8、オンラインお話し会
それから結の推し活が始まった。
結はすぐに親に頼み込んでPlantsのファンクラブに入った。勿論費用は自分のお年玉や小遣いから捻出した。
PlantsのファンはPlanterというファンネームで呼ばれるらしく、こうして結は早々にPlanterの仲間入りを果たした。
とはいえ結は受験生のため、あくまでファンクラブに入るのみで、ライブに行ったりテレビ番組を観たりするのは断腸の思いで控えた。
何日か経つと、ファンクラブ入会特典で、Plantsのロゴ入りのエコバッグが届いた。結は塾に通う際にお弁当等の手荷物を入れて使うことにした。
京人からのプレゼントでもないのに、京人のグループのグッズを持っているというだけで、御守りのように力が貰える気がした。
初めてそのエコバッグを携えて行った塾の帰り道、結はいつも通り一翔と帰路を歩いていた。
ここ数日は寒さが特に厳しく、いつもは犬の散歩をする人がちらほら歩いているが、今日は全く人出がない。
静まり返った住宅街の一本道を2人で歩いていると、ふと一翔が結の真新しいエコバッグを見て言った。
「あの人、アイドルだったんだね。」
「えっ…」
一翔が言う「あの人」は十中八九、京人のことだろう。一翔は一度だけ京人と会ったことがある。覚えていても不思議ではない。
結はとっさに上手い言葉が出なかった。
すると、一翔は結のエコバッグを指差した。
「それ、グッズなんでしょ?」
結は嘘をつく訳にも行かず、正直に話した。
「…そうなの。これ、ファンクラブの会員特典なんだ。」
「ふーん。」
一翔は自分で聞いておきながら、心底どうでもよさそうに相槌を打った。
京人が小学校を卒業してから既に数年が経つためか、小学校では意外にもバレていない様子だったが、やはり最近会った人には分かるらしい。
このままだと、自宅が特定されてファンが押し寄せたりするのではないかと結は心配になった。
「一翔君、京人君のこと誰かに話した?」
「いや、言ってない。」
そう聞いて、結はホッと胸をなで下ろした。
「それなら、誰にも言わないでおいて貰えないかな?家とかバレると大変だと思うんだ。」
「分かった。」
一翔は頷いた。多分一翔は約束通り誰にも言わない気がした。
「ありがとう。」
結は一翔にお礼を言った。
「ところで、志望校決めた?」
一翔は、京人の話題はお終いだとばかりに、唐突に話題を変えた。結がこれ以上京人のことを聞かれるのを恐れていると察したようだった。
一翔は決して口数は多くないし愛想もないが、相手の好むことや嫌がることを敏感に察知して、場の空気を整えるのに長けていた。だからこそ一緒にいて居心地が良い。
結は京人のことをどこまで話して良いのか判断がつかず、内心ではこれ以上京人のことを聞かないでほしいと思っていたので、話題を変えた一翔に感謝した。
「私はもう志望校決めたよ!明応大の付属か法令大の付属校。」
「どっちも偏差値すごい高いじゃん!なんで?」
一翔は、信じられないという顔で結を見ている。
「高校生になったらバイトしたいから。それに大学までエスカレーターだと受験勉強に時間を取られずに好きなことができるかなって。」
結は京人を推すと決めてから、推し活にはお金がかかることを知った。
ファンクラブの料金、ライブのチケット代、グッズ代、有料チャンネルの視聴料等々、挙げ出したらキリがない。
お年玉や両親からの小遣いで払うこともできるが、それでは自分が応援したことにならないのではないかと思っていた。
結は、高校生になったらバイトをして、自分で稼いだお金で京人のライブに行ってみたいと考えていた。
それに推し活には時間もかかる。京人が出演するテレビ番組を観たり、ライブに行くとそれだけで自由時間が終わってしまいそうだ。受験勉強などしている場合ではない。
となると、受験勉強に時間を取られずに大学までエスカレーター式で進学できる学校。それが結にとっての最適解だった。
「なるほどね。」
一翔は迷いが晴れたようなスッキリとしたような顔をしていた。
「あと、どっちも時間はかかるけど、電車で乗り換えなしで行けるし!移動中に寝れる!」
「ははっ、確かに。それ大事だよな。」
一翔にも宣言した以上、絶対に志望校に落ちるわけにはいかない。俄然、結はやる気に満ちていた。
ーーー
数カ月後。
また恒例のバレンタインデーがやってきた。ただ、今年は今までとは状況が全く違う。
京人はただの「京人君」ではなく、「アイドルの榎本京人」になってしまった。
結は、京人にチョコを渡してもいいものか迷っていた。そもそも、京人がまだこのマンションに住んでいるのかさえも分からない。
芸能人といえば都内の高級マンションに住んでいるイメージがあるし、家を出て一人暮らしをしているのではないのか。
しかも、京人の所属事務所ではアイドルにチョコを渡すことを禁止しているらしい。どうやら、以前一つのグループに対してトラック数台分のチョコが届き大変だったらしい。
となると、自分だけ京人にチョコを渡すのも抜け駆けのようで気が引ける。
だが、京人には訊きたいことが沢山ある。連絡先を知らない以上、手紙で訊くならこのタイミングしかない。
それに、毎年あげると約束したのに、アイドルになったからといって一方的に反故にするのは違うような気がした。
結局結は例年通り京人にチョコを渡すことにした。
本当なら心がこもった手作りのものを渡したい気持ちもあったが、賞味期限が短いものは避けたほうがいいだろう、と判断した。
結局チョコは市販のものにすることにしたが、京人に少しでも自分の思いが伝わってほしい、と結は特別なものを用意した。
「ちょっと結!京人君の今年のチョコ、本当にこれでいいの?!」
結の母も困惑している。親心としてはもっと高級なものを渡してほしい気持ちもあるのだろう。
「いいの!これで。」
結が用意したのは京人と初めて話した日に一緒に食べた棒状のチョコだった。
初めて話したあの日から、変わらない自分の思いが京人に伝わるといい。好きの形は少し変わったかもしれないが、京人が何になっても、昔みたいに会えなくても、自分は変わらない。その思いを伝えたかった。
そして、例年通りに手紙と一緒に紙袋に入れて、結は京人の家の玄関のドアに掛けた。
結は今年の手紙には「だいすき!」を書かなかった。チョコを見てもらえれば、きっと自分の思いは伝わるし、本命の「だいすき!」は伝えるべきではないと思っていた。
その代わりに、デビューのお祝いのメッセージと来年受験することを書いた。訊きたいことは多すぎて、結局何も書けなかった。
今年からは、もう京人からホワイトデーのお返しは来ないかもしれないと結は思った。
ーーー
1ヶ月後のホワイトデー。
結が予想していた通り、京人からのお返しは来なかった。
そもそも、まだ実家に住んでいるのかどうかさえ分からないのだから当然だ。
もしかしたら結のバレンタインデーのプレゼントも京人は受け取っていないのかもしれない。
結は残念には思ったが、事前に覚悟していたからこそ冷静に受け止めていた。
学校と塾の宿題を終え、夜10時を過ぎて漸く結は自室のベッドに潜り込んだ。
(なんか、疲れたなあ。)
結が目を閉じると、子守唄のようになっちゃんの失恋ソングが頭の中で流れた。
すると、リビングから母の話し声が聞こえ、急にドタドタという足音が結の部屋に向かっているのが聞こえた。
ドンドンと結の部屋のドアを叩く音とともに、母に大きな声で呼ばれた。
「結!起きてる?!」
「え、何?」
母はガチャリとドアを開けると、結に向かって自分のスマートフォンを差し出した。
「電話よ!!京人君から!」
「えぇ!?」
結は転がり落ちそうな勢いで、慌ててベッドから飛び降りた。
思えば、さっきのなっちゃんの失恋ソングは母のスマートフォンの着信メロディだった。
結は慌ててスマートフォンを受け取ると、耳に当てた。
「もっ、もしもし?」
恐る恐る電話に出ると、拍子抜けするような呑気な声が聞こえてきた。
「あっ、もしもし結ちゃん?夜遅くにごめんね。京人だよ。」
「ちょっ…えぇ?!何で?!」
電話が掛かってきたのも驚きだが、どうして結の母に掛けてきたのかも謎だった。そもそも、どこで番号を知ったのか。眠りかけていた結の思考回路は完全にショートしていた。
「ごめんね、母さんに結ちゃんのお母さんの電話番号を教えてもらったんだ。ダメ元で聞いてみたら、前に中学受験のことで話した時に連絡先を交換した、って母さんが言ってたよ。」
言われてみれば、中学受験のことを彼女に色々教えてもらった時に、彼女は結の母と連絡先を交換していた。
「あ、確かに。…ていうか!今どこにいるの?電話してて大丈夫なの?」
「大丈夫。今、家に帰って来たところだよ。仕事があって遅くなっちゃってごめんね。」
「それはいいんだけど…」
こんな遅い時間まで働いていたなんて、大丈夫なのだろうか。結は心配になったが言葉を飲み込んだ。
「ごめん!ホワイトデーのプレゼント、どうしても結ちゃんに渡したいものがあるんだけど、まだ買いに行けてなくて。もしかしたら何か月後とか…遅くなっちゃうかもしれないけど、待っててほしいんだ。」
「そのためにわざわざ電話くれたの?」
「…うん。結ちゃん心配するかなって。」
「ありがとう。」
「あと、バレンタインのチョコもありがとう。0個じゃなくて良かったよ。」
もう結が渡さなくたって0個なはずがないのに、と結は思った。
「プレゼントなんて大丈夫だから。気にしないで。京人君が元気なら、それでいいの。」
自分で言っておきながら、親戚のお婆ちゃんのようなことを言っているな、と恥ずかしくなった。
「そんな訳にいかないよ。今年は大事な年だからね。とにかく待ってて。」
大事な年?何故?と、結は不思議に思ったが、長話をしたら申し訳ないと思い、尋ねなかった。
「分かった。ありがとう。」
「でも、当日に何もないのは申し訳ないな…。そうだ!なっちゃんの歌でも歌おうか?」
「いや、それは大丈夫だから!」
結は思わず全力で遠慮してしまった。即興のプレゼントが予想の斜め上すぎて、結は気が抜けてきた。
「ははは!そう?」
だよね!とでも言いたげに京人は笑った。
「京人君、絶対分かってて聞いてるでしょ?」
「バレた?あ、あと今掛けてるのが僕の電話番号だから。もし結ちゃんスマホ持ってたら登録しておいてくれないかな。」
「いいの?…分かった。やってみる。」
結は塾に行く時のために一応キッズ携帯を持っているが、殆ど使っていないので、使い方がよく分からない。
はっきり言って機械音痴な結だが、ここは頑張るしかない。
「ありがと。じゃあ、おやすみ結ちゃん。」
「うん、おやすみ。」
結は自分からは電話を切る気になれず、京人が切るのを待っていると、すぐにブツッ!という音とともに電話が切れた。
(すぐ切れちゃった。やっぱり忙しいんだろうな。…今のは現実?)
結は母のスマホを握りしめたまま、呆然としていた。
「電話、終わったの?京人君、何だって?」
結の母が遠慮がちに聞いてきた。
「あっ!電話番号!」
結は我に返り、慌てて母に操作方法を教えて貰い、無事京人の電話番号を登録することに成功した。




