荒々しき者達
付属ep a few pieces in the same current ep2 、ep3、ep4、ep5
平清盛は最初から都に足がかりがあった。父の平忠盛が伊勢の大地主で侍としては始めて殿上人となったからだ。15歳という若さで治安を預かる身となったのは本人の資質以外のものも大きかったのは間違いない。しかしそれからの出世は清盛本人の活躍に依る。順風満帆に、、、と言いたいが嵐の中を必死に進んだという方が良さそうだ。保元の乱ではあの源為朝(身長二メートル。)に矢を射掛けられ間一髪助かった。平治の乱ではともに戦ってきた源義朝(頼朝、義経の父)を殺した。貴族連中の反感は常に強かった。
「それがどうかしたのか。文句があるなら言って来い。」
それでも怯まなかった。
「なんということよ。これでは清盛の手の者で諸国は埋め尽くされてしまうぞ。」
朝廷にヒソヒソと呟きが満ちる。宰相、中納言、大納言と昇進を重ねると同時に平氏清盛党(平家)の者が各地の国司に任じられてゆく。そして朝議に参加する殿上人にも息子、重盛、宗盛などが名を連ねてゆく。娘達も天皇家、貴顕へと次々に嫁入りする。ヒソヒソ話も故なしとは言えない。しかし野心のみではない。立腐れしているような平安京、そして国全体を動かすためには周りを固める必要があるだろう。特に国司、注目すべきは瀬戸内海沿いの諸国だ。ここに手の者を配置したのは何故か?海賊対策だ。そして貿易対策に繋がる。
この時代、宋が支配する中国大陸との貿易は北九州大宰府で盛んだった。これを平安京に近い大輪田の泊(現神戸)にまで持ってくる。そして平家がその貿易を管轄する。中央の目の届かない大宰府で好き放題にされているなら自分たちが近くで目を光らせる方が良い。滴る利益は力を尽くしている平家が取るべきものだ。泊の整備だけでも大苦労したし、「自由の航行」の為の尽力も自分達が汗した。国軍は有りて無きが如し、頼りにならなかったからだ。手が掛かったが、討ち平らげた海賊は平家の水上協力勢力とした。荘園から上がる富だけでこれらが賄えるものではない、だからだ。そうしてここに中国大陸の船が近畿までやってくる時代が始まった。そうすると人が泊の周りに集まりだす。
「そこに都があるのが良いな、、、。」
大宰府も栄えているなら船が来る大輪田の泊にも町があっても良い。あるのが当然だ。高位の権限を振るい造営が始まる。平家繁栄の都「福原京」が姿を現し始める。あまりに急激に起こる国の変貌に殿上人も庶民も驚いた。
「娘の縁談は時子のおかげかな?母に似た娘だからな。」
皇統に自らの血が入るのが嫌ならそう言えば良い。上機嫌の清盛はそう思う。言わないなら不満はそうはないということだ。「さぶらうもの」上がりの殿上人は最早、都の中心に居る。
そして1167年、齢51にして太政大臣就任。
位人臣を極めた。大納言平時忠が
「平家に非ずんば人に非ず!」
と言ったのは顰蹙を買い、清盛も注意したが誰がこの日の本を切り回すのか?平家である!というのは彼らの偽らざる心だっただろう。
「禿髪」「吾身栄花」