世界の再会
[Jan-14.Sut/15:10]
「俺の目的は、この魔眼を浄化する事だ」
魔眼使子は言った。
「それと、マリアの生命と何の関係が?」
俺は訊ねた。
「あれは、淡水人魚でも海水人魚でもない。文字通り、水陸両用の人魚だ。淡水でも海水でも、変態する事が出来る」
魔眼使子が答えた。
「……人の話を聞け。それと、マリアの生命と、何の関係がある?」
俺は再び訊ねた。
「風の噂程度の話だが、海水人魚と淡水人魚のハーフには、魔を殺す力があると言う。まぁこんなの、NASAの改造人間並の法螺だとは思うがな」
魔眼使子は答えた。
「……その魔眼を消す為だけに、貴様はマリアを殺す、って言うのか?」
俺は問う。
「如何にも。お前には分からないだろうが、これは時々、鋭い痛みを与えてくる。あの時も、そのせいで逃げ出した事を、忘れた訳ではないだろう?」
不敵に笑いながら、魔眼使子が答えた。
「……納得すると思ってるのか?」
俺は問う。
「別に、お前の許可なんて必要ない。俺は俺のやりたい通りにやる。そっちの言い分など知った事か」
魔眼使子は答え、もはや冷めた料理に手を付け始めた。
「あんさんの目的の為だけにマリアを殺すゆうなら、俺はマリアを守るで?」
俺の口調は、普段のものに戻っていた。
「好きにしろ」
ガタタッ。俺と魔眼使子は同時に立ち上がり、それぞれの行き先へと歩きだした。俺は図書館へ、魔眼使子はレジへと。
しばらく無言で歩きながら考えていると、ふと思い立った事がある。
「……しもた〜。魔眼使子に図書館の場所、聞いとくべきやったなぁ」
辺りを見渡す。絶対にこんな場所は通ってないだろ、と断言できる景色が広がっていた。しかも最悪な事に、辺りに人はいない。
「……どこや、ここは?」
知らない土地だった。
[Jan-14.Sut/17:45]
魔眼使子の『魔眼』は、一種の探索機である。
『黒色霊視』。色彩は黒。用途は『魔術回路の導線と構成を見極める』為だけの物だ。北欧神話の最高神オーディンが、ユエルの水を飲んだ際に潰した眼だ、と魔眼使子は聞かされたが、その真偽は定かではない。
魔術の行使に必要な色彩と術式。たかがそれを見破る『だけ』しか出来ない眼が、神の物だとは思えない。
だからこそ、この異常にはいち早く関知した。
ゾクリと背筋を凍らせる殺気。魔眼使子は振り返り、人混みを睨み付ける。
(……いる。どこかに、いる)
あの双子の天使が使う魔術は、人混みであればある程に目立たない。今を狙われれば、恐らく、抵抗すら出来ないだろう。
(せめて、どこか。人気のない場所まで逃げなければ……)
路地裏……は駄目だ。存分に刀を振り回せない。
どこかの建物……も駄目だ。なおさら追い詰められるだけだ。
(……ッあの公園!)
思い立ったが吉日。魔眼使子は身を翻し、全速力で駅に向かって走り出した。
その後を追走する影には、誰も気付かない。
[Jan-14.Sut/18:00]
一度家に帰り、俺はインナーのシャツを洗濯機に入れながら新しい服を取り出し、着る。これでヌメベチョ地獄からはおさらばだ。
服を着替え、鏡の前に立ち、思いに耽る。
(これからはなるべく、マリアから離れないようにしないとな……)
いつ魔眼使子がマリアを襲うか分からない。
学校の間は……マリアにも学校に通わせるしかないだろう。小学校は義務教育だし。マリアが日本国籍を持っていた事はかなり驚いた。
「……まっさか、本当に小学生やからなぁ」
傍から見れば幼女誘拐の上に監禁罪。確実に一五年は檻の中だ。
実は自分はとんでもない事をしているのではないだろうか、と俺が考えていると、マリアが玄関から俺を呼ぶ。俺は早足で向かった。
「悪ぃ悪ぃ。ほな行こか」
[Jan-14.Sut/18:00]
「今日は街の案内、どうもありがとうございました」
私立公園に差し掛かったところでチドリが頭を下げた。カナタとしては大した事をしていないし、むしろ魔術講座はかなり為になった訳で。
(まぁ……だからってランチタイムを過ぎたレストランでの奢りは財政難たる俺の財布に大打撃な訳で)
はぁ、とカナタはため息を吐き、笑ってチドリと別れた。
(……さて、)
チドリがこんな早い時間にカナタと別れたのには理由がある。
耳を澄まし、チドリはニットのセーターの胸元から、方位磁石の様なペンダントを取り出す。
それは、羅針盤だ。色彩は金、術式はサンスクリットの五方位。用途は『あらゆる魔の探索』。
チドリは、コートのポケットから砂の入った小瓶と、幾つかの結び目の出来た注連縄を取り出し、羅針盤のカバーを開けて両方を中に流し込む。
「神聖四文字・ARLT。方角は北の支配者・ウリエル。シンボルである砂によって、我が探し人の在処を示せ」
磁針に注連縄と砂が絡みつき、それはキリキリと南を示す。
「もうこの公園には入り込んだ、か」
念の為に、あらかじめこの公園に空間切断の魔術を施しておいて正解だった、とチドリは思う。
トットットッ、と。チドリはステップを踏み、次の瞬間にはフッと虚空に掻き消えた。
[Jan-14.Sut/18:10]
苦無が飛来し、魔眼使子は条乱虎でたたき落とす。走りながら刀を振り回すのはかなり体力を使うので、魔眼使子は肩で息をしながら疾走する。実は二駅分走ってきたのだ。
ヒュルル……。と大気を裂く音が聞こえ、魔眼使子は刀を振るって飛来する手裏剣を弾く。まるで忍者だ。
「ッ、出てこい!さっきから何をコソコソしている!?二人がかりなんだ、かかってこい!」
気配のする方角に魔眼使子が走り出した瞬間、反対側からの攻撃が来て、そちらを対処している内に気配は消えていた。
そのバイタルをずっと繰り返していた魔眼使子は、不意に、二人の天使の気配が消えた事に気付いた。訝しんでいると、別の方向から足音が聞こえてきた。
「……一般人、か?」
チッ、と魔眼使子は舌打ちし、鞘に刀を納めながら、どこに隠すべきかを考えた。
[Jan-14.Sut/18:15]
キン、チン、カキン。
金属音が響く。普段、日常生活をする分には聞かない、異質な音が。
「……何や?」
「何で、しょうね」
俺とマリアは、街への近道として公園を歩いていた。食事に行こうとしていた訳だが、こんな不吉効果音を聞いたからには足を止め、あまつさえ足を向けるしかない。
やめときゃいいのに。
音のした方向に行くと、そこには竹刀袋に条乱虎を納めていた魔眼使子がいた。かなり慌てているらしく、柄頭がばっちりと見えている。
「……あ、」
「……ぁ〜」
「……あらまぁ」
俺、マリア、魔眼使子の三人は、固まる。何だかやたらと寒い空気が流れる。
「……え、」
「え?」
「水陸歌姫!その首もらったぁ!」
鞘に刀を納めたまま、魔眼使子が殴りかかってきた。俺はすかさず間に割って入り、コートの内側に隠していた、愛用の短機関銃用のフラッシュサプレッサーで受け止める。《ガギィン》という甲高い音が耳に騒ぐ。
「ハッ、ハハ……いきなり、せっかちなやっちゃなぁ。予想はしてたけど」
「うるさい。今度は逃がしはしない。……もっとも、魔眼が暴走するかどうかでそれも変わるがな」
ギリギリギリギリ、と俺は押される。当然だ。相手は刀なのだから、重量がある。
俺は両手でサプレッサーを持ったまま、隙だらけだった魔眼使子の腹を、穿つ様に蹴り上げる。が、インパクト時に後ろに飛ばれたらしく、ダメージはゼロだ。
「今回は、ちぃと手加減はせぇへんで。悪いけど、殺す気でかかるわ」
「ハッ。最初からそのつもりの分際で、何を『今までは本気出してませんでした』みたいな事を言ってやがる?」
「いやいや。マジやって」
俺はナチュラルに笑いながら、コートの内側から『本気の証』を取り出した。魔眼使子の表情が青ざめる。
「……本物?」
「ベルギー製の、高性能短機関銃。PDW(個人防衛兵器)なんて呼ばれたりもするけど、これは明らかに特殊部隊に向いててな。ってか俺、この会社めっちゃ好きやねん」
「そんな事は聞いていない。……それ、マジで本物?」
俺は答えず、取り出したPDWの銃口にフラッシュサプレッサー(サイレンサーとしての効果もある)を装着し、安全装置を下ろしコッキングレバーを引き、魔眼使子の足下めがけて半自動で発砲。《ビヒュッ》と地面が爆ぜ、抉れた。
「……嘘ぉ」
「あらまぁ」
魔眼使子とマリアが同時に困惑する中、俺は黒革のグローブをはめながら、
嗤う。
「自己紹介……まだやったなぁ」
どうしてだろう。胸が高鳴る。膝が震える。嗤いがこみ上げてくる。
「俺は陸上自衛隊特殊部隊《聖骸槍》の迎撃手、紋知槍……アンタの右目の持ち主の槍な男や」
北欧神話の最高神オーディンは、全知を得る為に、ユエルの水を飲み、右目を槍で潰した。
「……さぁ。やり合おうか、兄弟」
きっと、この懐かしい感覚は、武者震いって奴だ。
[Jan-14.Sut/18:15]
「……どうする?」
「第三者の介入……予想外の展開になってきたな」
双子の天使、慈愛天使と残虐天使は雑木林からランニングコースに飛び出した。ここは魔眼使子や、彼と対峙する謎の少年がいる場所とは真逆の方角だ。
「どうする?あれは一般人ではないにしろ、あまり人目につくのはまずい」
「あぁ。……始末するしかないだろうな」
二人はそう結論づけ、再び雑木林に飛び込もうとした。
――が。
何の前触れもなく残虐天使の頭が後ろに弾かれ、《ゴギンッ》という鈍い音が響き、身体が爆発に巻き込まれたかの如く吹き飛んだ。
「――」
その場に残された慈愛天使が何かを呟く前に、《ゴボッ》という音と同時に、身体をくの字に曲げて吹き飛び、街灯に背中を打ちつけて止まった。
「なん、」
「だと?」
ザキュキュキュキュキュキュキュ!
二人の目の前の道に、けたたましいブレーキ音と激しい砂埃が飛び交い、舞い散る。
その中心に、小さな影が一つ。
「まったく……男同士の決闘に水を差そうとは、無粋な真似はやめなさい」
影が甘く優しく、そして何より力強く囁く。
砂埃は強風に流され、やがて影が見え始めた。
身長は一四〇センチ前後と小柄。ナチュラルな茶髪は長く、右で全て束ねてあり、左目には眼帯が当てられている。
「……貴様は、」
「行灯陰陽」
そこには、一人の少女の姿があった。
それは。日常を生きる女子高生、癸 チドリではなく。
それは。裏の世界に住む魔術師、行灯陰陽だった。
髪を結んだ方、慈愛天使はジャケットのポケットから一つの竹筒を取り出した。それは長さ一〇センチ程度の筒だ。
「……管狐」
キュポン、とコミカルな音を立て、筒の蓋を外す。すると中から、体長一〇メートルはあろう、巨大な管狐が飛び出し、行灯陰陽が反応する前に雑木林に駆けていった。
「……無粋な方達ですね、本当に」
前髪を《クシャリ》とかき上げながら、行灯陰陽が呟く。
「あの魔眼使いは、境遇が私と似ているせいか、共感できるんですよ。魔眼を持つ者は等しく、不遇を生きる。私は癸のある家系に拾われただけマシかも知れませんがね」
行灯陰陽はおもむろに眼帯を外し、開く。瞳孔を中心に右回りに螺旋を描いた、自然にも人造にもあり得ない、奇妙な眼光を放つ。
「貴女達は、何者ですか?」
口端を歪めて嗤いながら、行灯陰陽は二人に歩み寄る。
慈愛天使と残虐天使は立ち上がり、身構える。二人の手首にはそれぞれ、勾玉がブレスレットとして着けられていた。
「……慈愛天使」
「……残虐天使」
天使の名前を聞いた行灯陰陽は、優しく微笑む。
「カバラの樹を司る天使……素敵な名前ですね」
スラリと。行灯陰陽はコートの内側からナイフを取り出し、仁王立ちする。
「……貴女方は。少しは楽しませてくれますか?」
空は、深淵に暮れ始めていた。
それぞれの戦いが始まる。
守りたい人を守る為に戦う者、自らを苦しめる呪いを解く為に戦う者、理想を叶える為に戦う者、己の道を迷わずに進む者を助ける者。
人は自分だけの信念を胸に抱き、自らの敵と戦う。ただそれだけの話。
お話は、最後の戦いを迎える。そして戦いは、終止符を迎える。
それだけの話。