世界の進退
[Jan-13.Fri/20:20]
「ふつつか者ですが」
というのが、目覚めた少女の第一声である。ついでに、三つ指ついて頭を下げるのが、少女の第一挙動である。
「……ちょい待ちぃや。まずは一から説明すんのが先やろ」
あれから約二時間。俺の混乱は未だに醒めない。
まず、少女の身体にコートを掛け、脈拍数・呼吸数を計ったところ、かなり希薄だった。これは陸上生物学上、あり得ない数値である事を記憶している。
救急車を呼ぶべきか躊躇い、結局、自分の家で保護する事に決めた。この時、少女の身体がオンナノコ特有の、柔らかい感じがしなかった事も記憶している。
何故、救急車を呼ばなかったかと言うと、ケータイを取り出した俺の手を掴む少女の手が、『病院は嫌だ』と訴えている様な気がしたからだ。無意識のうちの行動だったのだろうが、何故かそう思えてならなかった。
(んー。でもこれ、実際まずいやろ自分。監禁罪やで。下手すりゃ冤罪の強姦罪も加算されそうやな)
自分の主観だけに頼った結論通りに行動してみたものの、やはり現状況は客観的に見てまずい。『我思う、故に我あり(コギト エルゴ スム)』なんて、所詮はただの自己満足に過ぎない結露だなと再確認した気分は拭えない。
「……で。何で君は海岸なんかに打ち捨てられてたんや?」
当然だと思う質問を少女に向ける。
今、少女は全裸ではない。俺のTシャツとジーパンを着ている。かなり大きめで(というか少女が小さすぎる)、袖や裾を折り曲げてなおブカブカである。
「あらあら、そうでございましたわ。では改めまして。わたくし、マリアンヌ・エルバーナと申します。マリアとお呼び下さいませ」
「いや、そうやなくて……いや名乗るのも礼儀として大事なんやろうけど……そうやなくてやな……」
「それで。わたくしを助けて下さった親切な貴方様のお名前をお教えして頂けませんか?」
「かッ、噛み合わない!会話がまるで噛み合わない!?」
何か。この空間に違和感の様なものを感じる。俺とマリアの時間軸にズレでも生じているのかと本気で心配になる。
『折り重なる現実』というものをちょっぴり体感した。
「……あの、お名前を」
マリアが不安げに俺を見上げてくる。俺は不意に正気に戻り、ハァとため息を吐く。どうやら名前を教えなければ話が進まない様だ。
「俺は金沢 夕朔。それよか、君が海岸で倒れて――」
「ユーサク様、でございますか。素敵なお名前ですわ」
ニコリと満面の笑みを浮かべるマリアだが、また話を無視された事で、俺はちょっと凹んだ。
「あのさ。何で君は倒れてたん?しかも全裸で」
ようやく話を本軸に戻せた事で、俺はホッとした――のも束の間、ふと目の前を見れば、マリアはクスンクスンと泣いていた。
「な、どないしたん!?何か俺、まずい事してもうたんか!?」
「い、いえ……その……」
目尻に浮かぶ涙を指で拭い、マリアは続ける。
「わたくし、両親には厳しく躾られていたので、こんなに優しくされたのは初めてで……」
「うぼぁッ!は、話が全然ちっともさっぱりこれっぽっちも進んでへん!?俺こんなに努力してるのに!?なぁ、頼むから、ちょっとは俺と向かい合って話しようや!?」
前後に進退窮まる会話に、早くも俺は発狂しかけていた。
[Jan-13.Fri/20:20]
「ん〜。流石に、詳しくは言えないかな。ごめん。あたしにも守秘義務があるの」
「申し訳ありません、時津さん……」
二人の、見た目小学生だがその実・高校生コンビは、同時に謝った。
今、商店街の一角に位置する大型カフェ『チヌーク』の、大通りに面した席には、一人の少年と二人の少女が座っていた。
まず、少年の名は時津 彼方。特に手入れをしている訳ではないボサついた髪が特徴的ではあるが、逆に言えばそれ以外は何も特徴がない。
片方の少女。ソバージュのかかる金髪をツインテールにした小柄な少女は的部 澄澪。コップに刺してあったストローを口にくわえたまま引き抜き、ピコピコと上下運動させている。
最後に、染めた訳ではなく天然だろう色素の薄い髪を右サイドで束ねた少女は癸 千鳥。カナタを前に、非常に申し訳なさそうな面持ちで、マグカップの中の紅茶をかき混ぜている。
「そうか……」
カナタはさほど気にした様子もなく、コーヒーを一口飲む。
あの日……チドリと少年を運ばされたあの時に何があったのか、という事を聞こうとしたカナタだが、スミレとチドリは黙秘を貫くだけだった。
だが、カナタは詳しく聞くつもりは最初からない。それはお互いの道理であり義理であり礼儀だからだ。知りたいのはただ一点。
「そこに僕は、間接的にすら関係ない訳?」
カナタのその質問に、スミレは訳が分からないと言わんばかりに首を傾げる。が、チドリはその言葉の意味が分かったのだろう、深く頷く。
「時津さんが言っているのは、貴方が所有している真祖の事ですね」
「……やっぱ知ってたのか」
「この街に来て、至る箇所に残留思念……いえ、残留魔力が付着していましたから。特にあの公園が一番それを関知できました。……悔しながら、真祖は関係ありません」
「……そっか。ならいいんだ。別にアンタの事情を詳しく知りたかった訳じゃない。それだけが気になっていた」
話の内容はいまいち理解出来ないが、何気に残酷な事を平気で言うな、とスミレは思う。隣に座るチドリはけっこう本格的に凹んでいる。
「ってか、さっきから話してる配分者って、何の事なの?」
「配分者ではなく真祖です。早い話が吸血鬼の中での最強種の事です」
「きゅ……って、カナタ。アンタそんな者持ってるの?」
「その辺については、僕も黙秘権を行使する。出来れば知られたくはなかったんだけど……まぁ、そっちの情報もらってるのにこっちが黙ってる訳にはいかないしな」
黙っていても言及はないと分かっているのだろうが、無駄に義理堅い奴だな。スミレは心中呟きながら、ふと考えを巡らす。
「……あ」
スミレには、思い当たる節がある。陰陽師の少女の初対面の言葉のタイミングと、意味と、それまでの経緯がピタリと一致する。
「(ねぇ、チドリちゃん)」
隣で紅茶をやけ酒の様に一気飲みしている少女に小声で話しかける。カナタは気を利かせたのか、「ちょっとトイレ行ってくる」と一声残し、席を外した。
ありがとうとスミレは心で謝辞を送り、チドリに顔を向ける。
「何でしょう?それとチドリちゃんと呼ぶのは止めて下さい」
「チドリちゃんが初めてあたしに会った時、『鬼』がどうとか言ってたわよね?」
「えぇ。ごく僅かでしたが、『魔』の残留思念が貴女の周りに漂ってました。そしてチドリちゃんと呼ぶのは止めてくれませんか?」
「それってもしかして……吸血鬼の気配?」
「……記憶がやや曖昧ですが、確かそうだった……気がします」
チドリの記憶が曖昧な理由は何となく分かる。その後に勃発したトンデモバトルが原因だろう。あの壮絶な戦いの前の、そんな些細で記憶しにくい感覚的見解なんて鮮明に覚えていられる筈もない。
「ついでに言いますと、」
とチドリが口を開いた。意識を別に向けていたスミレは、慌ててその後の言葉に注意する。
「この街には聖魔や魔術師が多すぎます。異様……いえ、この数は異常と言ってもいい。ヨーロッパでは未だに魔物の被害が相次いでいたりします。その数自体はヨーロッパに比べて少ないですが、密度で言えばこれは歴史に残る様な数値です」
「……マジで?」
「マジです」
ふざけている訳ではなく、チドリは淡々と語る。左目の眼帯を細い指でなぞり、嘆息吐く。
(この数……これではまるで、旧約にでも出てくる物語の様で、歪つで、澱んでいる……)
やがてカナタが帰ってきたので、三人は会計を済ませて店を出た。
会計がカナタ持ちだったのは言うまでもない。
[Jan-13.Fri/20:30]
「お腹が空きましたわね」
と少女・マリアが言い出したので、俺とマリアは二人で夜の街を歩く。
カナタやミサトは趣味で料理を作るのがデフォルトだが、生憎、俺とスミレは外食派である。いや、スミレは面倒なだけで作れない事はないのだろうが、俺は作れない。包丁もロクに触った事がない。コンバットナイフや刀の扱いなら得意なのだが。
(……それにしても、結局、話進まへんかったな)
マリアの展開する不思議空間はある意味で突き崩せそうになかった。まるでヒョウタンから出る砂の絶対防御の様に。
夜の街は賑やかで、多くの若者が窺える。まぁ、地べたに座って徒党を組んでいる輩を無視すれば、それなりに心も弾む。
俺はチラリと隣の少女を見てみた。
流れる様なウェーブのかかった金髪は繊細で、見る者に息を呑ませる程だ。羽織っている男物の黒いコートは当然、俺の物で、小柄なマリアが着ればダッフルコートの様に膝丈になっている。
ちなみに下には、俺の服を着ている。成長期に入る前の服はまだ捨てていなかったので、それでも少々大きめだったが、まぁ問題はない。唯一の問題点と言えば下着を着けていない事ぐらいか。……俺が何とかしなくちゃいけない問題でもない気がするが、そこを考えたら負けだろうという神のお告げを聞いた気がした。誰だよ。
「まず先にデパートでも行こか。下着買わな落ち着かへんやろ?」
言って、失敗したなぁと本気で思う。これってセクハラじゃねぇ?と。
「あ、えっと、そ、そう……ですね……」
マリアは苦笑し、俯き加減でそう答えた。何故かその挙動が、照れや羞恥を含んだものとは思えず、しかし勘違いかも知れず、俺は首を傾げる。まぁいいか、別に。
俺はマリアを連れて、近所のデパートに入った。チェーン店ではないので、それ程大きくはない。三階建てぐらいだった気がするが、基本的に俺は来ない場所なのでうろ覚え。
ちなみに名前は『ライオット』。ポンプアクションと呼ばれる方式を採用した、アメリカ製のショットガンの名前である。現代のショットガンは半自動型が多く、一九六一年に開発されたにしては古い型で、しかし全手動操作の為に精度は良く、薬莢の排出や装填不良が少ないので実戦ではなかなか信頼性は高いという。
まぁ、アメリカ人は派手好きが多いから、ウィンチェスター社は利益を考えてブローニング氏と縁を切った訳だが、そもそもいつまでも全手動でいようとする貴社にも問題はあると思う。
発射ガスを後方に向ける事でガス・オペレーテッド方式としての条件は充分だし、旧式だがイタリアの半自動散弾銃の様にフォアエンド機能をつければ、半自動と並列してついてくる弾詰まり(ジャム)問題も解決できる。まぁ俺に言わせれば、散弾銃と突撃銃を別に持つ事自体が意味がないと思っている。ベルギーの『玩具兵』の様に火器管制方式(FCS)や付属榴弾砲を脱着可能にすればいい。フレームは強化プラスチックやカーボンファイバーを使えば重量ないし耐久度のフォローも出来る。根本的な問題で、今時の突撃銃に火器管制方式(FCS)をつけるべきであり、後接続弾倉にする事で衝撃面も多少は改善され――
「ユーサク様?ボーッとなされて、どうかしましたか?」
「あ。あぁ、いや、ちと個人ではどうしようも出来ない、のっぴきならないかつ取り留めもない事を考えてた。スマンな」
というか。周りが見えなくなる程に現代火器について一人考える男ってのもどうなんだ?危険思考?いや、出来れば職業病と呼んでいただきたい。俺のためにも神のためにも。だから誰だよ。
「そないな事より。ユーサク様って呼び方はどうにかならへんかな?特殊な趣向の人っぽくて周りの視線がやたら痛いんやけど……」
そう。下着も問題だが、今、着目すべき問題点は、彼女の呼び方だ。何故か彼女は俺を『様』と呼ぶ。理由を伺ってみたところ「ジャパニーズの殿方はそう呼ぶ様にとお父様から言いつけてられてますので」との事。
だが残念ながら俺はそんな特殊な戦略的見解(オタク思考)は持ち合わせていないので、そんな呼ばれ方をしても困る訳で。……まぁ、確かに、困りはするが悪い気はしないが。
「いやいや!そんな事ないで!?あり得へん!そうやあり得へんのんや!」
「ユーサク様?どうかなさいましたか?」
「何も!何もあらへんで!心の声とかちっともさっぱり漏れてへんで!」
「こころのこえ……?」
怪訝な顔をするマリア。何だか自ら墓穴を掘った気がしないでもないが、とりあえずこの会話は危険だと判断。俺は早足でエレベーターまで向かい、カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ!と鬼の様にボタンを連打する。
やがて、マリアが俺に追い付くのとほぼ同時に、エレベーターのドアが開く。俺は追及を避ける為に急いで足を踏み入れようとして、
エレベーターに乗っていた一人の男の気配を受けて、半歩後ろにバックステップを取った。
別に、男が不良じみた格好をしていた訳ではない。そもそもチンピラやヤンキーが相手なら俺がここまで危険だと思う筈がない。
危険だと判断したのは。
男の身体に染み着いた、血の臭い。
嗅覚を刺激する様に強烈なものではなく、感覚的なものだ。極々自然な日常では決してお目にかかれない、死の臭い。
改めて男の様相を観察してみる。
身長は一八〇前後。髪は派手な赤紫に染められ、長い襟足を後ろで束ねている。前髪は左分けで、右目を越して右頬にかかる程に長い。デニム生地のジャケットは洗い過ぎか変色し始め、インナーのカッターシャツは黒。ズボンはシルクか何かだろう、妙な光沢がある滑らかな黒。もしかしたらスーツパンツかも知れない。
そして、そんなセンスを疑う様なちぐはぐな服を着ている男は、剣道の竹刀か木刀でも入れる様な細長い包みを右肩に背負っている。
この男には、どこか見覚えがある。そうだ。暗くてよく見えなかったが、確かマリアを拾った時に近くを彷徨いていた。ほんの二時間前の話だ。
「あ……」
追い付いたマリアが小さな小さな声を漏らす。
そんなマリアを見つめ、男は呟く。
「水陸歌姫……見つけたぞ」
そう呟き、男は右手を左脇にやり、左手で掴んだ。まるで、真剣術の居合い斬りの様に。
【CH-47Jチヌーク】
全長:30.18M
重量:10.727t
最大速度:315km/h
巡航速度:245km/h
乗員/乗客:3〜5/53名
固定武装なし
米陸軍特殊作戦コマンドに所属している第一六〇特殊作戦航空連隊『ナイトストーカーズ』が配備しているヘリコプターで、高高度まで飛行できる大規模な輸送手段としてアフガニスタン戦争でも活躍した。