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華のうちに

後白河法皇→高倉上皇(長男)→安徳天皇(言仁)

      高倉宮(以仁王)(二男)

付属ep「a few pieces in the same current」ep9、ep10、ep11

明けて1180年、高倉天皇退位、言仁皇子が即位。安徳天皇である。この年が平家にとって絶頂、花盛りの瞬間であった。何せ今上は清盛の孫(後白河法皇にとってもだが)、公卿、殿上人は平家が圧倒。平家の軍勢ありての安寧。逆らえる者はいない。表面上は。

なんのための皇室か!以仁王は鬱屈している。上皇となった兄とは違って、私はついぞその機会がなかった、それはまだ良い。しかし今や皇室自体が平家に握られつつある。永らく誼を通じてきた藤原氏の場合とは状況が違う、そう悩んでいた。

正月というのに後白河法皇の巨椋池近くの鳥羽殿には誰も挨拶に来ない。まあ、とにかく生きているし京から少し離れただけだ、それで良いさと思って寒中の鳥の声を聞く。そうしている間に季節は移ろう。初夏、

閑院殿に住む高倉上皇が訪ねて来た。安芸の厳島神社へ参拝するので挨拶に来たという。

「元気そうで。」

「企むような余地もないからな。」

と言いつつ、目には力がある。

「海路は問題ないだろう。平家が整えた瀬戸内航路だからな。言仁はどうしてる?」

「なにぶんまだ3歳なので。輔弼の臣により問題はないかと。徳子もいますしね。」

そう言って厳島神社へと向かっていった。


高倉上皇は厳島神社の帰路に船に乗って山田が浦に入り、輿で福原京に寄った。譲位して最初の御社への御幸に八幡や加茂や春日でなく厳島神社に反発を抑えて行ったのだこれで清盛も少しは態度を和らげるだろう。そしてこの福原。

「これが入道相国が造営した町、、、。京以外にもこんなところが出来ているとは。」

目を丸くする。ここまでシナの船が入ってくるという。このような町を作り、見ている清盛の心は朕の思いもよらぬものだ。腹立たしいがそう思った。ひょっとして平家の高官よりも、、、いやよそう。供奉のものは少し休むだけの予定ですからと言うのを無理を言い福原各所を回る。そこから出発し、翌日都についた。

「上皇様のお帰りか。ご無事でよかった。」

京の辻で立つ坊主がつぶやく。これからささやかな集会に向かう。

「岡崎に比べると殷賑なところよ。」

大路に出て歩いていると武士の数人とすれ違った。

「鬼殿には夕に行く。少し待つぞ。」

「、、、、、、?」

何か張り詰めてものを感じる男だった。


以仁王は今年齢31。三条大倉の鬼殿に住み詩歌を楽しみ、笛で音楽を楽しむ生活をしている。今日は訪ねてくる人がいる。ちょっとした用事で夕に来るという。そろそろかと思っていると、来た。源頼政。なにか気負っている様子だ。

「人払いを。」


「以仁様には帝位についていただきたい。」

紙を差し出して来た。

「頼政、心底を言え。お前は源氏でも、平家と協力してきた源氏だろう。どういう風の吹き回しだ。」

これまで平家に重用されてきたものが反乱とは

「平家では武士が最も重要と考える土地争いの解決ができないと確信したからですよ。彼等は天下をになっているから平家に譲るのが当然、と土地の係争は平家縁故に有利に決裁します。しかし武家が拠って立つは自らが耕す土地。それを平家に近いかどうかで帰属を決められてはかないません。それが分からんのです。」

「天下が覆るとでも?」

問に苦笑しつつ

「平家は手強い相手です。かつて力を二分した我ら源氏も今や国司に赴任してきた平家に使われる存在となっています。されど、それは各地に源氏がいるということでもあります。その紙には王のお味方になる者の名前が連ねてあります。ご覧を。」

「、、、、、、、、、、、、、」

カサッ、乾いた音がした。なるほど錚々たる顔ぶれだ。特に源氏の嫡流、源頼政、弟義経、傍流だが木曽の源義仲。目を引く名だ。

「、、、、、、、、」

頼政が見ている。

「我等、源氏の名誉にかけてこの(叛)を成します。」

少し険しさがこもっている。強さを疑われていると思っているのか?パサッ紙を閉じた。この日はそれで終わった。日にちを置いて出した答えは、

「頼政、兵を挙げるぞ。」

新しい源平の争いの始めに、以仁王の声は静かであった。




紙には

京都の(出羽前司光信の子)伊賀守光基、出羽判官光長、出羽蔵人光重、出羽冠者光能

熊野の(故六条判官為義の子)十郎義盛

摂津の多田二郎朝実、手島の冠者高頼、太田太郎頼基

河内の武蔵権守入道義基、その子石河判官代義兼

大和の(宇野七郎親治の子)太郎有治、二郎清治、三郎成治、四郎義治

近江の山本、柏木、錦古里にしごり

美濃・尾張の山田次郎重広、河辺太郎重直、泉太郎重光、浦野四郎重遠、安食あじきの次郎重頼・その子太郎重資、木太三郎重長、開田判官代重国、矢島先生重高・その子太郎重行

甲斐の逸見冠者義清・その子太郎清光、武田太郎信義、加賀見二郎遠光、同じく小次郎長清、一条次郎忠頼、板垣三郎兼信、辺見兵衛有義、武田五郎信光、安田三郎義定、

信濃の大内太郎維義、岡田冠者親義、平賀冠者盛義・その子四郎善信、故帯刀先生義賢の次男、木曽冠者義仲

伊豆の流人となっている前右兵衛之佐さきのうひょうえのすけ頼朝

常陸の信太三郎先生義憲、佐竹冠者正義・その子太郎忠義、三郎義宗、四郎高義、五郎義季

陸奥の故左馬頭義朝の末子、九郎冠者義経

の名が連なっていた。


「厳島御幸」~「源氏揃」

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