第7話 肌寒い黄昏
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冬の寒さと夕焼けの暖かさが入り混じる午後五時頃。
本日の黄昏の家はいつもと変わらない日常を過ごしていました。
「はあ〜、演劇祭に出てから踊りの他に舞台の仕事も来てて忙しいよ〜。今日は三件ぐらいダンスと舞台をやらされた〜」
「いやはやベルリンさんは羨ましいぜ。俺らは相変わらず閑古鳥が鳴いてて大変だ」
「カンコドリが鳴く?」
「拙者の故郷の言葉で『商売が上手くいっていない』という意味でござるよ」
「そうそう、この前マスターに教えてもらったんだ」
「なるほど、鳥が鳴き声が聞こえるぐらい静かっていう事ですね!」
私の感想にラギアン様が「レイちゃん、それ以上は勘弁してくれ」と言って苦笑いを浮かべ項垂れると、酒場に朗らかな笑いが湧き上がりました。
酒を飲み、他愛の無い話を繰り広げ、拙いバイオリンを奏で、笑い合う。これこそ私達の戻って来た日常の姿でした。
一週間前まで、ロンド演劇祭に向けて慌しい日常に奔走していたのがまるで遥か昔みたいな感覚です。
「………………ふふっ」
「そんな顔して、レイちゃんどうしたの〜?」
「いえ、少しお腹が空いたなぁ、と」
「それなら拙者の作った豆の甘煮を食べるでござるか?」
そんな感覚から生まれる大きな安堵と少しの寂しさに心をキュッと締め付けられてしまいそうです。まるで小説の一幕にある夕焼けの背景に去り行く共を見送る主人公のような。
「ええ、いただきます。………………甘くて美味しい!」
「それはよかったでござる。拙者もこれを食べると故郷を思い出すでこざるよ…………」
「マスターって本当に色々知ってるよなぁ。不思議だ」
何はともあれ演劇祭が終わった余韻に浸りながらも私達は帰るべき日常へと帰っていたのです。
しかしそんな和やかなテーブルの中で一人、険しい表情をしている方がおりました。ヴォリス様です。
「ううむ……………………」
「なあじいさん、そんな不景気な顔で新聞睨んでどうしたんだ? いつもは馬鹿みたいに酒飲みながら小説のことを色々書き殴っているのに」
「ふん、相変わらず貴様は人の顔色を見ながらずけずけとものを言うな。…………まあいいだろう、これを見ろ」
そう言ってヴォリス様はテーブルの上にある記事を広げました。
そこには『アルアンビー家の領地で放火! 犯人は惟然逃走中!』という題名と共に激しく燃え上がる建物の絵が描かれていました。
「昨日の夜更けにダリアン十二貴族のアルアンビー家の領地、『エリア・シュウ・クリーム』で放火騒ぎがあったそうだ。幸い死者はいないようだが下手人はまだ捕まってないらしい」
「ああ、ここに来るまでに似たような噂話を聞いたな。確か犬族の男が犯人だって」
「そうだ。この国でこんな事件は珍しいからな、少し気になって調べていたのだ」
放火、それは沢山の命を一瞬にして奪う許されない行為。まさかこの平和な国でそんな事が起こるとは夢にも思っていませんでした。
「放火、怖いですね。そしてまだ犯人は捕まっていないんですよね…………」
「まあすぐに捕まるでしょ。レイちゃんもそんなに心配しないでね〜」
「………………はい、そうですね」
ベルリン様の慰めに私は静かに首を縦に降ります。しかし凶悪な放火犯が簡単に捕まるのか。私には甚だ疑問でした。
ですがそんな一抹の不安を抱えようとも、時間は無慈悲に過ぎていきます。
時刻はもう午後五時の半ば。冬の陽は既に落ち、暗い夜空が広がる時間でした。
「あ、私、明日も早いんだった〜! 先に帰るね〜!」
「ベルリン様、お気を付けて」
「酔った勢いでそこらのゴミに顔突っ込むなよー」
そうしてベルリン様は酒に酔いながらも綺麗な足取りで酒場を去って行くのでした。
残ったのは私とラギアン様とヴォリス様の二人の紳士。つい先日、ヴォリスさまの小説の件について語り合った時と似たような状況が再び訪れたのです。
とはいえもう空も暗くなってしまったからか、どうにも落ち着かない雰囲気が漂っているのでした。
「………………そういえば今日もブルース来なかったなぁ」
「ふん、アイツも騎士の仕事で忙しいのだろう。しばらくすればまた来る」
「そうですね…………」
ベルリン様が帰り、静かになった酒場でグラスに入った飲み物を傾ける私達。本当に、とても静かです。
そんな静かな中で思うのはブルース…………、クレイング様について。
実は今日、クレイング様はワルツ家の屋敷に訪れていませんでした。訪れなかった理由は不明、涙ながらに彼のことを心配するショーラの顔が今でも忘れられません。
そして今日、ブルース様も酒場へ訪れることはなかったのです。
「何も無ければ良いのですが………………」
「気にしてても仕方ない。わしらはいつも通り酒を飲みながら………………」
「ほお、ここが『黄昏の家』か」
その時でした。傲慢さの漂う声がヴォリス様の言葉を遮るようにして轟いたのです。
そして同時に豪華な衣装に身を包み、でっぷりとお腹を膨らませた犬族の紳士が黄昏の家の扉から現れたのです。
「かのランページの者がこんな寂れた酒場で飲んでいるとは。いやはや、落ちたものだな」
「……………………」
唐突に現れた紳士は入って来るなりヴォリス様の方を見下ろしていました。
そして見下ろされているヴォリス様は紳士を一瞥することなく、ただただ静かにグラスに入ったお酒を飲んでいます。
「おいおい、いきなり入って来て随分なご挨拶するじゃないか、さすがは貴族様だ。貴族様の家では『人と会ったらまずは遠回しに貶せ』って教えられてるのか?」
「ああ、これは失敬。ついつい他の貴族と会話する時の癖が出てしまった。なにぶん貧民街の作法など習っていないのでな」
ラギアン様の皮肉を目の前の紳士は軽々と返します。この少しの会話だけで彼が只者ではないと教えてくれていました。
その圧倒的な自信に思わず尻込みしてしまいそうになります。しかしそれでも、私は聞かねばなりません。
「あの、貴方は?」
「おや、私の名前を知らないと? まあ貧民街の者など知らなくて当然か、私は………………」
「サンバルク・ドゥ・ロンド」
紳士の言葉を遮るようにしてヴォリス様がその名前を告げました。
「ロンド? ロンドって確か…………」
「演劇祭の主催者の姓名…………、でしたよね?」
「まったく、せっかく私から名乗ろうとしたのにな。相変わらずお前は無粋な男だ」
ヴォリス様の行動に紳士は呆れながらも嬉しそうな表情を浮かべています。
そして「コホン」と一つ咳払いをしながら紳士は改めて自身の名を名乗りました。
「改めて名乗ろう。私はサンバルク・ドゥ・ロンド。ダリアン十二貴族序列第四位・ロンド家の当主だ」
紳士…………もといロンド様の名前を聞いた私とラギアン様はまるでドーナッツの穴のように口をあんぐりと開けながら、素っ頓狂な声を出すことしかできませんでした。




