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東京都立祓除高等専修学校  作者: まどか
1/1

1.鬼姫

 鬼頭小夜子(きとうさよこ)はこの世で一番幸せな少女だった。

 まず、彼女は美しかった。

 年頃の少女なら誰もが羨望の眼差しを向ける黒紫の艶のある髪が、扇のように肩を流れ、溢れ落ちそうなほど大きな瞳は真っ赤なルビーのようにきらきらと輝いていた。

 色艶の良いスモモのような頬は、幼さの残った顔に天然の化粧を施し、ふっくらとした小さな唇は真っ赤に燃えた椿の花弁のようだった。

 なだらかな輪郭の下には、すらりとした首筋があり、小さく華奢な肩はういういしい丸みを帯びていた。

 子鹿のようにほっそりとした体つきの小夜子は、立ち振る舞いも美しかった。

 彼女の仕草には猫のような科があり、人々がうっとりと眺めるような優美さと、反面、花開く前の未熟な蕾の状態にも関わらず、どこか匂い立つような色気があった。

 また、小夜子は莫大な金持ちであり、同族達が無視し得ない高い地位もあった。

 少女は生まれてから、彼女が欲するすべての物を与えられて来た。

 彼女は数多くの人々から尊ばれ、誰しもが彼女を敬い讃えた。

 少女には両親がいなかったが、育ての親とも言える従者の男から、掌中の珠の様に慈しまれ、大切に育てられてきた。

 従者である大嶽丸(おおたけまる)はどこまでも小夜子を愛した。

 小夜子に似合うからと沢山の美しい着物や、帯留、髪飾りを買い与えてくれた。

 彼はいつも小夜子の言葉に耳を傾け、一度として彼女を否定したことがなかった。彼は教育に関しては小夜子に厳しかったが、それ以外はとてもやさしかった。

 小夜子は幸せだ、ということについて疑う余地はない。

 彼女が愛する者から愛され、彼女の目の届くところに嫌なものは何もなかった。

 母親の子宮で眠る胎児のように、飢えや死への恐怖、愛する人の裏切り、誰かからの虐め、失敗による挫折、自分よりもすぐれた人への嫉妬、そのすべてが彼女とは無縁だった。

 何不自由のない世界で鬼頭小夜子は生きていた。

 しかし、彼女はそんな素晴らしく完璧な世界に倦厭(けんえん)していた。

 彼女にとって満ち足りた状態の毎日は酷く退屈なものでしかなく、過剰なほど供給される愛と平和な日々は、満足感と幸福感から、次第に色褪せた物へと形を変えていった。

 全裸の少女と反対にきちんと寝衣に身を包んだ男が、ひとつの布団の中で身を寄せ合い、お互いの温もりを分かちあっていた。

 逞しい男の腕の中に包まれた少女は、白く小さな両手で男の胸元の夜着を握り、その丸い額を彼の厚い胸元へ埋めていた。

 少女が小さく呼吸をする度に男の胸元は、しっとりと熱く濡れ、それに合わせるように、男は彼女の頭を慈しむように撫でている。

 薄暗い部屋の中は、行灯の明かりひとつ灯ってはいなかったが、障子からのぞく青白い月明かりが夢のようにぼんやりと部屋を照らしてきた。

 2人の体は淡く白く発光し、お互いのにおいとぬるい体温、かすかに動くたびに響く布ずれの音だけがそこにあり、まさに2人だけの世界だった。

 大嶽丸は、何度も何度も繰り返し小夜子の髪を、背中を、丁寧に撫でていた。

 しばらくそれを続けていると、突然少女の指先がぴくりと動き、大嶽丸の夜着を掴む指先に力が入った。

「いかがなさいましたか?小夜子さま」

 月から削り出したような玲瓏たる美貌の青年が、幼児に語りかけるような穏やかな声を少女にかける。

 男の切れ長の瞳は、燃えるような夕焼け色に染まっていた。すっと通った鼻筋に、薄い唇、細い顎。少し長めの、月光を溶かしたような銀髪が男の鋭利な輪郭をなぞり、柔らかく繊細な髪は、闇夜の中で命を燃やす星々のように輝いていた。

 男は人を寄せ付けないような、完璧で冷たい美しさを纏っていた。

 男が小夜子に声をかけると、少女の薄青い血管が浮き出る瞼が微かに動き、まるで花開くようにゆっくりと持ち上げられた。

「…雨のにおいがするわ」

 少女の両のまなこが、大嶽丸を捉える。

「…はい」

 少女は眉間に僅かに皺を寄せた。

 濡れた土と苔の匂い、そして部屋から見える半月のぼんやりとした発光は雨降り前の特徴であり、一刻経たぬ間に降り始めることは明白だった。

「…よるの雨はきらい」

 小夜子が大嶽丸の胸元の夜着を強く握りしめると、桜貝のような小さな爪が彼の皮膚にわずかに食い込んだ。

 少女の様子を心配そうに見つめていた大嶽丸は、小夜子の背に手を当て、そっとその体を引き寄せた。

 すると、小夜子はむずがりながらも、よく馴れた猫がそうするように、男の首筋に鼻の頭をこすりつけた。それは少女の甘えだった。

「雨なんてだいきらいよ」

 大嶽丸は宥めるように小夜子の頭を柔らかく撫で、満月のように白く丸い額に唇を寄せた。

 少女の髪を手で漉きながら2度3度と額へゆっくりと口付けを落とす。

 男の腕の中でぐずついている少女の眉間の皺がしだいに解けていき、小夜子は男の胸に頬を擦り寄せ顔を埋めた。

 大嶽丸は小夜子の背中を一つ撫でて、とんとんと母親が赤子にそうするように背中を優しく慰撫(いぶ)した。

 されるがままだった少女は、大嶽丸の腕の中で小さく身を捩り、いつもの落ち着く場所を見つけると再度目を閉じた。男はその頭を子供をあやすように優しく撫でてやりながら、少女のまだ遠くにいる眠気を待った。

 男の瞳は慈愛のこもったそれだった。

 少女の艶のある黒髪からのぞく額は満月のような美しい丸みがあり、繊細なまつ毛は月の光できらきらと輝き、小さく愛らしい耳たぶは、うっすらと桜色に染まっていた。

 また、薄紅色の頬の色付きはうつくしく、雪の積もった梅の花のつぼみのような味わいをみせていた。

「ねえ、大嶽丸」

 突然思い立ったように、小夜子は両の眼を見開き、大嶽丸の腕にすっぽりと包まれながら、小鳥のように小首を傾げた。

「のどが渇いたわ」

 少女は、上目遣いで大嶽丸を見つめ、妙に幼く、甘えたような声色で呟いた。

「お飲みになりますか?」

 腕の中で甘えていた少女は、笑みを浮かべた。芍薬のような赤い唇がゆるんで、小さな白い歯がのぞいた。

 そして少女は青年の手を引き、布団から体を抜け出した。

 やわらかな月の光に照らされて、彼女のか細い体はぼんやりと淡い光を放っていた。初雪のように白い皮膚の下で、うすい紫色の静脈がほんのりと透けて、きらきらと淡く輝いている。

 撫で肩で細い首。膨らみの小さなあどけない胸。へそのきれいな窪み。美しく弧を描く細腰。少女の恥部には毛は生えておらずつるりと桃の筋を引いていた。

 彼女の体は、うら若く水々しい小児の美しさが残っており、清らかで静か、高貴な色を讃えていた。

 少女がか細い両腕を青年へと伸ばすと、男は薄い少女の体を優しく抱き寄せる。お互いの体が隙間なく密着し、少女は男の首に両腕をぎゅうっと巻き付けた。

 少女の体からは乳飲子のようにあまく濃い匂いがした。特に彼女のうなじからは、濃縮された乳くさい赤子のにおいと、さらにその奥からは、白檀の上品な匂いが強く香った。

 大嶽丸は小夜子の細く滑らかな髪に唇を寄せて、髪に口付ける。そしてそのまま、少女のまるい額にも口付けを落とした。

 小夜子の桜色の小さな突起は男の胸元に押し当たり、2人を隔てる布越しからもその存在を主張した。

 炎の揺れる少女の瞳と青年の瞳は無言で見つめ合う。

 しばらくそうした後に、少女は紅椿のように燃えたつ唇を男の首筋にぐいと近づけた。

 少女の熱い息が大嶽丸の首筋にあたった。

 彼女の冷たく滑らかな唇が男の首の皮膚に押し当たり、ちぅという音を立てて優しい力で皮膚を吸った。そして、真っ赤な舌先でちろりと舐める。ぬめった熱い感触が皮膚を撫でた後、小さくも鋭い痛みが大嶽丸を襲った。

「…っ」

 男の首筋から赤い雫が伝い落ちる。それは線となって衿元に到着すると、じわりじわりと滲んでいった。

 少女の小さな舌が、皮膚の上を蛇のように何度も何度も這いずり回る。

 その度に、ぴちゃぴちゃと子猫がミルクを飲むときのような、どこか愛い()音が部屋に響き、その音と混じり合うように、さめざめと陰気な降り方の雨が屋根を、地面を叩く音がした。

「…雨が降ってきたわ」

 小夜子は顔を上げると、障子の外の見えもしない雨をじっと見つめた。

 少女の口の端からは延と血が混じり合ったものがつうっと垂れていて、月明かりでてらりと光った。

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