義仲七手策
中世のバイキング達のサガにはグリーンランド、それに次いでの北アメリカ大陸への到達が謳われている。グリーンランドに植民地を作った「赤毛のエリック」の息子から話を聞いたトマス・エリクソンが大西洋を渡り北に上がる時に霧の向こうに見える巨大な島影に興味を持ち、航海を決意、1000年頃に到達したと言われている。
現カナダに生活の場を気づいたエリクソン達にネイティブアメリカンとのファーストインパクトが待っていた。ごく初期からひたすらに戦う間柄であったらしい。バイキング達の襲撃から始まったこの争いは撤退の時まで続き、度々バイキングは負けた。
ある時、負けて逃げているエリクソン勢がネイティブアメリカンの追撃を受けている時にエリクソンの妻フレイディーズが「胸をはだけて剣で胸を叩き」戦い、追手を撃退することができた様が謳われている。ここで思うのはこのフレイディーズ(フレイア女神の如き娘)のように戦場に女戦士が出るのは緊急だったのか、常態だったのか?ということだ。若い娘が戦場にいると味方の男も敵になりうることもあるのではと思う。あるいは高位の戦士の妻なら戦士として参加できるということかもしれない。夫の力の延長、何かあったら夫への加害とみなされる、という前提がある女戦士は戦場に古から参加したということかもしれない。中国でも殷(=商。紀元前2000頃)に5000の兵を率いた「朱妃」という婦人の記録が甲骨文字に残る(白川静)。これは王の若い妃が名代として軍を率いていたらしいが、女性の戦場への参加、しかも現代以前に、というのは珍奇に感じてしまう。意外と古代には妻である女戦士の軍陣への参加はあったが、中世で大きく衰え近世では見なくなったのか。もしかして中世頃に女性が戦死すると被害は−1にとどまらない恐れがあると経験の積み重ねで気づき、女の戦への参加は許さないという方向に歴史が曲がったのだろうか。司馬遼太郎の「中世から日本が始まる」という言葉を見て、ふと感じた。
まるで書物の中の故事を見ているかのようだ。ようやく戻れた京の法住寺殿で後白河法皇は思った。源平合戦で突き動かされる天下に置いてかれている。世の中の流れを横目で見ているだけと行く気分だ。しかし、そう思うだけ、息子を次々と亡くした悲しみから立ち直りつつあるということかもしれない。
「今頃は北陸で激戦か、どうなる、、、、。」
「敵にこれから打ち掛かろうとするものが軍を割るとは!ならば相手の二手に我等は七手で打ち勝つ。」
まず能登国に分かれた搦手には木曽に厄介になっている源行家1万。志保で相対するだろう。
残り六手で砺波山を固め大手を迎え撃つ。仁科、高梨、山田次郎の7000は東山麓、北黒坂へ。樋口兼光、落合兼行の7000は反対の南黒坂。1万は砺波山の正面の松永・黒坂の林の間に置く。今井四郎は小矢部川の鷲の瀬を渡り日の宮の林へ、本陣は砺波山の北の外れ、山越えに抜ける羽丹生に義仲率いる1万騎で。平家勢を平地に出させない。
「験を担いだわけではない。七手に分けるのは情勢に合わしたまで。」
越中国・加賀国を隔てる山地に向かう陣中、夜の褥の中で巴に言った。その側で同じ便女、山吹が寝息を立てている。
「数は劣る我等としては平地ではなく狭い山越えの山地で戦いたい。その為に七手に分けている。平家勢は遠目でそこいらにたなびく我等の白旗を見て“木曽の旗がそこいらに立っている、あちらが多勢じゃ。平地は囲まれるぞ!”と狭い山越えで戦おうと考える。そのための策だ。」
「次郎様、しかしうまく平家が動くでしょうか?」
そしてもう一つ、七手に分けると言ったが一手はどうするのだろう。秘しているとするなら、今どこへ?びくっと身体が震えた。優しく撫でられている。
「あっちがあくまで平地で、と前に出てくるなら殿を置いて仕切り直しだ。しかし、感じる。何故か軍勢の動きが鈍くいびつになっている。だから戦いは山で、だ。」
この感覚がたまらない。戦に望むと体の中心がドクンと強く波打ち、体中に血が押寄せ、頭が熱く、しかし冴えてゆく。巴の体から手を離す。便女二人の体を楽しむのはこれまで、女断ちだ。これから体で味わう快楽は敵を打ち倒す蛮なる楽しみ。
ここで止めるなんて、もっと楽しみたかった、、、、巴の偽らざる想いだ。
木曽勢が思ったよりはるかに多勢だ!山を抜けた向こうに白旗がいたるところに立っている。これなら兵の総数はどれほどになるのか。
「この山越えには幸運にも猿の馬場という小平地がある。草も水もあるここで馬を休めつつ、守れ。」
維盛にとっては妥当な判断が下される。
「ま、奮戦すれば良いのでしょう?」
足利忠綱は言った。実盛の悩み顔を見ての言葉だ。斥候、猿子衆の見聞きしたことを加味すればあの大軍は虚勢だ。うまく見せているがこちらが囲まれるような数ではない。ここは無理矢理にでも狭い道を押し出して山の向こうに押し通るべきだ。悪い場所で敵と向き合う羽目になった失態は攻勢で流れを作り出し覆すのが良い、そう本陣に具申するも取り巻きに「大将は沈思黙考中なので」と阻まれている。書を渡したが動きはない。悪い方向に流れは行っている。そういう思いが顔に出ている。
「確かに鏑矢が鳴ったら、各人、押しに押してあちらになだれ込む。そうすれば維盛殿も平地で戦うことを思いますからな。」
やっと返事をする。
「なに、越前・加賀と押し続けた多勢が奮戦するなら吉報遠からじ、ですよ。」
忠綱の声が明るく響いた。
「ほう。社があるのか。」
旧暦五月、夏の緑の陰に朱色と玉垣が見えたと思うとそれは八幡を祀る社。石清水八幡の神領なので勧請されたという。
「この戦いを八幡様の側で戦えるとは。」
十数年前の元服を思い出す。この義仲にご助力を。書記の大夫房覚明を呼び願書を書かせた。元々は南都興福寺で叛に起った以仁王への返書を書き、「清盛は平氏の糟糠、武家の塵芥!」と文中で罵った事で清盛に睨まれ北陸に逃げた僧であった。武装し、因縁ある平家を前に筆が躍った。
願書に自分達の13本の上矢を添えて奉納した。
「おお、殿が奉納を終えるや!」
空から山鳩が三羽舞い降りてきて源氏の白旗の周りを飛び遊んだ。
古来、翼を持つ者は地に吹きくる風の力の現れとされていた。風とは神の想い、人に知らせるために吹きつけるのだ。世界宗教が進出する以前、信仰の世界に生きていた人類はこのような常と違う些細な現象から神の意志を読み取る能力に長けていたし、土着信仰が宗教と融合した後も宗教体験の下支えをし続けた。
義仲は馬から下り、甲を脱ぎ、わずかな水で手を清めうがいをしてこの光景を拝した。石清水八幡の神意を感じた中世武士の体で示した敬神の態度である。固まったような長い拝礼を終えるとそこには戦に臨む信濃源氏の男の表情があった。
「さぁ、平家大手勢の真正面に打ち掛かってゆくぞ!」
義仲の一声で軍勢が動き出した。
便女、、、、戦陣で武士の諸事の世話をする女性。必要なら戦闘もした。
上矢、、、、箙に戦闘の普段使いの征矢とは反対に刃を上に向けて入れている雁股の矢と鏑矢を云う。
願書
帰命頂礼、八幡大菩薩は日域朝廷の本主、累世明君の襄祖なり。宝祚を守らんがため、蒼生を利せむがために、三身の金容をあらわし、三所の権扉をおしひらきたまえり、ここに頃の年よりのかた、平相国という者あり、四海を管領して万民を悩乱せしむ。是既に仏法の怨、王法の敵なり。義仲いやしくも弓馬の家に生まれて、わずかに箕裘の塵をつぐ。彼暴悪を案ずるに、思慮を顧るにあたわず、運を天道にまかせて、身を国家に投ぐ。試みに義兵をおこして、凶器を退けんとす。しかるを闘戦両家の陣をあはすといへども、士卒いまだ一致の勇をえざる間、区の心おそれたる処に、今一陣旗をあぐる戦場にして、忽ちに三所和光の社壇を拝す。機感の純熟明らかなり、凶徒誅戮疑いなし。歓喜の涙こぼれて、渇仰肝にそむ。就中に曽祖父前陸奥守源義家朝臣、身を宗廟の氏族に帰附して、名を八幡太郎と号せしこのかた、其門、葉たる者の帰敬せずという事なし。義仲其後胤として首を傾けて年久し。今此大功を発す事、たとへば嬰児の貝をもって巨海を量り、螳螂が斧をいからかして隆車に向かうがごとし。然れども国の為君のためにしてこそこれを発す。家のため君のためにしてこれをおこさず。心ざしの至り、神感そらにあり。憑しき哉、悦ばしき哉。伏して願はくは、冥顯威をくはへ、霊神力を合はせて勝つ事を一心に決し、怨を四方に退け給へ。然れば則ち丹祈冥慮にかなひ、玄鑑加護をなすべくは、先づ一つの瑞相を見せし給へ。
寿永二年(1183年)五月十一日
源義仲 敬白
「火打合戦」




