第34話 酒場の語り合い
アークエネミーの魔力工学研究所襲撃の後、ランディールは国王と兄達に事のあらましを報告した。
「それは、本当か?」
国王は思わず椅子から立ち上がってしまった。
息子はくだらない嘘をつかないと理解しているのに、あまりの出来事に国王の口からその言葉が出てしまう。
「事実です、陛下」
ランディールもこれが嘘であってほしいという顔で言った。
「そうか」
国王は椅子に座る。この時の彼は自分が泥沼の中に沈み込むような錯覚を感じた。
報告の場に同席しているカーティスとクリフォードも、青ざめた顔をしている。
「カーティス。十騎衆の序列1位としての意見を求める。アークエネミーをどう倒す?」
「情けない話ですが、スノウドロップに頼むしか無いでしょう。ルーシーが負けてしまった以上、それ以上の英雄はもはや彼女しかいない」
「やはり、そうか……」
カーティスが勇敢な男であるのは父である国王が誰よりも知っている。
今までだったら、カーティスは自分が王国の敵を打ち倒して見せると言っただろう。
円卓王国十騎衆最強の男が、初めから勝ち目は無いと思うほどの相手がアークエネミーなのだ。
「カーティス、どうした。なぜそんな他人を頼るような事を言う。お前はこの国最強の英雄だろう?」
クリフォードの声はかすかに震えていた。十騎衆のトップが気弱な姿に最も衝撃を受けたのは彼だった。
継承権を争い、政治的に対立しているとはいえ、クリフォードは双子の半身の強さを信じているのだ。
「先日、スノウドロップと模擬戦をした事がある。俺はガラディーンで実力を3倍にしてもなお、彼女に勝てなかったよ。それどころか怪我をしないよう気を使われるほどだった」
カーティスは拳をぎゅっと握り、クリフォードから目をそらす。
「俺は英雄じゃなかった」
強さはある意味ではカーティスにとって尊厳の拠り所だった。
強さ以外に、国を背負う者として誇れる才覚がカーティスには無いのだ。
国王の中にある父親としての心は、カーティスを慰めたいと思った。だが、不用意な慰めは息子を侮辱してしまう。
「アークエネミーは個人の戦闘力以外にも恐るべき脅威だ。そうだなクリフォード」
国王がクリフォードに話をふる。カーティスにしてやれるのは話題を変えるくらいだった。
クリフォードも一人前の為政者だ。すぐに気持ちを切り替える。
「はい陛下。アークエネミーは政治面でも強力な手札を持っています。彼女はルーシーよりも光属性……いえ、必殺属性を使いこなしている。それを理由に、やつは自分こそがアーサー王の後継者にふさわしいと主張するかもしれません」
そういったクリフォードにカーティスが質問する。
「我が国の王位継承は、厳密にはエクスカリバーの所有だ。聖剣を授ける泉の乙女が現れない以上、その主張は筋が通らないのではないか?」
「泉の乙女が何百年も姿を見せていないせいで、エクスカリバーの実在を疑う者が増えている」
「〈銀の錆事件〉ようにか……」
それは国王の祖父、ベティヴィア11世の時代に起きた。
当時、ある大物貴族がエクスカリバーは実在しないと主張し、自分こそが円卓王国を支配すべきと反乱を企てた。
事件の影にはエウロペ帝国もあり、それを見抜いたベティヴィア11世と当時の十騎衆1位の騎士が協力し、反乱を未然に防いだ。
国王は事件の当事者である祖父から事のあらましを聞いた事がある。
少年時代の彼は祖父の英雄譚に胸が躍り、自分もいつかあのようにと思ったが、国を預かる身となった今では考えるだけでも恐ろしい。
「だから何かしらのこじつけをしてくる者はいるだろう。実質、ルーシーが魔力属性に覚醒した時に、光属性を持ってるならエクスカリバーがなくても問題ないと主張をしてきた貴族はいた」
「そんな連中もいたな。上手い事彼女の後ろ盾になって実権を握ろうとしていたのを覚えている」
カーティスは苦々しく言う。
「ルーシーがたとえ王になっても実際の統治はシルバーソード家に任せると宣言してくれたおかげで、連中の目論見は崩れた。彼女に政治的野心が無くて良かった」
クリフォードとカーティスの会話を聞きながら、国王はアークエネミーに味方するかもしれない貴族の顔と名前を思い浮かべていた。
アッシュストーン家、レッドエッジ家、スコルピオ家。このあたりが危ない。何かと野心的な言動の多い貴族だ。
アークエネミーへ協力する見返りに、自分たちは強大な権益を得る。そう考えてもおかしくない。
この3家ほどでないにせよ、野心を隠している貴族もおそらくはいるだろう。
敵にならないという確信と信頼を持てるのは、クルーシブル家くらいだ。
あの家の当主は学生時代からの親友だ。
もし彼が自分を裏切るのなら、この世に友情は存在しない。国王は本気でそう思うほど信頼を寄せていた。
「私の結論を伝えよう」
国王が威厳を持って言う。
「未来ある若者であるローナン・セルバンテスを殺害し、魔力工学研究所を攻撃したアークエネミーは、たとえアーサー王と同じ力を宿していても、この国の統治者として認めるわけには行かない」
国王には人の上に立つ者としての断固たる意思があった。
「円卓王国はスマート・アーティファクトとオリハルコンによって繁栄の時代を迎えようとしつつある。だが同時に、苦難の時機でもある。魔物の大襲撃、怪人事件、そしてアークエネミー。ここで団結しなければ、これからの繁栄を失いかねない」
国王は三人の息子たち見る。
「カーティス、クリフォード。お前たちが王位継承を巡って争っているのは分かっている。そもそも私が、より良い後継者を見出すためにそう仕向けたのだからな。その私が言うのは筋違いだが、それでもあえて願おう。今だけは手を取り合って、この危機を乗り越えてくれないだろうか。それにランディール」
「はい」
ランディールは背筋を伸ばしながら返事をした。
「お前もどうか兄たちを支えてやってほしい」
「もちろんです。私はそのために生まれてきたのですから」
ランディールは誇らしく言った。
●
その日の夜、国王はひっそりとテンポラリー宮殿を抜け出して、ロンドンにあるパブを訪れていた。
この店は表向きの身分を隠して酒を飲みたい者のために開かれていた。
彼も人間だ、たまには羽を伸ばしたい時もある。時折、ささやかな自由を求めてひっそりと酒を飲む時があった。
「ここでお前と顔を合わせるのは久しぶりだな、リチャード」
国王を王子時代の名で呼ぶのは、クルーシブル卿だった。
お互い身分を隠すために変装しているが、親友同士ならすぐに分かる。
「そうだなヘンリー」
リチャードもクルーシブル卿を昔の呼び方で呼んだ。
「仕事ではそれなりに会ってるが、ここでとなると半年ぶりか」
「お互い、忙しいからな」
二人はエールを注文し乾杯をした。
「お前と会えたのは運が良い。実は相談したい事があるんだ」
リチャードはスマート・アーティファクトを操作する。
風の魔法・遮音の型が発動した。これで彼らの会話は周囲の者には聞こえなくなった。
「俺はいい加減、自分の後継ぎを決めるべきだろうか」
「そうすべきだ」
ヘンリーは即座に断言した。
「先日の事件は肝を冷やしたぞ。後継者が決まる前にお前が死んだら、相当まずい事になっていた。最悪、内戦が起きてもおかしくなかった」
「本当にそう思う。息子たちが切磋琢磨すれば、良い後継者ができると思ったが、俺は楽観的すぎた」
リチャードはジョッキに注がれたエールを一口飲む。
初めてエールを飲んだ時は、庶民の暮らしを知るためという気持ちだったが、今ではすっかりお気に入りだ。
リチャードは普段から上品で”美味”な酒を口にしているが、身分を忘れて親友と飲むのなら、エールのほうがずっと”旨い”と思っている。
「だが情けない事に、カーティスとクリフォードのどちらにするべきか、まだ悩んでいるんだ」
酒が入って少し赤くなった顔でリチャードは親友を見る。
「もしお前が俺の立場だったら、どっちを選ぶ?」
「いろいろな都合やしがらみを全部無視するのなら、俺はランディールが良いと思う」
「ランディールが?」
「なんと言うかバランスが良い。カーティスほど強い王になれないだろうが、賢い王になれる。クリフォードほど賢い王になれないが、強い王になれる。そして何より、良い意味で野心がない」
「ふむ」
ヘンリーの言葉を聞き、リチャードは考えを巡らす。酒が入っているのに頭が冴えてきた。
「たしかにそうだな。光属性保有者とオリハルコン生産者を味方につけているのだ。普通の男なら野心を持つのにあの子はそれがない」
「世界征服を目指す国の王なら落第生だが、この国だったら合格じゃないか?」
ヘンリーは「それに」と言葉を続ける。
「考えてみてくれ。もしもランディールが兄で、カーティスとクリフォードが弟だったらどうなる?」
「人徳のある長男が王になり、その王を有能な弟たちが将軍や宰相として支える」
「そうだ。俺はお前の息子の生まれる順番が違っていればと何度か思ったよ」
「ありがとう。やはりお前という親友がいて良かった。俺は決心がついたよ」
リチャードはジョッキに残っていたエールをぐいっと一気に飲み干した。
今まではカーティスかクリフォードの次の代理王にと言う前提だった。急な方針変更で混乱を招かぬよう、段階的にいろいろな根回しが必要だが、進むべき道が見えたのは良い事だ。
「だが良いのか? ランディールはもともと、お前のところへ婿養子にするという約束だったじゃないか。あいつを次の国王にすると、マリアはこっちに嫁ぐという事になる」
「それなら構わんさ。見どころのある若者を見つけて、ロベリアを娶らせる。魔力が無属性と分かった時は勘当してやろうかと思ったが、念の為に捨てずにいて良かったよ」
「……そうか」
リチャードはヘンリーに全幅の信頼をおき、尊敬すらしている男だが、しかし一点だけ、無属性に対する差別意識だけは共感できなかった。
家の都合で結婚するのが貴族の宿命とはいえ、自分の娘に対してその言い方はあんまりだとリチャードは思ったが、それをヘンリーに伝える事はできなかった。
リチャードには他人の無属性差別を非難できるような資格を持っていないのだ。
(レオン……)
リチャードは今はいない、自分の息子を思う。
レオンはランディールの2歳年上の息子だ。
世間でランディールは第3王子と呼ばれているが、実は第4王子なのだ。
レオンは凄まじい魔力を持っていた。
通常ならば生まれてから数年後に魔力に覚醒するのだが、彼は生まれた時から覚醒していた。
だが、その魔力属性は無属性だったのだ。
シルバーソード家に無属性魔力保有者が生まれたと知られれば、権威が失墜し、国内情勢が不安定になるかもしれないとリチャードは恐れた。
だから、本当は望んでいなかったが、苦渋の決断で生まれたばかりのレオンを殺し、妻のエリザベスには死産だったと嘘をつこうとした。
しかしその時、レオンを誘拐した男がいた。
「アレックス……」
リチャードはレオンを誘拐した男の名前をつぶやく。
「どうしたリチャード、急にあいつの名前を呼ぶとは」
「いや、何、この店でお前とあいつと俺の三人で飲んでいた時が懐かしくなってな」
「そうだな。それにしてもあれほどの男が行方不明になったのは残念だったな」
アレックスは高潔な男だ。円卓の騎士ガラハッドの再来と言われるほどの実力者で、当時の十騎衆の序列1位だった。
アレックスがレオンを誘拐して行方不明になったのは、友に息子を殺させないためだろう。
(いや、流石に都合の良すぎる考えか)
リチャードは自嘲する。
アレックスは息子を殺すような男に愛想を尽かしたのだ。レオンを守るために、それまで積み重ねた地位と名誉を全て捨てた。
二人は今どうしているのだろうかとリチャードは考える。
もしかしたら国外に脱出したのかもしれない。だが、もしまだ円卓王国にいてくれるのなら、二人のために、何としてもこの国の平和を守らねばならないとリチャードは思った。




