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[Jan-14.Sut/18:35]
ダッ、と。俺と魔眼使子は同時に駆けだした。目標はもちろん管狐だ。
「とちんなよ」
「誰に言っている」
それだけの短いやり取り。俺達は別に仲間ではなく共闘しているだけの敵同士なので、このくらいが丁度いい。とか何とか考えていると、管狐が俺達めがけて走ってくるのを、左右に飛んで分かれる事で回避する。
――いや、正確には、回避しようとした。
管狐は巨体をものともせずに方向転換し、速度を落とす事なく俺に突っ込んできた。
「いきなり想定外!?」
俺は跳んでかわす事を選んだ。獣は全力で走る際は頭が下がるから、管狐の眉間を蹴りつける様に二段跳躍を果たす。さっきもこれで避けたのだ。
(……そう言えば、二足歩行動物って、旋回する際に全身のバネを駆使して曲がるから、人間では反応できないとかって生物の時間に習ったな)
管狐の背に飛び乗りながら、そんなしょうもない事を思い出す。
ぐにゃりぐにゃりと脈打つ様に蠢く筋肉と降り懸かるとんでもない強風にバランスを崩さない様に、俺は伏せて管狐の銀に輝く毛並みを掴んだ。やはりこの辺りは野生動物と愛玩動物の違いか、毛並みがやたらとサラサラしている。全長一〇メートルの狐を愛玩動物として見なすなら、の話だが。
(……そう言えば、)
ふと思う。
マンガや小説からかじった知識なので、実物を前にしてはかなりの眉唾だが、管狐とは竹筒に住まわせる妖怪だ。つまり管狐を飼っている者がいると言う事になる。コイツが雑木林から出現した時、魔眼使子も誰かがけしかけてきた様な言い方をしていたし。
(……確か、慈愛天使と残虐天使って言ったな。……そいつら何者だ?)
二秒考え、結論つかない事なので俺はこの情報を脳内フォルダに納めておく事にした。特に最優先事項という訳でもないから、A級フォルダに納める。どうでもいい話だが、俺のデスクトップはB級、A級、S級に分けてあり、それぞれの重要度によってフォルダを変えていたり。
(……さて、と)
上に乗っている俺を邪魔者と見なしたのか、ブンブンと身体を振って振り落とそうとする管狐だが、普段からラペリング作業(ロープ伝いにビルの壁を蹴って降下する作業)や二〇キロの装備ないし荷物を持ったまま山岳の道なき道を一〇キロ二〇キロ歩いたりと、明らかに頭悪そうな訓練をやっているせいか結構へばりついていられる。
俺は両足を開いて管狐に固定すると、PDWの銃口を管狐の背中に当てがい、零距離でポイントする。
「For now, die(とりあえず、くたばれ)」
セレクターを前に押し、俺は無茶な体勢にも拘わらず、全自動で速射する。流石に身体の中に一〇発も打ち込めばダメージも多いだろう。
同箇所に一〇発。まるで噴水よろしく血しぶきがまき散らされ、俺は転げる様に管狐の背中から飛び降りた。
完全に動きが止まったのを確認した俺は、地面に仰向けで寝そべりながらPDWを空に向かって掲げる。
「やりぃや、魔眼使子」
「言われなくても」
俺の上を走って飛び越え、勢いを殺さぬ様に着地と同時に袈裟に条乱虎を振るう。斬、と管狐の腹部が裂きながらも、魔眼使子は次々と出鱈目に斬りつけていく。
そう。その太刀筋、足運び、体重移動。どれを取っても見事なまでに『型』というものが存在しない。どう贔屓目に見たって素人だ。
(けど……性能が違いすぎる……)
よく『日本刀は切れ味が鋭く、触れただけで指が落ちる』と表現される事が多く、マンガなどでは人をザクザクと一刀両断しているが、実は日本刀の切れ味自体はそれほど良くはない。刃の構造上、『当て』て『引く』事で初めて斬る事が出来る、その為の弓なり状なのだ。
だが、現に魔眼使子は見事なまでに管狐を斬りつけている。刃に体重を乗せなければ、布一枚裂く事も出来ない筈なのに。
ふわりひらりと身軽に動きながら、魔眼使子は刀を振るう。流石に俺のPDW並の攻撃力はないにしろ、ちまちまとダメージを与えている。
(あんな出鱈目な太刀筋だってのに、どうしてまたあんなにあっさり斬る事が出来るんだ?)
腕力……という訳ではなさそうだ。少なくとも昨夜の殴り合いでは、刀を使っていたにしてはそんなにダメージはなかった。もしかしたら、成人男性以下の腕力かも知れない。
だとすれば刀の切れ味が妖刀並に優れている……というのもナシ。人魚とか管狐とかを前にしてこう言うのもなんだが、妖刀とか信じてられん。……うっさい、何も言うな。
とにかく、今この状況で考えられる結論は一つ。
『黒色霊視』の魔眼。
「おい、紋知槍!見てないで援護しろ援護ッ!」
「おっと。せやったせやった」
考えに没頭しすぎてすっかり忘れていた。
俺はPDWの残弾がまだ三〇発近くある事を確認して、半自動に切り替える。PDWの特殊な給弾機能により、従来の短機関銃より多くの弾薬が装弾できるのが特徴だ。まぁ、俺がPDWを扱う理由としては、その未来的な形状に惚れ込んだからという理由に過ぎないが。ビバ・FN社。
うちの部隊は特殊なので、特に使用火器についての制限はない。
自ら選んだ武器を扱いこなす事で効率性が増すというのなら、それを指摘する必要がないからだ。
スミレは反動が小さいという理由からイスラエル製の短機関銃を使ってるし、カナタは性能重視で七〇〇〇ドル(日本円で約一〇〇万円)のドイツ製狙撃銃を使っている。ミサトに至っては生まれ持った超人的腕力を余す事なく発揮する為に、実用性が皆無なFN社の旧式の突撃銃を使用している。ここまで自由な組織なんて、例えテロ組織でも滅多にない。
「テメェぶっ殺すぞ!?さっさと援護しろっつってんだろうが!」
「あ」
またもや忘れていた。流石に罪悪間を感じ、俺は苦笑いしながらもPDWの光学サイトに目を通す。
管狐との距離は一〇メートルも離れている。それだけ魔眼使子がチョロチョロ動き回っていた、という事だろう。
ひらりゆらりと舞う様に魔眼使子が動くので、どうも管狐に照準が合わせられない。一応、《聖骸槍》での訓練で狙撃の練習もしたが、『集中する』という事が苦手な俺は、成績は悪かった。というか、カナタの狙撃手としての性能が段違いに高い。
(……もし、今この場にいるのがカナタなら、きっと)
考えて、俺はハッとする。無い物ねだりしても仕様がない。人生は、引いては戦場では常に手持ちが少ない。戦場での選択肢は多いに越した事はないが、それでもない物は何かで代用するしかないのだ。何の世界でも、一つの特技に固執して戦うのは愚かな事だと思う。
(……どうして俺は、カナタの真似事なんかしている?出来ない事を無理にやる必要もない。俺は俺にやれる事を考えればいい)
俺の特技は何だ?
(……拳を使う、零距離戦闘)
俺のやるべき事は?
(魔眼使子の援護)
だったらどうする?
(突貫あるのみ!)
笑い、俺は走り出した。
間合いを測定。俺は自らの攻撃範囲である『本間』と、自らの移動範囲である『総間』を概念的に展開しながら、管狐に向かって全力疾走。ピクリとこちらに反応する。
(銃を持って間合いを確認するのは初めてだが、いけるものだな)
というか、『総間』より『本間』の方が圧倒的に広い。あくまで感覚的なものなので正確には分からないが、銃の有効射程全てが『本間』だ。カタログデータで言えば二〇〇メートル程度だが、風がやや強いので今では一五〇メートルと言ったところだろうか。
俺は管狐の前足での攻撃を(奇跡的に)かいくぐり、下に潜り込む。そのまま、傷だらけの腹を見上げながら、発砲。
『クォォオオ……』
管狐の鳴き声と同時に、身体が迫ってきた。足から崩れる様に、力が入らない様に、するりと自然に。
「にょわっ!」
下敷きにされる寸前で、横っ飛び。一瞬遅れて《ズズン》と背筋の凍る音を立て、管狐はまるで『伏せ』をする様に倒れ込んだ。
「上等だ、紋知槍!」
フォン、と着地できなかった俺の上を飛び越え、刀を両手で軽快に握り締めた魔眼使子が叫ぶ。着地した魔眼使子の背中に向かって、親指を立てた。
「我流、二之太刀・兜割り」
真っ直ぐ真上に振り上げ、体重を前方に移動させながらの振り下ろしの一撃が、管狐の首筋に命中した。一気にあっさりと斬り、首と胴体が離反した。
「ヒュ〜♪」
まるで映画の様な光景に、思わず口笛で賞賛する。こんなにあっさりと骨を断つというのは相当な事なのだ。
「またつまら――」
「その言葉はベタ過ぎて引くで?」
「……」
魔眼使子は押し黙った。もしかしたら渾身のギャグのつもりだったのかも知れないが、そんな事は俺の知った事じゃない。
「それにしても……こんなん、死骸どないして処分すんねん」
一〇メートルもの肉片と骨なんて、処分のしようがない。
よくサスペンスドラマでは人間の死体にガソリンを撒いて火をつける焼却隠滅法という方法をとる事があるが、あれは実は現実的ではない。ガソリンがかかった部分だけは確かに焦げるだろうが内蔵や地に接している部分に火が通る事はないので、半身レア半身ウェルダンという奇妙な物体になって仕舞う上、悪臭や煙が凄くてすぐ周囲に気付かれる。
「心配いらない。元々、管狐というのは霊体使魔だ。そのうち――」
魔眼使子が語る途中で、《プシュウ》と炭酸飲料の炭酸が抜ける様な音と共に、管狐の身体から煙がもわもわと立ち上る。傍から見てて異様に奇妙な光景だ。
「あ……周りの血も消えるもんなんやな」
「俺の条乱虎にこびりついた血も消えていくな」
話しながら、互いに近付いていく。
そして、どちらからと言うでもなく、俺達は武器を地面に下ろし、左手を差し出し、
ガッシリと、握手した。
[Jan-14.Sut/18:35]
「……なるほど。貴方達は、神道の魔術師でしたか」
大の字に倒れたまま身動き一つ取れない行灯陰陽が、ボソリと呟く。あちこちが打撲であざになっているにも拘わらず、口元には静かな微笑が浮かんでいる。
「飯綱、言霊、是天地運行……飯綱を出した時点で気付くべきでしたね」
クスリ、と隠す事なく行灯陰陽が嗤う。慈愛天使と残虐天使は、仮面越しでも不機嫌だと分かるくらい険悪な雰囲気を醸し出していた。
現在、行灯陰陽は結界に縛られていた。実体化した文字が、まるで生きた縄の様に行灯陰陽の動きを封じていて、指一本動かせない状態だ。
にも拘わらず。行灯陰陽は嗤う。
正方形と正方形を対角に重ね合わせた様な、八角形の星の様なデザインのラインは仄かに赤く光りながら、行灯陰陽を囲っている。更に星の全ての角に接する様に円が描かれてあり、丁度中央に寝かされている。
にも拘わらず。ニンマリと唇を引き伸ばして、行灯陰陽は嗤う。
「……何がおかしい?」
堪えきれなかったのか、慈愛天使が見下しながら口を開く。行灯陰陽は慈愛天使を見上げ、やはり嗤ったまま告げる。
「あぁ。私、笑ってますか?それは失礼。勝った気になった人にとっては、敗者がヘラヘラと笑っているのはかなりの苦痛ですよね」
言い終わるのが早かったか、慈愛天使が行灯陰陽の頭を、サッカーのPKばりに力強く蹴りつけた。
「どうして!貴様は笑っていられる!?」
激昂する慈愛天使。残虐天使は肩に手を置いて落ち着けようとするが、慈愛天使は手を弾いてなおも蹴り続ける。
どのくらいそうしただろうか。さらにあざだらけになった行灯陰陽は、それでも嗤い続ける。
まるで。勝利を確信した狩人の様に。
「言霊で動きは封じた。是天地運行で魔眼も封じた。だと言うのに!何故!貴様は嗤っていられる!?」
「……あぁ、その事ですか」
分かりきった事を、あたかも今気付いた様に呟く行灯陰陽。
彼女は、紡ぐ。
決定的な言葉を。
勝利を確信して。
「結界破壊」
《ィィィィイン》、と。まるで耳鳴りの様な音が周囲に響きわたり、次の瞬間に、《パリン》とガラスが砕ける様な音と共に、行灯陰陽を縛り付けていた文字の呪縛が、消えた。
「呪詛破壊」
《カチッ》、と。スイッチが切れた様な音と同時に、行灯陰陽は背中のバネを利用して立ち上がると同時に慈愛天使の懐に入り込み、ボディブロウ。呆気にとられていた慈愛天使は反応する暇もなく吹き飛ばされた。
「なっ……」
冷静沈着な残虐天使でさえも茫然自失としていて、行灯陰陽の放つ後ろ回し蹴りに反応する事は出来なかった。
「……まったく。何の為に私が貴女方を左右に吹き飛ばし、近くにナイフを刺したと思っていたのですか?」
そう言われ、二人は立ち上がりながらハッと何かに気付いた。
そう。『二本のナイフ』は、『線を結ぶように』地面に刺さっていて、行灯陰陽はその『線上』にいたのだ。
「見極めるべきは線に在り(ビャバロカイタービャ サルワ ダルマーシュ イズバラ)。陰陽術では特に直線を象った術式が多く、魔法陣もそれに然り。とりあえず直線を結んでいれば、大抵の事が出来る訳ですよ」
パンパン、と砂まみれのコートを叩きながら、行灯陰陽は懇切丁寧に説明し、さらに言葉を続けた。
「大体、神道の術式で陰陽道に敵うとでも、本気で思っているのですか?陰陽術を日本に広めたのは安部清明ですが、発祥は道教、つまり中国。日本文化の殆どが中国の真似である事は知っていますよね?神道の『道』というのは陰陽道の『道』の由来だと言う事も」
ゴクリ、と唾を呑む音が左右からステレオで聞こえてくる。行灯陰陽はコートの内側から、コピー用紙に黒マジックで呪詛を書いただけの呪符を取り出し、
「白虎」
と優しく囁いた。すると、突如としてコピー用紙は霊的な肉を付け始め、一瞬でホワイトタイガーに変質した。
「神道の術式と陰陽道の術式は似通っています。ほぼ同じ術式を扱っている限り、勝敗を分かつのはより一層、魔術の概念を理解している者になります。体術で勝てない貴方達は、魔術合戦で私を倒すしかない。ですが、その魔術も私には通用しない。
……さて、ここで質問です。ここまで言われて、貴方達は、まだ私に勝つつもりでいるんですか?」
返事はない。だがそれは分かりきった事だ。慈愛天使と残虐天使は互いに顔を見合わせ、言葉を発する事なく頷き合う。
「……何が望みだ?」
残虐天使が口を開く。行灯陰陽は、優しく微笑んだ。それは先程までの嗤い方ではなく、ただ純粋な笑い。
「あの男から手を引いて下さい。というか、貴方達が決闘を邪魔する様な無粋な真似をしなければ、交戦するつもりはありません。
私の望みは、あの男に関与しない事。魔眼を持って生まれた人間は、等しく不幸な過去を背負っています。出来ればもう平穏をかき回す様な真似はしないであげて下さい」
「……納得はいかないが、分かった。言う通りにしよう」
「誓えますか?」
「神に誓って」
慈愛天使は本当に納得していない様だったが、残虐天使にその気はないらしい。二人は寄り添う様に手を取り合い、ブン、と羽虫の羽ばたきにも似た奇怪な音と共に虚空に消え去った。
「……さぁ。これで邪魔者は消えましたよ。思う存分、喧嘩しちゃって下さい」
行灯陰陽は白虎を呪符に送還し、回復系の呪符を額に当てがいながら空を仰いだ。
いつの間にか、風は穏やかなものになっていた。