第64話 決別の言葉
マリアがシルバーソード家の敵に回った。しかも、強力な力を携えて。
彼女が使うパワードスーツは、何者かの手により以前とは比べ物にならないほど強化改良されている。
戦った者たちの話を聞いた限りでは、マリア本人の戦闘技術も成長しているようだ。
一流の暗殺者が、量産型ガラディーンによって実力を3倍に強化し、なおかつ5人がかりでも、彼女に敵わなかった。その事実は、シルバーソード家にとって半ば絶望を与えた。
「マリア……」
婚約者が無事に帰ってきたが。しかし新しい脅威になっているのでは、ランディールは素直に喜べなかった。
「父上とクリフォード兄上は、テンポラリー宮殿で働く者達を全員連れて避難してください。私は仲間と共にスノウドロップをここで迎え撃ちます」
もはやスノウドロップに対抗できるのは、量産型ガラディーンを搭載したパワードスーツを持つランディール騎士団しかいなかった。
「わかった」
「お前の勝利を信じているぞ」
表向きは、〈闇の信奉者〉の残党が犯行予告をしてきたという形を取り、宮殿の職員達を避難させた。
「アラン、エマ。最後まで私について来てくれて感謝する」
「何を言っているんですか、ランディール様。ボク達はあなたの仲間です」
「そうです。最後まで一緒に戦うからこそ仲間なのです」
二人にとって自分に献身するのは当たり前の事だ。だからこそ、ランディールは感謝の気持ちを忘れたくなかった。
状況は芳しくない。むしろ追い詰められている。
平和のためにロベリアを裏切り、救うべき〈ヘイブン〉の人々を虐殺すると決心して以来、何もかもが上手くいかない。
最愛のマリアは自分の元から離れて、敵として戻ってきた。
王国を守る要である十騎衆の行方は依然として不明のままだ。
自分は間違った道を選んでしまったという予感が、ますます大きくなる。
だがロベリアを倒せば全てが上手くいくはずだ。そうすれば、これまでの苦境が平和にために必要なものだったと証明されるだろう。
その考えは運命の強制力によるものだと、ランディールはまだ気づいていなかった。
●
二人はある博物館へと向かった。
まだ営業時間中だというのに、他の客は一人もいない。
「館長と交渉して、今日は貸し切りにしてもらった。俺が調査中に見つけた古代文明の遺物を寄付したら、喜んで了承してくれたよ」
しかし、のんびりと展示物を見物する事はなかった。博物館の展示物に目もくれず、スティーブンは先へ進む。スノウドロップもそれに続く。
「古代文明の公園美術は知っているか?」
「ええ、学園に通っていた時に授業で習ったわ。古代人が氷河期が終わった世界をイメージして作った公園ね」
「モルガンとの戦いの後、君と別れてから俺は各地のダンジョンを調査していた。どのダンジョンにも公園美術があって、どれも美しかった」
やがてある場所に辿り着く。
そこは通常の自然界には本来存在しない色とりどりの草花が生い茂る温室だった。
「ここはあるダンジョンにあった公園美術を移設したものだ」
そう説明するからスティーブンは、スノウドロップの瞳をじっと見つめる。
「この世界を調査して、何か美しいものを見つけるたびに、君に見せてあげたいと思った。それでようやく自覚したんだ。俺はスノウドロップを愛しているんだって」
スティーブンはスノウドロップの前に跪き、懐から小箱を取り出す。
蓋を開けると、シンプルなダイヤモンドの指輪が姿を見せた。
「この指輪はどこかの店で買ったものでなければ、他人に作らせた物でもない。全て一から俺が作った。リングだけじゃなく、宝石も自分で原石から研磨した」
「そんな事もできるのね。あなたには“昔とった杵柄”がいくつあるのかしら?」
「エルフに人生は長いからね。自分でも数えきれない。スノウドロップを幸せにするためなら、俺が数百年の人生で培ってきた経験を全て使う」
彼は小箱から指輪を取り出す。
「スノウドロップ、君を心から愛している。どうかこの指輪を君に指につけさせてくれないだろうか」
「ええ、喜んで」
スノウドロップは左手を差し出す。
愛する人は、そっと指輪を薬指につけた。
「愛してくれてありがとう。私もスティーブンを愛しているわ」
「ありがとう、スノウドロップ」
スティーブンは立ち上がり、スノウドロップをそっと抱きしめる。
誰かの温もりをここまで愛しいと思ったのは初めてだった。
スノウドロップはスティーブンの瞳を見つめる。ただそれだけで、彼の望みがわかったし、自分の望みが彼に伝わったとわかる。
二人は静かに唇を重ねた。
胸を貫く矢のような情動をスノウドロップは感じる。
抱きしめ合う体越しにスティーブンの鼓動が伝わってきた。それがスノウドロップの鼓動を加速させた。
愛は春の陽射しのように柔らかいものだと思っていたが、このような刺激的な側面もあったとは。
ずっとこのままでも良いとすら思った。
唇を離す時、名残惜しく思うと同時に、その名残惜しさすら愛おしく思えた。
「楽しい時間は、しばらくお預けね」
「なら、そろそろランディール達のところに?」
「いえ、最後に一つだけ、寄るところがあるわ」
スノウドロップとスティーブンは王立霊園へと足を運んだ。
ローナンの墓参りのためだ。
来る途中で買った花束を、スノウドロップはローナンの墓前に捧げる。
「未来で何が起こるか知っていたら、あなたは私に味方してくれたかしら?」
墓の下に眠る、かつて愛してくれた少年に語りかける。
「きっとあなたは忠義を優先したでしょうね。あなたにとって、それが一番大事なのだから。だから私も、あなたが死んだ後に、すぐスティーブンに乗り換えた事を謝るつもりはないわ」
後ろに立つスティーブンは、ただ無言で見守っている。
「あなたにしてみれば、やってもいない未来の事で殺されるなんて理不尽に思うかもしれない。でもね、理不尽というのならそれは私にだって言える事よ」
前世なら、それが正しいのなら仕方がないと、自分に押し付けられる理不尽に無抵抗だった。
だが、ロベリアの魂と同化した今は違う。ふざけるな。私にも幸せになる権利がある。そのような怒りが胸に宿っている。
「だから私は、幸せになれるよう頑張るつもりよ」
ルーシー、スティーブン、そして内なる魂であったロベリア。スノウドロップは正義よりも、自分の幸せを願う人達にこそ誠実でありたいと思った。
「ローナン、あなたが愛と忠義を天秤にかけた時、忠義を選ぶ人であっても、あなたの愛は間違いなく本物だったわ。だから愛してくれてありがとう」
そしてスノウドロップはローナンの墓に背を向ける。
「行きましょう、スティーブン。そろそろランディール達に“仕返し”をしてあげないと」
二人で霊園に出ると、ルーシーは待っていた。
「お待たせ、ルーシー」
「ランディール達はテンポラリー宮殿にいるわ。職員や使用人を避難させて、あなたを迎撃するつもりみたい」
「待ち構えている敵の数は?」
「ランディール騎士団だけよ」
「あら」
意外というよりも拍子抜けだった。
「せっかくガラディーンを量産化してるのにもったいない」
スティールとピジョンが換金に使ったオリハルコンの使い道について、すでにスノウドロップ達は把握済みだった。
「そういえば、デート中も襲撃して来なかったわね。ルーシーが対処してくれたの?」
監視されている気配は感じていたが、相手は具体的な行動はして来なかったし。
「そのつもりだったけど、マリアが対処したわ。この3ヶ月の内に彼女も変化があったみたい。パワードスーツも改良されてたから、きっとアカシックが関係しているのででしょうね」
「そう、お姉様が」
スノウドロップは密かに感謝する。
「マリアったら、アイアンスノウなんてヒーロー名を名乗っていたのよ」
「あら」
少し照れくささを感じた。
「本当はね、私もスタールビーじゃなくて、尊敬するあなたにちなんだヒーロー名を名乗りたかったの。でも、ちょっと図々しいと思って諦めたの」
「スタールビーも素敵な名前だと思うわ」
そういうと、ルーシーはちょっと照れた笑みを浮かべた。
3人はテンポラリー宮殿を目指した。
宮殿がある地区は警察によって封鎖されていた。どうやらランディール達はテンポラリー宮殿にテロ予告が来たというカバーストーリーで人払いしているのだろう。
特ダネの匂いを嗅ぎつけた新聞記者達が、封鎖線に立つ警官達に根掘り葉掘り尋ねている。
警官達はうんざりした顔で、何も答えず立ち続けている。
スティーブンがHi-SADの光学迷彩アプリを起動し、3人は難なく封鎖を通り抜け、そのままテンポラリー宮殿の敷地内に入る。
「来たか、ロベリア」
宮殿を背に、ランディール、エマ、アランが待ち構えていた。
「よくも十騎衆を差し向けてきたわね。今日はその“仕返し”に来たわよ」
「平和を守るためだ。申し訳ないとは思うが、復讐の炎でこの国を焼くわけにはいかない」
「私は別に差別された事を恨んでないわ。恨んでたら、そもそもこの国を守ろうとしなかったわよ」
「それでも、やはり君は排除しなければならない。君に恨みはなくとも、恨みを持つ無属性の人々は君を必ず復讐の旗頭にするだろう」
スノウドロップはスティーブンから運命の作用について聞いた事がある。
いくら運命が、小説の登場人物達に対して洗脳力を発揮するとはいえ、その人の人格を完全に変えるほどの力はない。
つまりランディールは、今のような思考に陥ってしまう可能性を、元から持っているという事だ。
だから運命は『ロベリアの死』という出来事を実現するにあたって、ランディールは適切な人材であると判断し、その影響下に置いたのだ。
「これが卑劣な裏切りであると理解している。だが、本当に申し訳ない。平和のために死んでくれ」
ランディール達が変身する。彼らのパワードスーツはルーシーが開発した当初よりも改良されていていた。
3本の剣が腰と両肩にマウントされている。ランディールが持つオリジナルを除けば、量産されたガラディーンと見て間違いない。
それ以外にも、3人のパワードスーツにはそれぞれ個別の特徴が現れていた。
エマはおそらく空戦特化型で、翼型のパーツと大型スラスターが追加されている。
アランは外付けの追加装甲で重装化している。
そしてランディールはオリハルコン繊維で編んだ防御用マントのほか、小型スラスターが追加されていた。エマ機とアラン機の中間的な性能を持つと見てよいだろう。
スーツが強化され、3人は間違いなく以前より強くなっているだろう。
スノウドロップは空を見る。陽は少し傾いているが、日没まではまだ十分に時間がある。
ガラディーンに宿る強化魔法は日中のみ効果を発揮する。
3人が持つそれぞれのガラディーンは問題なく性能を発揮するだろう。
だが、関係ない。
スノウドロップは左手の薬指にある指輪を外した。
これからランディール達を“ぶん殴って”やるのだ。愛する人から贈られた宝物を粗末に扱いたくない。
スノウドロップはオリハルコン生成で作った紐に指輪を通し、それを首に下げて懐にしまう。
オリハルコン生成でプロテクターを装着し、その上からコートを羽織る。
そして、長年使い続けて、もはやもう一つの顔となった仮面も身につけた。
いつものヒーローコスチューム。
だがいつもの彼女ではない。
スノウドロップは変身したのだ。正義に隷属する自分から、自らの幸福を勝ち取る自分へ。
「あくまで戦うのか。正義に殉じた君ならわかってくれると思ったのに」
ランディールが落胆の顔を見せる。すこし腹立たしさを覚えた。
「私はもう、正義に味方しない。これからは、私自身と私を愛してくれる人に味方する。それを悪事と言うなら、いくらでも言いなさい。そうしたら、こう言い返してやるわ」
スノウドロップは決別の言葉を放つ。
「私は悪役……悪役令嬢スノウドロップよ」




