第3話 魔術師シャル・クラウド
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その始まりを告げたのは鋭い衝撃音だった。
朝方、俺がいつものようにワルツ家の屋敷の警備に勤しんでいる時、屋敷の玄関の方からドオンという耳の奥を揺らすような音が響き渡ったのだ。
ワルツ家を狙った強盗か、そんな風に警戒しながら俺は急いで玄関の方へと駆け抜ける。
途中合流したショーラさんと共に玄関へ行き入口の扉を開けると、目の前に衝撃的な光景が広がっていた。
「あの、あれはなんですか? 雨…………それに、青い光?」
「危ないのでショーラさんは俺の後ろに!」
雲一つない青空の下で降っている雨の中で、どこかで見たような青い光が輝いていたのだ。俺は後ろのショーラさんを守るようにその場で迎撃の構えを取りながらその光を見つめる。
土砂降りの雨はまるでカーテンのようにその光を覆い、その奥に佇む人影を隠している。
「晴れていく…………」
そうして雨は徐々に晴れていき、まるで舞台の始まりを告げるようにして水のカーテンが開かれていく。
「……………………」
「女の子…………?」
水のカーテンが開いた先にいたのは一人の少女の姿だった。
頭を覆うような大きな三角帽に、少女の腕よりも長い袖の黒ローブ。その上には幾何学的な模様が刺繍された緑色のマントを羽織っている。
長い白髪と幼さの残る顔を一見すれば可愛らしい少女の姿に見える。しかし周りに漂う異様な雰囲気が彼女がただの女性ではないと俺の直感が教えていた。
(………………仕掛けてみるか)
何かがあってからは遅い、そしてこのままじっとしているのも気味が悪い。そう思った俺はゆっくりと少女の下まで歩み寄った。
「申し訳ありません。貴方は一体何者でしょうか?」
「………………うん?」
あくまで丁寧に話しかける。
話しかける存在に気付いた少女は険しい表情を浮かべている俺を見るとこう言ったのだ。
「ここがワルツ家のお屋敷よね? ねえそこの貴方。貴方がワルツ家に仕える者ならここのご主人様に伝えて欲しいわね。『魔術師シャル・クラウドが教育国家アシュバルトから遥々芸術の国ダリアンへ到着しましたよ』とね」
「………………はい?」
捲し立てるように発せられたその言葉に俺とショーラさんはぽかんとしながら目を見開くことしかできなかった。
「あら、お客が来たのに対応が遅いわね。もし私が賊でもそんな顔をするのかしらね」
「あ、いえ。すぐに伝えて来ます!」
顔色一つ変えずにとんでもない事を抜かした少女の言葉を聞いて、ショーラさんは慌てた様子で屋敷の中へと入って行った。
「……………………」
「……………………」
その場に残ったのは俺とシャル・クラウドと名乗った少女のみ。彼女は表情を一切変えずに俺の顔をじっと眺めていた。
「………………貴方よくみると男前ね」
「はい、恐縮です」
この重苦しい空気に息が止まりそうになる。何故俺は初めて出会った女性に顔をジロジロと見られなくてはいけないのか。
「やめてください」と拒絶したいがワルツ家の客人であろう彼女にそんなことを言えるはずもなく、俺はただただ静かに待つしかできない。
そうして舐めるような視線を俺の顔に向けていた時、見つめていた彼女が唐突に「あら?」と首を傾けた。
「その色、貴方は。………………まさかね」
「………………?」
ぽつりと呟かれた意味深な一言。言葉の意味は理解できなかったがその言葉の中に孕むなにかに何故か強い既視感を覚えた。
「お待たせして申し訳ない」
その直後に、マリアンさんとワルツ卿が焦った様子で玄関前に到着し、客人である彼女を連れて屋敷の中へ入って行くのだった。
○○○
舞台は玄関前から応接室へと移る。
「まずは出迎えが遅れたこと、誠に申し訳ない」
「そうね。客人の出迎えは迅速にしないといけないわね」
ワルツ卿の謝罪に対してクラウド嬢はのほほんとした大人然とした様子で受け流しながら、マリアンさんの淹れた紅茶を口元で傾ける。
「このミルクティー、甘くて美味しいわね。私の好み」
そして飲み干した紅茶に対してシャルさんは好意的な反応を示した。表情は一切変化してないが。
ちなみにあのミルクティーには砂糖が四杯入っている。初めて飲んだ時は喉がとてつもなく乾いたことを今でも覚えている。
「それはよかった。それで本題だが、貴方がアシュバルトで魔術の研究を行っているシャル・クラウド博士でよろしいのかな?」
「ええそうね。私がアシュバルトで魔術の研究をしている魔術師シャル・クラウド。貴方が魔術について知りたいって言うのをレイズ君から聞いてね。面白そうと思ったから飛んで来たの」
「なるほど。私のためにわざわざ時間を使ってくれたこと、感謝する。長旅でお疲れだろう、今日はこの屋敷でゆっくりと疲れた身体を休めてくれ。魔術については後日教えてくれると嬉しい」
「そうするわね。ところで一つ聞きたいのだけどね…………」
そう言ってクラウド嬢はワルツ卿の後ろに控えていた俺に視線を向けた。
その目からはどこか獲物を見つけた狩人のような恐ろしい雰囲気が漂っており、思わず顔を強張らせてしまった。
「そこの彼は誰なのかしら? この場所にどうにもそぐわない色をしているわ」
「色……………? 彼はダリアンの騎士であるクレイング・ラーブルだ。貴騎相関の儀というこの国の儀式のためにこの屋敷へ派遣されている。本来は騎士団に所属しているが、今は私に仕えている」
「騎士…………なるほどね。わかったわ」
「納得いただけたのなら何よりだ。この後は私と彼が屋敷の中を案内しよう。アシュバルトの学園ほどではないがここもそれなりに広いのでな」
「ええ、そうしてくれるとありがたいわね」
その後、ワルツ卿とシャルさんは互いの紅茶の最後の一雫が無くなるまで他愛の無い雑談を交した後に、屋敷の案内が始まった。
最初に訪れたのは東館の奥にある講堂からだ。
初めてこの屋敷に来て案内されて以来二回目の立ち入りだが、相変わらず開放的で壮観な光景だ。
「こちらは社交などで使用する講堂だ。侍女長に言えば開放させるのでもし使うことがあれば言って欲しい」
「ええ、そうするわね」
淡々としたワルツ卿の説明にクラウド嬢は生返事で返す。
そしてある程度講堂内を見回している彼女の視線がある物へと向けられた。
「ねえ、あれは何かしらね? かなり長い間そこに置かれていそうだけど」
「あれは我が家の家宝であるピアノという楽器だ。今は私の娘が侍女長の指導の下で、毎日のように弾いている」
「へえピアノと言うのね。ああ言ったものはアシュバルトには無いからとても新鮮だわ」
そう言ってクラウドさんは置いてあるピアノの鍵盤をゆっくりと押し、ファの高い音が広い講堂内を包み込んだ。
どうやらアシュバルトにはピアノという楽器は存在しないようで、とても強い興味があるようだ。
「変わった音がするのね。………………次の場所へ案内してもらってもいいかしら?」
「ああ、付いて来てくれ」
その後もテラス、ワルツ卿の執務室、資料室を見て周った。だがクラウド嬢は案内を受けている間も表情一つ動かすことなく淡々とワルツ卿の説明を聞いていた。
(魔術の研究者とは聞いていたが、無愛想な人だな)
アシュバルトの人は寡黙で物静かな人というのは聞いたことがあるが、まさかここまでの態度を表に出さないとはね。
どれだけ説明をしても飄々と受け流されているワルツ卿が少し不憫に思える。
「さて、ここが最後だ」
「そうなのね」
まったく変わらないクラウド嬢の淡々とした態度に俺は内心辟易しながらも、俺は両開きの扉を開いた。
「あら、いい匂いね」
扉を開くと香ばしい匂いが我々を出迎える。最後の案内先はワルツ家の食堂だ。
時刻はもうお昼過ぎ、そろそろお腹が空いてくる頃合いだ。
「クラウド殿、ここで昼食としよう。当家のもてなしをぜひ堪能してもらいたい」
「嬉しいわね。ダリアンの食事は有数と聞いているから楽しみね」
ワルツ卿とクラウド嬢は向き合うように席へ座り、俺は仕えている主人であるワルツ卿の後ろに立つ。
そしてまるで見越したかのようにマリアンさんが食堂の奥から現れ、二人の前に料理が盛られた大皿を並べた。
「さて」
ワルツ卿は料理が並べられたのを確認すると、ゆっくりと立ち上がりながら丁寧な所作で礼をした。
「改めてシャル・クラウド殿。芸術の国ダリアンへようこそ。短い間となるがこの国を楽しんでもらいたい」
それはまるで舞台劇の一幕のような光景だった。
この威厳がありながらも優雅な振る舞いこそ貴族が貴族たり得る理由なのだろう。ダリアン十二貴族といえど客人に対しては最大限の礼を尽くす、まさに貴なる者の振る舞いだ。
本来ならその優雅さに心を奪われるはずなのだが…………
「そんなことよりこの料理は何かしらね? 嗅いだことのない匂いがするわね」
優雅な貴族の振る舞いよりも彼女は目の前に置かれた料理に心を奪われていた。その姿はまるで露店で美味しい焼き菓子に夢中になっている少女のようで、表情筋は一切動いていないのにその瞳はキラキラと光り輝いているように見えた。
まあアシュバルトという遠い国の人からすれば貴族の振る舞いなど知る由が無いだろう。ましてや魔術の研究者である彼女にとって、優雅さや礼儀など知っことでは無い。
故にこうなるのも仕方のないこと。
しかしこれではせっかくの優雅な振る舞いも台無しだ。
ワルツ卿は苦々しい表情で唇を震わせながら、まるで引きずるような足取りでイスに座った。
ワルツ卿、気の毒に。これはとても悲しいことだ。
「………………マリアン。この料理の説明を」
「はい、かしこまりました。本日のご昼食はクラウド様にダリアンの一般的な食事を知って欲しいと思いワンプレートを用意させていただきました。並べられました大皿に様々な料理を盛り付け、ご自身の好きな物を順に食べられます」
どのような予想外な事態になっても毅然として主人の命を尽くす。さすがマリアンさんだ。その右手の甲に浮き出ている血管を見逃せばだが。
とはいえ料理は本当に美味しそうだ。香ばしい匂いに俺の腹の中の虫も「それ食べてみたい」とねだってしまいそうになる。
「先程クラウド様が疑問に思った匂いはポワレにかけられたレモンソースでしょう。こちらはバターとレモンを煮込み胡椒を振って味を整えております。レモンの爽やかな風味とバターのまろやかさがポワレのカリッとした食感と相性抜群でございます。他にもキャベツとジャガイモのサラダ、そしてデミグラスのハンバーグを…………」
「ハンバーグ!!!? ほんとに!?」
「……………………は?」
この時、食堂の時間が一瞬停止した。
俺は言わずもがな、普段から冷静であるはずのワルツ卿やマリアンさんまでもが口をぽかんと開けた表情で硬直していた。
それはこの場には似つかわしくないほどに嬉々とした歓声、まさしく好きな食べ物を前にした子供の声だった。
その発生源は分かりきっている。先程まで表情筋を一切働かせていなかった魔術師殿だ。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
沈黙が痛い。痛すぎる。何も悪いことをしてないのに鳥肌が立ち、羞恥の感情で顔が熱くなってしまう。
おそらくこの場にいる全員が「この状況をどうにかしてくれ」と思っていることだろう。そして今の俺はワルツ卿に仕えている身、ならば俺の取るべき行動は一つしかない。
「あー、このままでは料理が冷めてしまいます。お二方とも召し上がられてはいかがでしょうか?」
「あ、ああ、そうだな。クラウド殿、この国の味を思う存分に堪能して欲しい」
「ええ、そうするわね。どれも美味しそうで迷ってしまいそうね」
そう言ったクラウド嬢の手に持ったフォークは迷うことなくハンバーグへ突き刺した。
そしてハンバーグを一口食べたその表情はまったく笑っていなかったが、赤色に染まった頬がこれでもかと言うほどに吊り上がっていた。
(なんというか、この人のことがちょっとわかってきたぞ)
先程俺は彼女のことを『無愛想な人』と評したが訂正する。
アシュバルトの魔術師シャル・クラウド嬢は驚くべきほどに感情豊かな人物だ。それこそレイさんに負けずとも劣らないほどに。




