第8話 輪舞の序・忌まわしき再開
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『お嬢様、貴女という人物は市井の者にとっては遥か天上の存在です。それに見合う振る舞いをしろとは言いません、しかしその事実を知った者はお嬢様を恐れを抱くはずです。そのことをゆめゆめお忘れないようにしてください。このワルツ家、ひいてはお嬢様の将来を守るために』
以前にマリアンに教えられた貴族という存在の恐れ。当時の私はわかりませんでしたが、教えられたその意味をたった今、理解できました。
「サンバルク・ドゥ・ロンド…………」
この国で生きる者達がダリアン十二貴族という存在をどのように思っているのか。その問いの答えは人によって様々です。
貴族なら『己の事業の出資者』、商人なら『商売相手』と思っている者がほとんどです。
では普段、顔を見ることすらない街で暮らす人達はダリアン十二貴族についてどう思っているのか。
その問いに対して極端な解答をするのなら『獰猛な獣』のような存在というのが大多数でしょう。
「ほ、ほほ、本物のダリアン十二貴族!?」
獰猛な獣を目にしたラギアン様はわかりやすい程に唇を震わせて後退しています。
ダリアン十二貴族の者達というのはこの国の差配を主な生業としています。が、その実態は不透明であり、街で慎ましやかに暮らす人からすれば遥か遠い存在なのです。
そして理解が及ばない存在というものは得てして忌避されるもの。たとえダリアン十二貴族と言えどそれは変わりません。
そのような関係が何十年と積りに積もった結果でしょうか。いつしかダリアン十二貴族のことを恐ろしい猛獣のようなものとして扱うようになったのです。
これは理解不能な存在というダリアン十二貴族の印象が一人歩きした不幸な結果でしょう。
「え、いやいやいやいやいやいやいや。なんでそんな奴がこんな貧民街の寂れた酒場にいるんだよ!? こんな酒場よりいい店なんていくらでもあるだろうが!」
そしてその不幸の煽りをラギアン様が真っ向に受けてしまっていました。
動揺のあまり舌の滑りが大変良くなっています。背後から感じる『寂れた酒場』という言葉を受けたマスターの冷たい視線にも気付かずに「いやいやいや」と目の前の人物にありったけの疑問をぶつけています。
「君はもっと礼節を学びたまえ。その様では以前君の絵を購入した老紳士に申し訳ないだろう?」
「絵って、な、なんでそれを…………」
一方この騒ぎを引き起こした当人は、ラギアン様の疑問に答えることなく、涼しい表情を浮かべながら先程までベルリンが座っていたイスに腰掛けました。
対面には苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるヴォリス様、その瞳はまるで親の敵を見るかのように毒々しい色に染まっています。
「………………今更何しに来た。わしから根こそぎ奪った貴様が欲しがるものなどなどもはや何も無いだろう」
「誤解があるようだ。あれは『奪った』ではなく『守った』と言ってもらいたい」
「ふん、戯言を! もしこの手に剣があれば今すぐにでも貴様の脳天に降る下ろすのだがな!」
「あのランページが『もし』などと仮定の話をするとは…………、堕ちたものだ」
二人の交わす言葉の応酬。それはまるで目に見えない刃による切り合いのような激しさがありました。
その切り合いを側から見る私達はたまったものではありません。いつこちらに巻き添えが来るかわかりませんから。
「それで、ロンド様は一体何用でこの酒場へ訪れたのでしょうか?」
「ほお、こんな酒場にも話の通じる者はいるのか。そうだ、私はここにいる者、延いてはそこのヴォリス・ランページに一つ仕事を頼みに来たのだ」
異論を認めない圧を込めながら、ロンド様はただ静かに告げるのでした。しかしながらその答えを聞いたとて私の疑問は増すばかりです。
ですが私がその疑問を投げかけることはできません。何故ならこれはヴォリス様とロンド様のお話だから。
「仕事…………だと?」
「そう、この私がわざわざ直接出向いて依頼する仕事だ。さて、本来なら依頼をする本人以外には退出を願いたいのだが、ここでの私は招かれざる客だ。特別に君達も聞くことを許そう。それに、概要についてはもう知っているようだしな」
そうして一瞥された視線の先には、先日の放火について書かれた新聞紙がありました。
ダリアン十二貴族の領地で発生した放火騒ぎ、そして唐突に訪れたダリアン十二貴族の当主。これを偶然と片付けることはできないでしょう。
「依頼はその新聞に書いてある放火騒ぎの調査だ。事件が起こった背景、放火犯の行方、そしてその先にあるであろう陰謀をお前に調査してもらおう」
有無を言わせぬその言葉使い。並の者なら身体を震わせながらその依頼を受けたことでしょう。
しかしロンド様と対面する者。稀代の天才作家のヴォリス様は違います。
「………………断る」
毅然と、そして滾るような怒りを言葉に込めながらロンド様の依頼を断りました。
「ほお、聞き間違いかな? 最近耳が遠くなり始めたからか聞き慣れない言葉が聞こえた気がするな。もう一度聞くぞ、依頼を受けてくれるな?」
「聞こえないのなら聞こえるまで何度でも言ってやろう、断ると! 誰が貴様なんかの頼みなぞ聞いてやるものか! さっさと大劇場に帰り薄っぺらい舞台劇でも眺めておれ!」
ヴォリス様の拒絶の意思。それは強靭であると同時に湿った地面を歩くような不安定さが言葉に漂っています。まるで己の意志など介せないのに足掻く鼠のように。
それをロンド様も感じたのでしょう。「はあ」と一つわざとらしいため息をこぼすと視線をヴォリス様からテーブルへ落としながらぽつりと一言。
「………………ソリア」
「ッ!!」
その一言はヴォリス様の動揺をこれでもかと誘いました。
これが決め手だったのでしょう。ロンド様は厳格な表情のまま再び問いてきました。
「受けてくれる、な?」
その言葉には、『もう逃さない』という確固たる意志が宿っていました。
そんな光景を間近に見ていた私とラギアン様は驚きに包まれていました。何故ならここまで狼狽えているヴォリス様を見たことが無かったから。『ソリア』という単語にはそれだけの力を持っているということなのでしょうか
「ぐ……………ッ。わかった、受けてやる」
「君ならそう言ってくれると信じていたよ」
そしてヴォリス様は苦々しい表情を浮かべながら依頼を承諾するのでした。
「それでは私はこれで失礼しよう。せっかくだし君に言われた通り大劇場で私のお気に入りの舞台劇を観覧しながら君の報告を待たせてもらおうか」
求める返答を得られたロンド様はもう用はないと言うように満足そうな笑みを浮かべながら席を立ちます。
「ああ、言い忘れていたが報酬は金貨十枚、期限は三日だ。ではくれぐれもよろしく頼むぞ」
そう言い残して去って行くのでした。
まるで嵐が過ぎ去った後と言うべきでしょうか。その激しい突風の螺旋はヴォリス様の心を大いに揺らして去っていきました。
そうして残った私とラギアン様は沈痛な表情を浮かべるヴォリス様を囲うようにして席へと着きました。
「ロンド様、さすがはダリアン十二貴族ということでしょうか。凄まじい気迫でしたね…………」
「確かにあの貴族様は凄かったな。けどそんなことよりじいさんだよ! あのロンド? とかいうヤツとどういう関係だよ!」
ラギアン様の疑問も当然と言えば当然でしょう。ダリアン十二貴族という猛獣が唐突に現れたかと思えば有無を言わさずにして依頼を承諾させました。
その依頼も『放火事件の調査』という一作家であるヴォリス様とは一切関係の無い内容。ロンド様の真意がまるでわかりません。
「話したくない………………、と言ってもここまで聞かれてしまってもはやどうしようもないな」
とはいえここまでの光景を見られてしまったヴォリス様も説明せざるを得ないということでしょう。
鬱憤を晴らすようにグラスに入った残りのお酒を流し込むと、観念したようにしてその重い口をゆっくりと開き語り始めました。
「ふん、少し長くなる。途中で眠らないようにしておけ。マスター、とびきりキツいのを一杯」
その言葉と共にヴォリス様は銅貨を三枚、テーブルへ投げこの店で一番高いお酒を注文するのでした。
「ふん、あれはもう十年以上も前になるか………………」
ここから始まるのはこの国で生きる一人の老紳士の、人生の一端。この物語は果たして悲劇か、しかし先の様子から大きな陰謀の渦巻く物語には違いはありません
ですが一つだけわかることは、語り始めるヴォリス様の横顔は、この冬の寒さよりも冷たい淋しさを纏わせているということだけです。




