世界の情景
[Jan-13.Fri/21:30]
トントントントン。
夜の街灯に照らされた路上に、ポツリと一人。肩まで掛かる銀髪を風になびかせ、黒いタイトシャツの上に黒いジャケットを着て、ズボンは黒いジーパンという少年は、苛立ち紛れに爪先でトントンとリズムを取っている。ただそれだけの軽い動作で、ピキビキとコンクリートの道にヒビが入る。
身長は一三〇強という、小学生の様な見た目だが、眼光はそんな雰囲気を欠片も見せない。まるで殺し屋か狙撃兵の様に、凶悪に強大に狂暴に鋭く感じられる。
道行く人は、銀髪という珍しい髪色をした少年をチラチラと振り返っている。その度にギョロリと睨み付けられ、視線を背ける。
彼の名はランスロット。真名ではなく自ら付けた名前だ。理由の一つは長い人生のせいで真名を忘れたらしい。二つ目は格好いいから勝手にそう名乗っているのだ。
裏の世界――すなわち魔術の世界では、白鬼夜行と呼ばれている。紆余曲折、色々様々な理由により、今は行灯陰陽と呼ばれる魔術師の少女の家で共同生活をしている。関係性は監察官と囚人みたいなもので、本人はそれがかなり不満らしい。
(能力の発動が消えた、か。この街に来た時も来る前もそうだった。とんでもない魔力が突発的に顕現しては、跡形もなくさっぱり消える。何だったんだ、さっき感じた魔力は?)
ランスロット――以下、ランス――がこの街に来たのは、今から約半月前の事。この街から、約五〇キロ離れた街の空き家に押し入り無断で住み込んでいた訳だが、ある時突然、感じた事もない魔力の波長を察知した。それも、とても強大な。
(今のは……類感魔術の一種だな?)
類感魔術とは、東洋で言うところの『呪詛』……つまり呪いの事だ。
だが、疑問に思うのはそこではない。問題は、『魔術の波動は類感魔術』と理解出来るのに『魔術の波長は全く知らない』未知だという事だ。ランスは疑問という概念をすぐに期待と好奇に換え、ほくそ笑んだ。
(こんな辺鄙な島国に来て正解だったな……。さて、コイツは俺をどこまで楽しませてくれる?)
アジアンミステリーという言葉に惹かれ、ランスは日本に上陸したのだが、一〇〇余年、大した騒ぎはなかった。せいぜいが大東亜戦争ぐらいだったが、所詮は玩具を振り回す力なき人間同士。彼にとってはただの退屈凌ぎにすらならなかった。
だが、この力の持ち主は違う。生前は魔導博士とまで呼ばれてきた彼にすら術式の分からない未知の魔術を行使したのだ。
(ッハハ!面白そうじゃねェの!コイツァちったァ俺を楽しませてくれんのかァ!?)
と思い立ち、この街に来た訳だが、
(こンの謎魔力の持ち主に会う前に『世界魔導文化保護機構(WIK)』に捕まりましたよという罠。……何だかやるせねェ……)
その時の戦闘を思い出し、ランスはギリギチギリギリと歯を食いしばる。嫌な場面でも思い出したのだろう。主に足をかけられてスッ転んだ時とか。
「おっ待たせー」
不意に聞き慣れた声が聞こえ、振り返るとそこには、一週間前のあの日、まさしく足を引っかけた少女・的部 スミレがいた。
「遅っせェンだよ。この俺を待たせンな。擦り潰すぞ」
「ってか、アンタが早すぎなのよ。呼び出してからまだ五分経ってないわよ?どうやってここまで来たのよ?」
「ァあン?どうやってって、走ってに決まってんだろうが」
走って。普通の人ならばランニングを頭に浮かべるだろうが、如何せんランスは普通の人ではなく、一〇〇〇年の時を過ごした鬼だ。つまり彼の言う『走る』とは、タラタラと長距離走を前提に速度を調整する『走る』ではなく、人の目に見えない程の超スピードで移動する縮地法・瞬歩での『走る』である。
「お前が飯食いに行くから早く来いっつったンだろうが。っつか料理ぐらい出来る様になれよ。女だろうが」
「む、それは立派な男尊女卑よ。女だからって料理裁縫が出来るとは限らないでしょ。あたしが得意なのは罠の設置と早撃ちなのよ」
「……つっくづく救えねェ話だなオイ」
「それにねぇ、あたしだって何か作れない訳じゃないんだからね?アメリカのデルタフォースじゃサバイバル中、蜘蛛や蠍や蛇を捕まえて、丸焼きにして食べてるんだから。そりゃあたしも最初は逃げ出したいくらい抵抗あったけど、今じゃ気にならないわよ」
「……オイオイ。そりゃなかなか愉快に墓穴掘ってンじゃねェの。女だからとかそンなレベルの話じゃなくなってンぞ」
「……あたしもそう思う」
腰に手を当て、ふんぞり返った状態で、しかしスミレは額に脂汗を浮かべている。ツインテールがゆらゆらと揺れる。
「で。チドリの奴ァどこに行ったンだ?」
「今はそっとしといてあげときなさい。幸せ満喫中なのよ」
「ふゥん、あっそ。よっく分かンねェけど、どうでもいいや。それよか腹減ったぞオイ」
「それじゃ、行きましょうか。こっちよ。ついてきて」
スミレはそう告げ、前を歩きだした。
身長は殆ど変わらない、しかし僅かに高い少女の後ろをダラダラと歩きながら、
少年は笑った。
[Jan-13.Fri/21:30]
「ゼェ、ゼェ……」
魔眼使子は噴水式の水飲み場で、貪る様に水を飲んでいた。まるで、公園に流れる水を全て飲み尽くさんばりの勢いで。右目を覆い隠す前髪や頬が濡れる事も厭わずに。
「プハッ、ゼッゼェッ……カハ、ハァ……」
蛇口を締め、魔眼使子はようやく息継ぎをする。ほんの一分間程、ずっと水に口にしていたのだ。
水飲み場に立てかけていた条蘭虎を手に掴み、肩に担ぐ。包みの紐がはだけ、中から刀の柄頭が覗く。
「……さっきからコソコソと。俺はここにいて、逃げはしない。さっさと姿を現せ」
トン、トン、トン、と魔眼使子は条蘭虎でリズムを刻む様に肩を叩きながら振り返る。何故か大量伐採された雑木林がある公園だが、彼が振り向いた方角には雑木林があった。
その中……街灯一つ通す事のない雑木林の中から、
仮面舞踏にでも使われそうな笑った仮面をつけた人間が二人。姿を現した。
両者共に、中性的なショートカット。片方は、髪を尻尾の様にチョロンと後ろに結んでいる。もう片方は襟足すらもサッパリ切ってある。
「何だ、貴様らは」
魔眼使子は左目だけで睨み付ける。犬歯を剥き出しに、ひたすら獰猛に。猛禽の様に。
「ただ者じゃない、な。俺は今、機嫌が悪い。早々に失せろ」
「それは出来ない」
「我々の目的の為に」
間髪入れずに答える二人。声を聞けば、それが少女のそれだという事が分かる。
だが。そこに年相応の響きはない。
「……魔術師、か?」
嫌悪を露わに、魔眼使子は吼える。
魔術師というのは得てして感情の起伏が乏しい者が多い。それは誰も彼もが到達すべき高みを求めているからであり、高みに近付けば近付く程に感情は失せる。
神に精神はない。高みとはセフィロトの樹には属さない万能的な属性を持つ存在、すなわち神であり、真理であり全ての現象の根源である。心なき存在に近付こうとしているのだ。感情が乏しくなるのは必然的と言える。
そして魔眼使子は、そんな魔術師が嫌いだった。生きた死体としか思えずに、見ているだけで吐きそうになる。ましてや今の様に話していると、気が狂いそうになってくる程に。
しかし、二人の人間は、告げる。
「そうはいかない」
「貴様は我々に同行しろ」
ピクリ、と。条蘭虎を持つ手に力がこもる。眉根を寄せ、二人を睨み付ける。
「……殺すぞ」
告げる。激情を醸し、魔眼使子は告げる。
二人の人間は、
嗤いもせずに、
怒りもせずに、
無碍に告げる。
「強制連行」
「強制排除」
仁王立ちしたまま、二人は手を水平にかざした。反射的に魔眼使子はバックステップをとりながら《シュルルッ》竹刀袋の紐を解く。
中から出てきたのは、柄も鞘も黒漆の太刀。長さは八〇センチ程度で、反りは大きい。
「誰に喧嘩を売ったのか、後悔して死ね」
ニタリ。魔眼使子は口端を上げて嗤う。獣の様な隻眼は爛々と灼け爛れ輝いている。
「名前……。そうだな。一応、自己紹介はしておこう。それが礼儀だ」
「慈愛天使」
と、後で髪を結んだ人間が言う。
「残虐天使」
と、ボーイッシュな人間が言う。
「カバラの樹の天使か……なるほど、それは大層な名前を付けたものだ。俺は魔眼使子。さぁ、早速殺し合おうか」
キンッ。
魔眼使子は条蘭虎を左手に持ち、鍔を親指で押し上げて勢いよく引き抜いた。
得てして始まったのは、
魔神の眼を持つ男と、二人の天使の戦い――。
[Jan-13.Fri/23:00]
「よくこの時間まで開いててくれたもんやな……」
計三つ、パンパンに膨れた紙袋を玄関に放り出した俺は、ボソリと呟く。腫れ上がった箇所にはガーゼがあてがわれていて痛々しい。
「とりあえず、あんさんの衣食住はこれで整うた訳やな。ま、おられて困るもんやないし、ここは好きに使うたらええ」
チャラと取り出したのは、俺んちのスペアキー。マリアは鍵を受け取り、そっと胸に抱く。
「何から何まで、ありがとうございます……」
「ええてええて。あ、ただし、家の人に迷惑かかるやろから今から連絡しいや。許可出たらここおってもええけど、駄目言うんやったら帰りや、自分。この荷物は餞別代わりにくれたるさかい」
「いえ。私、両親は四年前に他界しまして」
微笑って。
俺は冗談めかした表情のまま、固まった。目の前の少女の笑顔もさる事ながら、言葉の意味が理解できたから。痛い程に。
四年前に他界。
爆破テロ。神ノ粛正ヲ下ス使徒。大勢の犠牲者。死。死。死。沢山の死。失われた生。《死》(死)『死』【死】死。死。死。死。死。死。死。死。死。死。死・死・死・死・死・死・死・死・死・死・死、死、死、死死、死死、死死、死死、死死死、死死死、死死死、死死死、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死――――――ッ!!
フラッシュバック。赤。黒。青。白。様々な色。混ざり合った色。濁った色。変色。壊レ。タ。色。赤、朱、紅、緋。死の色。黒と赤の融合結合集合離合配合和合総合。生の色。白と青の剥離分離別離隔離流離久離距離陸離。混ざる。溶ける。絵の具。本物。ガラス。硝子。glassが割れた。落ちる堕ちる墜ちて刺さった。何に?肉に。誰に?人に。何処に?全身に。どうして?ビルの下にいたから。見た?観た。聞いた?聴いた。香った?薫った。どうなった?死んだ。どうした?吐いた。どうして?
――だって。気持ち悪かった。
「同じ中学に行って、同じ高校に入って、同じ大学に進んで、同じ会社に就こう」
笑い。嗤い。(笑)
「好きな人も一緒、告白も一緒。あ、でもどっちかが泣いちゃうな。そうなったら喧嘩しよう。仲良く」
笑う。嗤う。(笑)
「……ユーサク。ずっと一緒に生きよう」
笑え。嗤え。(笑)
「指切り」
――うん。
ゆぅびきぃりげっんまん、うっそつぅいたぁらはぁりせんぼんのぉます、ゆぅびきった!
がらすできれたよ、きみのゆび(笑)
(思い出すなや……)
閉じる。抑える。沈めろ。窒息しそうな程。殺す。感情を殺す。抑制統制自制時制管制。殺す殺す。醜い怪物。自分自身。だから殺す。
余情と、感情と、友情を。
殺す。
(死ねよ)
俺なんか。
「ユーサク様?」
整った眉を八の字に寄せたマリアが、俺の顔を覗き込む様に訊ねてきた。心底から心配そうに。
「ん。何や?」
笑った。嗤った。(笑)
作る。造る。創る。偽りの感情を繕って、人の振りをして、混ざり合う。溶け込む。
「顔色があまりよくない様にお見えしますが……」
「そか?自分じゃ分からへんけど、気のせいとちゃう?」
「はぁ……」
心配。落胆。猜疑。+とも−とも取れない感情が起伏する。脈打つ。隆起が見て取れる。
嗤う。嘲る。嘲笑冷笑微笑失笑爆笑一笑談笑大笑苦笑。冷めて覚めて醒めて褪めて。カラカラカラ。髑髏の笑いにも似た擬音が聞こえてくる、気がする。
人の感情は、ただのプログラム。電気信号が命じた通りに身体が動く。ただそれだけの事。
感じるのではなく。見て、読む。常人では出来ない。異常体質。
「悪かったな、あんま思い出しとうない事やったやろ」
「いえ……まだ八歳でしたから、そこまで鮮明に覚えている訳ではありませんし。悲しくはありましたが、種族的な問題も多々ありましたから……」
「種族的な問題?」
今度は俺が訝しんだ。言ってる意味がいまいち理解できない。白人……という意味ではなさそうに思える。
「はい。私、獣人の亜種……青の属性を持つ聖霊……人魚なんです」
――それが、彼女が本日告げた、トンデモ発言二つ目。