世界の騒動
[Jan-14.Sut/10:00]
マリアを連れ、俺は市営の図書館に赴いていた。
「騒いだり踊ったり脱いだりせぇへんようにな。俺はちと調べものあるんで向こう行ってるさかい」
「はぁ。……最後のは意味不明ですが、とりあえず了解しましたわ」
「お。あっちに絵本コーナーあるで。あそこでガキんちょに混ざって読んでてもバレへんで」
「私はそこまで子供ではありません!」
マリアの叫びに、図書館にいる人々の視線が一斉に集まる。特に今は卒業間近という事もあり、図書館を使用している奴は殆どが卒論に熱中している大学生で、やたら強大な殺気を感じてならない。
とりあえず俺はマリアの口を塞ぎ、愛想笑いを浮かべて本棚の陰に入った。何かマリアの首筋から《グゴキッ》という不吉効果音が聞こえた気がするが、無視無視。
人の視線の届かぬ場所まで拉致し、俺はマリアの肩に両手を添えた。
「……さっきのは俺が悪かった。ここじゃ俺はもうふざけへんから、さっきみたいな大声はやめといてや」
「わ、私のせいでしたのでしょうか……?というかさっき首から嫌な音がして、ズキズキしますわ……」
「放っときゃ治るやろ。てな訳で俺は別行動。調べたい事があるんや。ほな」
「はぁ……了解です」
訝しむマリアに背中を向け、俺は図書館の奥にある棚に向かって歩きだした。マリアがついてくる様子はなく、俺は安堵のため息を吐いた。
やがて、ある種の本が綺麗に分別されたコーナーにたどり着いた。
『神話・伝承』
札にはそう書かれていた。
「さってと、片っ端からヤりますかねぇ?」
ざっと見、本は三〇〇近くある。よくもこんなつまらなそうな本をかき集めたもんだと感心する。
意気込み、俺は棚の端の本から掴んだ。
[Jan-14.Sut/10:30]
「……飽きた」
人間の集中力というものは三〇分以上続かないものだ。いくら眉目秀麗、完璧超人の俺でもこればかりは無理がある。
手に持ったマヤ神話の本を棚に直し、俺は近場の席に座った。途端にどっと疲れが押し寄せてくる。
「……やってらんねぇっつーの」
早くも挫折した。全米が泣いた。……もう本格的に訳が分からなくなってきた。ってか標準語出ちゃったし。これが標準語かどうかは甚だ疑問だが。
「むむ?そのオレンジ天パなロン毛君はもしや金沢?」
声をかけられた。振り返ると、円卓に相席していたのは見知った顔だった。
「オッス、いいんちょ」
そこには、セミロングヘアを空の様に透き通った水色に染め、更にメッシュの様にもみあげは海の様に綺麗な青色。こんな派手な髪をした女は、俺はクラス委員長である詩聖 ツルギしか知らない。
「めっずらし〜。君がこんなトコに来るなんてねぇ。って、うお!?何か喧嘩の跡が!」
「そこはあんま気にせんといて、負け戦やったから。それとその前の言葉、そっくりそのままいいんちょに返させてもらうで」
水色ヘアな少女が図書室の一角で熱心に勉強していて、目立たない筈がない。さっきからチラチラと視線が集束している。
「フッフン。ボクはこう見えて勤勉なのだよ〜」
「こう見えて、て……一応変な頭て自覚はあるんやな」
「か、髪の事は言うなぁ!この水色はボクの命なんだよぉ!」
「勤勉というかガリ勉してて偉いなぁ、万年学年二位のいいんちょさん♪」
「き、君さえいなければボクだって……!!」
髪の水色とは対照的に、顔を朱に染めて叫び散らす詩聖。あぁ、だから視線を集めてるって……あ。
気付いた。気付いて仕舞った。さっきまでは好奇の塊だった視線は、いつの間にか異質に変質していて、殺気立っていた。
(あ、はは〜……思わずいつも通りに詩聖いじってたら、原爆級に最大規模の虐殺劇に発展しそうな予感、というか悪寒……)
恐怖心などを筆頭に感情を失って仕舞った俺だが、場の空気を読むくらいは出来る。むしろ感情がなく無味乾燥した精神を持っているからこそ、こういった濃い感情に敏感になれる訳だ。関西のうどんを食べた後に関東のうどんを食べる様なもんだ。
「……出よか」
「……そだね」
俺と詩聖は逃げる様に図書館を後にした。
訂正、逃げた。
[Jan-14.Sut/10:45]
「あー、君のせいだね君の」
「俺のせいか!?いや否認はせえへんけど、俺のせいだけやなくない?!」
街中まで来た俺と詩聖は、ダラダラと歩きながら漫才じみた会話を繰り広げていた。
オレンジ頭と水色ヘアのツーショットはかなり目に付くらしく、好奇の視線は止む事はない。図書館での一件は桁違いなのでともかく、視線を今更気にする事もない。
そうなる様に、わざわざ髪をオレンジに染めたのだから。
「うーん……」
物思いに耽っていると、唐突に詩聖が呻き声をあげた。隣を見てみると、腹に両手を添えている詩聖は眉をひそめている。
「ちょっとばかし小腹が空いた……カモ?」
「聞かれてもなぁ」
朝食を食べてから三時間程度。確かに少し、胃袋が捩れる様な奇妙な感覚がしないでもない頃合いだ。だが一度意識して仕舞えばけっこう感覚が鋭くなってくるもので、唾液の分泌量が増えてきた。
「せやったらどっかに寄る?今あんま持ち合わせないから、ファーストフードとかにしてほしいんやけど……」
「ん?奢ってくれるの?」
「人の話聞けや。持ち合わせないゆうとるやろが」
「冗句だよ。ってかそんな恵まれない貧乏人の為、ボクが奢ってしんぜやう」
キュピーン!(擬音)
俺の頭に、新型の効果音が流れ込み、稲妻が走る。意味が分からない人は英語に直してみよう。……何言わせんだよこのマガツ神は。
「まぁそれは置いといて、」
「ん?」
「気にすんな。独り言や。それよか……奢りって、マジで?」
「うむ。よきにはからいたまへ」
「それは俺のセリフ」
何にせよラッキーだ。タダ飯にありつけるというのなら断る事はない。確か詩聖の家、資産家でプチ金持ちだった記憶があるようなないような。
「んじゃガンガン食わせてもらうわな」
「あはは。でも手加減はしてよね?」
「料理をガンガン食う勢いで、いいんちょも」
「あはは。聖天使の一撃を喰らわせてやろう」
「また微妙なネタを……」
「救援要請!と言うと人工衛星からのレーザー光線が――」
「それ元ネタちゃうやろ」
そんな下らない事を言い合いながら、俺は詩聖と共に歩きだした。
その折、こんな事を聞いてみた。
「そいやいいんちょって小遣いいくらもろてんの?」
「一〇万」
[Jan-14.Sut/11:00]
詩聖につれられるままに来た場所は、商店街の狭い路地を通った、いわば隠れ家的な喫茶店だった。
ところどころ剥がれ落ちた壁紙が怪しさ爆発で、ついでに言えば古びた電飾で描かれている『カモフ』という名前もまた、もの凄く怪しい。
「……ここ?」
「そ。ボクも兄貴にここ教えてもらったんだけど、ここのマスターの料理は絶品だったよ」
「……ふぅ、ん」
俺は曖昧に答えた。疑似的で義務的で虚無的な、打算計算演算された感情の『フリ』にあまり頭を回せない程に、ちょっとした予感があった。それは第六感……とでも言うべきか、壮絶なまでに嫌な予感だった。
ここには、入ってはいけない気がする。
そんな俺の心情を知らず(まぁ、心なんてないが)、詩聖は俺の腕を掴んで中に引き込もうとした。
「ほら、早く行こ。ボクはお腹が空いたのだー」
「お、おぅ……」
仕方がない。この際、腹を括るしかないだろう。奢りだと言うのに店を断るというのも変な感じだし。
カラン、カラン……。
古くさいドアベルを鳴らし、俺と詩聖は店内に入っ――
知覚情報の急速な凍結。防火シャッターが閉まる様に、俺の中の何かが封鎖されていく。
慣性的な心理現象の異常なまでの過剰反応は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を遮断し、正常な思考の働きを妨げる。循環する様に螺旋を描く、ねじ曲げられた脳のイメージが鮮明に浮かび上がる。捻れ。曲がる。自身がビスにでもなった感覚。加速度的に急襲された精神の崩か「カナザワ?」して全てを破壊しろという強迫観念に陥りがちだ。俺は感じ得ない「金沢?」無風状態の中で懸命にもがき苦しむ「か・な・ざ・わ!」バチンッ!――た。
「……えっ」
俺は、 ?この喫 てから 覚が全身 様に這 っ がど ぱりだ 奇妙な のだった い出 い。
……え?何だこれ?
(考えら や違う。考 ゃ 理解 し、 握でき 語化で い)
。
何もかもが死んだ世界。一時的に復活した俺の視界は、再び灰色にまみれ、黒に変色していく。
「落ち着け。自我を保つ事を忘れンなッつゥ話だよ」
――声が聞こえた。
「金沢ぁ。生きてるかぁ?」
この声は詩聖だ。隣で俺の袖を引っ張っている少女に目を向けた。
言葉こそくだけたものだが、心配げな表情が見て取れる。
「……目眩がしただけだ。大丈夫だよ」
イントネーションや言葉遣いについて忘れて仕舞ったが、今の俺にとっては些末な事だ。俺は眉間を指で押さえ、天井を仰ぐ。
(……何が起こった?)
分からない。思考状態はクリアなものだが、ついさっきあった奇妙な感覚がどんなものだったか思い出せない。誰かの声が聞こえた気もしたが、それすらも、思い出す事が出来ない。
「ウェイターさぁん!」
いち早く木製の丸テーブルに腰を降ろした詩聖はカウンターの向こう側に声をかけた。すだれを上げて中から男が出てくる。
身長は一八〇あるかないか、もしかすると俺と同じくらいかも知れない。そんな曖昧に表現した理由は、男の白髪がワックスでガッチガチに固められて逆立っているからだ。お陰で頭がどこなのか分からない。
耳に無数のピアスを開け、下唇に二つ、極めつけは左の下瞼に安全ピンを刺していて、細いチェーンは唇のピアスに繋がれている。見ていて痛々しい。
「あン?なンだよツルギかよ出てきて損しちまッたじャねェかよッつゥ話だよ」
露骨に面倒くさそうな顔をした男は、エプロン姿をしていた。恐ろしく不気味に素敵に似合わない。
「――ッブハ!」
詩聖は堪えていた笑いを一気に吹き出した。俺もようやく椅子に座りながらその光景を眺めていた。
「て、ッンめ……相当死に急ぎてェみてェじャねェかよ。おッもしれェじャン、今すぐに昇天させてやッからよォ!」
「きゃー。ウェイターさんが客を脅かそうとしてますよ〜」
「ぐがッ……テメェ、鶴壁さンに助けェ求めるなンて卑怯ォだとァ思わねェのかッつゥ話だよ」
拳を振り上げたままウェイターは苦い表情で固まった。キシシと詩聖は腹を抱えている。
「……ご注文は?」
「笑顔笑顔。無愛想なウェイターはクビだねクビ」
強面のウェイターは顔面神経痛よろしくひきつった笑みを浮かべ、
「……ご注文は?」
「うわっキモッ」
「ツルギィィいいいいいいいい!テメェ本気でマジで後で覚えてやがれよクソがァァあああああああああ!」
何かブチ切れた。
しかしこの二人、どうも知り合いみたいだ。それも結構仲がいい。どうでもいい話だが傍目から見て、ロングオレンジ髪とセミロング水色髪とピアス銀髪が並んでるって状況はどうなんだ?俺と詩聖以外に客がいないのが幸いだ。
「イイからとッとと注文しろッつッてンだろォが!オラ、そこの男!アンタは何ンにすンだッつゥ話だ!」
「へっ?お、俺?」
ずっと詩聖とウェイターのコントを見ていた俺は何も考えていなかった。
「そォだよテメェだよオレンジ頭。さッさと注文しろッて聞こえてねェのかッ?耳が悪ィのか頭が悪ィのかァ?」
「ちょっ、楯!そんな事を人様に言わない!大体頭に関してはアンタの方がよっぽど変よ」
「テメェの水色頭にァ言われたかねェッつゥ話だ」
「まぁ確かに、それはそやなぁ」
「んなっ!?折角ボクが味方してやったって言うのに、君までそれを言うかなぁ!?」
「とォぜんだろッつゥ話なンだよツルギィ。テメェはイッペン鏡でも見てろッつゥ話だッつゥの」
「た、楯ェ!アンタこそ後で覚えとけよコラァ!」
「おお。いいんちょがキレた」
「フヒャハッ!イイぜイイぜ今からヤリ合うかよオイ!?」
ガタッ、と詩聖が音を立てて椅子を引いた。同時に楯、と呼ばれたウェイターがファイティングポーズをとる。二人の構えは腕が頭の両サイドを守り、軸足を曲げてどっしり構え、左足は少し前に突き出した状態。何だか戦闘態勢バッチシな感じだ。
険悪なムードが流れるが、喫茶店で血を見る気のない俺はパンパンと手を叩いた。
「はいはいそこまでー。落ち着きーやぁ」
怪訝な表情で俺を見る二人。やけに迫力がある。
「兄妹やろ。仲ようせなあかんで。それにお店の人に迷惑かかるから、せめて外でやりいや」
でも実際、一番物理的に被害を受けるのは、爆心地である俺だと思う。
「……チッ。鶴壁さンに迷惑かける訳にァいかねェからなァ」
「……むむぅ。まぁ、金沢がそう言うなら仕方ないかぁ」
二人は顔を見合わせてからため息を吐き、不意に詩聖が顔をあげた。
「そういえば、ボク、楯と兄妹って言ったっけ?」
「いや……普通分かるやろ。名前も楯と剣やし、さっきここを教えてくれたのが兄貴だって言ってたやん」
「あァ。自己紹介が遅れたなァ。俺ァ詩聖 楯。コイツの一個上で高校一年だ」
「こんなぶっ飛んだ口調が特徴かな」
「俺は金沢 夕朔。ユーサクでええで。いいんちょ……詩聖と同じクラスや」
「だッたら俺もタテッて呼ンでくれて構わねェよ。よろしくな、ユーサク」
タテはニカッと笑いながら俺の隣の椅子に座り、右手を差し出してくる。
俺も同じように右手を差し出し、タテの手を掴……みはせずに拳を握った。
お互いの思惑は合致し、それからは流れる様に二人の息が合った。一旦右手を引いて力強く拳と拳を《ゴツッ》と殴り、裏拳で殴る様に振るって手の甲を合わせ、親指を立てて『グッジョブ』のポーズを取る――と見せかけて親指を下げ、『デストロイ』のポーズ。綿密な打ち合わせをした様にバッチリ動きが合った。
「なッかなかやンじャねェのッつゥ話だよ」
「いやいや。あんさんもなかなかのお手並みですわー」
俺とタテは笑う。詩聖は頭を抱えた。
「男ってどーしてこう、秘密暗号とか仲間ルールとか、言語や行動や思考の共有が好きなんだろ……」
……まぁ。詩聖の言う事も一理ある。男は時に仲間内でしか理解できない言動(しかも大抵は意味不明)を作る事を好むが、どうしてだろ。