空の聖騎士と桃の聖女3
目的の場所に近づくにつれ、肌がチリチリと僅かに痛む気がする。寒くもないのに鳥肌も立っていた。
視界の端でネズミやリスなどの小動物がこちらを気にしていないのだろう、わき目もふらずに一方向を目指して駆けていく。その先を見やると、目的地は同じようだ。
身体が小さければ、倒れた木や折れ曲がった枝に苦労することなく、前に進めるというのに。これから越えなければならない先は容易には進めそうもない獣道が待ち受けていた。
障害物を避けながらしばらく歩くと、木々に覆われた森の薄暗い中、目の前に光が差していた。
「あと、もう少しだ。大丈夫か?」
体力に覚えがある騎士の身ですら、堪えるくらい道のりは厳しかったのだから、旅慣れた聖女であっても、相当きつかったに違いない。最後の障害物になる、倒木を跨ぐ聖女を手伝うべく、手を差し伸べた。
「……はあはぁ。だい、じょう……ぶ。……ふぅ、ありがとう」
手を握ったのを幸いと、平坦な地面に両足を着けて一息ついた聖女に、唯一の取柄である直に触れないと発動しない回復魔法をかけた。
聖女の回復魔法に比べると気休め程度でしかないが、それでも彼女はいつも感謝の言葉と共に眩しいくらいの笑顔を見せてくれる。その笑顔を見ると、不思議と疲れも吹き飛び、力が漲るのを感じる。
ちなみに、彼女の回復魔法は強大すぎて、逆に健康被害になり兼ねないレベルだったりするので、こういった小さな回復は向いていなかった。
「さあ、行くか」
息が整ったのを確認し、握った手は離さないまま、森の出口に向かった。
「何だ、これは――!?」
森を出てすぐに目にしたのは、聖女が鑑定眼で視た通り、入り口自体が切り取られた空間のように何もなかった。そこだけ、別次元の洞窟のようだった。
色も無い、というのも言い得て妙だった。当てはまる色がない。幾つもの色があるようでいて、記憶に再現できる色がまるでない。あえて言葉にするなら、幾つもに重なった波が揺れている、になるだろうか。
安易に近づいてはいけない異様な空気を感じるなか、一匹のウサギが躊躇うことなく洞窟の中へと入っていった。その後をこれまた一匹のオオカミが追いかけるように続いた。最後の一匹だったのだろうか、獣の気配が一切なくなった。
突然、空間の端の左右には、赤黒い柱のようなものが建ち現われた。上部は、左右の柱を橋をかけるかのように繋がっていた。崇高な入り口のように見えるそれが、中に入れと誘っているようでもあった。
「わたしたちも行こう」
聖女が繋いだままの手で洞窟の入り口に向かってクイクイと動かした。真っすぐと空間の先だけを見つめていた桃色の瞳は鑑定眼スキルが発動し、赤みを帯び光っていた。
「何があるか、分かるか?」
「分からないけど、さっきからずっと、「こっちにおいで」と呼んでるの。でも、嫌な感じでもなくて。声ではないけど、はっきり聞こえてるわけではなくて……どんどん大きくなってるんだけど……聞こえない?」
耳を澄ませてみるが、何も聞こえてこなかった。
声ではないというのなら、耳鳴りのような頭に響く音がそうなのだろうか。
呼んでいるという声はやはり聞こえないが、洞窟の入り口の空間で揺れ動く波がこちらに向かっては戻っていくような、まるで引き寄せているかのような感じはあった。
この感覚が『呼んでいる』なのかもしれない。
そうであるならば、覚悟を決めるしかない。
――何があろうとも、彼女を守る。
それだけは変わらない。
「じゃ、行くか」
聖女の手が決して離れることのないよう、もう一度、しっかりと握った。
洞窟の入り口に足を踏み入れる直前、奥から風が、ビュンと一度大きく吹いてきた。
風の勢いで、、腰に届くほど伸びた聖騎士と聖女の長い髪が大きく巻き上がった。纏めていたリボンが解けるのも構わずに、二人は洞窟の中へと臆することなく入っていった。
二人の姿が視えなくなるやいなや洞窟そのものが消失した。まるで、何もなかったかのように。
地面に落ちていた二人と同じ髪色の白いリボンも、地面へと溶けるように消えていった。
そこに残っていたのは、夜空に浮かぶ二つの月と同じ色の金銀の髪の毛が二本。仲良く手を絡め合うような螺旋を描いていた。
――同時刻。
聖騎士と聖女が所属していた神聖教会大本部の地下室で保管されていた、二人の洗礼名を記す式神が黒い炎で包まれていた。
黒い炎は全てを燃やし尽くした後、消えた。塵一つ残さずに。
丁度その頃、聖騎士と聖女が派遣された土地――二人が消えた洞窟とは反対側――では、長い年月の間、誰にも気づかれなかったダンジョンが眠りから目覚めたように牙をむき出していた。
――魔獣大量発生による大崩壊にて、空の聖騎士と桃の聖女、共に死亡。
瘴気に塗れた土地には亡骸も何も残っておらず、後の神聖教会の文献には、そう記録されてれた。




