7
大男―鉄―は手近にいた男の腕を掴むと放り投げた。
『ぽい』
そんな擬音が聞こえそうな動作だった。
その気軽さとは裏腹に、凄まじい勢いで投げられた男は周囲の男達を巻き込みながら向かいの壁に叩きつけられた。
巻き込まれなかった男達は呆気にとられながらも気を持ち直して拳銃を取りだす。それは充分素早い対応と言えただろう。
しかしそれでも遅い。
彼らが最後に見たのは金色の残像と目の前に散る火花だけだった。
「光矢ぁ!おめえまた速くなったか!」
「あぁもううるさいうるさい、大声で叫ばないで頭痛くなるから」
「でももったいねえな!強いんだから素手でやればいいのによ!」
「僕はお前と違って一撃で意識奪えるほどの攻撃力を生身で出せないんだよ」
手に持ったスタンガンをいじりながら、光矢は残されたリーダーの方に向き直る。鉄もそれに倣った。
「く、来るな化け物!」
リーダーはゆっくりと歩いて来る二人に拳銃を向ける。人類にとって最大の武器といってもいいそれだが、今のリーダーにはおもちゃを大人に向けている子どもの気分だった。
「……化け物だってさ」
「失礼な奴だな!人に向かって!」
違う、人間を棒きれのように放り投げられる存在を、残像すら置いていくような速さで動き回る存在を、人とは呼ばない。リーダーは震える手で引き金を絞ろうとして――
鈍い音と共に白目をむいて倒れた。
「お前ら、遅いんだよ!」
そこにはすっかり忘れられていた男が酷く憤っていた。手に握られている石は鉄が壁を壊した際に飛んできた破片だ。
「いやぁごめんごめんクール(笑)な男」
「(笑)ってなんだ!」
「(笑)でも良いじゃないか!結果オーライだぞ療!」
「よくねぇよ!何でぎりぎりまで待ってたお前ら」
「いや、待ってたわけじゃないんだよ」
「ならどうして――」
光矢は心底バカにした風に療に向かってため息をついた。
「いや、気付くかなと思ってほっといたんだけどさ、僕たち壁の外にいるんだから『右手を挙げる』なんて合図分かるわけないじゃない」
「……………………はっ!」
「相変わらずお前は間抜けだな!」
珍しいことに鉄にまで毒を吐かれ、藪木はその場に膝をついた。
完璧クールであるはずの作戦にこんな穴があったとは……
「……鉄じゃねえが結果オーライってことにしとくか」
ふと顔を上げた藪木は倒れている男達を見て、気付いてしまった。
「おい、白衣の奴どこいった」
「えっ?」
「……いないな!」
「こんなコントやってる場合じゃねえだろ!」
やってしまった。一番逃がしてはいけない人間を逃がしてしまった。藪木は浅く舌を鳴らす。
「療さん、大丈夫」
声のしたほうへ目を向けると裏口から優が歩いてきた。両手で白衣の男を引きずっているが小柄な彼には辛いようで、無表情とは裏腹に息があがっていた。
「優、助かった」
「気にしない、けど、持って」
「おうよ!」
鉄が軽々と男を持ち上げる、藪木はそのままにさせると二、三回頬を叩いて目覚めさせる。
「おい、おい起きろ」
「………………」
「ちっ、光矢スタンガン貸せ」
「良いけどあんまり使いすぎないでね」
「や、止めろ!もう起きてる!」
気絶したふりなどで乗り切れる状況はとうに終わっているのだ。白衣の男は四人の男達の前に抵抗の選択肢を捨てた。
「良いか、俺達は質問する、お前は答える、それだけでいい」
「……何が訊きたい?」
「まず一つ、お前は『ハコブネ』の一員で合ってるか?」
その言葉に男の双眸がこれ以上ないほど見開かれる。
絶対に知られているはずのない単語だ。絶対に知られてはいけない単語だ。
「あーオーケイこの質問はもう答えなくていい、その顔見りゃ十分だ」
二つ目、藪木は質問を続ける。ほかの三人はすべてを藪木に任せきっているようで何もしゃべらない。
「あの荷物の中身は何だ」
「………………」
「質問の仕方を変えるぜ、あれは『実験』に使うものだな」
「どこまで、知っているんだ」
「質問してんのは俺だ、さっさと答えろ」
「し、しらない」
「おい光矢ナイフ貸せ、優はむこう向いてな」
「ま、待ってくれ!本当に知らないんだ!」
藪木は男の表情に裏がないか観察したが、その表情から焦燥と恐怖以外を見つけることはできなかった。本当にただの下っ端のようだ。とたんに、薮木の体を言いようのない徒労感が満たしていく
「くそ、またハズレか……」
男に聞こえないように、口の中だけで呟く。
もう二年以上、こんなことを続けてきた。命の危険もあった。ばれたら一生逃げ続けなければならない相手にも喧嘩を売った。
ようやくつかんだ尻尾は、明らかなトカゲの尻尾だ。その落胆は余りにも大きい。
「リョー、しっかりしなよ」
「ああ、悪い」
光矢に声をかけられて藪木は気を引き締める、ひとりで受けているショックじゃない。横にいる光矢だって、多分鉄と優だって、同じくらいのショックを受けているのだ。へこんでいられる時間はもう終わっている。
「とりあえず、あの荷物の中身だけでも確認するか、鉄」
「おう!先に明けとくぜ!」
「おれ、手伝うよ、鉄さん」
「おいおい!兄貴と呼べよ水くせえ!」
鉄と優は二人で鉄箱のほうへ歩いていく、藪木は男のほうへ向きなおり、最後の質問をした。
「あとひとつ、おれたちのことを知ってるか?」
「知れるものなら今知りたいさ!誰なんだお前らは!」
「ありがとう、おつかれさん」
次の瞬間光矢にスタンガンを押し当てられて、白衣の男はあっけなく意識を手放した。スタンガンのスイッチを切り懐にしまった光矢は、隣で何やら考え込んでいる様子の友人に気づいた。
「どうしたのさ、そんな難しそうな顔しちゃって」
「いや、ちょっとな」
藪木が気になっていたのは一つ。
自分と鉄に屋台で襲いかかってきた男のことだ。
奴は昨日の取引を邪魔されたので、今日の取引の妨害をされないように襲いかかってきたと言っていた。
しかし、あの黒服たちも、この白衣の男も藪木たちのことを知らなかった。
――あの男、なんだったんだ。
今更ながらあの何の変哲もないサラリーマンの顔がひどく不気味なものだったように思えて、藪木の胸の内は言いようのない不安であふれていった。
「お、おい!療!りょーう!!」
鼓膜にダメージが加わりそうな大音声に療の意識は現実へと戻ってきた。
「うるっさいなー鉄は」
「ていうか随分慌ててんじゃねえか珍しい」
鉄は見た目通り図太い神経の持ち主なのでめったなことでは慌てない、そのことを知っている二人は口には出さないが小さな不安を感じて早足で鉄のもとへ向かう。
「おい鉄どうした、ってなにやってんだお前」
そこには蓋の開けられた箱の横で優の眼を両手でふさいでいる鉄の姿があった。手のひらのでかさと優の小顔が合わさって顔全体を覆っている形になっている。呼吸は大丈夫だろうか。
「ちょっと鉄、優が死んじゃうでしょ」
「それどころじゃねえんだって!中身!中身見てみろ!」
いつもの倍はやかましい鉄に辟易しながらも二人は、箱をのぞきこんだ、大きさ的に自然とその姿勢になる。
そしてそのまま固まった。見事に、動かなくなった。
先に思考が再起動したのは光矢だ。悲しきかなこういうところで人生の経験値の差が表れるのだろう。
「これは、なんていうか、困ったね」
遅れて藪木の頭も労働を再開した。そして心の底から湧きあがったものを口から叫びとして解き放った。
「どうなってんだこりゃ!」
箱の中にあったのは、否、居たのは、手術着姿の少女だった。三人の男たちは慌てふためき、少年一人は酸欠で気絶した。それがこの夜の顛末というかオチだ。