世界の結末
[Jan-16.Mon/08:10]
「ユーサクさん!起きて下さいまし!」
……ん。
「ユーサクさん!もう八時過ぎですのよ!?」
誰かが俺の身体を揺すってる。まだ眠いのに、いったい誰が……。
俺は寝返りを打ちながら、俺を揺する『誰か』の方に目を向けた。
そこには、腰まであるウェーブのかかった長い金髪を、後ろで結った少女(ランドセル仕様)の姿が。俺の家にいるランドセル背負った金髪の外国人少女と言えば、一人しかいない。
「ランドセル……あかん。そりゃあかんわ。攻略不可能やで」
「何の話ですか?寝ぼけてます?」
「ボケは大切やで……何せボケは関西人の大事なオカズやからな。それさえあればご飯三杯食べられるわ……」
「……えぇと。仰る意味がいまいち分かりませんが、とりあえずお寝ぼけですのね?そんな人には『妹流・早朝ダイブ』をお見舞い致してもよろしいのですよね?」
「それはあかん……そんな内臓が口からピュルっと出そうな秘技はプロレスだけで充ぶルヴォア!」
ドガスン!と俺の腹部に衝撃。眼ん玉が飛び出さんばかりの勢いで頭に血が上る。当然だが、俺は勢いよく跳ね起きた。
咳込みながら俺の腹に全身でのっかっているランドセル仕様の少女を見てみると案の定、マリアだった。
「こッ……けへっ、殺す気か……ッ!」
「ユーサクさんが遅刻するとヤバいので、少々力技ですが全身ダイブを行ってみました」
「やめれ!それはマジで洒落にならんで!?ええか?どんな格闘技の達人でも、腹筋締めてない時への攻撃はまずい。そこんとこ考えて寝込み襲えや!っつーか寝込みへの攻撃は男の特権!喰らえ、布団攻撃!」
俺は腹に頬杖をついて笑っているマリアを布団で包み込み、身動きを封じる。ジタバタと忙しなく足を動かしていたマリアが、急にパタリと動かなくなった。というか、時々ピクピクと痙攣している。
マリアは小学生に似合わず、膝下二〇センチの長いフレアスカートを履いていた。上体は腕ごと布団に包まれたままで、傍から見ると布団から少女の下半身が伸びている様に見えて、かなり異様だ。
「……あ〜、目ぇ冴えた。しゃあない、起きるか」
俺は布団から抜け出し、クローゼットから学ランとズボンを取り出して着替える。この部屋にいる異性はたかが小学生一人なので気にする事もないし、何よりその小学生の少女は酸欠で動かない。俺は鞄を持って部屋を後にした。
勿論、窓は開け放ち暖房はきっておく。節電はこまめにする事が大事だし。
背後から「ハッ!お花畑がいつの間にかシベリアに!」や「って寒い!温暖化の話は嘘でしたの!?」というアホな絶叫が聞こえてきたが、無視無視。
俺はその辺に鞄を投げ捨て、キッチンの食器棚から底の深い器を取り出し、下の棚からシリアル、冷蔵庫から牛乳を両手いっぱいに抱えてダイニングに向かう。
テーブルについてから朝の錬成術を巧みに披露し(器にシリアルと牛乳を同時降下。これがなかなか難しい)、スプーンを忘れた事を思い出して急いでキッチンに向かう。早くしないとシリアルがフニャフニャのベチャベチャになって仕舞う。
と、俺が食器棚からスプーンを取り出したのと同時に、ダイニングのドアがガチャリと開いた。顔を見せたのは、言うまでもなくマリアだ。
「よっ。おっはよ。どないしたんや?まるで冷水に移された熱帯魚みたいな顔して?」
「……まさにそんな感じですわ」
カチカチカチカチ、カチカチカチカチ。何の音だと俺が音源を探ると、マリアが超高速で歯を上下に動かしてぶつけていた。というか唇が紫だ。
「あ〜。何かその表情、学校の二学期のプール思い出すわ〜。水温一二度とか、アホちゃうか?とか思うねんな」
笑いながら、俺は椅子に腰掛けてシリアルを一口食べる。フニャフニャのベチャベチャになっていた。つか寒い。冬に食うもんじゃねぇぞこれ。
「……それにしても、マリアて孤児院の子供やったんやなぁ」
向かいの席に腰掛けようとしていたマリアの表情が、やや曇る。
「ハイ」
と、小さく頷いただけだった。
あの戦いの後、マリアに話を聞いてみると、どうやらマリアは四年前のテロのせいで両親を亡くし、孤児院に住んでいるという旨を聞いた。
俺はすぐに自衛隊に話を通し、マリアを俺の家で保護させる様に要請した。やはり聖骸槍の影響力は絶大なのか、結果としてマリアを俺の『義妹』に仕立てあげて保護する事になったのだ。『養女』にならなかっただけ良かった、と俺は何度も胸をなで下ろした訳で。
「えぇと、それでは……私はユーサクさんを『義兄』と呼べばよろしいので御座いましょうか?」
「それだけは心底から勘弁して下さい」
俺は牛乳を飲み干しながら背筋を震わせた。そのシバリング現象(身体が《ブルッ》と震える現象)が牛乳のせいだけでない事は火を見るより明らかだと思う。
ん〜、とマリアはすぼめた唇に人差し指を添え、ポツリと一言、
「おニイちゃん?」
「うっ!」
「あニイ?」
「ぅうっ!?」
「ニイ様?」
「うがっ!」
「アニ上?」
「がふぁ!」
「おニイちゃ……」
「ってどんな呼ばれ方したって俺はお前なんぞにゃ萌えんわぁ!つかその超危険ワードをいい加減にやめれ!」
ハァハァと肩で息をする俺。かなり疲れた。具体的に言えば、一二人の義妹に振り回される義兄に相当する。
俺はスプーンを器に入れたまま水につけ、牛乳を冷蔵庫に仕舞いながら鞄を床から拾い上げ、ダイニングを後にした。マリアは慌ててそれに続く。
「可愛い義妹がすぐ傍にいるのに、一人で行こうとは何事ですか」
「ハッ」
「は、鼻で笑われた……」
「少なくともランドセル背負ったガキんちょに劣情を抱く様な幼児偏愛者やないわ。せめて今の俺と同い年になってからやないと萌えてられんなぁ。年齢的に」
俺は靴を履きながら、背後のマリアを嘲笑する。ムッとした雰囲気が辺りに漂う。
「とりゃ!」
と思ったら、マリアは飛びかかる猛禽類の様に俺の首に腕を絡めてきた。小学生とは思えない外国製の膨らみが俺の背中に当たってくる。
が、残念ながら俺はそんなに甘くはない。頬摺りしてくるマリアの頭に腕を絡ませ、脇に挟んでヘッドロック。頭蓋が歪まんばかりにギチギチと力を込める。
「ギブギブギブ!」
パンパンとマリアが俺の肩を叩いてきた。柔道等の投げ系格闘技ではお馴染みのギブアップ方法だ。
俺はヘッドロックを解き、もう片方の靴を履いて立ち上がる。玄関自体が狭いので、二人同時に利用する事が出来ないのだ。入れ替わる様にマリアが座ってブーツを履き始めた。レザーのウェスタンブーツなんて小学校に履いていくなよ。
「お待たせしました!」
エヘヘと笑いながらマリアが立ち上がる。チラリと玄関の置き時計を見てみると、八時三〇分を過ぎていた。完全に遅刻だ。
「マリアぁ。朝に俺を起こす必要ないで?お前が遅刻したらあかんやん」
「ええのですよ。ユーサクさんと一緒でしたら」
「いや、あかんやろ」
俺らはそんな会話を交わしながら家を出た。表札には、『YU-SAKU_KANAZAWA』の下に『MARIANNE_KANAZAWA』という表札が追加されている。
ふと、キュッと、マリアが俺の手を握ってきた。見るとマリアと目が合い、頬を朱に染めている。
(……ま、途中までやからええか)
マリアと手をつないだまま、俺はマンションを出た。
尚、余談だが、マリアが通っている小学校は俺の通う中学校とは真逆で、マンションを出てすぐに別れるのだ。
[Jan-16.Mon/16:00]
喫茶店『チヌーク』。チドリとカナタ、それにスミレの三人は今日もここに来ていた。ちなみにやはりカナタの奢りだ。
「ってテメェらいい加減にしねぇとマジ捻り潰すぞチクショウが!僕のお財布状況を少しは考えて下さい!」
と喚き散らすカナタ。チドリは苦笑しながらもスミレに視線を送る。
スミレは笑いかけながらも、カナタの後頭部に手をかけ、自らの唇に顔を近付ける。身長差が二〇センチ近く違うのでカナタが腰を折る形となる。
「……捻り潰されたい?」
「すいませんでした」
腰を折る形は、まさに頭を下げる事となった。
「……えぇと。私は割り勘で構わないんですが」
「チドリちゃん甘い。男は女に財布を出させたら負けなのよ。コイツの甲斐性を計る機会を取っちゃ駄目」
「おいおいおーい!ちょっと待てやテメェ!何をさりげなく僕に責任転嫁してやがるか!って癸もやけに納得した顔すんな!」
レジの前でそう騒ぎ立てる三人。ウェイトレスは何だか苦笑している。
結局(力のゴリ押しで)カナタが支払う事に決まり、テーブルに案内された。意気消沈し、俯いたままカナタは思う。これはカツアゲと何が違うんだろうと。
「あ。ケーキは二個頼んだ方がお得みたいね。あたしこのイチゴショートとモンブラン。コーヒーはブルーマウンテンね」
「えっと……。このモーゼルパフェというのを、頼んでもよろしいでしょうか……?あと、アールグレイも……」
方や意気揚々と、方や怖ず怖ずとメニューを指さす二人。カナタは死んだ魚の目をしたまま「ええねん。もう好きに生きたらええねん」と何故か関西弁でブツブツ呟いていた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
溌剌とした声と同時に水が運ばれてきた。カナタ、スミレ、チドリの順に目の前に水が置かれる。
「はいはーい。私このイチゴショートとモンブラン。コーヒーはブルマンでよろー」
「あ、私はこのモーゼルパフェと、紅茶はアール、グ……レイ、で……」
何気なくウェイターの顔を見た二人だが、途端にチドリの表情が固まっていく。
「あ、貴方は……」
そこにいたのは、長い髪をオールバックにした、端麗な容姿の男だった。ただし、右眼にはチドリと同じ眼帯をつけている。ウェイターも何気なく不可思議な言葉を呟く客に目を向け、全く同じ様な表情を見せる。
「貴方、一昨日の……」
「貴様、一昨日の……」
そこに居たのは誰あろう、魔眼使子と行灯陰陽だ。二人は互いに顔をしかめる。まさか二度と会う事もないだろうと思っていた相手がすぐ身近にいたのだ。驚くのも無理はない。
「ん?知り合い?」
事情が全く理解できないスミレは、二人の顔を見比べながら訊ねる。
「貴方、どうしてまだこの街に……?世界中を回るんじゃなかったんですか?」
「……その為にここにいる」
聡明なチドリは一瞬で理解した。つまり金がない、と……。
チドリは曖昧な笑みを浮かべながらチラリと魔眼使子の胸元に視線を送ってみると、名札には松岡 三輝と書かれていた。
「ほう。貴方の本名はミツキと言うのですか……」
魔眼使子――ミツキは何も言わずにオーダーハンディに向く。シカトする辺り、どうやら本名らしい。
「え〜、ご注文を繰り返します。ケーキセットはイチゴショートとモンブラン、モーゼルパフェが一点、ブルマンが一点、アールグレイが一点。以上でよろしいでしょうか?」
「ブフッ!」
チドリが吹いた。
水は見事なまでに霧散化し、大気中の光の直進を妨げ、プリズム現象を起こして小さな虹を作り上げた。すかさずミツキの手刀がチドリの頭を捉えるが、そこはやはり基本性能の差か、チドリは一撃を難なく受け止める。
「貴様ぁ……言いたい事があるのならハッキリ言ったらどうなんだぁ……?」
「い、いえ……別に笑ってなどブハッ!や、やっぱり駄目ぇ……」
最初はこみ上げる笑いを堪えていたチドリだったが、ミツキのウェイター姿をもう一度見て仕舞うと、今度は腹を抱えてテーブルに突っ伏した。かなり本格的な大爆笑を懸命に堪えているようだ。
ミツキは犬歯を剥き出しにギリギリと歯を食いしばるが、やがて諦めたのか平常心を取り戻すべくオーダーを再び繰り返す。
「……え〜、ご注文を繰り返します。ケーキセットはイチゴショートとモンブラン、モーゼルパフェが一点、ブルマンが一点、アールグレイが一点。……以上でよろしいですか?」
「……あ、それでだいじょぶです」
アハハと苦笑しながら、答えたのは一部始終を傍観していたスミレ。カナタは魂を抜かれた様に意気消沈していて、チドリは喘ぎながら悶え苦しむ様に抱腹絶倒している。この中で唯一まともな精神状態の人間は、スミレぐらいしかいないのだ。
「お飲物はどうしましょうか?」
「あ、先に持ってきて下さい」
「畏まりました」
業務的な言葉を交わし、ミツキは軽く会釈して厨房へと歩いていった。
「つか、チドリちゃんがこんなに笑ったの、あたし初めて見るなぁ」
「……プッ、ククククク!だ、だめぇ……おな、お腹、よじれるぅ……ウフフ、フフフゥフフ」
何やら本格的にツボに入ったらしく、肩がピクピクと痙攣を起こしている。酸素欠乏症で今にも気絶せんばかりの勢いだ。
「……まぁ、いいや。あたしちょっとトイレ行ってくっから」
スミレは立ち上がりながら二人にそう告げる。聞いていないのは言うまでもなく、スミレはそれ以上何も言わずにテーブルを離れた。
通路を歩いていると、前方からミツキが歩いてくるのが見えた。手には他のテーブルのオーダーなのだろう、盆にジュースが四つ置かれている。狭い通路なので、ブッキングしたら悲惨な事態になりそうだ、とスミレは判断し、道を開けた。
が、料理を運ぶという作業で、初心者がやらかす事が一つある。それは、手元に注意しすぎて足下がおろそかになる事だ。
「うっ!?」
ミツキは日が浅いのか、自らの足をひっかけた。前のめりにグラリと倒れそうになるが、懸命に堪える。
しかし盆の上のジュースはそうはいかない。慣性の法則に従い、スコンとビリヤードの玉の様に直立姿勢のまま宙を舞った。
このまま床に激突して惨劇を招く……、とミツキが思った瞬間、
スミレが動いた。風の様に、音の様に、光の様に。
一つ目のジュースは下に手刀突きを滑り込ませる様に支え、二つ目のジュースはトンと右肩に乗せ、三つ目のジュースは首を横に移動させて頭のてっぺんに乗せ、四つ目のジュースを左手で軽く掴んだ。ジュースは一滴もこぼれてはいない。
傍から見ると、異常な光景だ。
「ね、ねぇ……これ早く取っちゃって……」
「あ、あぁ」
あまりの早業にミツキが呆然としていると、スミレが苦しげに言った。というか少しずつだが、全身がプルプルと震えだしている。ミツキはジュースを盆に戻し、感謝する、とぶっきらぼうに礼を告げると、テーブルへと向かった。
(……ん?)
その時、ほんの少しだけミツキの頬が赤かった気がする……気のせいか?
(ま、あたしには関係ないか。それよりトイレトイレ)
スミレは本来の目的を思い出し、再びトイレへと向かった。
「おい。行灯陰陽。寝るな。寝たら殺すぞ」
「うっ?」
誰かに肩を叩かれ、チドリは跳ね起きた。どうやら本当に酸欠で気を失っていたらしい。
「寝ぼけてんな。さっさと起きろ」
ペチンと、頬に軽い衝撃。チドリがその方向に振り返ってみると、そこにはミツキがいた。
「……何ですか?」
「この席は俺が奢ってやる。だから……俺に、さっきの金髪の女の事を教えろ」
それから、寝ぼけたチドリは知ってる限りのスミレ情報をミツキに明け渡した。名前、学校、身長、住居、好物、etc.etc.……。それらをミツキはメモ帳にまとめていく。
チドリがハッと気づいた時はすでに遅く、あらかたの情報を明け渡した後だった。
「な……貴方、そんな事を聞いてどうす……」
「よし。俺も高校に通うか」
二人の言葉は同時だった。チドリの頭にクエスチョンが浮かぶ。
「……は?」
「いやさ。俺、隣の県の高校を辞めたんだよ。この街に来る為に。後で学校に連絡して書類を送ってもらわなくちゃな。転校手続きってどうやんだろうな」
やたらと饒舌に(気持ち悪いくらい)意気揚々と話すミツキを見て、チドリは思う。
(……追っかけとストーカーは紙一重ですよね)
目の前で今にも踊り出さんばかりに浮かれるミツキを見て、まぁこの方が面白そうだし別にいいか、とチドリは結論づけた。自分も実は同じ事をしているという事実には気付かず、いけしゃあしゃあと。
その時、
トイレの鏡の前でメイクを直していた一人の少女が悪寒を感じ、ブルッと震えたとか震えなかったとか。