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猪口の山水

「お店が暇なときってさ、いつも何してるの?」

と、あすかはよく友人に聞かれることがある。

そういう時、あすかは大体決まって

「別に、なにも?」

と答えている。

実際、本当に暇な時は、することが全くないのだから仕方がない。

しかし、そう言った後の友人の反応は一様に冷たく

「ふーん。何もしないでぼーっとしてるんだ。しかもそれでお店は十一時からなんでしょ?なんか、あすかって高給取りみたいだね」

なんて言われてしまうから、ちょっと困ってしまう。さらに一部の友人は

「あーあ、いいなぁ。私も骨董屋になろっかなー」

とまで言うのだから、あすかは毎回「それだけはやめておいたほうがいい」と首を強く横に振る。

友人達は皆、バリバリ働いている会社人間だからわからないのだ。

なによりも暇なのが一番辛いのだということを……


ここは中央線沿線の街、荻窪。

駅から線路沿いに歩いて十分ほどの所にある住宅街の、そのまた片隅に建つマンション一階のテナント。

わりと新しく綺麗だがとても狭い店内に入ると、まず、店の中央に置いてある、人の腰より少し低いくらいの高さの古いテーブルが目に入る。その上には古い白色のレースクロスが敷いてあり、そこにはいくつものグラスやブリキの缶、デルフトの皿、ティーカップ、小さなスプーンなどが、微妙な統一感を持って置かれている。


次に店の奥に目を転じると、右奥にはカウンターがあり、左奥には中央のテーブルよりもやや背の高い、立派な李朝箪笥が置いてある。艶々と濃い茶色に鈍く光るその箪笥には、様々な意匠を凝らした金具が取り付けられており、同じくその上に飾られた李朝の小ぶりな白磁瓶には夏の紅葉が涼しげに生けられている。


店内の右側には背の高い三段の飾り棚があり、それがこの店にある唯一の棚だ。

そこにも商品がきちんと等間隔に並べられているのだが、いずれも小ぶりなものばかり。それはあすかが始めたこの店《手乗屋》のコンセプト「手の届く範囲で、手に馴染むものを」というのを、反映しているからで、だからその値段も下は数百円から上もせいぜい五万円くらいまで。そんな気軽に手に取り、見てもらえるものを仕入れ、ここに並べるのがあすかの腕の見せ所なのである。


その他に店の左側の壁と、入口後ろの壁、それに李朝箪笥の上の壁にはそれぞれ絵が掛けられているのだが、実はこれこそがあすかの専門で、日本の古い洋画達なのだが、これが残念ながら絶望的に売れない。

現在、店に掛けている絵も、熊岡美彦、辻永、小島善太郎、中沢弘光、山本森之助、白瀧幾之助と、いずれもかつての大家達の素晴らしい油彩画で、大きさもF4号からF6号とマンションにも飾れる手頃なサイズなのにも関わらず、未だに売れず、ずっと店に居座っている。まぁ、確かに値段はどれも十万円くらいはするし、もっと高い絵もあるのだけれど、それだって美術年鑑に載っている値段の十分の一以下なのだ。


このように現在、日本の物故洋画はかなり低い評価に晒されている。

それは不当に貶められていると見ることもできるし、昔が異常で現在の価格こそ相場なのだと見ることもできるから、どちらが正しいかなんて一概には言えない。中にはやっぱり素晴らしい絵もたくさんあるし、同じくらいどうしようもない絵もたくさんあるのだ。

でも、それよりも問題なのは、物故洋画の金銭的な価値が下がったことによって、人々の関心がなくなり、だんだんとその存在自体、忘れ去られていっているという今の現状だ。現在の若い世代で、物故洋画を扱う骨董商など、皆無と言っていい。


だからこそ、あすかはそこに目を付け、自分の惚れ込んだ画家の絵をどんどんと引き取り、お客さんにもその絵の良さを感じてもらうため、常に店に飾っているのだが……


「ふーっ、今日で二ヶ月かぁ。そろそろ掛け変えようかな……」

と、今日もため息をつくのであった。

しかし、売れた実績はあるし、常連になってくれている年配のマダムもいる。若い人でも絵の前に立ち止まり「良い絵ですね」と言ってくれる人も今までに結構いたのだ。だから、あすかはめげずに頑張るつもりでいる。その若い人がやがて会社で出世し、ボーナスを握りしめて、うちに絵を買いに来てくれるようになる日を夢みて……


「んんーーっ、よいしょっと」

あすかはカウンターの中の椅子に座りながら伸びをした。

何をしているのかというと、特に何もしていない。ノートパソコンでネットサーフィンをしているのである。今日も例のごとく暇なのだ。


外から見れば、小柄な女性店主がなにやら真剣に、パソコンに向かい作業をしているように見えなくもなかったが、メールのチェックやHPの更新、家で撮ってきた商品写真の整理などといった作業は、午前中のうちにいつも終わらせてしまっている。

お店は11時から20時までなのだが、あすか自身は10時前にはお店に来ており、オープン前からそういったことや、ネットで売れた商品の梱包、発送の手続きなどの仕事をこなしているのだ。

だから、あすかはこの業界の中ではやはり働き者の部類に入る。骨董屋では13時オープンなんてのはざらにいるからだ。


でもその「よく働く」ということが仇になり、今日のような客足の少ない平日の午後などは、特に暇になってしまうのである。


もちろん、あすかはこの状況に対しても、様々な抵抗を試みている。

まずは掃除。商品にはたきをかけ、床を掃き、棚やカウンターなどを拭く。次に陳列の見直しと商品の入れ替え。さらには店に居ながらできる仕入れとして、某大手ネットオークションをくまなくチェックしたり、勉強のために美術年鑑や図録や同業者の目録を捲ったり、探し物のある時は知り合いの同業者に電話もする。

しかし、それも毎日するわけではない。

しかも、色々な作業を毎週せっせとやっていくうちに、それらの手際がどんどん洗練されていき、結果、余計に時間が余るという本末転倒(?)なことになってしまったのだから、あすかはちょっとがっかりした。


それで、あすかは「じゃあ、もうしょうがない」という思いに至った。

それ故のネットサーフィンなのである。


あすかはちらっとカウンター上の置き時計を見た。服部セイコーの古い、アールデコ調の置き時計で、去年骨董市で見つけ、近所の時計屋さんにオーバーホールしてもらったものだ。

それによると、時刻は午後4時21分。

うん。今日もなかなかいい暇潰しができている。私もそろそろ、暇潰しの黒帯くらいまでは貰えるのではないかと、それを見てあすかはよくわからない自信を持つ。

そして、今度はお茶でも飲もうと思い、足元に置いた水のペットボトルを取ると、そこから電気ケトルに水を移しお湯を沸かし始めた。ここにはガスも水道もないのだ。だから、カウンター内に水と電気ケトル、お茶っ葉と茶器とお菓子は常備していて、いつもそれを飲んでいる。お昼は家でお弁当を作ってくることが多く、夜は帰ってから食べる。


「うーん、今度お金が余ったら、足元に収まるくらいの冷蔵庫でも買おうかなー」

とあすかがお湯が沸けるのを待ちながら思っていると、ふいに

チリンチリーン

とドアの鈴が鳴り、一人の男性が店に入ってきた。

あすかはそれを見て

「あ、いらっしゃいませー」

と反射的に明るく言う。それを見て男性はなんだか照れくさそうにペコッと頭を下げた。そして、男性は左右に視線をキョロキョロと動かしながら、まずは真ん中のテーブルの上の商品をしげしげと見始めた。


それを見てあすかは

「スーツを着て、鞄を持ってるけどセールスマンじゃないみたいね。初めて見るお客さんだわ」

と思う。こんな小さな自営業のお店にも、浄水器を置かないかというセールスマンがよく来るのだ。


そのお客さんはこの店には珍しい、とても若そうな男性だった。二十二、三歳といったところだろうか?初初しいスーツ姿で、髪は黒く短い。顔は切れ長の目が特徴的で、イケメンと言えないこともない顔だった。


商品に触っていいのか遠慮がちに見ている彼に、あすかが

「どうぞ、お気軽に手に取って見てくださいね」

と話かけると、彼は

「あ、ど、どうも……」

とまたペコリと頭を下げた。


しばらく無言の時間が店内に流れた。

あすかはお湯が沸けたので、少し冷ましながらゆっくりとお茶を淹れる。

お客さんはまだ黙々と、真剣な眼差しで棚を見ていた。

こういう時、あすかは下手に声を掛けずに静かに見守ることにしている。それも、あまり見ているという視線を感じさせないよう注意しながら。

それは、お客さんと品物との会話の時間を極力邪魔したくないからで、その時間こそが何物にも変えがたい特別な体験なのだと、あすかは思うからである。

だからあすかは、そんなふうに真剣に品物と向き合っているお客さんの顔を見ると、いつも羨ましく思う。ここが自分の店だということも忘れて……


さらに少し経った時、初めて彼の手がひとつの商品にすーっと伸び、それを掴んだ。

「おっ」

とあすかは思う。

それはあすかが、先日そこに置いたばかりの物だった。


彼はそれを顔の前に持ってきてぼーっと眺める。

それは猪口だった。

作陶時期はあすかにも正確にはわからなかったが、おそらく幕末だろう。薄造りの伊万里で、青い顔料で絵付けされているのだが、その色は、発色から見ても明治維新と共に輸入されるようになった酸化コバルト顔料の濃い鮮やかな発色ではなく、それ以前の自然な、淡い呉須の色合いをしているからである。

大きさは直径6㎝ほどで、熱燗を飲むにもちょうどいい持ち心地。飲み口にポツポツと虫食いがあるが、気になるほどではなく、実用にも耐えそうだ。

しかし、この猪口の一番の見どころは、その側面にぐるっと描かれた山水画にある。

そこはきっと中国内陸部の山奥の、眼下には雲海を望む、いわば仙人が住むような場所で、そこで二人の人物が家の庭で碁を打っている。ひとりは碁盤をただ見つめ、もう一人は心なしか首をがくっとうなだれており、なぜか勝敗の行方までわかってしまう。とにかく呑気な光景である。そこからゆっくりと猪口を回していくと、遠くの山々や宙空に浮かぶ太陽が見え、その家がとんでもない断崖絶壁に建っているのがわかる。たぶんこんなところには彼ら二人以外、誰も住んではいまい。ここは、世捨て人の住まう場所なのだ。


「あの……」

と、あすかはそこでまた彼に話かけた。

すると、彼はびっくりしたように顔をこちらに向ける。


「よろしかったらお茶でもいかがですか?今ちょうど入ったところなので」

「え?あ、ああ。ありがとうございます。では、せっかくですので……」


彼が戸惑いながらも答えると、あすかはカウンターから折りたたみの椅子を出してきて、テーブルの横に置いた。そして、テーブルの商品を少しずらすと、そこにお茶を置き

「どうぞ」

と言う。

「は、はい、なんだかすいません…」

彼は遠慮がちに座り、お茶を飲んだ。それを見ながら、あすかもお茶を飲む。

しかし、男性にとってみれば気まずい沈黙だったのだろう。今度は彼の方から、

「あ、あの……」

と声をかけてきた。

「はい」

「さっきのやつって、どういったものなのですか?」

「あ、あの猪口ですね」

そう言うとあすかはすくっと立ち上がり、棚から先ほどの猪口を持ってきて、テーブルの上に置く。

「たぶん、幕末の伊万里の猪口だと思います」

「幕末っ!?そんなに古いものなんですか?」

彼はその言葉に大袈裟に驚く。だから、あすかは思わず笑ってしまい

「ふふっ、幕末と言えば古く感じますけど、まだそれから百五十年くらいしか経っていないんですよ?何世代かで行き着いちゃいます」

と答えた。

「あっ、確かにそうなのか……」

「はい。だから幕末頃の物は、まだ本当にたくさん残っているんですよ?もっともっと気軽に接していいくらいに」

あすかがそう言うと、彼は

「へぇー。そうなんだぁ」

と口を開けて関心した。


また二人はお茶をすすり

「でも、年代はさて置き、これ、可愛いですよね?」

と、あすかが猪口を指差して言うと、彼もやっと明るい顔になり


「そうですね。なんだか、見ていると、景色の中に吸い込まれそうで……とても癒やされました」


と照れくさそうに、そう表現した。


「ふふっ、確かに山水画って、見ていてとても癒やされますよね」

あすかがそう言うと、彼は

「山水画っていうんですか?こういうの」

と疑問を口にした。だから、あすかは、はいと答え

「はい、もともと中国から日本に伝わったもので、昔の人の思う理想の世界が描かれいるんです。山奥だったり、すごい景色のいい所だったり、大きな川が流れていたり……とにかく、この世のものとは思えないような所をあえて描くんです」

と言う。

「理想の世界……?」

「はい」

そう聞くと彼はそっかぁと、また猪口を手に取り眺め

「だから、なんとなく癒やされるんですね」

と言った。

「ええ、そうかもしれません」


あすかの言葉も耳に入らないのか、彼は一分ほどまた黙り込んだ。

そして、やがて顔をあすかの方に向けると、おそるおそる


「あの、これ、おいくらですか?」


と聞いてきた。あすかは商品に正札を付けない主義なのだ。それは値段ではなく、物で見て欲しいからというのと、そこまで高いものは置いていないという理由からだった。


彼は固唾を呑んであすかの答えを待つ。


あすかはそれをちょっと嬉しく思いつつも、きっぱりと


「五百円です」


と答えた。


「え、ええ!?五百円!?」

彼はまた大袈裟に驚いた。

「はい、そんなに高いものじゃないんです。あ、でもそれはうちにも一個しかなくて、同じものを見かけたこともないですから、どうか安心してください。きっと珍しい絵付けですよ」


ーーそうやって、またひとつあすかの選んだ商品が旅立っていった。

去り際に彼は

「ありがとうございました。実は仕事でちょっと失敗して、ヘコんでたんです。でも、古瀬さんとこの猪口のお陰で、なんか元気が出てきました。ちゃんと反省したら、もっと肩の力を抜いてやってみることにします、この猪口の中の人みたいに。是非また、伺います」

と言ってくれた。

それにあすかは

「はい、是非またいらしてください」

と言い、にっこりと見送った。


そして、今日も閉店の時間が来た。

結局、今日の店舗での売上はあの五百円だけだった。

しかし、それ以上の収穫が。

それはまた一人、常連客候補ができたことである。


これだけで、ある意味今日のあすかの「仕入れ」は大成功したと言える。


急いで閉店準備をしながら、あすかはひとり

ほくそ笑む。そして、あくせく手足を動かしながら、心の中で「よっしゃ」と小さくガッツポーズをするのだった。


(了)

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