ウサギ女王
雪の降る夜が最適だと思っていた。
そんな日はこの町じゃ珍しくもないけど、今日だけは特別なのだ。
終わりを迎えるに相応しい、静けさ。
声もひそめて、まるで正体を見せないのに、気配だけは確かで。
街灯だってついているのに、この姿を写してくれる人はいるのか。
おかしくて笑い声さえ漏れそうになるのに、だれも気づかないのか。
「私の、もの……家の、私の、たからもの。ざいさん。おかね、おか、ね、きれぇい、なもの」
ああ、それも、この肥えた豚の腹におさまっているのだろうか。だからだれの耳にも届くことなく声は死んで、気配は消え失せて、だれもかれもいなくなってしまうのだろうか。
この、亡者のために。とっくの昔から精神に支障をきたしていた、これのために。死ななくてはならないのだろうか。たかがこの町に生まれただけで。こんな町にいたせいで。
「だったら、後も先も一緒……じゃない、の?」
狂人は気づかない。醜い顔を晒しても、こちらが見えていないのだ。
男の肩に触れる。でも、これで最後だ。後はあの人にもらったナイフをさせばいい。
ああ、それで終わるのだ!
「取り押さえろ」
聞いたことのある子どもの声。それを合図に、何人もの男たちが手足を押さえつけ、痕がつきそうなほどに握りこまれる。
「離せ! どうして……だれが!?」
もがいてみても成人男性一人分の体重がのった手足はとても動かせない。
「それはきいているはずだが? 仕立屋のコリー・バーン!」
シルヴァがランプを室内に灯すと、取り押さえられている犯人の姿が明らかになる。その人物に、兵士たちの手は緩みかけたが、即座に抜け出そうとする様子に握りこむ力が強くなる。裁縫を得意とする女性の、細い腕の骨はきしんだ。
「どうして、の理由はコロネリに聞くといい。あの男のおかげで君にたどり着けたのだからね」
「あたしは知らない!」
「では勝手に言わせてもらおう……事件を解くにはあの男の服装がヒントになった」
関節が白くなるほど握り締めた手に近寄ったルイは、犬歯をむき出して敵意を表すコリーを見下ろすと、その手を解くようにいう。奥歯を噛みしめるコリーはしたがわなかったが、子どもながらに革靴で思い切り手を蹴られ、掌中で滑った柄は床を滑っていった。顔に似合わない荒さにコリーだけでなく兵士たちも呆然としたが、ルイの話は続いた。
「このメイスでも黒無地のコートは喪服の上着なのだそうだね。コロネリは闇にまぎれるそれを最適だと思ったが、協力者である君からすれば夜に黒いコートなんてわかりにくくて仕方がない。そこでシルヴァ君が見たように、蛍光塗料を靴紐に塗って目印とした」
「喪服なんて、だれでも持ってるわ……なんで私なのよ」
「確かに。だが今回の件をまとめた調査書には過去、黒い布をつかんだ遺体を収容したとある。布は調べた結果、君とは別の仕立屋が作った喪服だったようだ。どんなに慣れた人間でも失敗はあるということだろう……ところが私たちの見たコロネリの服装におかしいところは一切なかった。これはどこかのだれかが、新たに服を与えたことになる」
わかるね? と聞き分けのない子どもに言い聞かせるようにじっと自分を見つめるルイに、コリーはその視線から逃れるように床に顔を擦り付けた。
「喪服というのはなかなか替えを用意しないようでね、服の奨励をしているとはいえ、売れ行きは悪いらしい。この二年の間に買った人間の特定はすぐにできたよ」
「私の店で買ったお客さんがいたってことも考えられるじゃない!!」
「もちろんそれも聞いたが、君の店で喪服を買った者はいないらしい……ついでにいっておくと、七年前に君の店の服を買った者も一人もいなかったよ」
抵抗を見せていたコリーは、ルイの言葉に動きを止めた。獣のように息巻く音も聞こえなくなったのを確認すると、ルイは息を吐いた。
「七年前。前任の支部長はひどく気の弱い人物だった。メイスでは新参者に対しては厳しかったこともあって、支部長は部屋にこもって主な事務はワグナー伯爵にまかせていたそうだね。だが伯爵には、一つ問題があった。君も知ってのように、自分の財産に固執していた」
「……それが? 伯爵の問題がなんの理由になるのよ?」
「君は知っていたから、コロネリに奪った品を伯爵のところに持っていくように仕向けた。伯爵好みの美しい品々に、彼が夢中になるようにね……果たしてたくらみは成功した」
伯爵の所有物に対する執着心は周知の事実でもあった。そんな彼の屋敷から盗品が見つかれば、その容疑は彼に集中する。その伯爵自身には報告する義務が発生しているが、怪しまれる可能性を考えれば多少の足止めにはなっただろう。なおかつ盗品が自分のものでなくなる恐れを味あわせ、伯爵を翻弄させることも十分にできる。実際、伯爵は廃人同然だ。
「さて七年前の話に戻ろう……彼は実質ここの政務を執った。そのことに問題はなかったが、彼は任務中にあるものを手に入れようとしていた……一人の麗人を。だが麗人には年頃の娘がいて、それを理由に麗人は伯爵のものとなることを拒否した……結果として、殺されてしまったがね…………君の殺意はそこから来ているのだろう」
「母の復讐よ」
コリーはそれまでと打って変わって冷静な声音で告げると、床にこすりつけていた顔を可能な限り上げて、半笑いのような顔でルイを見上げる。抵抗した際に乱れた後ろ髪が顔側にきているために表情には陰りがうまれ、静かな口調はどこか馬鹿にしたようでもあった。
「母はあの雪の夜、樹に縄をかけて自殺したのよ。乱暴された痕のある身体を、隠さずに」
「……君の母親が死んだ場所には、もう一つ足跡があったと聞くが」
「あれは母を手伝った、私の足跡よ」
コリーは目を細めると、含み笑いをした。取り押さえられている彼女の後ろでは、未だにブツブツと何事かを呟く伯爵が兵士に連れられ部屋を後にする。ルイと会話を続けながらもその音を聞いていたコリーは、嘲りに口の端を吊り上げた。
「内股から流れ出た血と凍傷でないまぜになった身体を降ろしたのも、最期の笑顔を見たのも私。血に染まっていく雪を見たのも私……去っていく町の人を見たのも私」
抑揚のない声で語りながら漏れる笑い声に、室内に緊張が走る。いつの間にか震えのなくなっていたコリーとは逆に震えだす兵士も現れると、細い腕は肘を曲げで上体を起こし、逃げた。
「コリー・バーン!」
「ねえお嬢さん、この町では裏切りは重大な意味を持つの……でもその裏切りってなんなの? こっちがそのうち心が折れるのを待って、店にも近寄らず近寄らせないようにすること? それとも自殺した母を見て、自分たちのしたことがわからないように口を噤むこと!?」
コリーは叫んだ。叫びながら見開いた目には、涙があふれていた。
「それとも新しい支部長の命令に乗っかって、私の作った服を買いあさること? せめてもの償いをお金と褒め言葉ですまして、ねぎらいの言葉をかけて……母を殺したのは、本当に殺したのはこの町の住人なのに……知らないふりして笑ってやること?」
有力な土着貴族に逆らう町人は、このメイスにはいない。収集以上に保管することに固執していた伯爵が、自分の立場が脅かされることを嫌っているのは知っていたし、伯爵に逆らえば罰を与えられる。新しい支部長にもバレればただでは済まない、と思った人間も多くいた。
ルイたちが調べていたその過程でも、だれも、謝罪はしなかった。
「途中で逃げ出したくもなったけど……それでも私は、存在することで償わせてやりたかった。母のように、身体を晒して死ぬなんて、そんなの嫌だった」
母の復讐を引き継ぎながら、自分以外への嫌悪感は日に日に増していった。それでも弱音をはけば終わりだと、コリーは確かに思っていたのだ。だれにも、負けたくなかったのだ。
「でも、失敗したなら終わりだね……あとは、あの人に任せよう」
涙を流し続けながら、震えた声でコリーは伯爵を殺害するのに持ってきていたナイフの刀身を首に強く押し付け、横へ滑らす。首の後ろから手前へとぱっくり開いた傷口からは少し勢いを持った血が噴き出ると、コリーはふらついた足取りで真横を見て、ひっそりと笑った。
ランプに照らされていない病室の隅からは霧が発生し、またたく間にコリーだけを包んだ。
「コリー・バーン! 逃げろ!!」
首を切ったコリーには到底無理な話だが、支部長は構わず叫んだ。それでも応答が返ってくることはなく、どころか霧を恐れた兵士たちによって支部長たちが一歩退く。それでも、と支部長の手が兵士の肩にかかり、じゅぶりっ、と、水の音が耳を打った。
「出たようだな」
だれかに向けて話すルイの視線の先には、消えていく霧の合間に、血のとまらないコリーの首をかかえるコロネリの姿があった。空いている右手には長剣が握られ、コリーの血であろう赤黒い液体に濡れ、あるいはしたたり落ちていた。その、おびただしい量の血の池には、黒い服を着た女性の首から下が転がっている。秘かに痙攣しながら。
「っあ……コリー・バーン!!」
支部長の絶叫が暗い闇をつんざく。コリーを殺した男は無表情でたたずみながら、膝をついていく男を見つめ、目を細めた。愉悦を含まない瞳には軽蔑のみが暗く存在していたが、その男の眼前を、月光に照らされた白い切っ先が襲う。黒光りするコロネリの長剣と、がつりと硬質な音とともに金属同士がぶつかり、嫌な音をたてて刀身を滑る。
「青年、か……! まさか、剣で来るとはね」
「……お望みなら、魔法をあげようか!!」
切り込むようにして刃先を変えながら、言葉とは裏腹にやみくもともいえる動きでコロネリを狙う。コリーの頭を持ちながらもコロネリは問題なく動いたが、その切っ先が左腕を掠ると、コロネリは目を見開いた。そして大きく舌打ちをして、長剣を放り投げる。一瞬だけ伸びあがった右手を狙って懐に飛び込んだシルヴァは、早口で唱えられた呪文に身体を退く。
「風の息吹!」
コロネリの魔法に身を翻して避けたシルヴァに、コロネリは足を上げ、ブーツの底に仕込んでいたナイフを出す。軽い足さばきと硬いブーツのかかとに剣をとられながら、シルヴァは踏ん張り、渾身の力を込めて柄で足を払う。視線が足に行くその瞬間、シルヴァはコロネリの後ろをとった。視線はまっすぐにコロネリを見つめている。持ち手を両手に変えて剣で切りかかろうとする姿に、コロネリは呪文を詠唱しながら振り返り、手をシルヴァに近づけた。
「罪人には戒めを、受刑者には枷を」
「くそ……あの少女か!!」
そうしてコロネリの目がシルヴァを捕らえた瞬間。ランプの光の届かない暗闇からエリシアが魔法を使用する。捕縛用の水魔法は小さな二つの輪となってコロネリの足元を縛り付ける。
「光を掲げるは炎の眼!」
コロネリは右手を突き出したまま次の詠唱に入っていたが、バランスを崩しそうになった。その隙をついてエリシアが呪文の詠唱を終えると、コロネリの眼前を熱の塊が一度、とんっと、伸ばされたままの右手を介して地面に着地する。生き物の前足に見えたものが通り去ったのは一秒足らずのことだったが、手首が焼きただれていた。
「台風の夜!」
痛みに脳を蝕まれ、それでもコロネリが放った魔法は、シルヴァを飛ばそうとしたものよりも威力が強い。咄嗟にかがんで避けたシルヴァの髪も何本も引き抜かれ、それらは病室に空いた大きな穴から、外へと消えていく。
派手に開いた穴からのぞく月が、いつの間にか雲のなくなった空から垣間見えた。コロネリは月明かりに照らされるシルヴァを見て、また一つ舌打ちをした。
「ザブド!」
「……とても惜しいが、お前のマナは処分させてもらった」
エリシアが月明かりを目指して現れる。反射的にエリシアに顔を向けたコロネリは、淡々とした口調と視線で説明する女性に呆然とした。次いで彼女が見ているのが自分ではないと気づくと、先程通り過ぎていった鮮やかな炎へと振り返った。
「……なるほど、役割分担か」
熱の塊に見えた白銀のイタチの口元からはわずかに鮮やかな青色をした小さな尻尾が見える。それはヒューイの口から零れ落ちる前に、雪の粒のような輝きを残して消えていく。マナ同士の食い合いなどコロネリは知らなかったが、彼のマナが死んだのは間違いなかった。
ゆっくりと近づいたエリシアの手が、コロネリに触れるぎりぎりの位置で動きを止める。それでも魔法を使うのならば、この距離はあってもなくても同じ。それでも呪文を詠唱されないよう、突き刺す意図をもった切っ先が喉元にあてがわれると、コロネリは笑いたくなった。
「貴様には中央で裁判を受けてもらう。これは決定だ」
「決定か……さすがは王族。だが、今回の件はそちらのダメージも大きいだろう?」
にやついた笑みを浮かべるコロネリに、もう一つ冷たい感触が押し付けられる。鉄の冷たさと、銃口の丸い穴を膝裏に感じ、コロネリが首をそらすと、雪ウサギのような少女が据えた目で一心にコロネリを睨んでいた。逃げるな、と強く主張する赤い瞳は、先程まで事件を推理していた少女の顔ではない。ただただ真摯で、大人のように打算的だった。
「メイスの現状を証言してもらう……コリー・バーンの意思を伝えるためにも」
不祥事は取り消せない。亡くなった命は甦らない。過去も戻ってくることはない。それらは当然のことで、メイスの問題も今つまびらかにしなければ、だれかが泣く未来は近いうちに訪れるかもしれない。死人に口なしでは、この事件の根本的な解決にはならないのだ。
「お前には証言をしてもらいながら、軍から出た理由も聞く。簡単に殺させはしない」
「なるほど、公然の密告者か……まあ、いい」
国家が求めるのは、なにも安寧だけではない。いや、本当の意味の安寧があるとするならば、正義で固めるばかりではなく、もっと確かな弱みなどで制するしかないのだろう。さしあたって軍部の弱みは自分であり、その自分を結果的に野放しにした国軍は少なからず罰を受けることになるのだろう。あるいは取引の材料にされて死ぬか。捕まった今となっては、その二択程度の価値しか、もはやないのだろう。
北部支部の兵士たちがエリシアたち三人の周りを囲むと、コロネリは肩の力を抜き、穏やかに笑った。緩やかに目尻を下げると、コリーの頭を火傷でただれた手で優しく撫でる。首と胴を切断した際に一緒に切ってしまった冷たい金色の髪をすきながら、ひどく満足した声音でもってつぶやいた。
「最後の望みは叶えてあげたからね……俺は魔法使いなんだから、当然だけれど」
いいきかせるような物言いに、雲にかかった月明かりが降り注ぐ。
支部長は穏やかですらあるコロネリを見開いた目で凝視しながら、感情が制御できないとばかりに全身を震わせる。ゆっくりと持ち上げられた手を、コロネリに伸ばす。
一歩、二歩、と踏み出した足もおぼつかなく、倒れ込みそうでもあった。コロネリを取り押さえている兵士とは別の兵士が、ふらりとよろめいた支部長を支える。
風にのってどこからか舞った雪が笑っている女性の顔に落ちたが、溶けることはなかった。
支部長はそれきり身体の震えを止めると、大きく口を開いた。
戦闘描写、頑張りましたが苦手です。不可能な動きをしてないか毎回焦ります。超人だったらなあ……。
イタチがトカゲをとるぐらいだったら残酷描写には入らないよね……と実のところ前書き書くか悩みました。