世界の交差
[Jan-14.Sut/08:00]
俺の部屋には目覚まし時計は存在しない。朝早くに起きるのは億劫だし、通うに意味のない学校の為に縛られるつもりもない。だから俺は、朝はいつまでも寝ている派だ。自分で思う、何の党派だ。
だが今日は違った。何かの気配を感じ、不意に目を覚ました。
スゥ、スゥ……。
すぐ隣から聞こえる、寝息。それだけで何となくオチが読めた。
上体を起こした俺は決して横を見る事なく、ベッドから這い出した。半纏を羽織って部屋の暖房を切り、窓を全開にして暫く待つ。待つ。待つ。待つ。……このくらいか。
ほんの数分で、部屋の温度が十五度近く下がった。思わず身震いした俺は、生理現象(小)を覚え、部屋を出た。用を足して部屋に戻る。トンデモ寒い。
さて、トドメでも刺すか。俺は目を瞑り、ベッドに近付く。掛け布団を手探りで手に掴むと同時に勢い良く剥ぐ。
「ぃひゃあ!?」
甲高く可愛らしい、少女の悲鳴。フッと俺はニヒルに笑い、そのまま部屋を後にした。
後ろから「はら?はらら!?何故か寒いです!」やら「あ〜やぁ!寒いです寒いです寒死してしまいます〜!」なんて悲鳴が聞こえてきた気がするが、無視して俺はキッチンに向かう。
(目覚めスッキリ、お目目パッチリ。俺ってば優しいなぁ)
冷凍庫を開ける。
中からピラフの冷凍食品を取り出し、それを広めの皿に二つに分けて盛る。
まずは片方を電子レンジに入れ、適当な時間を設定して放置。この間に玄関から新聞を持って来て、ペラペラと開く。神ノ粛正ヲ下ス使徒についての記事は、まぁ当然だが、載っていない。そもそもメディアよりも陸自の方が情報が早いので、この行為に意味はない。陸自に入る前からの習慣なので、直す気はない。あの時に感じた復讐心を忘れそうで、怖くなるから。
頭では分かっている。この気持ちは飽くまでも『復讐心』というものに執着したジンクスに過ぎない。もしも習慣を崩して仕舞ったら、俺は立ち直れないかも知れない……。
『……ユーサク。ずっと一緒に生きよう』
唯一無二の親友だった、加西 泰朔。『朔』という、名前にするには珍しい漢字がかぶっているという理由で、友達になりずっと仲の良かった少年。一つだけ年上。
「タイ兄……」
俺の呟きは、チンというレンジの音にかき消された。食器棚からスプーンを取り出すのと同時に、ダイニングのドアが開いた。どうやら、人魚のお姫様のお目覚めらしい。キスはしてないけど。
「おはよう。朝飯、今丁度できたところやで」
爽やかな笑顔をドアに向ける。そこには、どんよりと表情を曇らせた少女がいた。雲量10、今にも雨が降り出しそうだ。
「どないしたん。まるで時期を間違えて冬眠から目覚めた熊みたいな顔して」
「……まさにそんな気分ですわ」
カチカチカチカチ、カチカチカチカチ。何の音かと少女を観察してみたら、唇は紫で、顎が震えていた。超高速でピストンする事による歯の衝突音だった。
「あんさん人魚なんやろ。そない寒いんか?水ん中ってなかなか寒いと思うんやけど」
「に、人魚は……常に水中にいる、訳ではありませんから……むしろ陸上活動の方が、多いのです……」
…………………………………………………………………………………………、え〜。
「それって人魚なんかな……?」
「基本的に肺呼吸生物ですので。イルカやクジラもたまに海から顔を出すでしょう。あれと同じです」
「だって人魚言われても、寓話じゃ魔女の魔法やないと足生えへんかってん?」
「生え……その表現はちょっとアレ的な感じが……まぁいいですけど。そういう点ではあれは嘘ですわ。水から上がれば、下半身は二脚に変質します。逆に水――お湯ではなく水である事が、魔術的要素の発端です――に浸かれば、任意で鰭にする事が可能なのですの」
…………………………………………………………………、えぇ〜?
俺は猜疑的な視線をマリアに送った。不穏な空気を感じ取ったのか、思わず後ずさる。
「……まぁ、ええわ。どうせ与太話やし」
呟き、俺は手に持ったままだったピラフの皿を、マリアに渡す。
「与太ではないのですが……信じてもらえる様な話でもありませんし。この時期、人魚化するのもなかなかつらいですし」
やけに寂しそうな色を表情に浮かべたマリアは皿を受け取りながら、答える。一〇は老けた様な印象を受けた。
とは言え、元からオカルティックな話が嫌いな俺としては、そんな話を信じる気はない。いやそもそも、こんな話、誰も信用したりはしないだろ、普通。
もう片方の皿をレンジに入れ、タイマーを合わせる。その間に冷蔵庫からお茶を取り出し、コップと共にマリアに手渡した。
「ところで……ユーサク様。お一つ宜しいでしょうか?」
ピラフをカチャカチャとかき混ぜながら、マリアがボソリと呟く。
「何なりと」
「どうして……私の様な、身元不詳の不審者を泊める気になられたのですか?」
「そら俺様がカッコええ正義の味方やからや」
カチャカチャ……。マリアが動かすスプーンの音だけが虚しく響く。
「って!ちゃんとボケたんやから突っ込んでくれな!スルーは時に冷たい視線より辛いんやで!?精神的に!」
泣きそうな顔を作り、俺は叫ぶ。精神的苦痛というのが実際にどんなものかは知らない。ぶっちゃけマンガの受け売りだ。
「それはそうと話戻すけど。なんか証拠とかはないん?流石に何の確証もなしに『そうでしたか人魚さんでしたか』とは言えへんから。脚が魚のヒレになるとか、指の間に水掻きが出来るとか」
「このピラフ、美味しいですね」
「冷凍やけどな。っつか話を逸らすなや」
「……先程も申し上げましたが、冬は水が冷たいからつらいんですよ。温水ならなんとかなりますが」
「せやったら今から風呂沸かしたるわ。ギリギリ『水』と判断できるくらいにすればええんやろ?」
「えっ、あの、……本気ですか?」
マリアが頬を朱に染めながら訊ね返すが、俺は聞く耳を持たずにピラフを数秒で平らげ、風呂場へと向かった。
[Jan-14.Sut/08:10]
「ゼェ、ゼェッ!くそ、何なんだアイツらは!」
魔眼使子は街の路地裏で、ビルに肩を預けながら叫び散らす。その手には鞘に収められた条蘭虎が、隠す事も出来ずに握られている。
「アイツらぁ……慈愛天使と残虐天使とか言ったな。……殺してやる。絶対に殺してやる!」
猛り狂う様に叫ぶ魔眼使子だが、服は泥にまみれ、顔は血にまみれている。
「殺す、ですか」
「面白い事を言いますね」
不意に。声が聞こえた。路地の左右から。
「貴方に私達は殺せませんよ」
「貴方の選択肢は二つです」
カツン、カツン、カツン。
カツン、カツン、カツン。
左右から、足音がステレオ調に聞こえてくる。魔眼使子は口端をひきつって嗤い、条蘭虎を力強く握り締めた。
「……どこまでも、ふざけた奴らだなぁ!アァ!?」
路地は狭い一本道。この狭さでは刀で斬る事は出来ない。
出来るのは、殺傷能力の高い、突きのみだ。
剣術で始めに教わる一之太刀と呼ばれる型が必ずしも『突き』である所以は、その特性にある。『突き』とは素人が行っても熟練者を倒す可能性の高い唯一の技であり、その危険性故に中学生までは剣道の公式試合では禁じ手とされている。
まさに一撃必殺の凶技。
「一つは私達に服従するか、」
「二つは私達に殺害されるか」
「「好きな方を選びなさい」」
[Jan-14.Sut/08:15]
「…………………………………………………………………………………………、え〜?」
愕然と。ユーサクにしては珍しく真面目な表情で、風呂場の浴槽を眺めていた。
目の前には、温水に浸かったマリアの姿。
白い肌はきめが細かく、子供特有の弾力性のある頬を朱に染めた顔。そこからツツーと視線を下げると、水に濡れたTシャツ。更に視線を下げると――、
鱗が守る、魚のヒレ。
マリアの下半身は、完全に『ヒレ』と化していた。
「……あ、ありえねー」
いつも使っているえせ関西弁も忘れ、地を出したままユーサクは呻いた。
「……あ、あの。あまり見つめないで下さいまし。恥ずかしいですので」
時間が凍てついたと錯覚しそうな程に冷たい風が流れる中、マリアだけが恥ずかしげに俯いた。
[Jan-14.Sut/08:20]
「ふぅん。つまり陰陽術ってのの魔術は某映画とは違うのか」
「そうですね。注連縄を使った守護陣や呪縛陣、呪符を使った式神や暗示など様々ですが。東洋の魔術――正確には呪術と呼びますが――には魔を祓う術の他に人に呪いをかけたり縛り付けたりといったセコい術が多いといった特徴は符合していますよ。俗に言う呪文――正確には呪詛と言いますが――の発動に必要な言語はサンスクリット語です」
「……なんか、発動に必要な言語とか、プログラムっぽいな」
「一定の法則に従って行使するというプロセスがありますから、確かに変わりませんね。そもそも魔術というのは超現象ではなく技術ですので」
現在。見慣れた街並みを、カナタとチドリは歩いていた。昨日にスミレが「アンタどうせ明日ヒマでしょ?この娘にこの街を案内したげて。何か気になる事があるみたいだから」と何だか悪意に満ちた笑顔で提案してきたのだ。だったら自分でやればいいじゃんと反論したところ、「うっさい。いいからアンタが案内しろ。社会的に潰すぞ」と次は妙な迫力で凄まれ、思わずOKして仕舞ったのだ。
だからまぁこうして、案内の駄賃代わりに魔術について講師を頼んだのだ。
「って事は、手順さえ踏めば僕にも出来るって事?」
「無理です」
期待に満ちた満面の笑顔を浮かべていたカナタは、チドリの即答を受けて凹んだ。肩を落とし首をうなだれ、こめかみ辺りに縦線と『ズーン』と言うエフェクトが出現した。
「……え〜っと。それはつまり、僕には才能がない……って事?」
「えっ?あ、ち違います!えっと今のはそうじゃなくてそういう意味じゃなくてですね何と言いますか宗教的な問題というものが付きまとうのが魔術の世界の事情でして!」
カナタが凹んだ理由をようやく知ったチドリは、両手を大きく振って必死にフォローする。宗教的な問題?とカナタは疑問符を浮かべてチドリに向き直る。
「魔術を使うに当たって、必要な措置があるんですよ。それを私達は『宗教防御』と呼んでいます」
「宗教防御?なにそれ?」
「そのままの意味です。例えば私の陰陽術は道教、言霊は神道と言った感じで信仰している宗教に応じて使える魔術が変わるんです。今や十字教は沢山に派生しているので、使える魔術が多いという意味では最強と言えなくもありません。事実、私の扱う陰陽術にはロシア十字教のルーン魔術を混ぜています。その為に聖書を読み、その意味を解読しましたから。原典を解読しなければ意味がありませんから、この時にロシア語を少し覚えました」
私にはその才能がないので、苦労しましたが。苦虫を噛み潰した様な表情で、チドリは呟いた。
「……何だか難しくて分かりづらかったんだが、ようするに聖書とかを原典で読めば魔術が使えるって事?」
「読むだけではダメです。隠された暗号や意味を正しく理解する事が大切なんです。神の言葉、行動、行間、文に使われている接続詞に隠語。それらを読み解くのは結構大変な作業ですよ?」
「へ、へぇ……」
喫茶店や買い物の時のギクシャクした感じは欠片もなく、魔術についてやたら饒舌に語るチドリ。苦笑いを浮かべたカナタはやや引き気味に聞いている。
やはり自分の趣味趣向や得意分野について聞いてもらうというのは、例外なく嬉しいものなのだろうか?カナタの趣味は料理、特技は狙撃で、残念ながら趣味の料理に関して、身の回りにまともに料理を作れる人間は彼の仲間である桜井 美里ぐらいしかいないので会話は弾まないし、狙撃に至っては口外する訳にもいかない。そう考えたら自分はかなり悲しい人間なんじゃないだろうか……、と自己嫌悪してみる。
「あっ、すみません、私ばっかり話して仕舞って……。しかも変な事で盛り上がって……」
「ん?あぁ、いいよいいよ。僕も魔術の世界について知りたかったし、……アイツから聞くのは癪だし」
カナタの言うアイツとは、現在彼の家に居候している、とある生物のみを殲滅対象にしている狩人だ。魔術の世界ではかなりの名家に生まれたと聞いているが富豪という訳ではなく、私立中学への学費はカナタが払っていたりする。
彼とは一人の吸血鬼をめぐって戦い、和解した後に、彼を追っている刺客を退ける為に共闘した仲である。カナタはその狩人が嫌いではない。むしろ好きな人種に値するのだが、キャラ特性のせいかウマが合わない事が多いのだ。
ちなみに余談だが、刺客を退ける戦いでカナタは肋骨の数本にヒビを入れるという重傷を負った。幸いにも傷は浅かったが、全治二週間の入院生活を送る羽目になったのだ。それが丁度、冬休みと重なったせいで彼の冬休みは入院生活で潰されたという、聞くも涙語るも涙な笑い話があったり。
(……いや、全っ然笑えないんだけどね)
虚ろな双眸で笑うカナタと、怪訝な表情で見上げるチドリ。
「そ、そうです。とと時津さんは、ご趣味か何かあるんですか?」
何というか、まるで見合いじみた言葉でチドリは訊ねる。少なくとも街中を歩きながら語る内容でもない気がするが、ようやく我に返ったカナタはそんな事に気付かずに真面目に考え込んだ。
「料理かな。趣味というか、生活の必須技術って感じもするけど」
「料理ですか!私も料理作るの得意です!」
胸元で手を組み、嬉々として語るチドリ。その双眸は眩しいまでに煌々と輝いている。
「料理って楽しいですよね!」
「う、うん。最近は、そう思える様になったかな」
「昔は違ったのですか……?」
「まぁ、ね。爆破テロがあって家族が死んで親戚の家に引き取られたんだけど、そこで虐め抜かれてね。飯を用意してもらえなかったから勝手に料理して食って、バレて殴られる事がしょっちゅうだったし。金持ちのくせにケチくさかったなぁ。レトルトなんてなかったから、食える程度に料理出来ないとマジで死活問題だったんだよなー」
どうという事もなく笑って語るカナタに対し、チドリはひきつった笑顔のまま寒々しく硬直する。
……何というか。十六歳の少年が語るには壮絶な人生である。言葉の端々に苦労と流した涙が窺える気がする。
「まぁ最近じゃ楽しみの一つである事は間違いないね。他に趣味……って言ったらゲームかなぁ?やりこんでる訳じゃないけど。暇潰し程度だな」
「そ……うですか」
どう反応していいものか。同情すべきか同調すべきかチドリが考えていると、
どこからか鈍い音と、人の呻き声が聞こえてきた。
「……喧嘩?」
「だな」
一目散に駆けだしたのはカナタだ。異常なまでに発達した聴力で、音の発信地を逆算したのだろう。チドリも後に続く。
「こっちだ!」
朝方特有の閑静な雰囲気の街を走り、カナタは路地裏に入り込んだ。
そこは。まるで世界からごっそり空間を切り抜いた様に静かな世界だった。
まず目に付いたのは、少年だか少女だかの区別の付かない、抽象的な人間が二人。仮装舞踏にでも使われそうな仮面を被っていて顔は分からない。
次に目に付いたのは、地面に倒れ伏せた青年だった。ぼろ雑巾の如く薄汚れた服を身に纏い、その手には抜き身の刀が握られている。少し離れた場所には鞘が落ちている。
「……どうやってこの空間に入ってきた?」
襟足を尻尾の様に結んでいる人間が訊ねてくる。
「ここは私達が創り出した疑似的な異界だぞ」
襟足を伸ばしたままの人間が苛立ち紛れに呟く。
「どうやって?決まってます」
不意に、カナタの背後からの声。呟いたのは、チドリ。
ヒュヒュン!カナタの頭の横を通り過ぎる線は二本。閃光の様に軌跡の尾を引くそれはナイフだ。
二人の人間は少し首を曲げる様に避け、マスクで視線は分からないが、睨み付けてくる。それだけで心臓を鷲掴みにされた様な殺気がカナタを襲う。
「落ち着いて。意識を前方だけに集中して。決して気を逸らさない様に」
ポン、とカナタの肩を叩いたチドリは、カナタを押し退ける様に前に進み出た。
「ここには空間切断の魔術が施されていた。稚拙でつまらない術式だったわ。この程度なら二秒で解ける」
チドリは不敵な嗤いを漏らしながら、二人の人間に告げる。
「そうそう。どうやってここに来れたのか、疑問に答えていませんでしたね」
答えを。
告げる。
「ここに、魔術師がいるからですよ」