第2話 騎士は慌ただしい一日にため息を溢す
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この国の季節も冬に入り、大通りを歩く人達の服装も厚くなり始め今まで耳をすませば嫌でも聞こえて来ていた即興音楽の音色は小さくなった。
俺も普段の制服の上に長いコートを羽織ることになり身動きのしづらさに少し歯痒さを感じる。
「クレイング様、こちらのテーブルを東にある部屋の一室へ運んでください。扉が開いているのでそれが目印です」
「わかりました」
しかしそれでもやるべきことは変わらない。
貴騎相関の儀が始まって三ヶ月の時が経ち、俺も屋敷の仕事に関してはかなり慣れてきた。そのおかげかマリアンさんから色々なことを任されることも多くなった。
現在も女性一人では持ち運べないような大きなテーブルを一人で運んでいる。
目的地は屋敷の東側。そこは主にマリアンさん達侍女が寝泊まりをする宿舎、その中の一室、物置きみたいな殺風景な部屋を立派な客室にするために俺は屋敷の中を奔走していた。
ベッド、キャビネット、チェスト、テーブル、イス、本棚。数えていたらキリがないほどに屋敷の中を往復し、終わる頃には陽が落ち始めていた。
俺は屋敷の正面玄関に置いてあるイスに背中を預けながら、天井を仰ぎ見ることしかできなくなっていた。
「ふう…………」
「お疲れ様でした、こちらレモンティーです」
「あ、ありがとうございます」
マリアンさんから労いの言葉と共に温かい紅茶を受け取って一口飲む。
酸っぱい風味が疲れた身体に染み渡る。そして一つ伸びをすれば先程までの疲れが一気に吹き飛んだ。
「おお、なんか身体が軽い!」
「レモンは疲労回復の効果があります。どうやらその効果がしっかりと出たようで」
「なるほど」
つくづく思うが、マリアンさんの優秀さには脱帽してしまう。そしてこんなに優秀な人を仕えさせているとは、主人であるワルツ卿も見事な人だ。
「ところでこれは何の準備をしていたのですか? 色々な物を運んで部屋を整えていましたが」
「ああ、クレイング様には言っていませんでしたね。近々アシュバルトの方からお客様がいらっしゃるのです。どうやらかなりの賓客の方らしく、最大限のもてなしの準備をするようにと旦那様から申しつかっております」
「アシュバルトから…………」
『ぷぷぷぷ…………』
アシュバルト。その地名を聞いてどこぞの女貴族の笑い声が耳の奥に過った。
女貴族曰く、魔王を倒した勇者の一人である『ある人物』はアシュバルトへと魔術の知識を持ち出したらしい。
おそらく魔術という驚異的な新技術を間近に見たからだろう。それほどまでに彼女とのあの夜は俺の中で強い記憶として残っていた。
そしてまるで示し合わせたかのようにアシュバルトから来客が訪れることになった。
(………………まさかね)
『そんな不運起こるはずがない』と、頭を左右に振ってくだらない妄想を思考の片隅に追い出す。
そうして残りの紅茶を飲んで立ちあがろうとしたその時だった。
「はあ、はあ、ただいま戻りましたぁ!」
「おや?」
「ショーラさん?」
まるで犬の遠吠えのような上擦った声と共に幼い犬族の少女が自分の身長の半分のほどの大きい袋を両手に屋敷の中へと入って来たのだ。
ショーラさんの持つ袋の中には大量の食材が詰め込まれており、玄関を超えるのにも苦労してそうだった。
「ああ、そんな無理はしないで。俺が持つからさ」
「クレイング様………………、ありがとうございます!」
「そちらの食材は厨房の方へ。ショーラは汗を拭きなさい」
そうして疲れてぐったりとしたショーラさんと、それを介抱しているマリアンさんを横目に俺は大きな袋を両手に厨房へと向かった。
おそらく例の賓客に振る舞う料理に使う食材なのだろう。まさかここまで買い込むとは余程の大物のようだ。
「…………とりあえず持っていこう」
色々気になることはあるが、今は気にしている余裕はない。
こうしてワルツ家の日常は静かに過ぎていくのであった。
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ワルツ家での仕事が終わり、俺はいつものように黄昏の家へと足を運んでいた。
先にも言った通り冬の大通りはなかなか寂しいもので、盛況とは程遠い静かな静寂を生み出している。
道中で耳にする音楽もトランペットやサックスなどの金属製の音色からバイオリンやチェロなどの糸製の静かな音色に変わっていた。
そんな寂しい雰囲気は貧民街でも変わらず、暗くなった空から聞こえるアコギの音色はまるで小さな子供が泣いているようにも聞こえてくる。
だが通り過ぎる道の景色はいつもと同じ。散乱したゴミで敷かれたオフロードを歩いて行くと慣れ親しんだ酒場の看板が姿を現すのだった。
「こんばんは」
「お、来たぞ!」
「こんばんはブルース様、首を長くしてお待ちしておりました!」
「ふん…………」
黄昏の家の扉を潜ると、ラギアンさんとヴォリスさんとレイさんの三人が待ってましたと言わんばかりの顔をしながら俺を出迎えた。
「俺を待っていたようでしたけど…………、どうかしたんですか?」
「ええ、そうです! 私達ブルース様に聞きたいことがあるのです」
「聞きたいこと?」
「ズバリ、騎士について教えて欲しいのです!」
「騎士について………………?」
ふんすと鼻を鳴らすレイさんの質問に俺は困惑するしかなかった。
何せあまりにも唐突、しかもその内容が『騎士について教えて欲しい』だ。いきなりすぎて思わず聞き返すのも仕方ないだろう。
「ええそうです! ブルース様に…………」
「待って待って、流石にいきなりすぎて訳がわからない! 何でそうなったかの経緯を教えてくれ!」
「あ、申し訳ありません。興奮しすぎていました…………」
「あはは、レイちゃんは興奮したら止まらないからね。そんじゃあ俺から説明しようかね。まあほぼそこで難しい顔をしてるじいさんが原因だけどな」
「…………ふん」
ラギアンさんが言うには、ヴォリスさんが騎士小説の参考にするための本物の騎士である俺の話を聞きたいとのこと。
ちなみに俺がその説明を聞いている間、当のヴォリスさんは瞼に力を込めながら酒を飲んでいた。
「じいさん、自分の書いた渾身の作品が出版社に一蹴されたからイライラしてんだよ」
「ああ、そういうことですか…………」
「とはいえ歳を重ねたじいさんの難しい顔を見続けるのもむさ苦しくてたまらないからさ、ここは一つ騎士様のお話を聞かせてくれないか?」
「おい若造。お前はいちいち一言が多いぞ」
「あ、ははは…………、俺の話でよければいくらでも話しますよ」
そうして俺は一つ咳払いをして場を整えた。
しかし騎士の話と言っても何を話せば良いのやら。あまりにも内容が大雑把な故に話す内容が不透明だ。
『いいかいクレン、ボクたち騎士というのは中々変わった存在なんだ』
そんな時、頼れる騎士団長の言葉が脳裏に浮かんだ。
「…………騎士というのはこの国を守る盾」
「盾か、なんともわかりやすく、しかしありきたりな…………」
「それと同時に国を脅かす者全てを喰い千切る『猟犬』でもあります。国を脅かす者ならそれこそ神ですらその牙を向ける対象となる」
「猟犬…………ですか」
それは俺がまだ騎士団に入りたての時に騎士団長が教えてくれた騎士としての心情だった。
『ダリアンの騎士は常に国を守り、そして不届者を監視し罰するする猟犬である』と。彼女は言っていた。
「騎士団はどのような勢力にも属さない中立の立場を取り、国の安全の維持と外からの脅威の対処を一手に担っています。中立だからこそその責任は重く、そして中立だからこそこのダリアンを外や内から守ることができるのです」
「なるほど。組織という鎖に縛られず、騎士が持つ超法規的措置という牙を以て国という存在を守る。まさしく猟犬だな」
ダリアンの騎士団には『疑わしきを罰せる』という暗黙の了解がある。もちろん罰するにはそれなりの証拠が必要だが、この超法規的措置は騎士団という存在の畏怖と信頼の象徴でもあるのだ。
「まあ最近はそのような超法規的措置を取る事例も少ないのですけどね。ですが我々騎士団がこのダリアンの平穏を守るために影ながら尽力していることはわかって欲しいですね」
「いや、なかなかすげえ話だな。猟犬って…………」
「ええ、ですがかっこいいですね!」
「……………………」
騎士の説明に三人は様々な反応で答えてくれた。
ラギアンさんは、驚きと困惑が入り混じった初々しい表情を浮かべ、レイさんは尊敬の念が込められた嬉々とした笑顔を見せている。
「あれ、ヴォリス様?」
「騎士という名の猟犬、いっそのこと実際の獣が騎士の一員となった話にしてみようか。『氷』と呼ばれる非情で冷徹な騎士と獣の話、そして…………」
一方のヴォリスさんは額に左手を当てて、ぶつぶつと呟きながらいつの間にか取り出した安物の紙にペンを走らせていた。そんな様子に心配したレイさんが声を掛けるが彼が返事することは無い。
その険しい表情からは酸いも甘いも知り尽くしたベテランの雰囲気が垣間見える。
「あー、じいさんの作家の熱が灯ったな。こりゃあしばらくは何言っても気付かないぞ」
「みたいですね。ブルース様のお話が大変参考になったんだと思いますよ」
「そうなのかな? ならよかったよ」
そんな風に軽い返事をしてグラスに入った酒を飲んだ。
「………………」
そういえば長らく忘れてた。
『騎士は国を守る盾であり猟犬』という言葉を。そして昔に騎士団長に叩き込まれた騎士の心得を。
果たして今の俺は憧れていたあのハートの騎士のようになれているのだろうか。
その問いに答えれる者は俺だけだ。だけどまだ答えは見つかっていない。悲しいことにね。
「はあ………………」
様々な鬱屈さを溜め込んだため息を吐きながら、残りの酒を一気に喉へと流し込む。
これが俺の困難を極める三日間が始まる前日の、肌寒い冬の入口での一幕だった。




