「反」ではなく「叛」なり
付属エピソード 「a few pieces in the same current」 episode12
源氏の使者が各地に奔る。源氏の嫡流、伊豆に配流中の源頼朝へ、奥州で過ごす義経へ、信濃で爪を研ぐ義仲へ。
清盛がいるうちは土地の係争がどんなに平家有利でもやってゆける。しかし、どの程度の時間が残されているのか?どのみち非平家武装地主達の不満は抑えきれなくなる。その噴出が早くなっただけさ、
「天下をどう担うという問題ではない。我々の所領の安堵がもたらせられるか?これこそが重要なのだ。」
頼政は呟いた。源氏は視野が狭い。そして、自分達の守るべきものに土足で踏み込まれているような怒りに強く動かされている。厄介な連中だ。
しかし先手を打って動いたのは平家側であった。熊野三山を統括する親平家、熊野別当湛増は源氏の新宮十郎義盛が平家に歯向かおうとしていることを早くも知り、京へ報じると同時に手勢二千を率いて攻撃に打って出た。戦自体には敗れて逃げかえたが、平家は以仁王の「反」乱を知った。そのころ急使が頼政から以仁王に飛んでいた。
「わずか一月で露見とはな、、、。」
言ってもしょうがないと思いなおした。「叛」である、汚名ではない。
「三井寺に急いでおいでになってください。僧兵がお守りします。」
女装し、高倉通りを北へ、近衛通りを東に、鴨川を超えて三井寺へと。途中に屋敷警護の長谷部信連が忘れ物の宝笛を届けてくれた、同行を薦めると屋敷の始末があるのでと帰っていった。あれこそ勇士だろう。
「長兵衛が鬼殿で大立ち回りをしたようだな、、、。勇ましい奴だ。」
「あの源頼政入道が謀反とは。宗盛様が腹が立ったとはいえ。馬に(仲綱)って書くからだよ。」
皇族、公卿の離反に六波羅は動揺した。ここで清盛の決断である。
「以仁王を捕らえよ。配流先は土佐だ。」
福原別荘からの命に動揺が収まり、軍勢が動き出す。父上にとりなして後白河法皇を八条烏丸の美福門院の御所へ移しておいて助かったな、これ以上の面倒ごとには対応できんぞ京のトップ宗盛はホッと息をついた。
以仁王が逃げ込んだ三井寺は南都や比叡山に書状を送り、今こそ平家と戦うべきと説いて回った。平家との対峙に比叡山は消極的で、南都は積極的だが距離が離れすぎている。援軍到達には時間がかかる。三井寺の衆議は続いた。この時、乗円房の阿闍梨慶秀という老僧が自ら腹巻をつけ、大薙刀をつけ現れ、
「少数だからと言って恐れてはいけない!天武天皇は少数を以って吉野を発し、宇多郡、伊賀、伊勢そして美濃・尾張と行くうちに軍勢は増し、近江の大友皇子を倒されたのだぞ!行くべきだ。」
と声を上げた。これで決まった。円満院の源覚も
「ならば夜が更けないうちに出発を。」
と道を急ぎ六波羅に夜襲をかける。
1000の衆が動く先頭は以仁王、頼政。道を照らす松明が闇の中で焦げている。夜のうちに京に討ち入るつもりが、途中で朝となった。
「ここからどんなに急いでも六波羅につくのは昼の真っ只中。夜討ちして焼き討ちが勝ち筋なのに、これでは負け戦決定だ。撤退!」
頼政の息子源仲綱が途中で引き返させた。正面衝突ではどうにもならぬ。
「ああ、やんぬるかな、、、、。」
以仁王が呻いた。
駆け込んできてから涙を流し、必死に話している。三井寺の親平家?、一如房の阿闍梨真海だ。
「討ち入りが中断されて、若い信徒や僧兵等が夜襲が失敗したのは話し合いを長引かせた真海のせいだ!と怒り出しまして、、、。私は機を見るのが大事と言っただけなのに、私が平家の護持僧だからと聞く耳を持たないのです。」
「ほー。それで今、以仁王はどこにおられる?」
と平知盛。
以仁王は三井寺から宇治の間の南下12キロで疲労のあまり6度も落馬した。心はもっと疲れている。
「このまま追討軍が来るのを待っていては抵抗のしようがない。老僧達はここで帰れ。私達は南都にゆく。」
慶秀達は泣いて同行を乞うたが、体がついてゆけない。以仁王、頼政親子、若い僧兵らが道を急ぐのを見送るしかなった。必死の逃亡の途中であった。
長兵衛、、、、長谷部信連左兵衛慰の略。信連はこう呼ばれていた。
南都、、、、この場合、奈良の寺院群。
平知盛、、、、清盛の庶子
新宮十郎義盛、、、、源行家
「源氏揃」〜「大衆揃」