世界の休符
[Jan-14.Sut/08:30]
「なるほど」
「魔術師か」
フン、と二人の人間が同時に鼻で嗤う。稚拙だと言われた事に腹を立てた様子もない。どうやら冷静に事態を見つめる事の出来る奴らしい、とカナタは身構える。後ろ腰のベルトに挟んだままの自動拳銃を握り締めながら。
「片方は服飾的な魔術防御壁を常に展開していて、」
「片方は術式の見えない、ただの丸腰か」
言ってる意味はさっぱりだが、どうやらバカにされている事だけは分かったらしく、カナタはムッと顔をしかめた。
「今この場で、私とやり合いますか?」
チドリが挑発する。それほどまでに自信があるのかどうかは知らないが、少なくとも負ける気はないらしい。
「いや、やめておこう」
「空間切断が破られた以上、人目につくのでな」
「我々の目的はこの男だ」
「今は退こう」
二人は倒れたままの男を肩に担ぎ、ジリジリと後ろ向きに歩いていく。
「オイ、待てよッ!」
それを引き留めたのはカナタだ。
「その男は置いていけ。僕の目の前で暴行・誘拐しようってんなら、いい根性している」
沈黙が訪れる。息をするのも躊躇われる静けさの中、二人の人間は顔を見合わせ、微動だにしない。話し合うならまだしも、顔を見合わせているだけだ。
どのくらい経っただろうか。数秒か、数分か、もしかしたら一時間は経ったかも知れない。時間の感覚が狂っている気がする、とカナタは思う。
「……分かった」
「この男は置いていこう」
二人は男を地面に放り投げ、そっちに気を取られているうちに、次の瞬間には姿を消していた。足音は聞こえなかったから、そういう魔術なのかも知れない。
「オイ。アンタ、大丈夫か?」
頭を持って上体を起こして呼びかける。決して揺さぶる事をしないあたりが手慣れた感じだ。
男に意識はない。かと言って救急車を呼ぶべきかどうかは躊躇われる。何せ刀を持っているのだ。銃刀法違反で捕まる可能性がある。
(……ってか、僕がそういう奴を捕まえなきゃいかんのだよなぁ?)
根本的な事を心中で呟く。何故か疑問形で。
ついでに言えば、この場合はチドリも捕まえなくてはいけない。銃刀取締法は六センチ以上の刃物の所有を禁止しているので、完璧にひっかかっている。
(……まぁ捕まえないケドね)
もしこの二人を捕まえてしまえば、必然的にとある吸血鬼と狩人も捕らえなくてはならなくなる。だが犯罪者を取り締まらない訳にはいかないので、『魔術師は見逃す』事にしているのだ。
「この刀は……かなりの業物ですね。恐らくは鎌倉中期のモデルを忠実に再現した弓刀」
チャキリ。チドリは男の手から刀を取り、落ちていた鞘に収めながら呟いた。
「それは凄いの?」
「えぇ。造形美・機能美に長けた物で、現在ではかなりの名刀とされています。このモデルの刀は魔術要素を多く取り入れる事が出来、霊刀とも呼ばれる代物ですよ」
刀の歴史は古い。
日本最古の『斬れる』刀は中国から伝わった上古刀と呼ばれる物で、これは一〇世紀前半まで重宝されていた。平安より鎌倉初期までは身の丈程もある刀が主に使われていて(それらは野太刀と呼ばれる)、それからは国風文化により中国の流れは消え、重量の問題で三分の二まで縮小された腰反りのある刀になった。更に弓なりに歪曲した刀に作り替えられた弓刀は幕末までその名残を残す事となった。
特に刀の歴史の中で一番美しいとされる時代物は鎌倉中期。もしも現存する刀が存在するのであれば、それはまさしく国宝クラスになる事だろう。
尚、余談だが、最古の刀は磨製石剣である。石を磨いて作った剣なので刺す事は出来ても斬る事は出来ないし、何よりこれは儀式用とされていて戦闘に使われる事はなかった。初めて刀らしい片刃の剣が出来たのは四世紀、素環頭太刀と呼ばれ、刃が真っ直ぐでそれ故に斬れない刀であったという。これらもまた現存すれば国宝になるだろう。
……と言った内容を語るチドリを見て、やはりカナタは思わずにはいられない。
(……どうして魔術の人間はこう、説明好きなんだ?博識なのは分かるんだが、覚えきれねぇって、普通)
殆ど分からない内容だったが、とにかくこの男はもの凄い刀のレプリカを使っているという事か、とカナタは漠然と考える。ぶっちゃけた話、刀の蘊蓄はかなりどうでもよかった。
「ただ、気になるのは、これ程までに素晴らしい刀を持っているのに、術式が込められていない事ですね。というよりはこの刀を除けば、その男は魔術的な符号がない一般人みたいですね。隠符号かも知れませんが、気がかりと言えば気がかりです」
「そう言えば、さっき僕も丸腰がどうとか言われたな。どういう事?」
「服装に関する事ですよ。服の組み合わせで魔術防壁を形成するんです」
「……どういう意味?」
「そうですね……今の私の服を見ていただけますか?」
チドリはそう言うと、焦げ茶色のダッフルコートの前を開けた。
横縞の白と黒がコントラストなニットのセーター。中に着ているのだろう、真っ白なブラウスの襟が見える。下には膝まであるダークグレーのフレアスカート。右手首にはその辺に売っていそうな安っぽい数珠、左手首には十字架のついたシルバーブレスレット。
特に目立つところはない。少なくともカナタの知っている狩人みたくイカニモな漆黒のローブを着ている訳ではない。
「いやごめん。全く分からない」
「例えばですね、コートの下に着ている服は白と黒と灰、つまりモノクロです。白は生、つまり清や聖の象徴です。逆に黒は死、つまり屍や止の象徴。灰は生と死が入り交じったどちらともつかない不吉の象徴とされ、『下に着る』事で『生存の有無を隠す』、つまりこの世との剥離を指します。更に左手首には十字架、つまり十字教の事で、ここから連想される事は生と死の概念がない楽園。私は創造主の加護を受けている事になります。
次にこのダッフルコートですが、茶色は地を焼く炎、焚き火の事ですね。
焦げた茶色とは強い炎を指し、右手の数珠、つまり仏教の連想で死者の魂を弔う篝火。更に『上に着る』事で『下を隠す』、隠匿により楽園の加護の力は増します。これで魔術的な攻撃に対する耐性がついている訳です。……ってあの、時津さん?そんな通販のミラクルストーン見る様な目で見ないで下さい」
「いやぁだってさ……ねぇ?」
「分かります。言いたい事は痛い程分かります。だからそんなイタい目で見ないで下さい!」
まるで姑にいじめられた嫁の様に悲痛な感じの叫びである。カナタはとりあえず話を促す事にした。
「こじつけにしか思えない、と時津さんは仰りたいのでしょう?」
「うん」
「……これは風水の様なものです。魔術回路を展開する事で、大地の竜脈から魔力を引き寄せ、自動解放するという物です。このままでは効力こそ『知識の僧服』や『赤枝戦士団の鎧』に比べると億分の一程度ですが、私の場合は一五八枚の呪符を持ち歩く事で竜脈からの魔力の集束率を高め、効力を上げています。それでも効力は一〇〇〇万分の一なんですけどね。これは普通に魔術要素が集まる様に計算された刺繍のローブなどを着るのと大差ありません」
「ふぅん……」
噛み砕いてゲーム風に考えると、『布の服に防御力アップのアイテムを使って、鎧と同じ強度にした。しかしそれでもゲーム後半に手に入る防具には及ばない』感じだろうか。これはこれでいまいちよく分からない例だなとカナタは思う。
しかし、この方法を使えば、あの狩人もあんな人目に付く黒ローブを着る必要はないんじゃないのかとも思う。帰ったらその辺りを相談してみようと心に誓いつつ、不意に思い出した事がある。
「って、魔術講座聞いてる場合じゃない!この男の処置を考えなくちゃだよ!」
すっかり忘れていたがカナタの腕の中には、怪我だらけで意識昏睡状態という危険極まりない状況の男がいるのだ。すっかり魔術についての説明に気を取られて仕舞っていた。
そもそも話が逸れた理由はカナタ自身にあったりするのだが、カナタは敢えて考えない事にした。
「救急車を呼ぶ……のは駄目ですよね。刀をどうやって隠して持ち歩くべきか」
「……方法がない訳じゃあない。スミレに車で来てもらおう」
「……スミレさんは、車の運転が出来るのですか?」
「僕らは陸空なら殆どの乗り物が運転出来るよ。免許も持ってるし。未成年だけど気にするな」
呟きながらカナタはコートのポケットからケータイを取り出し、短縮ダイヤルでスミレに電話をかける。
ワンコール、ツーコール、スリーコール……ブヅッ、繋がったのはエイトコールの時だった。
『ほいほい?どうかしたんスか〜?』
「今ヒマか?出来れば手伝ってほしい事があるんだが……ってお前、その口調はまさか……」
『カナタくんの考えてる通りッスよ〜。ちょっと今は学校の友達と一緒なんで、暇じゃないッスねぇ』
「……だろうな。その口調、友人仕様だしな。しゃあねぇ、分かったよ」
ピッ。苛立ち紛れにカナタは電源ボタンを押して通話を切った。学校の友人と遊ぶ暇があるんなら街案内くらい自分でしろよと言いたい。
「……望みは絶たれた」
「スミレさん……貴女と言う人は……」
と二人はあからさまに責めるが、常識的に考えて、スミレは悪くない。いや善悪はさておき、とりあえず間違ってはいない。
「アキラに……いやいや。アイツは何だかナチュラルに車の運転が出来そうだが、免許持ってないからなぁ……削りでもされたら五回殺しても納得出来そうにねぇしな」
そんな感じでこれからの方針を考えていると、カナタに抱き抱えられていた男が呻いた。どうやら気が付いた様だ。
「ン……くぁ……」
「起きたか」
安堵のため息を吐く。
「……あ?……ここ、は?」
目を開き、閉じ、次の瞬間には弾かれた様に立ち上がり、カナタとチドリを見据える。
「誰だ、テメェら!」
身構え、男が唸る。かなり警戒している様だ。
「……僕はアンタの治療をしたい。そんだけの怪我をした状態で、この寒さ。全身打撲による激痛、血を流したせいで酸素濃度の低下、寒さに対抗する為の心拍数の上昇。今のアンタはいつショック死してもおかしくはない。とりあえずは暖かい場所で適切な治療をした方がいいんだが、病院は嫌だろう?」
「……」
沈黙。カナタは男の沈黙を肯定と解釈し、話を続けた。
「こんな時間だ。これから人も増える。刀を持ち歩くには不便だろうしな。最近は少なくなったとは言え、爆破テロ以来、この国は銃刀取締法を更に厳しくした。警察に見つかれば一発でご用だな。僕なら車で運ぶ事が出来る。……さぁ、今この場で決めろ。アンタはどうしたい?」
「……」
「一か八か刀をぶら下げて歩いて帰るか、正体不明の人間に車で安全な場所に連れられて治療を受けるか。前者を選ぶなら僕は強制しない。後者を選ぶなら歓迎する。好きにしろ」
「……」
苦い表情を浮かべた男は、チドリから刀を奪い取った。
「……誰かに世話になるくらいなら、死んだ方がマシだ!」
男はそれだけ叫ぶと予備動作なく跳び上がり、ビルの壁を蹴ってもう一度ジャンプ。隣のビルの配水管を手で掴んで動きを止め、再び壁を蹴って跳躍。同じ要領でどんどん登っていくと、やがてビルの屋上へと姿を消した。
「……なんつーか……猿みたいな奴だな」
ビルの背がそこまでなかったから良かったものの、これが高層ビルだったらどうするつもりだったのだろうか。
カナタとチドリは顔を見合わせ、口を開く事もなくアイコンタクトで会話する。
……忘れようか。
……そうしましょう。
[Jan-14.Sut/09:00]
どことも言えず、現世であり現世なりえない空間に辿り着いた二人の人間は、中央に並んだ十一の席に並んで座った。
「珍しい事もあるもんだね。双子がこんなところにいるってのは」
二人より先に席に座っていた眼鏡の青年、知恵天使。その手にはハードカバーの本が携えられていた。
「……何を読んでいるのだ?」
髪を結んだ少女、慈愛天使は仮面を外しながら知恵天使に訊ねる。
「気になるの?」
「何かの魔導書か?それにしては魔力を感じないが」
さっぱりとした髪型の少女、残虐天使が呟く。
「ただの小説だよ。恋愛小説だけどね」
「れ……って、男が読むのか?」
「別におかしくはないだろう。というか、男は恋愛小説を読まないと言うのは偏見だよ」
「……慈愛天使、深く追及するな。コイツは相変わらず謎だ」
「それは非道いな。傷つくよ」
しくしくと目頭を押さえて嘘泣きする知恵天使を捨て置いて、同じ顔の慈愛天使と残虐天使は顔を見合わせる。
「気付いたか……?」
「えぇ。あの男、魔眼を持っていたな」
「そっちもだが、あの女もだ」
「……あの眼帯、恐らくは『魔力喰らい(ウィタ・オクスィド)』だろうな。色彩は黒。魔眼の放出する魔力を殺している」
「ただ気になるのは、陰陽術の流れにそぐわない『月桂樹の印章』の魔力の波長を感じた事だ。西洋圏の魔術を併用できる人間はそうそういない」
「……となると、考えられるのは、」
「……世界魔導文化保護機構」
「確か先週、白鬼夜行を追跡していた魔術師がいたな」
「えぇ。あれは確か悠久天使の担当だった。……確定だな」
「悠久天使と同じ魔術を使用する陰陽師か。なかなか厄介だぞ」
「しかしアレも戦力になり得る。捕獲の必要があると思うが?」
「それに関して異議はない。ただ、ウィックの魔術師だ。あの男もそうだが、それ以上に一筋縄にはいかないだろうな」
「腕の一本は覚悟しておこう」
「そうだな。まぁ千散れようが斬られようが吹き飛ぼうが、こちらには回復系の魔術を扱う審判天使がいる。すぐに修復できる」
「決まったな。では夜を待とう」
「ああ」
まるで打ち合わせをする打ち合わせをしていたかの様に、滑らかに話が纏まった。以心伝心でもしているのかと疑って仕舞う程だ。
ずっと二人の会話を聞いていた知恵天使が、本に栞を挟みながら眼鏡を中指で押し上げた。
「楽しそうだね。何の話だい?」
その口端には笑みを浮かべている。
「昨晩、なかなか面白そうな逸材を見つけた」
「ほう。どんな?」
「竹刀袋で隠してはいたが、街中で堂々と刀を持ち歩く様な男だ」
「その男はどうやら、何らかの魔眼を持っている様だった。制御しきれてはいなかったがな」
「私達が声をかけた時は魔眼が暴発して苦悶していた」
その光景を思い出したのか、全く同じ造形の顔の二人は口端を歪めて、クックッ、不気味に嗤った。
「ふむ……それは多分、魔眼使子だな。先月辺りにこの街に流れ着いた古流剣客だ。と言っても太刀捌き、体捌き、足捌き、型捌きは完全な我流。どうやら誰かに教わった訳ではなく、実戦で戦闘方法をあみ出したという話だよ」
「……なるほど」
「魔眼使子か」
目を細める二人に対し、知恵天使はもう一つ付け加える。
「それで君らが言っている陰陽師だが、そっちの方は行灯陰陽。陰陽術にルーンを組み込んだ、悠久天使と同じ術式を扱うくせ者さ」
「ほう。流石は知恵を司る事だけはあるな」
「大地天使には負けるけどね。僕は所詮、歩く辞典でしかない。知識専攻型って奴さ。実戦じゃとんだ役立たずだよ」
肩を竦める知恵天使を無表情に見つめていた残虐天使が、不意に「あっ」と間の抜けた声を挙げた。
「そう言えば……行灯陰陽の隣に誰かいたな」
「あぁ。あれは魔術師ではない。捨て置いたところでこちらに大した影響はないだろう」
「だが一応、街で見かけたら処分しておいた方がいいな。……ところで慈愛天使。顔、覚えているか?」
「……………………女顔であった事は覚えているが、……どうだったかな。あの男は影が薄かったからな。行灯陰陽の方が印象が強すぎていまいち鮮明に思い出せない」
と、何だか双子の天使に言われ放題の某狙撃手が、どこかでクシャミをしたとかしなかったとか。