ち主だろうか・・・)
マルサス公爵は、これまでの経験や知識、そして記憶を突き合わせながら、この正体不明の「居候」の素性がどのようなものであるのかを見定めようとしていた。
(体は、鍛えた様子も無ければ、戦闘を思わせる傷跡も無し、か)
そこまで考えて、公爵は医師の所見を思い出しながら、フレイアに右足にある手術痕について振ってみた。
「フレイア嬢、ここにいらっしゃるまでに随分とご苦労をなさったのではないですかな」
人好きのする笑顔を浮かべる公爵は、果たして本当の善人なのか―それはともかく、突然話題を振られ、それも脈絡の良くわからない話題にフレイアがきょとんと顔を上げ、小首をかしげるのを見て、公爵は更に言葉を続けた。
「殿下から伺ったのですが、脚に大きな怪我をされたことがあるのではないですか?」
その言葉に、フレイアの顔が一瞬強張った。思い出したように右のふくらはぎのあたりをさすると、しっかりと公爵の目を見ながら「いいえ」と否定する。
マルサス公爵の手元に差し出されたノートには、元いた家で事故に遭い怪我をしたが、それは古傷であり、今は痛みも無いと書かれていた。再びフレイアを見るも、嘘をついているようでもなく、それでいて先ほど浮かべた焦りとも痛みの記憶に揺さぶられたとも言える表情は消えていた。
(ふむ、嘘は吐いていないが、隠し事が無いとも言えない、と言ったところか・・・)
「そうですか、今は良くなられたようで安心いたしました」
公爵がそういたわりの言葉を言うと、フレイアもにっこりと微笑み頷いた。
その後、公爵はアーサーやディーンの子供の頃の話をし、一見当たり障りのない話題を持ち出してその場を盛り上げた。フレイアもそれを聞きながら、楽しそうに笑っていた。
そして、離宮を離れる際にマルサス公爵は、自分の息子のように可愛がる青年に耳打ちをした。
「害や悪意は無さそうですが、随分と大きな秘密があることは間違いありません」
その評価に、アーサーも小さく頷き肯定する。
「ご用心くださいませ」
マルサス公爵は言葉少なにそれだけを伝えると、迎えの馬車に乗り込んだ。
その後、アブドゥルが市井調査から戻り、フレイアの身元については「限りなく白に近いグレー」―身元不明ではあるものの、裏社会などとの繋がりは無いだろうという報告を上げた。
これにより、フレイア本人は知る由もないことではあったが、フレイアは不審人物から「推定無害」の居候に格上げされた。




