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To be or not to be

中国の明王朝(AC1400年頃)にあった鄭和の大艦隊はインドやペルシャ、アフリカまで到達したといわれている。しかし、ひょっとするとこのころが中国で主要な森林資源、主要穀倉地帯が枯渇した時代かもしれない。これ以後、艦隊の派遣は計画はあっても実行されることはなくなった。そして対倭寇(国際武装交易同盟)政策として海岸部での市貿易禁止、居住禁止という「海禁令」を出すこととなる。ここらへんが90年代まで主要な中国のイメージだった「東洋的停滞」の開始だったかもしれない。明、清の周辺国より頭抜けて豊かだが伸びがない感じと合っているように感じる。しかし漢時代に火薬を見出し、紙を社会全体で使う紀元前後中国から見ると平家物語の時の震旦ちゅうごくの宋王朝も伸びしろが少ないように思える。乾燥化する大陸を南に嘗め尽くしながら続いた中華文明にも天井が迫っていたということか。

4月に九州に向かった平貞能が菊池氏を中心とした反平家の争乱を鎮めた。これは良いと改元し寿永となった1182年。越後国守も決まり益々、良し。と思っていると横田河原の敗戦だ。

「負けだと、、、、!」

都に伝わった情報は衝撃に近かった。この負けは一敗ではない。関東の如く北陸の地の支配権が源氏に移ったということだ。それ以上に4万を以て兵3000に負けたとは聞こえが悪すぎる。これまで各方面で押し返して来たというのに、やはり平家は弱兵!という声が天下に響き始める。」


この年の作柄はまずまず。数年に渡った西国の米不足はようやく収まろうとしていた。本来ならば戦機をとらえ源氏の攻勢が始まる!といきそうなところだが、人界の人情とはうまくかみ合わないもの、木曽義仲と源頼朝の間で諍いが起きた。というよりこれまでの軋轢が表面化した。

「平家云々と言う前に、木曽を屈服させるべきだ。」

頼朝は源氏の嫡流、棟梁であると強く思っている。しかし、父義朝の兄弟義賢の子である木曽義仲も自らを血筋であると思っている。前近代において田園という無二の富の源、生きる糧の継承の成否はこの時代、強烈な「想い」を生じさせた。その想いの衝突が地によって立つ源氏の正統として正しき者は?という争いにも繋がってゆく。叔父義賢が頼朝の兄弟、義平に討たれた因縁は鎌倉から見ると勘違い男の成敗、木曽から見ると財産と正統を持ち去られたとしか受け取れない。そしてそれぞれが関東と北陸の支配権を得た。そして自らを頭領とする武士団を成した。両雄並び立たず。

9月の横田河原の勝利から年をまたいで寿永二年(1183年)の3月、京ではなく信濃国に向けて関東勢10万が梶原景時に率いられ進む。

まずいことになった。景時はずっと思っている。この木曽との諍いは平素、関東から広く京を眺める頼朝が頑なな態度に終始している。ここで軍勢を消耗し戦機を逃す、そんな事はあってはならない。

「なんとか談じ込める者がいれば、、、、。」

一人、ごつ。


木曽勢の中で今井兼平は悩んでいる。

「来るというなら、平家同様蹴散らしてやれ!」

依田城から移動、越後国信濃国の境、熊坂山に陣を敷く。戰場で抜群の冴えを見せる義仲の頭にも源氏の嫡流への思いがある。こだわりや想いは時に合理的な考えを弾き、理性的ではない行動をとらせる。関東よりはるかに京に近い我々が源氏同士でぶつかって弱れば平家勢は勇んで押し出してくる。勝ちは見出し難い。そう思う兼平は必死で頭を巡らせる。頼朝が善光寺まで来たあたりで、そこへ使者として出る、という話が出た。急いで出立した。

直接見えてとにかく訴えた。

「共に敵は平家、何故義仲と戦うのです。兵衛佐殿が関東八カ国を率いて東海道を征くのなら、木曽勢は東山・北陸諸国を従え北陸道を征き都より平家を追い落としでしょう。」

あくまで平家正面に進む関東勢、脇から狙う木曽勢、嘘はいっていない。

「先年、源氏の血筋を掲げる行家がそちらに逃げ込んだはず。我らに不満があるのか?と言われるやも、とは思わないのか。ということだ。」

あぁ、と思った。窮鳥とは言えどやはり良くなかったと思う。洲俣での敗戦後、源行家は義仲のもとに逃げ込んだ。頼朝何するものぞ。そのような態度の鼠を保護するのが引っかかっているのか。

「他意はありません。ただ同じ源氏として兵衛佐殿のところから出た者を我らが拒んで良いものかと。そして、共にあるなら合力してもらおうと、それだけです。」

「、、、、、、。」

「頼朝殿は行家を厄介な相手と見ています。自らの立場を強めるために鎌倉・木曽の間を離間し手に入る領地、軍勢を狙う。そのような者だと。平家を前に厄介者を迎えることもないのではないかと。」

景時が黙る頼朝に代わって口を開いた。

「先代の争いは些事。行家がどれほど蠢こうが兵衛佐殿を恨む思いは義仲にはありません。」

「今は、と言っても、これからは、という事があるだろう。」

行家云々以外に頼朝は義仲を潜在した「正統を狙う者」と見ている。言ではどうにもならぬか。ならば首をかけて今、切り出すべきだ。

「清水冠者義重、義仲の嫡子ですが。」


「頼朝の下に送るだと!?」

義仲は声を荒げた。

「良い機会と思い、こちらから切り出しました。頼朝の娘、大姫がお相手です。」

今井でなければ怒号とともに斬られていただろう。しかし今井相手。聞く耳はまだ持っている。

「先に都に達するのは我ら。そうすれば天下に号するに当たって関東の合力を当て込めます。前もって備える策がいるかと。」

「大姫とやらが来ればよいだろうが。」

戦力は関東が上だ。それを望むと約はならない。人の体で成約を現す‘‘人質’’は寡少側が出さなければならない。

「次郎殿が生まれた関東で源氏の若者として育つのが後に生きてくるということです。娘が来た所で信濃の何が分かりましょうか。」

「いずれは戻って?」

「その時には畿内諸国は我らの物。関東にも顔が利くようになった義重殿が東を押さえます。」

とにかく木曽・鎌倉の衝突を防ぐ。それのみに気を遣るべきだ。次郎の戦場の冴え、あれがあるなら京に入りうるのは我々だ。それまでに連携は無理だと分かる。しかし関東勢との戦いは何としてでも避ける!

「この話が飲めぬ、というのならわが身で責を。」

「四郎、それは不要!」

約は成った。当年11歳の少年に海野・望月・諏訪・藤沢といった所から付き添いの武者が出て関東に向かった。

この源氏の足が止まった半年間、平家は勝ちに乗じての前進がない事を幸運と思っても、畿内の兵を集めて前に出ようとはしなかった。戦場では押し合えはしても、機を見てもこの鈍い動き。このあたり世評通り「平家は弱兵」ということになるのだろう。


「嫡子を送るとはな。私には成人した子はまだいない。よし、新しい我が子だ。」

義重が来ることを知った頼朝の言葉である。

「清水冠者」

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