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Snow rabbit  作者: 神楽の蔓
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花の呼び声

 主の好みで住まいを考えるのは、当然と言えば当然のことだ。逆にいえば主の意に沿わない住居は十分に活用できないし、それは主だけでなくその住居にとっても不幸でしかない。

 しかしそうすると、主ではない住人にとってみれば、若干の不便があっても我慢することが重要となってくる。どれだけ構造が変わっていても、それに適応してなのか、主の生活環境が悪くなったとしても、家主に合わせていかなければならないのだ。

「……でも限度ってあるよね」

 黒い前髪をヘアピンで留め、涼しい青紫色の瞳で、やや疲れたように紙の散らばる床を見る。

 それから誰にともなくつぶやいて、半袖のシャツに黒のズボンといったシンプルな装いをしたシルヴァ・フォーキンは手近な机の上にコップと皿がのっているお盆を慎重に置く。それから空いた両手で床に散らばる紙を拾い上げていくと、内容を確認してから分類しだした。その間も大小さまざまな本が落ちる音が響くが、彼はひとまず自分の作業に専念することにした。

『シヴァ、シヴァ! 俺、ミルク飲みたい!!』

 吹き抜けの二階廊下に備え付いたゆるい螺旋階段を使って一階へ降りた白銀のイタチは、丸まったシルヴァの背中を駆け上がって首元で叫んだ。襟足ほどの後ろ髪は少し湿っていたが、イタチは目を細め、構わずに顔をすり合わせた。

「ちょっと待って、これが終わったらあげるから。あ、机の上に置いてあるのは飲まないでね」

『シヴァもエリシアも冷たい』

 十代前半の少年の声が未練がましくつぶやいて、イタチはほんの少しだけ足の爪を出す。夏服の薄い布を通してイタチの爪が食い込むのに、シルヴァは痛がるふりをする。つれない仕草に、イタチは彼の肩から飛び降りると、紙の散らばっていない床に寝転がった。つまらない、と連呼する甲高い声に、シルヴァは内心なごやかな気持ちでため息を吐いた。

「シヴァ! 帰ったのか!?」

「うーん、ちょっと前にねー……コーヒー入れたから、ちょっと休憩しよう」

 かがみこんだ姿勢から伸びあがって二階をあおぎ見ると、ちょうどシルヴァの真上辺りに白衣を着た女性が顎を包むように曲線を描く髪を前かがみになって垂らしていた。シルヴァの上司にあたり、この住居の主でもあるエリシア・レバン・ポマロ・スクェバである。

ちなみにスクェバというのは王族の姓にあたる。ただ彼女の家系から血統は遠く、地位的には地方に住んでいる貴族より少し待遇がいい程度である。

「ああ、そうだね。ちょっと待っていてくれ」

 大きな紺碧の瞳を瞬かせたエリシアは若干くすんだ金髪を揺らしてシルヴァの視界から消える。次いでまた聞こえてくる、本を引き出したり重ねていたりする音に、シルヴァもまた書類を分類する作業を再開した。

 エリシアとシルヴァは卒業した魔法学校の同級生であり、魔法学研究者とその助手の関係にあったが、半年ほど前にその親元である魔法共進会を退会している。現在は二人で首都から西に平野を渡り、山を三つ超えたところにあるセラドという村に移り住んでいた。

『シヴァ、ミルク飲めるの、いつになるんだよ』

「もう少しだから待ってよ。ヒューイもエリシアに勝手に飲んだって怒られたくないでしょ?」

『そりゃ、エリシアは怒ったら怖いけどさ。なあ、飲みてえよ』

「ヒューイ」

 甘えた声でおねだりを続ける白銀のイタチは、もう一度シルヴァに名前を呼ばれて、大きな尾を器用に丸めた。それを視界の端で見とめて、シルヴァはいつものことだと肩をすくめる。

 白いイタチの形をしたヒューイはエリシアのマナだ。エリシアとほぼ同じ年月を生き、かつ彼女を助けてもいるのだが、だれの影響か少々子供っぽい性格をしている。

 ちなみにマナというのは今もって未だよくわからない生物であり、たいていなにか一つの能力を持って生まれること、主のために存在することしか判明していない。ある日突然に現れるため、だれが親でどれが子ということもなく、ただ個として存在する生き物なのだ。

「待たせた」

「それじゃ、お茶にしようか。あ、それと街でエリシア宛ての手紙もらってきたよ」

「手紙か……珍しいな」

 エリシアの言葉に最近の休閑ぶりを思って、シルヴァは小さく笑った。

「そうだね。速達だったらしいから、急ぎの用事だろうって配達の人が言ってたよ」

 主の声に反応してエリシアの身体を登ったヒューイが落ち着くのを待ち、二人は机の両側に設置されている二人がけのソファに向かい合う形で座る。机の上にはシルヴァが置いたお盆と、それから遠ざけるように一枚の封筒とペーパーナイフが置かれていた。

 エリシアが手紙を手に取っている間に、シルヴァはビスケットを並べた皿とは別の、ミルクをいれた皿を床に置く。封筒についたにおいを嗅いでいたヒューイは、つぶらな黒い瞳をせわしなく動かし、足取りも軽く皿に向かっていった。

封蠟(ふうろう)がしてあるな」

 赤銅色の蠟を固めたそれは、ラベルになるような印璽(いんじ)は押されていない。代わりに厳重に糊で隙間なく閉じられている手紙は、二人には見るからに怪しく映っていた。

 エリシアは無言のままペーパーナイフを手に取り、手紙の折り目に刃を差し込んで横に滑らせる。わずかな音を聞きながらエリシアの行動を見守っていたシルヴァは、封筒の中に入っていた手紙の折り目からこぼれ落ちたものに、へえ、と声をあげた。

「ポーレだね」

「この花の名前かい? この辺では見かけない花だが?」

「別名、雪の花なんて呼ばれてるからね。ほら、ガク以外は全部白いでしょ? それと今しおれてるのは、北の地方原産で暑さに極端に弱いからだよ。こっちじゃ結構な値段もしたんじゃないかな。保存も難しいから元々出回る数も少ないはずだし」

 シルヴァの饒舌な説明を聞きながら、エリシアは床に落ちた花の茎をそっとつまんで観察する。それは確かに花のガク以外が白く小ぶりな花で、また全体的にも小さい。

なるほど雪のようだ、とエリシアはもうしおれている花をかいだり直接花に触ったりして、その見慣れない花を可能な限り見分した。

 ポーレについて語ったシルヴァも、ほほえましい気持ちでポーレをいじるエリシアを眺めた。普段、身の回りの花には見向きもしないエリシアが花に興味を持ったことが嬉しかった。

「エリシア、とりあえず手紙も見てみないと」

「うん? ああ、そうだった」

 エリシアはポーレを机に置くと、代わりに手紙を開く。ほぼ白紙の便箋には、一行だけ文が書いてあった。

「……『ワルキュアにて落ち合おう』……これは」

「ワルキュアってこの村と首都のちょうど中間の町だね……落ち合うってことはどこか別の場所へ行くことになるのかな」

 一瞬だけ固まったように見えたエリシアにシルヴァが声をかける。それを合図にまじまじと簡素な文面を読み返した彼女は、手紙を頭上にかざす。円状の建物にある小さな天窓に降り注ぐ日光は手紙へたどり着くと、便箋に施された大きな透かしを浮かび上がらせる。

 紋様で丸く囲まれた中央には難解な魔法陣が刻まれた盾があり、それを双頭の龍が守るように巻き付いていた。エリシアの実家、スクェバ王家の紋章である。

「王族の紋章ってことは、ご家族からってこと?」

「いや、別の人間だろう。過去に似たような手紙をもらったことがある……しかしな」

なにやら考えているらしいエリシアに、シルヴァはいつになく嫌な予感がした。普段、王族とは縁遠い生活を送っているだけに、どこか騒動のにおいのようなものを感じていた。

「……花とワルキュアを結ぶなら北のはずれのメイスかな……ちょうど列車も通っていたし」

 しかしながら考えているのならその助けになりたい、と思うのが部下であり友人であるとシルヴァは思っている。それに花のことぐらいなら調べ上げてしまうのがエリシアという女性であり、要は今教えるか、あとで教えてもらうかの違いでしかない。それなら自分で教えてしまったほうが、シルヴァも諦めもついた。

「ワルキュアへ行こう!!」

「了解……でも、せめてお茶が終わってから支度させてね」

 予想通りの展開に、最初からわかっていたことだとシルヴァは苦笑する。それでも準備は早くしよう、と若干冷えたカップの紅茶を一気に半分ほど飲んで、軽く息をついた。

「うん……だが、まずは手荷物からだな」

 よほど興奮しているのか冗談なのか、いつのまにかビスケットを盗み食いしていたヒューイを持ち上げていうエリシアに、シルヴァは少し引きつりながら笑った。



長く続いた王政のなか、スクェバ王国の現王の座には(よわい)二十六の女性が任に就いている。前王の崩御後、王家の伝統に従って十年前に選ばれたのである。

しかしながら幼い王の政治というのは成立しにくく、ここ十年の政治の顔といえば、大臣や首都に住む有力貴族になっていた。国民からは不審の声もあったが、政府側は王のことを考えた結果として、現在もその正体を明かしていない。外交の問題もやり玉に挙げられることはあるが、これも政府側は王国の治世を後ろ盾にして言及されるのを避けていた。

「しかし行き届かぬ政治には意味がない。だから今回は、私が行くことにした」

「ふむ……しかしルイが直接出てはまずいだろう」

「それは心配ないが、私だけでは十分に調査できない。それで同行をお願いしたのだよ」

 エリシアに向かって告げながら、胡乱げに自分を一瞥する赤い瞳に、シルヴァは素知らぬフリをして沈黙していた。相手に敵意がないため、彼の隣に座るエリシアが気づいた様子はないが、それも計算の内だとすればシルヴァの手に負える範囲ではなかったからだ。

 例の手紙にしたがい、ワルキュアで依頼人と落ち合った二人は、シルヴァが予想したようにメイスへと向かっていた。それも物珍しさゆえに馬鹿高い料金の列車を使ってである。依頼人はお忍びのつもりだが、シルヴァは既に破綻していると密かに思っていた。

 二人の向かいに座っている依頼人は、見た目には十歳程度の童女だった。鎖骨にかかる色素のない髪や赤い大きな瞳、服装もフェルト生地の赤い長袖に裏地付きのロングスカートといった子どもらしい服装をしている。もっともエリシアと本人曰く、五年ほど前に成人したらしい。

「あの、ゼロス王」

「ルイだ。即位する前の名前で読んでくれ」

「すみません……えっとルイさん、お付きの方とかは」

「さっきもいったように、今回は私だけだ。物々しくては警戒されるからね」

 それでなにかあったらだれが責任をとるんだ、とシルヴァは頭を抱えたが、ルイが気にしている様子はない。エリシアも平然としているのに、シルヴァは少し後悔していた。

 シルヴァにとってはなかなか信じがたいことだが、彼の目の前にいるのは本来なら首都にいるはずの現王だった。実年齢とかけ離れた容姿は、シルヴァにもっと他のもののような気をさせていたが、同じ王族のエリシアに女王だと説明されれば、納得するしかなかった。

「そういえば君の名前を聞いていなかったな。私はルイ・バリュー・エドム・デュオ・メルキン・チェス・スクェバだ。人前ではルイかチェスと呼んでくれ」

「……シルヴァ・フォーキンです。学校時代からの友人で、今も彼女の手伝いをしています」

 エリシアよりも長い名前に、憶えることを早々に諦めたシルヴァは、ルイがいっそう興味深そうにこちらを見つめるのに困ってしまった。そのぐらいルイの目は輝いていた。

「ほお、同級生……ならばシルヴァ君、エリシアのこと、これからもよろしく頼むよ」

「え? はい、できる限りしてみますが」

 いきなり話が飛んだな、とシルヴァは首を傾げて頭を掻いたが、それまで仏頂面だったエリシアは目を丸くした。シルヴァと同じように唐突だと思ったのもそうだが、話の展開がおかしいと気付いたからだ。

「……私とシヴァはずっと仲良しさ」

 拗ねたような物言いをして、エリシアは頬を膨らませる。それを見たシルヴァは確かにそうだと思ったが、彼女が不満そうな顔をする意味はわかっていなかった。

 二人の反応の違いをルイは興味深そうに見つめて、ふっとため息を吐いた。

「それなら、メイスに入る時には気をつけておけ」

 列車の窓から見える景色に視線を移したルイは忠告のようにうそぶく。窓のわずかな隙間からは初夏の瑞々しい風が次第に冷えたものに変化しながら、列車は北へ向かって走っていた。

 ちらりと盗み見たシルヴァの目には、向かいに座るルイの白い髪があの雪の花のように映る。うっすらと記憶にある雪にそれはよく似ていて、嵐の前の静けさのようだ、とシルヴァはこっそり思った。

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