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越前国征途道中

東南アジアという地域は古代から天竺インドと関係が深い地であった。これが1000年代からは震旦ちゅうごく宋朝との関係が強い地域へと変わってゆく。これも沿ユーラシア大陸の海上貿易の潮流によるものだった。唐の頃からこの流れに乗り陶磁器がイスラム圏やアフリカ東海岸(そして大陸内部へ)に流れていった。その返しに象牙や香料がイスラム商人の手で中国に運ばれていった。しかし震旦の商人たちは気づいた。面倒なインド洋やマラッカ海峡を通らなくとも東南アジアに香料(香木、没薬)はやや質が落ちる代わりがある。スパイスも栽培できる。象牙も黄色く濁ったものならある。ということに。

唐末から五代十国時代を経ての宋朝の需要は東南アジアでかなり賄われるようになり、安くなった分、より庶民層にも香辛料や象牙の需要が膨らみ、それがより東南アジアへの震旦からの移民、投資に繋がった。貿易の殷賑がこの地域を宋へと引き寄せ、天竺を遠ざけた。中世に始まったこの流れは今も続いている。東南アジアは中国の庭として今もある。

平経正、、、、平経盛の長男。敦盛の兄。

「おう。また新しい船が着いたわい。」

福原に船が入る。この港にまた富が流れ込む。学ぶようなものでもなく、この日本に昔からある「寄り物信仰」に近い感覚だ。流れ込んだモノはこの都だけではなく京や奈良、平泉にも流れてゆき大きく育つ。そしてまた福原に流れ帰ってくる。震旦の宋銭、絹、書物等の決済に使われる黄金や鋼はその証拠だ。

100年前に発生した中世の世界統合現象グローバリゼーションが東アフリカ〜ペルシャ湾〜インド〜宋を流れる巨大な潮流の一端として日本という天下も取り込んでいる。大量の物資を飲み込み、莫大な金銀銅鋼を吐き出している貿易の要地に知らずになりつつある。1154年に描かれたアル・イドリーシーの世界地図には図の左側に日本に似た島嶼が描かれている。震旦の向こうの小天地はいつの間にか世界視点者グローバリスト達に知覚される存在となっていた。その黄金の島、倭国洲ワクワクで、日の神に連なる王統から分かれた二つの姓が争っている。


汎遊弗羅志亜アフロ・ユーラシアの沿岸を船が行き交っている頃、近江国の琵琶湖を舟が進んでいく。乗るは副将軍平経正、目指すは湖中島の竹生島。

木曽と関東の激突が回避された後、木曽義仲は北陸・東山道諸国に兵を招集。五万騎を集め畿内に進む様子を見せた。対する平家も諸国に兵を求めた。ここで勢力圏がはっきりと色分けされた。東山道は近江、美濃、飛騨国からは兵が来た。東海道は遠江国から。それより東からは来ず。北陸道は若狭国より北からは来ず。これより西が「平家の天下」ということがはた目からもはっきり見えた。この雲霞の如く集まって来た強者を以って木曽を撃つ。軍を領するは平維盛。副将軍として経正、忠度、知度らが支える。侍大将にも藤原(悪七兵衛)景清らがつく十万騎の大軍勢となった。人の津波というべきだ。それが北陸道方向に進む。この時代、兵站という概念はなく必要な物資は全て「現地からの徴発」であった。頼朝が西国の米不足を見てなかなか機内への進軍を開始しなかったこともこのためだ。よって、逢坂関から向こう、琵琶湖西岸の進軍路一帯の民草は税として納める物であろうが、上納するものであろうが、蓄えであろうが残らず軍勢に取りつくされた。平家が非道というわけではない。戦場を支配する武の行使者である武士にとってはこれが当然のことなのだ。頼朝であろうが義仲であろうが変わりはない。ただただ通り過ぎるのを待つ、あるいは山野に逃げてやり過ごす、それが軍勢の通過に民草が出来ることであった。

行軍は南北に延び進む。維盛ら大手勢が琵琶湖沿岸を離れた頃、副将達搦手勢はまだ街道の沿岸部にいる。

「前が詰まっている。せっかくだから竹生島に戦勝祈願と行くか。」

そう言うと経正は供回りをつれて舟に乗った。比叡山との関係が回復しているので舟衆の対応が良い。あっという間に竹生島明神の社に着いた。巨大な湖の中の島に夕日が落ちる。どこを見ても水だけがたたえられた世界が広がっている。陸に包まれて生きて来た大多数の民草と同じく平経正も海の真中を渡ったことがない。怖さのような魅せられたような常にない感覚に包まれる。

「都でも鳴り響く琵琶の上手を奉納していただければ、、、。」

社僧の求めに応じ十八夜の月に照らされて琵琶を奏した。一同、静かに聞き入る。妙音に誘われるように

白竜が舞い降り、琵琶を奏でる経正の袖に佇む。脚色ではなく本当に見たのだろう。十八夜の月光、琵琶の音、周囲を満たす水世界が神霊の現出を実現させた。

ちはやふる 神にいのりの かなえばや しるくも色の あらわれにける

必ず勝って帰る。経正決意の一句であった。

 

「いよいよ、ですな。」

斎藤実盛は平宗盛に言った。横田河原、あるいは木曽と関東のにらみ合い戦機を捉えての出陣を献策してきたがいずれも動きは鈍かった。古びた王朝の中に入り治天を切り回すうちに錆が移ったか。そう焦れているうちに越前国への木曽勢の進出。いよいよまずいと感じた。かつて越前国住人であった実盛には京と越前国は紙の上で見るよりもはるかに近いという実感がある。そこまで来てのようやくの軍勢の出立だ。宗盛の嫡子、維盛のお付きとなっている実盛は出立前に宗盛のもとに来ている。

「老いた身ですが先年の富士川での失態をすすぐため討ち死にする覚悟で征途に力を尽くします。越前国はかつての我が住所。いくらかの知見を活かし努めようかと。」

「若き維盛をなんとか支えてやって下さい。」

世辞ではない。頼りに思っているのだろう。

「故郷に帰る、ということで、せめて錦の直垂を着けさせていただけないでしょうか。故郷に錦を飾ると言います。」

「それでは、これ、赤地のやつを。」

宗盛は小間仕えに声をかけて錦の直垂を渡した。平家の旗と同じ太陽赤サンシャインレッドの赤地。

「これほどのものを、源氏の血で汚すのは勿体ないですな。」

老将が珍しい軽口を言った。宗盛が和らいだ顔をようやく見せた。


「お側を離れることが多く、申し訳ありません。」

軍中で中々姿を見ない実盛を案じて維盛が人をよこして呼びに来た。

「いや、軍勢を検分しているようで、ご苦労。」

「おかげで面白い者達を見つけれましたよ。」

頼りになる強者は誰か?戦意があり戦いに慣れた者を前に立てて要所で力を尽くしてもらう。同じ十万でもそれができるかできないかで勢いが違ってくる。

「名前だけ頭においてほしいのですが、伊賀国住人の橘という者が。」


信濃国木曽にいる義仲には二つの進軍路があった東山道と北陸道だ。信濃国だけを考えるなら東山道。しかし、横田河原合戦以降、北陸道諸国が傘下に入り越前国も木曽方に付いた事で越後国から北陸道を南下して京を突くことにした。

「やっぱり、こっちから動く、戦機はそれで招かれる、だったな。」

婦人にしては背の高い巴の膝枕で寝転んで言う。京攻略の拠点として火打城を越前国に築いている。身はまだ信濃国木曽にいる。すぐに城に行こうと思ったが今井兼平が止めた。

「まずは籠る兵6000が平家勢と押し合います。次郎殿が戦う場所は前か、後か、それで決まりましょう。まだごゆっくり。」

そう言いながら不本意な思いもある。頼朝め、腰を上げないのにも程があるぞ、どれほど待つことに強いのか。やはり東山道か東海道を押し進む頼朝勢が欲しかった。結局平家正面は我々になってしまった。関東勢は動くも動かないも自由。気に食わない。スッと木曽義仲の顔を見る。まだ目の色が変わっていない、抜群の冴えを発揮する時ではやはりない。

「それでは。」

「おう。」


「この矢羽根、良いっすね~。」

「お目が高い。奥州の鷹の羽根です。矢尻に着ければ風に乗って速く遠く飛びますよ。」

吉次は商いに精を出す。こういう物がより売れるということは戦雲が天下を覆っているということだ。それにしても藤原秀衡は動かないのだろうか。このまま源平から等距離を取って過ごす気か。平家から関東の後から突く事を要請されているだろうに。平家を助けるべきとは思わない。源氏に合力するのが陸奥国の生きる道とも思わない。ただ自らの力でどう動くか?という考えのないひたすらな善隣というものはいずれ危機を招く、そう思う。


「世が乱れ乱れてゆく、、、、、、。」

陸の内にある海、水をたたえ大きく輝く琵琶湖を眺め延暦寺座主、明雲は嘆いた。




平家の軍容は

・大将軍

平維盛

平通盛

平経正

平忠度

平知度

平清房

・侍大将

平盛俊

足利忠綱

藤原景高

高橋長綱

河内秀国

平有国

平盛嗣

平忠光

藤原景清

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