一番長い夏休みの始まりの日のことです。
7月20日、7月にしては珍しいくらいの気温の中、今日から夏休みが始まる私立星成高等学校の全校生達は高温の体育館に押し込まれていた。
私立星成学園の生徒たちのほとんどは親が政治家や大手企業の社長、幹部といったいわゆるおぼっちゃま、お嬢様のために造られた高校だ。
大勢の人の熱気で蒸しかえっており立っているだけで汗が噴き出てYシャツを湿らす。
星成学園の体育館は側面がガラス張りになっており外の景色が良く見える。舞台に向かって左側にはすぐ横に国道が通っており視界を遮るものは窓枠と2メートル程のフェンスしかないのでよく外が見える。だから一番左側に並ぶ星成学園の1年A組の男子生徒の約半数は窓の外の景色を見ていた。片倉道弥もその一人だった。
無駄に長い校長の話を聞き流しながら外の景色を見ていたがこんな蒸し暑い日にわざわざ出かける人も少ないのだろう。
人も車も先ほどからまったく通らない。せいぜい熱せられたアスファルトが作る陽炎のゆらゆら揺れる景色を眺める程度だった。
校長の話が終わり閉式の言葉にさしかかろうとした時、190センチはあろうかという男が歩道を歩いていた。ただ歩いてくるだけならいい。
サングラスをかけていてもその男の髪が脱色などで作られた金髪ではなく本物の金髪だからあやしくは無い。奇妙なのはその服装だ。
誰も出歩きたがらないような蒸し暑い日にはたしてトレンチコートを着て歩く人間がいるだろうか?GHQが日本に来た時、日本の蒸し暑さに耐えられなかったアメリカ人が部屋の暖房をつけ、気温を上げることで室内の水蒸気量を減らしカラッとした暑さに変えた話は聞いたことがあるがあの奇妙な格好もそういうある意味暑さを和らげものなのか?いやそんなわけないだろう。
と一人で質疑応答を繰り返している間に男は目の前を通り過ぎて行き、やがて見えなくなった。
教室に戻り担任から通知表をもらう頃には道弥の頭の中からその男のことはすっかり消えていた。
「うわー。どうしよー。マジやべえ。今回は本当にマジやべえ」
代わりに頭の中を占めていたのは成績だ。誰に話すわけでもなく一人で声を上げる。
「そんなこと言ってお前毎回いいほうだろ~?」
と道哉の独り言に答えてくれたのは後ろの席の狭間恵だ。よく「めぐみ」とよばれ女に間違われるが正しくは「ケイ」とよんで男だ。
「今回はマジでヤバいんだよ!!今回の数Ⅰのテスト32点だぞ!?32!!流石にまずいだろ!これは!」
「安心しろ、その回の平均点は27点だ。0点が十数人とかいうやつだから。何でも次の期末問題の問題だったらしい。それで30点取れれば大したもんだぜ?」
「そういうお前は何点だったんだよ?」
「……100?」
この恵と言う男、見た目はいかにもチャラくて馬鹿そうな割に全国模試が一位と言う天才。おまけにそれを鼻にかけないオープンな性格と運動神経のよさから学校中の人気だ。
「お前、よくもその点数で大した奴とか……!」
「片倉―。次ぎお前だぞー」
文句を言おうとしたちょうどその時通知表を渡される順番が回ってきた。
「まあ?俺の手にかかれば?オール4ぐらい普通なわけよ!」
結果はオール4。いい結果だろう。流石に恵には勝てないがまあいい方だ。ちなみに恵は堂々のオール語だ。
「これであいつにもひと泡吹かせてやれるだろうよ!」
「それはどうだろうな?お前数Ⅰ3だったろ?代わりに英語5だったけど。あいつは数Ⅰ74点だったから5付くだろうし英語も98点だったからたぶん5だぞ?」
「ふっ。お前もまだまだだな。あいつは生物、物理、国語全て30点ぐらいだと言っていた。2がついてもおかしくない。今回の勝負、俺の勝ちだ!!」
「……お前の頭はめでたいな。」
「は?どういう意…」
「きりーつ」
文句を言おうとしたところでまたもや号令がかかった。
廊下は人でごった返していた。
たいていの奴らは送り迎えがついてるから校門に向かって流れているが俺と恵は違った。
廊下に出てc組の前に行くと、そこにはすでにいつもツルんでいる面子がいた。
B組の元八王子撫子とC組の元八王子侑子だ。もちろんこのふたりは双子で顔のつくりは鏡で映したように同じだが撫子が背中のあたりまでのロングなのに対し侑子はボブあたりまでしかないから見分けがつく。ちなみに性格は正反対だ。そして最後に高尾李器。李器は中国人とのハーフで姉御的な存在。高校生にしては大人顔負けの体格をしている。胸とかそのあたりが。
大抵の生徒が送り迎えをつけているのに俺たちにそれがなく殆ど一般人と変わらない生活を送っているのは両親の音が庶民だからだろう。俺の父親は大物政治家だが2代目ではなく1代でそこ名で昇りつめた腕ききで。恵の父親は現警視総監で俺の父親とは小学校来の付き合いらしく、俺と恵も小学校から一緒なのでよく家族ぐるみで遊んでいる撫子と侑子の父親も政界屈指の大企業「オープライム薬品」の幹部というやり手だ。
李器の父親は一代で…と言う訳ではないらしいが裏の仕事らしいので目立つのは遠慮しているらしい。
「どーするー?このあとどっかたべいく?ウチに食いたいんだけど?あとアイス」
「やっぱり?侑子もそう思ってた?私もお肉とアイス食べたかったのー!!」
「さすが双子だね。息ぴったりじゃん。私もアイス食べようかな―」
「あ、知ってる?こないだ三鷹駅の近くにケーキ屋出来たの!!ウチあそこ行ってみたい!」
「知ってるー!パフェとかも食べられるんでしょー?私も行きたーい!」
「あら、本当?いいわね。行きましょう?」
と女子陣達のテンションが一気に跳ね上がり、勝手に歩を進める。
「おい、いくのか?」
「行くしかないだろ?」
俺甘いの嫌いなんだけどなー。とか言いつつ恵とほを進め始めた。
駅前も閑散としていた。ケーキ屋なのかパフェ屋なのかどっちなんだ。と言う店に行く前に軽く食事を取ろうと学生に安いと人気の某ファミリーレストランにより、いざケーキ屋へ行こうとしたのだが…
「こっちじゃない?」
「えーそんなことないよー。こっちだってー」
「あたしはもう通りすぎちゃってんじゃないかと思うんだけどー」
俺たちの数メートル先を行く女子陣たちは立ち止まって周りをキョロキョロ。
ダラダラと歩いている内に隣駅まで着いた。この駅は近くに大きな会社が多いからか人がごった返していた。
「まだみつかんねーのぉ?みっちー」
「俺に聞くなよ。てかみっちーて呼ぶな」
汗が目に入っていたい。よくこんな中歩いていられるな。女子は。そんなにスイーツが食べたいか。
「おーい。俺達噴水の前で待ってるから見つかったら迎え来てくれ。」
「わかったわー。まっててー」
と言う訳で俺たちは噴水の前で待っていることにした。
「みっちー。俺ジュースかってくるわ」
「あいあいさー」
そういって恵が人ごみの中に消えていった。
「あ、あれって……」
恵を見送った方向に現れたのは今日体育館で見たトレンチコートを着た男だ。周りよりも背が高く、金髪な分、余計に目立っていた。だが俺が冷静にそいつを見ていられたのはそこまでだった。
それを見た瞬間反射的に俺は立ちあがった。立ちあがって何かをしようとしたわけじゃない。ただ訳も分からずとった行動がたまたま立ち上がるという行動だったのだ。
トレンチコートを着た男が持っていた、正確には抱きかかえていたものは……
撫子だった。
何で誰も気づかない?どう見たっておかしいだろ?こんな季節にあんな服着て女子高生抱えてるなんて。どうしてだれも止めないんだよ!どうしてだれも目を向けないんだよ!どう見たって誘拐だろ!?何で!何で!何で俺は動けないんだ!?何で見つめることしかできないんだ!?
気が付いたらその男と撫子は居なくなっていた。何分間俺はぼーっとしてた?
あわててスマホを開くと侑子に連絡した。
「もしもし?どうしたの?」
「どうしたのじゃねぇよ!!撫子は!?撫子は何処にいる!?」
もしかしたらさっきのは撫子じゃなかったかもしれないたまたま同じような制服着ただけの髪の長い子だったんだ。たぶんそうなんだ。必死で俺はそう自分に言い聞かせた。
「んー。それがお姉ちゃん見当たんなくてさ。さっきまで一緒にいたのにだよ?まあお姉ちゃんの方向音痴はいつものことだから心配する必要も…」
そこから先、侑子が何を言っていたのかはよく覚えていない。
帰ってきた恵が
「どうした?顔真っ青だぞぉ」
といつもの軽い調子で言ったところで俺はやっと意識を取り戻した。
「撫子が、撫子が、撫子が」
意識を取り戻しても俺は馬鹿みたいに同じ言葉しか繰り返すことしかできなかった。
普通の友達なら俺の様子を見て尋常じゃないことがおきたのだと悟り俺のことを問いただしたかもしれない。たぶんそうされても俺は何も言えなかったと思う。だが聡明な恵は俺に買ってきたジュースをキャップをはずして渡すととりあえず飲め、と言って俺を近くのベンチに座らせた。
俺が落ち着くころ合いを見計らって俺にゆっくりとした口調で尋ねた。
「で、どうした?」
「……撫子が!誘拐された!」
やっとの思いでそこまで話した。
貴女は覚えていますか?
この日のことを。
この日が僕たちの、
一番長い夏休みの始まりの日のことです。