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「いやいやお前俺だってよぉ、頑張ってるわけだろ?人のさ、何倍も努力してると思うんだよ」
「おうおう!そうだな!分かっている分かってる!」
どれだけ時間が経っただろう。藪木は完全に出来上がっていた。元より彼は非常に酔いやすい、その分アルコールがぬけるのは速いが。
「だいたいさ、こんな生活でさ、まともにバイトとか不可能なんだよ」
「そうだなぁ!」
「どれだけ頑張ってもさ、相手がいつ動いてくれるかなんて俺分かんないしさ」
「その通りだぞ!」
職業柄酔っ払いの相手に慣れている鉄は適当に藪木をあしらいながら片付けを始めていた。カウンターに突っ伏して喋り続けている藪木は半分眠ってしまっていた、やはり彼にクールは似合わない。
「おい聞いてんのかよ鉄」
「おう!聞いてるよ!」
ガスの元栓を閉めたあたりで、後ろから椅子を引く音が聞こえた。
そちらに目をやるとサラリーマン風の男が一人座っていた。
「あ!わりいなお客さん、今日はもう店じまいなんだ!」
「……ああ、そうでしたか」
「うるさいのがいるから勘違いさせちまったな!」
「いえいえ、お気になさらず」
男は静かに席を立った。だが動かない。
「お客さん?」
不審に思った鉄が声をかける。
瞬間、男は前触れなく懐から黒光りする凶器を取りだした。引き金を絞るだけで人を殺すことのできるそれをためらいなく男は鉄に向ける――ことは出来なかった。眠っていたはずの藪木が拳銃をはたき落したからだ
「ッ!?」
「おいおい、街中でこんな物騒なもん振り回すなんて、クールじゃね――ぶっ!」
油断していた藪木は腹に強烈なけりを受けて店の正面のゴミ捨て場に頭から突っ込んだ。男はすかさずナイフを取り出すと鉄に振りかぶる、しかしその手はあっさりと鉄に掴まれた。
「俺を相手にナイフなんぞで向かってきた度胸は認めてやるがな!」
鉄はそのまま男を片手で振り回して壁に叩きつけた。ずるずると壁から落ちる男は完全に気を失っていた。それを確認すると鉄はゴミ捨て場に生えている脚を掴んで藪木を引きずりだした。
「……なんだよ」
「療、やっぱおめえにくーるは無理だって」
藪木は泣いた。情けなさとクリーニングに出さないといけないレベルで汚れた服に泣いた。
その間に鉄は倒れている男のもとへ行き、武器を持っていないことを確認すると胸ぐらをつかんでゆすり起こした。
「おい起きろ!」
「ぐっ、貴様ら」
「おめえ何もんだ!なんで襲ってきた?」
「……言うと思ってるのか」
「ほう?言わないと、俺の服をこんなにしといて言わないと」
藪木は背筋が寒くなる笑みを浮かべながら、二人の間に入った。
「良いぜ、お前がそう言うなら俺にも考えがある」
「貴様何を――!」
怪訝な表情で藪木を見ていた男だったがその懐から、明らかにおかしい色の液体が入った注射器が出てきたのを見て顔色を青くする。
「鉄、抑えとけ」
「おうよ!」
「や、やめろ近寄るな!なんだそれは、何を打つ気だ。離せやめろ!止めてくれ!」
「がたがた言うんじゃねえよ、人に拳銃向けといて」
「療!この前の奴は体中変な色になっちまったけど今回はどうなるんだ!」
あまりにも物騒な会話に注射を打たれる前から男の顔色が青から白へと変わる。
「まあ打ってからのお楽しみだな」
ゆっくり、ゆっくりと、自分の腕に近づいて来る針に男の動悸が激しくなる、そしてそれが腕に触れた時――
「分かった!喋る、なんでも喋るから止めてくれ!」
「オーケー、このまま喋れ、お前は誰だ」
「昨日お前らに取引を邪魔されたものだ!」
「……やっぱりか、それで?復讐ってか?」
男は唇をかみしめて目をそらした。言外にそれだけは言えないと必死の抵抗を見せる。
「よいしょ」
藪木は容赦なく針を血管に刺した、後は注入するだけだ。
「今日も取引があるんだ!」
「何ぃ!」
鉄がその言葉に目を剥いて反応した。藪木も似たような気持ちだ。男は自棄になったのか続きを勝手に喋り始めた。
「昨日よりもはるかに大切な取引なんだよ!絶対に荷物を奪われるわけにはいかないんだ!」
「物は?」
「知らねえ!ただ、なんかの薬品だってことしか」
男の言葉に藪木の顔が一気に険しくなる。男からは見えないが鉄も同様だ。二人は一瞬目を会わせると軽くうなずく
「何処だ?」
「……商業地区の貿易港、27番倉庫一時間後からだ」
藪木は舌打ちをすると、片手でスマホを取りだしメールを打ち始めた。男は藪木に懇願する。
「お、おいもういいだろ、解放してくれ」
「最後に一つだ、俺達のことは誰から?」
「知らねえよ!命令されただけなんだから」
「……分かった、もういい、答えてくれたご褒美だ」
藪木はメールの片手間に注射器の中身を打ちこんだ。男の口から聞くに堪えない悲鳴がこぼれる。
「な、なんでだ!話したじゃねえか」
「人殺そうとしといて虫のいい事言ってんなよ、死にたくなけりゃさっさと病院行け」
鉄から解放された男は、ほうほうの体で逃げて行った。その姿が見えなくなった頃、鉄が口を開く。
「おい療、あれ中身は?」
「着色料混ぜた栄養ドリンクだ」
興味がなさそうに藪木は歩き始める。鉄もそれに倣った
「他の二人は!」
「今メールした、現地集合だ」
「わかった!」
その場の片付けさえする余裕なく、二人は走って行った。
今度こそ、今度こそ、その思いを背に走る二人を見ていたのは煌々と輝く満月だけだった。