1、プロローグ
「キャーーー!京人ーー!」
「こっち向いてーー!」
ライブ会場中に響き渡る数万人分の熱い声援を受けて、ステージ上で爽やかな笑顔を振りまく彼。
彼の艷やかな黒髪は汗にしっとりと濡れて、まるで風呂上がりかのような色気を醸し出している。
遥か遠いステージの上で彼は忙しなく四方八方を駆け回りながら歌を歌い、キレの良いダンスを惜しみなく披露している。
私の年上の幼馴染は、いつの間にか皆の王子様になっていました。
ーーー
「桜井さん、ちょっといいかしら。」
業界最大手の結婚相談所キープオンで働く結は、出社早々に営業所長に呼び止められた。
「はい!」
慌ててコートを脱ぎ、バッグと一緒に自席の机に置く。
いつもは更衣室のハンガーにコートをかけているが、渋々諦めた。
営業所長は綺麗な黒髪のロングヘアーを靡かせて、高いヒールをコツコツと鳴らし、会議室の方に向かっている。結も慌てて彼女を追いかけた。
この結婚相談所では、稀に地雷のような相談者が訪れることがある。
そんな時は、担当者がこうして営業所長から直々に呼び出されるのだ。
結は、今担当している相談者でトラブルを起こしそうな人がいないか思い起こしながら、これから聞く話がどうか良い話であるよう密かに祈る。
就職から7年も経てば、こういう時の話が余程良い話か悪い話のどちらかであることは簡単に予想がつく。
会議室に入ると、営業所長は急いでドアを閉め、更に鍵も閉めた。余程他人に聞かれたくない話らしい。
社内では通常、会議室の鍵を閉めないのが暗黙のルールになっており、余程のことでもない限り、鍵を閉めることはない。
これは相当な問題が起きたのでは、と内心で身構える。
「大変なことになったわ。」
営業所長はため息をつきながら席に着いた。
「長くなるから、まあ座って。」
彼女に促されるまま、結も対面の席に腰掛けた。
「何があったんですか?」
会議室の外には聞こえないと分かりつつ、結はつい声を潜めて訊ねた。
「実は昨晩、あなた指名で芸能人のかたから電話で依頼が入ったの。」
どうやら、良い話だったようで安堵する。
「ありがとうございます、ご指名嬉しいです。」
結は担当する相談者の成婚数が3年連続で社内トップだった。
最近では、自社のSNSに広告塔として出演したり、雑誌等外部のメディアからの取材も受けており、今回のように指名での依頼が来ることも多い。
「ちなみに、どういうかたでしょうか?」
この結婚相談所は業界最大手なので、芸能人が相談に来ることも珍しくない。
そもそも芸能人と言っても、売れない芸人や地下アイドルまで入れたらキリがないほどいるので、名前を言われても分からないことが多い。
もし出演作等があれば、本人に会うまでにある程度はチェックしておきたい。
もちろん、お相手を探す際のアピールポイントとして使うためだ。
「どういうかたも何も、あの榎本京人よ!」
「…え?」
榎本京人は、誰もが知る3人組の人気男性アイドルグループ「Plants」のリーダーで、俳優としても数多くの作品に出演している。
数年前の「Plants」の5大ドームツアーでは観客を数百万人も動員し話題になっていた。
最早この国で彼等を知らない人はいないのではないかという人気ぶりだが、だからこそ疑問に感じてしまう。
「本当に、本人なんでしょうか?」
飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍する彼等は、来年には周年ツアーを控えているはずだ。
最近のニュースでは、Plantsのツアー日程は既にホテルの予約が埋まっていることや、開催日が被った他のイベントが日程変更を余儀なくされる等、各地での影響が連日報じられている。
もし本人だとしたら、このタイミングで結婚を望むだろうか?
営業所長は結の目を真っ直ぐ見て頷いた。
「確かに、本人かどうかは会ってみないと分からない。でも、少なくとも私は本人で間違いないと思っているわ。」
どうやら彼女は確証を持っているようだ。
「どうして本人だと思ったんですか?」
彼女は一瞬下を向いて沈黙した後、結を見て半ばやけくそのように答えた。
「勘よ!」
ズコーーッ!
昭和の芸人ならきっと盛大に転げている。
結は転がるわけにもいかず、一瞬頭を過ぎった昭和の芸人の姿を必死で追い払う。
「勘ですか…」
結の若干がっかりした様子を察したのか、彼女は空気を変えるために、わざとらしい咳払いをした。
「ともかく!本人かどうか分からない以上、本人だと仮定して万全の用意をしておくわよ。そのために今、あなたを呼んだんだから。」
急にいつもの真面目な営業所長の顔に戻った彼女を見て、結も姿勢を正した。
「はい!」
結の元気な返事を見て、彼女はくすっと笑った。
「良い返事ね。ということは、担当として引き受けてもらえると思っていいのかしら?」
「勿論です!ご成婚いただけるよう全力を尽くします。」
誰であろうと、自分が担当する相手に幸せになってもらいたい気持ちに変わりはない。
結の決意を感じ取ったのか、営業所長は心底安心したように微笑んだ。
「ありがとう、安心したわ。」
結は早速、頭の中で具体的に準備が必要なことをシュミレーションして、ふと訊ねる。
「ところで肝心の榎本さんは、いついらっしゃるんですか?」
彼をテレビで見ない日がないので、相当忙しいはずだ。もし実際に本人である場合、そもそも来社するような時間はあるのだろうか?
「明日の定時後よ。」
彼女は、さも当然かのようにしれっと答えた。
「明日ですか?!」
その瞬間に、結の今日と明日の残業が確定した。
だが、担当すると宣言した以上はやるしかない。
「分かりました、万全の態勢で臨みます。」
それを聞いた彼女は満足気に頷いた。
「ありがとう。急な話で申し訳ないけど、よろしくね。勿論、他言無用でお願いね。」
その後、営業所長と結は榎本京人の来社に備えて、彼が来る際の警備や通行ルート、明日話す内容等詳細について、ひっそりと打ち合わせを重ねた。
ーーー
そして迎えた当日。
誰もいなくなった営業所内は、しんと静まり返っている。
榎本京人本人が来た場合に備えて、営業所長が社員を全員定時で帰らせたからだ。
これから来る自称・榎本京人を出迎えるため、結は営業所の入口に立った。
営業所長は地下の駐車場まで彼を迎えに行っている。
この営業所は2階だが、今回は人目を避けるため、通常のエレベーターは使わずに、地下にある駐車場から社員専用のエレベーターで来てもらう手筈になっている。
社員専用のエレベーターを使うためには社員証が必要になるため、営業所長が直々に迎えに行くことになった。
相手が本物の榎本京人ならいざ知らず、自分の事をアイドルだと思い込んでいるヤバイ人が来た場合、大変危険だ。
結は何度も自分が迎えに行くと言ったのだが、肝心の営業所長に「どうしても確認したいことがあるから」と、頑なに固辞されてしまい、結局、結は営業所で待つことになってしまった。
営業所長は、彼を迎えに出る際、入口まで同行した結をちらっと見て、「ストーカーとかいないわよね…」と不安気に呟いていた。
結たち社員から鬼のように恐れられている営業所長と言えど、ストーカー化したファンが何十人と押し寄せたら太刀打ちできないだろう。
5人くらいならなんとかしそうな気もするが。
まさか「営業所長なら全然大丈夫ですよ!」などと言うわけにもいかず、「いたとしても、さすがにこんな所まで追ってこないと思いますよ」と無難なフォローしかできなかった。
(そろそろ時間だ…)
廊下からコツコツと2人分の足音が聞こえてきて、営業所の前で止まった。
営業所長に案内されてやって来たのは、背が高くスラッとした男性だった。
黒いキャップを深々と被り、黒縁の眼鏡に黒いマスクをして黒のコートを羽織っている。
服装だけ見れば、とにかく黒すぎるし地味としか言いようがないのに、圧倒的にスタイルが良く、一般人でないことは一目瞭然だった。
結は丁寧に深々と頭を下げた。
「本日担当させていただきます、桜井と申します。よろしくお願いいたします。」
彼も帽子を取り、深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします、榎本です。」
帽子を取った彼は、どこからどう見ても本人だった。
(やっぱり京人君だった…)
彼と目が合った瞬間、結の胸で複雑な思いが交差する。
(会えて嬉しい…でも、他の人であって欲しかった。)
だって彼は、結の初恋の相手で、長年の推しなのだからーー。




