終幕
「……行っちゃったね」
「寂しくなるな」
ミヒメたちを笑顔で見送ったはずのアヤメとサイレントはしょんぼりと肩を落としていた。
「落ち込んでいる場合じゃないよ。これから忙しくなるんだから」
言葉では励ましてはいるものの、チトセの目尻にはキラリと光る雫がひとつ。
「村長に甜菜を持っていって、村のみんなに伝えてもらって……やることいっぱいだな」
サイレントも落ち込んでいる場合ではないと、気合を入れなおす。
商売にするほど、甜菜糖が作れるわけでもない。沢山甜菜を作っても、甜菜糖になる量は、ものすごく少ない。手間暇もかかるし、人手もかかる。
目的は商売ではなく、神聖教会の権力を削ぐことであるから、村で消費する分があれば十分だ。
村長は、教会と仲が悪い。叔母と姉が聖女の適正があるからと、半ば攫われるように連れていかれたそうだ。生まれたばかりの孫娘の今後についても、頭を悩ませているかもしれない。
村長には恩がある。訳アリの親子を受け入れ、薬師と冒険者としても村の仲間として迎い入れてくれたのも、村長の働きがあったからだ。
村の者たちも、教会には不信感を抱いている者も多いから、従魔に対して嫌悪感を抱く教会の連中と違って、白狼が村の中に入っても反対されずにすんだのは幸いだった。
ハニーダンジョンの件では、教会に対する猜疑心も強まっているようだから、甜菜についても、協力を得られるだろう。
サイレントは冒険者兼商業ギルド長だ。ギルドの繋がりで、そこそこ人脈もある。
教会に泡を吹かせたいギルド長たちも多い。細々と陰で動くのは昔から得意だった。
サイレントは、名も名誉も一度、捨てている。
靄に包まれたチトセが無事に姿を現した後、簡単に何が起きていたのか説明するとすぐにダンジョンから脱出した。
「寒いからと中に着込んでいて良かったよ。そうじゃないと、今頃裸だったよ」
チトセが聖服を着ていないことに気づいた。厚手の飾りのない茶色のワンピースを着ていた。聖服は、靄が吸収していったのだと、そう零すチトセは蒼白な顔で、今にも倒れそうなくらい、立っているのも辛そうだった。
白から薄い水色、濃い水色へと変化していった髪色が余計に顔色を蒼白に見せていた。
身体的疲労ではない、ダンジョンコアから視せられた記憶によって、チトセの両親の死の真相が明らかになったのだから、傷心でズタズタだったに違いない。
生贄になるはずだったサイレントたちが生きているのも不味いだろうと、チトセを逃がすためにも、自分たちのためにも、名を捨てた。3年間の行方不明で、冒険者登録も抹消された。冒険者パーティー『愛の調べ』も当然、抹消となった。
パーティー名の『愛』は、髪色の『藍』ではなく、実は『愛』に纏わる名前が由来だった。
名を捨てたとしても、愛を捨てるのではない。愛する者を守るために『沈黙』するのだという意味を込め、名を変えて別人になった。今では、姿もすっかり別人となっている。
「なあ……優男風が良かったか?」
「何言ってるんだい。あたしは、筋肉モリモリの方が好みなんだよ」
「わたしは、逞しいお父さんが大好きだよ!」
娘のアヤメの心臓には恐らく――ハニーダンジョンのコアの記憶の欠片がある。
だから、祝福は受けさせなかった。
そのことで負い目もあったが、幸運にも、大根が『緑の手』というスキルがあることをミヒメを通して伝えてくれた。甜菜が誕生し、アヤメと従魔契約することで、植物魔法があることも判明した。
アヤメの名前には、綾織りという美しく複雑な模様の中に『愛』を秘め、その愛が育ち、いつの日か芽吹くことを信じ、意宜りを込めた。そして、籠めた愛は芽吹き、菖蒲のように花開こうとしている。
「そっか……んじゃ、村長のところへ行ってくる」
流行り病に罹っていた村長も、元気になっている頃だろう。
アヤメの『緑の手』の祝福が効きすぎて、村の作物や草木、花がものすごく元気に成長してしまっている。このことも要相談になるだろう。
「ああ、行っておいで。今日の夕食は、あんたの好物だから、早く帰っておいで」
「お父さん、行ってらっしゃい」
村長の家の遥か向こうには、ハニーダンジョンがあった。
サイレントたちにとって、ハニーダンジョンは『始まりの地』でもある。
ハニーダンジョンに何が起きたのかは知らないが、大崩壊したということは、ダンジョンコアも消滅したのだろうか。
あのダンジョンコアに生贄にされたたくさんの魂が解放されたのであればそれでいい――そう願いながら、サイレントは村長の家に向かった。
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幕間を挟みまして、次章が始まります。
ミヒメも冒険者登録もしたことで、魔獣との闘いが始まっていきます。
引き続きお付き合いいただけると幸いです。




