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第3話

 ベアトリスの父──現当主の寝室は、屋敷の中でも一等豪奢な部屋だ。日当たりのいい場所に作られ、今は午後の日差しがやわらかく室内を照らしている。

 家政婦長のノーラが、何くれとなく病身の当主の世話をしている。


「お父様。お初にお目にかかります。ベアトリスでございます」


 肺を病んでいるという当主は──娘にちらりと視線をやると、細いため息をついた。恐らく些細な動作でも疲労を感じるのだろう。


「お前か……。母の顔も覚えていないが、母親似なのだろうな」


「はい」


 ベアトリスの表情は動かない。


「お父様、ご安心下さい。ブルフォード家は私が継ぎます。子を成して、次代にもこの家を──」


「ならん」


 父親の重くしわがれた声が部屋に響いた。


「ならん。ベアトリスとやら。確かにお前には、この家の後を任せる。しかし、当主として子を成すことは、ならん。ブルフォードは、お前の代で……断絶せよ」


「それは私が、私生児だからですか?」


「……若き日の恥と失敗だ、お前は。我が身がこのような有り様でさえなければ、お前など近づけさせなかったものを」


 ベアトリスへの手酷い拒絶の言葉に、室内の空気は凍りついた。衣ずれの音ひとつ聞こえない静寂をまるで気にしていないかのように、当主は言葉を継ぐ。



「いつか結婚して子を成したければ、好きにするがいい。ただし、先にこの家を畳め。必ず」


「……承知いたしました。このベアトリス、お父様の後始末だけをお引き受けいたしましょう」


 それが、父と娘が交わした、唯一の会話となった。


 父親の死後、法的にも効力のある遺言書には、「ブルフォード家はベアトリスの代で断絶すること」と、念を押すように記されていた。




 数ヶ月後。父親の葬儀が終わり、ベアトリスがつつがなく子爵家当主の座を継いで、数週間が経った。

 ある日の業務後のキッチンでは、ヒューゴとノーラが紅茶を片手に、使用人用のテーブルで話をしていた。とうに日は落ち、メイドたちは自室へ引き上げている。一本のろうそくだけが静かに辺りを照らしていた。



「お嬢様は、大変勤勉なお方ですね」


「そうですね。聡明でもいらっしゃるし」


「あの方がいらっしゃれば、この家も安泰と言いたいところですが……」



 ブルフォード家の存続がもはや叶わないことを、二人は知ってしまっている。

 ノーラは、意を決したように話し始めた。



「ご葬儀の日に……お嬢様は、帰りの馬車で、熱を出されたのです」


「何と。そのような話は聞いておりませんが……」


「はい。馬車の中でお嬢様は、お屋敷に着くまでに治るからと。もちろん鵜呑みにはいたしませんでした。でも、着いたら本当に治っていたのです……。その日一日細心の注意を払っておりましたが、お熱がぶり返した様子はありませんでした。お嬢様は、そのまま、執務に向かわれて……」


 そこでノーラは堪えきれなくなったように大粒の涙をこぼした。



「まだ、あんなにお若いのに……!」


 ノーラは涙を拭う余裕もなく顔を覆って嘆いた。ヒューゴはそっとハンカチを差し出す。その目にももらい涙がかすかに光っていた。



 生まれ育った場所から突然連れてこられ、子爵家の後始末を押しつけられた少女。書類上では認知されても、実質的には父から我が子とは認められなかった少女。

 ベアトリスはここに来てからずっと、文句も弱音も言わずに働いている。そんなベアトリスに、ノーラとヒューゴは哀れみを禁じ得なかった。




「書類はここまでかしら?」


 ベアトリスがそう声をかけると、ヒューゴは、はい、と一言、端正な声で答えた。


「そう。さすがに長時間の作業は堪えるわね」


 頭がくたくたに疲れ切っていた。目をもむと、そばに控えていたノーラがすぐにお茶とお湯をお持ちしましょう、と言って部屋を出ていった。


 ベアトリスは今しがた、山積みになっていた書類を片付けたところだ。

 領地内の視察に行って現状を直に知ることができれば、この数字の羅列がもう少し意味を持って見えてくるのに、と思うと歯がゆい。しかし、先代の残した仕事を取り急ぎ片付けるまでは、そんな余裕もないのが現状だ。その次には自分の身請け金を補填するための仕事が待っている。



 災害の少ない土地ということもあり、歴史の長いブルフォード家には、代々貯蓄してきた財産がある。すぐに首が回らなくなるわけではないが、補填しないわけにもいかない。それほどに身請け金は莫大な金額だったのだ。


 補填のためには事業を一時的に拡大しなければならない。そして事業拡大のためには、今の出資者に更なる投資を請うか、新たな出資者を見つけるかしなければならない。


 新たな出資の話というものは、とかくリスキーだ。ベアトリスもそれをよく理解しているため、最近は出資者を募るための資料作りにも力を入れている。

 根を詰めている自覚はあった。



 ノーラがワゴンを押して部屋に戻ってくる。ワゴンの上には、いつもの紅茶と、いつも以上に様々な茶菓子。それから、ほかほかと湯気の立ち上るたらいが載っていた。

 ノーラが清潔なタオルをたらいの湯に浸してぎゅっと絞り、ベアトリスのほうへやって来る。



「お嬢様、失礼いたします。このタオルで、目のあたりを温めて下さいませ」


「うん……」


 目を閉じて、程よく温められたタオルをのせてもらうと、腹から深いため息が漏れた。


「目が気持ちいい……」


「ええ、ええ。お嬢様はいつも本当に、よく働いていらっしゃいますから」


「このまま、少し眠っても、いいかしら……」


「それでしたら寝室に……あら」



 返事の間に、ベアトリスは眠りに落ちていた。



「お嬢様が目を覚まされたら、私がお知らせに参りますから、ヒューゴさんはどうぞお仕事を続けて下さい」


「ありがとうございます。では私は執務室におります」


 男性であるヒューゴをさりげなく部屋から出しつつ、ノーラはずっと、ベアトリスが起きるまで、その背を見守り続けていた。


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