平家、都に帰る
清盛は福原京の背後、六甲山地に抱かれた高所に居る。丹生山明要寺。昔からの寺を清盛が大規模に改築した。今では険しいが参道も出来て西国の参拝客が訪れている。山内に2000人が住み、「西の比叡山」と呼ばれている。福原を守護する霊的な鎮護だ。二カ月に一度は登っている。
「いつ来ても絶景よの。」
仙境とも言うべき静寂に満ちた清らかさ。こうして山の上から見る福原京での喧騒が嘘のようだ。さわめく木々の音、天の意を厳かに告げるような鳥の声、長くここに留まりたいと思う。しかし叶わない。天下が揺らぐ中、いつまでも都を空けるわけにはいかない。腰籠に乗って喧騒と繁栄の巷に降りてゆく。騒がしさを増す世界が清盛を放っておくはずがない。
籠を担ぐ人足が死にそうな声を上げている。それだけ急な六甲山地の坂。降りてくると気温までが違っていることが分かってくる。そして響く騒がしさ。人界に戻ってきた。さて、政務を、、、、と立ち上がるや目まい、よろめく。周りのものが慌てて近づくが、手で制する。そんな大げさなものではない。
「少し腹が空いたな。」
薄めの粥を啜る。これぐらいが食べやすい。腹に食べ物が入ると力が湧いてきた。すぐに会合が始まる。諸氏暗い顔だ。関東での敗退、近江での源氏の蜂起、不穏な木曽、反平家の南都。しかし、海運を押さえて海と山に守られた福原にいる分にはこれらは攻めてくることは出来ない。別天地の平穏を楽しむことは出来る。
だが
比叡山の座主明雲より先日、書状が届いた。75kmとはいえ京都周辺の状況の悪化を踏まえ「還都」を求める書状であった。あの分を知って務める明雲が「求めてきた」、そして天下を担う平家、その頂点にいる自分が動乱の到来を傍目に太平楽に過ごせるものか!事態が変化したならこだわりを持たずに力で応じるべし!
「京へこの日をもって帰る。各自急いで支度せよ。」
そう告げるや、そのまま清盛は京へ向かう。11月に今上の言仁陛下が来たばかりだ、それでいきなりの還都。貴族、武士、貴顕、庶民はひっくり返るような騒ぎとなった。その騒ぎを背に警護を周りに清盛は進んでゆく。慌てて追いついてきた平宗盛にそっと耳打ちした、「年末に軍勢を動かすのは変わらぬ、その一挙で京の周りの動揺もこの都遷への不満も解消する。」
急激に物事が動いている畿内に対して、関東ではゆっくりと物事が動いていた。
「侍所とは?」
最近、源頼朝のところに足繁く通う、いや、近侍してるとも言えるような梶原景時に聞いてきたのは上総広常であった。
「つまりですね、これから坂東以外にも伊豆国なども含めた関東一丸となって平家に当たる。その時のために武士の動きを合わせる、そのためのモノです。」
上総一国をほぼ領有する一大領主にそう答えた。
「頼朝殿は我らの合力が心もとないとでも言うのか?力を合わすなど戦なら当然のことであろうが。」
「上総殿や畠山、千葉殿の合力は頼もしい限り。単に上洛時の集まりが速やかにゆくように、何か争いがあるなら調停もする、軍勢が平家勢とぶつかる時の知らせにも走り回る。そのような役ぐらいのものです。」
「ふぅん。まあ、いらぬ口出しはごめん被りたいものじゃ。」
そう言うとそのまま去っていった。これまで大勢力の頭を張って関東の地に立ってきた。その自分達が源氏の正統というだけの若造上から指示されると思われては要らぬ反抗に繋がる。そうすると対平家以前に鎌倉を中心とする関東勢は瓦解する。
今はとにかく共に動き、指示を元に勝利を掴み、頼朝とその一座の威を高めてゆく。そうして鎌倉に従うことの道理を作ってゆく。ゆっくりと丁寧にいかねば。2年後、自らの手で結局粛清することになる下馬の礼をとったことがない豪傑、上総広常の去りゆく後ろ姿を景時は、じっと見ていた。
同じ頃、頼朝は義経を見ていた。犬追物をしている。しかし異様なものだ。的をつけた犬を騎馬の義経が追う。その後ろを騎馬の数十人の武者が隊を作り追っている。疾走する義経が左に行けば同じく左に、右に曲がれば隊を崩すことなく右に続く。騎馬隊というべきものか。接触で落馬する者はいない。
「キャンッ!」
存分に走り回った犬がもう十分と射られた。
「お見事!」「大したものだ。」
周りで見ていた武士達が箙を叩いて歓声を上げる。下馬し、その中を頼朝に近づいてゆく。
「この衆が軍勢の先頭に立つ、と?」
「はい。騎馬は移動と遠間から騎射するだけのものであり続ける事はありません。馬を降りて斬り合いに来た者共をこれで蹴散らして敵勢を崩したあとに後続の武者が斬り込む。これなら相手は応じることが出来ずに崩れるしかありますまい。」
「騎馬で走り回るには平地が必要だ。少しでも傾斜が出てくるとキツイ。それがわからぬお前でもないだろう。」
「そのために騎馬が走り回れる場所で戦いに持ち込みます。速やかに動ける騎馬武者の組はその好機を逃しません。馬を下りて戦う軍勢も相手を押し、平地での決戦に持ち込めるように合力して戦えば狙った所で騎馬軍勢は兄上に勝利をもたらします。」
自信満々だ。聞いていてその気分になって来た。しかし騎馬で入り乱れて戦うと馬が足を痛めないだろうか?そのための数頭持ちか?
「馬が並んで押すと徒歩で戦う者は蹴散らされるだけなので怪我を気にすることは無用かと。」
思いを覗き込んだように義経は言った。ニヤリとしている。この不敵さ、頼もしくはある。
「木曽は先に置いておく。年末の出兵はかつて以仁王と共に我等に歯向かった三井寺。そして今騒いでいる、近江源氏!知盛は近江源氏に。重衡は三井寺に大将軍として当たれ!」
京に帰って腰を落ち着けることなく12月12日、三井寺に平重衡の軍勢が襲来。古代王朝から国家鎮護を担ってきた三井寺が反乱加担を理由に焼かれた。一山を挙げての抵抗も空しく僧兵達はなぎ倒され、伽藍は滅びた。「平家に逆らうとこうなるということか」「やはり強い」「いくら何でも横暴ではないか」声は百出したが、都遷りの騒動の不満は聞かれなくなった。
そして25日には近江国に平知盛大将軍が2万騎を領して近江源氏を制圧した。近江国の山本、柏木、錦古里で気勢を上げていた源氏、山本義定とその一族がひともみに粉砕された。
「次はこの勢いで美濃・尾張に進んで関東になびこうとしているものを折り敷く。忠度叔父もお疲れでしょうが。」
副将平忠度は三井寺の件が終わると知盛に合流。近江国の鎮圧を終えた後に関東勢の足掛かりとなりうる美濃・尾張に勢力を張る新宮十郎こと源行家を撃破し、進軍してゆく。そして遠江・駿河の辺りを緩衝地帯にして当座の均衡を保った。そのための遠征であった。
そうして都周りを安定させる平家の攻勢が成った年末の最後にもう一つ攻撃目標が生じた。南都である。
こうげ、、、、高地の平地、今は方言に跡を残す。
「都帰」




