世界の局地
[Jan-13.Fri/10:00]
二限目の最中。
そんな中で俺はいつもの通り、屋上のベンチでゆったりくつろいでいた。
「別に、俺らに学校なんて必要あらへんのやから、真面目に受けるだけアホくさいだけやな」
テロを制圧しているから給料はもらえているし、それでなくても自衛官は、過酷な訓練を受ければその分の手当が付与する。特に《聖骸槍》は特殊な作戦が多い分、特殊作戦隊員手当を普通より多額もらっている。国民の血税の行方ここに見たりと言った感じだが、まぁ俺の知った事やない。
「……それに、中学は義務教育やからな。クビもあらへんし」
元々、俺は上に指定された私立中学に通っていたのだが、出席日数の関係でクビにされた。今では市立の中学に通っている。
出席しなかった理由は一つ。何も感じず、つまらないから。
冬の日差し……とは思えない程にポカポカしている。温暖化もここまで進んだのかとどうでもいい事を考えていると、不意に屋上の階段の方から、人が駆け上がってくる気配を感じた。
駆け上がるといってもバタバタとうるさい訳ではなく、常人では耳を澄まさなければ聞こえない程だ。だが鍛えられた俺の聴覚では静かに歩くも騒がしく走るも変わらない。
この走り方は知っている。いつも俺ののんびりタイムを潰す天敵であり同級生であり委員長でもある。
面倒くさそうなので、俺は目を瞑って狸寝入りを始める。呼吸数を計測してみたところ、本人は抜き足差し足の忍び足で接近しようとしているらしい。狸寝入りをする理由は、屋上に入ってくるよりも先に反応して、変な奴扱いされるのは勘弁だからだ。
キィ……。ドアノブを回す、小さな音が聞こえた。人が寝ている時は呼吸数が四〇〜五〇とされているので、大体一・三秒に一度呼吸する様にする。
「こらぁ!金沢ぁ!」
突如として屋上のドアが蹴破られ、甲高い絶叫が迸る。俺は気付かないフリをして狸寝入りを続ける。
「寝てるんじゃない!起きなさい!まだ授業中なのよ!?ってか起きてるんでしょアンタぁ!」
「チッ……バレてたか」
ズカズカと大股で歩み寄ってくる人物を、遠目に観察してみる。
髪は肩まで掛かる程度のセミロングで、水色に染められている。左右のもみあげはメッシュの様に、覚める様に鮮やかな青。前になんでそんな派手な髪色に染めたのか聞いたところ、「人と同じ事をするのがイヤ」と答えてきた。
制服は三本ラインの入ったセーラー服で、スカートは短め。制服は気付かない様な細部が微妙に改造されている。
「いいんちょ。そんなに怒たらあかんて。スマイルやで〜」
寝そべったまま、俺は委員長こと詩聖 剣女史に笑ってみせる。が、のらりくらりとした俺の態度が気に入らないのか、かなり怒髪天なご様子。
「アンタが授業サボるから、ボクが探す羽目になってるんだよ!ホラ、戻るよ!」
そんな派手委員長は、自分の事をボクと呼ぶ。
「あ〜。せやったら、センセイには腹痛ゆっといてくれへん?」
「ゆっといてくれへん!いいから戻りなさい!」
「なんやノリの悪い……こんなえぇ天気やのに、教室で勉強なんてしとったら、頭にキノコ生えんで?」
「生えないわよ!」
ダンダンと地団太を踏む詩聖。『お淑やか』という形容詞からはとんでもなく懸け離れた行動である。スカートがチラチラ揺れている。これはチャンスだ、と俺は視線を低めてみたが、残念な事にスパッツを着用していた。
「……色気ねぇ」
「放っとけっ!」
ひいっ、と俺は肩を震わす。ヤバい。かなりキレてる。ってかキてる。いや、ここまでやられて怒らないなんて反応を取るのは二次元でしかな有り得ないだろう。それはそれで、ソイツの精神構造を疑ってしまう。
セミロングの髪をワシャワシャとかき乱し、詩聖は叫ぶ。
「いいから戻る!シャキッとしなさいシャキッと!まずは立つ!」
仕方なく、だらだらと俺がベンチから起き上がっていると、足のすねを蹴飛ばされた。スッゲェ痛ぇ。ちょっと涙が出た。
「むぅ。どう足掻いても人間の鍛えられない部位を蹴るとは、極悪非道。悪逆残虐やね」
「いいから立つ!んでキリキリ歩きなさい!」
俺が立ち上がると、詩聖が背中を押してくる。屋上のドアを開け、階段の踊り場まで早歩きの速度で歩かされて、ふと気付く。
「そいや、なんでいいんちょがここにおるん?まだ授業中なんやろ?」
「川嶋先生(英語教諭)に捕獲してくる様に言われたの!まったく、これでボクの成績が下がったら君のせいなんだからねっ!」
「責任転嫁はあかんね。俺はちゃあんと学年首席をキープしとるで?」
「アンタみたいな異常児と一緒にしないで!ってか何でいっつもサボってる君があんなに頭いいのよ!?おっかしぃでしょ、絶対に!カンニングしてるでしょ!」
「実力やで、実力」
まぁなんつーか。
こちとら戦車や戦闘ヘリの免許を取得する為に熱力学に光力学に機工学、第四類危険物取扱の知識。
それと全世紀に渡る武器や武装機、戦術戦略戦法について学んでる内に歴史には詳しくなったし、英語フランス語ドイツ語イタリア語ロシア語ラテン語も覚えとる。数学についても、大学レベルなら通用する。国語は元々、感性で決まる学問やから、これは天性。中学程度の問題が分からん筈がないっちゅー話や。
もっとも、そんな事は口が裂けても言える事やないケド。
「あぁ、もう!腹立たしい!ってか自分で歩きなさいよ!」
そんな事情を知らんクラスメイトは、甲高く喚く。授業中の静かな廊下で騒いどるんやから、きっと叫びは校内全域に広がっとるんやろうなと思うのは俺だけやろか?
[Jan-13.Fri/15:20]
「うぉ〜、今日も一日お疲れさんて自分を褒め讃えたいわ〜」
俺は大きく伸びをし、教室から担任が出ていくのを確認して、のんびりと鞄を手に持つ。中身が空っぽの鞄はやっぱり軽い。教材なんて、持って帰る気はさらさらない。
「いや、持って帰りなさいよ」
背後からの声。振り返ってみると、几帳面にも鞄に教科書やノートを詰め込んでいる詩聖がいた。俺の席は窓際で後ろから二番目、詩聖は一番後ろが座席なんや。
「お〜い、夕朔!ゲーセン寄ってかねぇ!?」
クラスの男子から声がかかった。勿論、断る理由のない俺は親指を立ててOKサイン。
現在、どこの学校でもそうやけど、この中学も例に漏れず、二つの党派に分かれとる。
ゲーセンに誘ってきたクラスメイトみたいに、テキトーに行ける高校に進学する、余裕のある奴(スポーツ待遇含む)。詩聖の様に、頑張って頭のいい学校に行こうと、躍起になって勉強しとる奴。
俺は、断然前者派。面倒な事が嫌いな俺は、行ける程度の場所に行く。まぁ、市内一と言われとる高校にも余裕で入れるんやケド、後々面倒になりそうやから、中くらいの高校を受けるつもりや。どうせ上が手を回すんやろうから、不合格はないし。
「どや?いいんちょも行かへん?」
「そんな暇がある訳ないでしょ!?」
「根気詰めて受かるもんでもないやろ。たった一日勉強せんだけで落ちる思うんやったら、別のトコ受ければええし」
「その一日が命取りなの!放っとけ!」
「さよか?残念やな」
「え?」
俺がわざとらしく肩を落としてみると、詩聖は意外そうな顔で見上げてきた。なんや知らんケド、まるでもうちょっと誘えば来ると言い出し兼ねへん顔や。
こんな性格――いや、性質を長くやってると、ある程度の人の感情が客観的に読める様になってくる。
「? ほな、先に帰るで?」
「あ、あぁ、うん。それ、じゃ、また明日……」
きょとん顔のまま、詩聖が小さく手を振る。不服そうな……ちゃうな。困った様な、怒った様な、悔しがっとる様な……どれもしっくり来んな。いじけた様な――これや、詩聖はいじけた様な表情のまま、先に教室を出て行った。
「……なんやねんな」
「ユーサク!とっとと行こうぜ!」
「あぁ、せやな。ほな行こか」
結局この事はその場で忘れて、俺はいつも通り、クラスメイトに笑顔を返す。
楽しくもないのに。
[Jan-13.Fri/18:40]
慣れた事とは言え、毎日感じる倦怠感。顔の筋肉はすでに笑う事に疲れ、俺は無表情に戻す。
いつも楽しい『フリ』をして、他人が失礼な事をしでかすと怒った『フリ』をして、客観的に良い事が起こると喜ぶ『フリ』をして、嫌な事が起こると悲しい『フリ』をする。毎日のサイクル。
人としての感情なんて、とうの昔に消え失せた。より正確に言えば四年前のテロの日から。
「……なんや、つまらん」
決まって口から漏れる言葉は、すでに台詞と化している。
俺の通う学校は、聖骸槍のみんなと違って、住居区域にある。遵って、電車に乗る必要はない。たまにバスに乗る事はあるが、それは極端に寒い日だけや。
中学の側には海があり、近場のゲーセンも大会社ではなく、小規模な民営やから小さく近所にある。必然的に、帰りは海沿いの道を歩く事になる。
さすがに六時過ぎ……それも海沿いの道は寒く、吐いた息は凍り付くのかもと危惧する程である。街灯なんてどこにもなく、ただひたすらに漆黒で暗黒の闇だけが広がっている。
カチャリ、と音が聞こえた。音のした方を振り向くと、俺とさほど身長の変わらん男が、すれ違う。剣道の竹刀でも入れる様な袋を肩に下げている。流石に顔までは分からないが、髪は結構長い方だと思う。
月明かりでもあれば、俺の目で見えたかも知れへんが、残念ながら空は雲が覆ってあった。今日は新月やったと思うから、どの道見えないのだろうが。それでなくても、別に他人なんかに興味は湧かない。
カチャリ、カチャリと。男が歩く度に金属音が鳴る。
それはまるで、刀の鍔鳴りの様に聞こえた。
(……まさかな)
俺はハンと自らを鼻で笑い、帰路を再び歩き出す。寒い。うん、今日は水炊きにしよう。
晩飯の献立も決まり、帰りにスーパーにでも寄って材料を買う事を決意したその時、
もぞり、と。左手にある、漆黒で暗黒の闇に覆われた砂浜の一部が、動いた。気がした。
「……何や?」
遠い。距離的には、二〇メートルはあろうか。光でもあればミリ単位で距離の算出が出来るのだが、こう暗くては何も分からない。動いたそれの正体も。
珍しく、自分でも理解出来る程に珍しく、俺は微かな好奇心を覚えた。あれが何なのか。少しだけ気になった。
これで、ただの酔っ払いが寝ているだけだった、なんてオチが付けばブン殴ろうと心に誓って。
俺は防波堤を飛び降り、柔らかな砂地に降り立つ。三メートルはあった。落下点が見えなかったので、足には微妙なダメージが降り懸かる。
歩くのに支障はなく、ちょっとジーンとした程度だ。俺は構わず、動いた何かに近寄る。念の為、サイドアームであるドイツ製の自動拳銃の安全装置を外しておく。隊で支給された物と同系列の物だがタイプは違い、こちらは並列弾倉となっていて、装弾数は多い。
普段使う事はまずあり得ないので、あくまで念の為の処置だ。気休め、といってもいい。
だが用心に越した事はなく、いつでも慎重にいかなくてはいけない。“例外”を認めてはならない。
(さてさて、何だろうね)
目的となる砂浜を歩く。暗闇だから目測もかなり曖昧だが、大体二〇メートルくらいだった気がする。
そして、もうそのくらいは歩いた気がするのに、一向に何も見当たらない。
幻覚か? もしそうだとしたら、今俺は何をしているんだ? バカにしか見えない気がする。
そんな思案が頭を駆け巡る。帰ろうかとさえ思う。好奇心は、すっかり萎えた。
と、俺の足が何か柔らかい物を踏みつけ、転びそうになる。何かの呻き声が聞こえてきた。
(まさか、本当に酔っぱらいが寝てるだけとか?)
ポケットからケータイを取り出し、カメラ機能のフラッシュを焚く。一応、持っている自動拳銃にはフラッシュのアタッチメントがあるのだが、今はないのだ。
ケータイで砂浜に倒れている人物を照らす。
まず見えたのは滑らかな、白磁の様な脚。
次に見えたのは細くくびれた、綺麗な腰。
更に見えたのは小さく、華奢な印象の肩。
遂に見えたのは、幼い欧州系の少女の顔。
(…………………………………………………………………………………………、えっと、)
裸である。目立つ外傷は見当たらないが、何せ裸である。齢一二くらいかなと想定出来そうな顔立ちだが、如何せん裸である。
(あ、あれ?ちょっ、待っ!?何イベントなんですかコレは!?どうして捨てられ系美少女フラグが立っちゃったりしてるんでしょうねッ――!?)
俺の混乱は極致に達した。
[Jan-13.Fri/Unknown]
カチャリ……。
まだ日が降りて間もないと言うのに、漆黒で暗黒の暗闇。
男は、ただ海岸沿いの道を歩む。
左手を頬に触れ、ツツッと、瞼を閉じた左目に触れる。
(……早く。見つけないとな)
彼の目的はただ一つ。ある生物を殺し、その生き血を啜り生肉を食らう事。
端から聞けば正気の沙汰ではないだろう。だが、この男の目を見れば分かる。本気だ。
カチャリ、カチャリと。背中に背負った筒状の袋から金属音が、歩みに合わせてリズミカルに鳴る。
彼が望むある生物は、食らう者に不老不死の力を授けるという。だが、彼にはそんな事、どうでも良かった。
(必ず見つけだしてみせる!)
そう心に呟くと、男はコートの襟を立て、肌寒さに耐えながら歩いていった。