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ダリアン幻奏楽譚〜弦と剣にてワルツを奏でる〜  作者: ジョン・ヤマト
第三章 道化は愉快な舞台を閑歩する
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余韻 騎士は愉快な舞台の裏を閑歩する

   ○○○

「Guaaaa…………」


 青い月が照らす静かな夜。揺蕩う湖の水面が黒い影によって小さな波紋を作り出していた。

 黒い影は唸り声を上げながら、手に持った()()()を赤く染まった湖に向かって雑に放り投げた。

 その()()()はぐしゃりと不愉快な音を立てながら浅い湖の底へと叩きつけられるのだった。


 黒い影は音の事など気に留める事もなく、辺りに転がっている()()()を掴み上げると、まるでハトに餌を与えるような気軽さでその()()()を再び放り投げるのだった。


「Guaaa…………」


 静寂の夜の中で聞こえるのは黒い影の唸り声のみ。

 赤い湖の中で生きている生き物はこの影だけだ。


 時折かちゃんと剣の合わさる音も聞こえて来るが、そんなか細いものなどすぐにかき消えてしまうのみ。そして()()()へと成り果ててしまう。


 そうして月が気色悪い黒へと変貌した時、この場には似つかわしく無い者が現れた。


「あなた………………」


 それは質の悪い布切れを身に纏った女性。

 湖に浸らせた素足を重く踏みしめながら影に憐憫の眼差しを向けていた。


「Guaaaa…………」


 影は彼女の小さな声に気付くと俯いていた顔をゆっくりと上げる。

 

 華奢だった身体は大きく膨れ上がれ、端正だった顔はまるで魚のように醜く変貌し、白かった手は辺りに散らばる()()()から噴き出るそれによってどす黒い赤に染まっていた。


 そこにはかつて傲慢な王に全てを奪われ宵闇の神へと身を捧げた、女性の婚約者である男の成れの果ての姿が映っていた。


「ああ、ああ! 貴方はこんなにも苦しんだのね…………! あの噂を耳にした時は………………彼の王に仇をなす一匹の魔の存在の話を聞いた時は嘘だと思いたかった!! でも日を追う毎にその嘘は真実になってしまう。あの残虐を生き残ってしまった私にとって、変わってしまった貴方に会う事がこれほどまでに辛いことは思いませんでした!」


「Guaaa………………!」


 最愛の者が生きていたという喜び。男は我を忘れて彼女の元へと駆け寄ろうとした。が、手に染まっている赤色と湖に映った己の姿がその足を踏み止まらせてしまう。


「G、G、Gyaaaaaaa!!?!?!!」


 男は苦しそうに頭を掻きむしった。

 復讐という快楽によって麻痺させられていた感情が解放され、湖に映し出された己の醜い姿に恐怖したのだ。

 子供のように泣き叫び、彼女に『俺を見ないでくれ』とでも言うように自身の顔をその爪で抉っていた。


 なんとも哀れな光景か。

 復讐の果ての結末はこの様だ。


 しかし彼女は変わってしまった男に恐怖する事なく一歩、また一歩と男へと歩み寄った。


「ごめんなさい、私は今から許されない罪を犯します」


 力強く歩む彼女の手には、銀色のナイフが。

 そして男の目の前まで近づくと手に持ったナイフを彼の心臓に目掛けて思いっきり突き出すのだった。


「Guaaaaaa!!!!!!」

「ごめんなさい。苦しむ貴方を救うにはこうするしかないの…………! 私を許さなくても良い、でもこれ以上自分を傷つけて欲しくないの!」


 懺悔の言葉と共にナイフに更なる力を込める。

 男は痛みにもがき苦しみながらも、どこか救われたように笑いながらその命が尽きるまで、この宵闇の月の下で叫び続けた。


「……………………」


 そうして動かなくなり()()()へとなった男の頬を、彼女は涙を浮かべながら優しく撫でた。


「おやすみなさいあなた。遠いところでゆっくり休んでくださいね。私は……………私は………………貴方をずっと忘れませんから」


 そうして月が落ち、夜明けと共に太陽が登る。

 金色の太陽に照らされた彼女の姿は、まるで明星のように輝いて見えた。





   ○○○

 舞台の幕が降り、割れんばかりの歓声と拍手が広い会場を包み込んだ。

 そして幕が再び上がると、舞台袖から役者の皆が笑顔を浮かべながら登場する。カーテンコールだ。

 役者の一人一人が大手を広げながら頭を下げ、観客が拍手を贈る。まさしく大団円の舞台に相応しい幕引きだった。


「ああ、クレイング様、見てください。あの役者の人がわたしに微笑んでくれています!」

「それはよかったです。最後の最後に良い思い出が作れましたね」


 俺の隣ではショーラさんが涙を流しながらで拍手を送っていた。


 今もそうだが、この大劇場に訪れた時からショーラさんの舞台への熱は尋常ではなかった。

 ワルツ家の屋敷ではあまり娯楽が少ないからだろうか。舞台の上で繰り広げられる展開の一つ一つに彼女は真剣に見つめ、そして情動を常に揺れ動かしていた。それこそ物語の中に入り込んでいたのではと錯覚するほどに。


 少なくとも俺は舞台の上で繰り広げられる『物語』を、どこか遠い存在のものとして考えており、そこに対して感情移入ができていなかった。

 

 しかし彼女は俺とは違い物語を間近に、そして自身の事のように眺めていた。そんな事ができるとは本当に羨ましい限りだよ、悲しいことにね。


(いや、何で彼女を羨む必要があるんだ。最近忙しくて疲れているのかね…………ハハッ)


 そうして少し嫉妬している自分を笑っていると、舞台に変化が訪れた。


『ここまでご覧いただき誠にありがとうございました!』

『ありがとうございました!!』


 どうやらカーテンコールも終わり、舞台は本当の幕引きが訪れたようだ。

 会場内の観客も一人一人退室して行き、最後辺りで俺とショーラさんも会場を後にし大劇場前の広場へと移動した。


「クレイング様、本日は本当にありがとうございました! 今日の出来事全てが大切な思い出です!」

「俺も楽しかったよ。ワルツ卿の付き添いの時は途中までしか見れなかったからね。最後まで見れて本当によかった」

「ですね、主人公の最後と婚約者の覚悟、辛いお話でしたがとても心に響きました。あれも一つの愛の形なんでしょうね…………」


 少し寂しそうな顔をしながら物語の顛末を語るショーラさん。

 彼女の感受性の高さから来るのであろうか、話しているその姿から時折艶めしい態度が垣間見えた。特に『愛の形』という言葉の時に強く。つまりはそういう事なのだろう


「そ、そうなんだろうね…………。あ、ショーラさんは帰りはどうするの? よかったら屋敷まで送って行こうか?」

「あ、大丈夫です、私ならここから歩いて帰れるので!」

「そう。ならここで解散で大丈夫かな?」

「………………ええ、わかりました! それじゃあクレイング様、また明日にお屋敷で!」


 そうしてショーラさんは俺に背を向けて駆け足気味に去って行くのであった。

 彼女の背中から漂う重苦しい雰囲気の正体を俺は知っていたが、俺は引き留める事はできなかった。


(いずれ裏切るであろう相手だから………………悲しいことに、な)


 まったく、我ながら融通の効かなさに呆れてしまう。

 『流れに身を任せるのは悪では無い』という先人の言葉を飲み込むにはまだまだ時間が掛かりそうである。


(………………行きますか)





   ○○○


 俺はくるりと踵を返して再び大劇場の扉へと入り、舞台が終わり余韻の静けさが残る廊下を歩いて行く。

 会場脇にある十六段の階段を登り、すぐ右手にある扉を開く。

 そこは先日、ワルツ卿と共に訪れた大劇場にある接待用の貴賓室だった。


「お待たせして申し訳ありません。そして、わざわざご足労いただき誠にありがとうございます」


 部屋へ入って開口一番、待ち人に向け挨拶を贈る。

 待ち人は俺の声に気付くとゆっくりと振り返りこちらへ顔を向けた。


「なに、わざわざこんな舞台を招待してくれたんだ。魅力的な舞台に行かぬのは貴族の恥というべきだよ」


 でっぷりとしたお腹を揺らし尊大な態度で出迎えた待ち人、ダリアン十二貴族序列第四位ロンド家当主『サンバルク・ドゥ・ロンド』は俺をソファへ座るように促すと手元にあったワインを一つ口元で傾けた。


「君は確かワルツに派遣された騎士だったな。名前は確かクレイング・ラーブル………………いや、ハートの騎士様の方が良いかな?」

「その話は勘弁してください。なにぶん騎士とは関係ないプライベートな話題ですから」

「ハッハッハッ! いやはや申し訳ない。君のような若者を見るとつい悪戯したくなるのだよ。………………それで、わざわざ私をここへ招待した理由は聞かせてもらえるのかな?」


 ロンド卿は唇を吊り上げわざとらしく問いた。どうやら俺の目的はある程度分かり切っているようだ。

 さすがはダリアン十二貴族の一角、余裕綽々よろしくこの状況すらも舞台劇の一つ程度と考えているのだろう。それなら遠慮なくやらせてもらおうか。


「………………ロンド演劇祭の前日、貴方の統治するエリアにある闇市が騎士団によって摘発されました。取引されていた主な商品は剣や槍などの武器類、偽造金貨の型やこの国の貴族の交わした密書などがありました」

「ほお、私の街でそんな恐ろしい事が起こっていたのか! 摘発してくれた騎士団には感謝しかないな」

「………………、その闇市の元締めはかなりの臆病者、良く言えば危険に対して敏感な人でした。おかげさまで摘発の際に逃げられてしまい、捕縛がかなり遅れてしまったのです」

「………………ふむ、それでその臆病な元締めがどうかしたのかな?」


 ロンド卿は優雅にワインを傾けながら続く言葉を待っている。

 真の貴族はどれだけ追い詰められようと余裕を崩さないとは言われているが、実際に間近に対面するとその掴み所の無さにどこか恐ろしく感じてしまう。まるでどこかの騎士団長のようだ。

 だが俺も腐っても騎士、この程度で恐れていては話にならない。


「そんな臆病者はもしもの時のためにある資料を残していたのですよ。これは闇市の顧客のリストです。そして…………ここを見てください」


 そうして資料の一番上にある人物の名前が書かれている場所を指差した。

 そこには波のような筆跡でこう書かれていた。

 『宵闇の月と明星の君』と。


「明らかな偽名です。これを見た時はこの人物は演劇好きなの人なのだろうと思っていました、何せ劇の題目のタイトルですからね。ですが調べてみるとこの名前について意外な共通点が見つかりました」

「……………………」

「どうやらこの題目の舞台が開かれた日に、闇市も同時に開かれていたらしいのです。…………ロンド卿、この大劇場のオーナーである貴方には舞台の演目を決定する権利を持っていますね。そして『宵闇の月と明星の君』の舞台をかなりの頻度で開催しています」


 俺の追求にロンド卿は沈黙したままだ。

 しかしその様子は焦っているとか、怒っているとかではない。まるで小説の読み聞かせに耳を傾けているかのような落ち着いた態度だ。


「言ってしまえばこれは元締めのミスなのでしょう。何せ本物のボスに繋がりうる証拠を残してしまったのですからね。心中お察ししますよ」

「………………これが証拠になるとは言い難いのではないか? 演目と闇市なんてただの偶然で片付けてしまえる」

「はい。確かにこれは証拠になりません。言い掛かりにも等しいこじつけであり裁判所(スカース)で軽くあしらわれるのがオチでしょう。ですが………………騎士団には関係ありません。私の手にあるこの紙とそれに基づいたそれなりの根拠があれば良いのです。必要なのは『厳正に基づいた証拠』ではなく『大義名分』です」

「ハッハッハッ、なるほど。…………まあ及第点と言ったところか」


 俺達しかいない劇場の中でロンド卿の笑い声と拍手の音が鳴り響く。

 そうしてひとしきり笑うとニヤリとほくそ笑みを浮かべながらわざとらしい口調で語り始めた。


「闇市という到底許されない罪を見過ごしてしまい、その結果、騎士団に手間を掛けさせてしまった。今回の件は私の力が至らなかったのが原因だ。大いに反省しよう。そしてこれは相談だが、その紙を譲ってくれるかな? 必要な物があれば融通しようではないか」

「……………………」

 

 まるで舞台劇でよく見るような気取った台詞回し。さすがはこの大劇場のオーナーとでも言うべきか。

 そうして語られたのは証拠である顧客リストの買取の提案、つまるところ『要求を言え。それで目溢ししろ』ということだ。

 この傲慢極まる態度、そして己が許されると確信しているその豪胆さ。これだから貴族というのは気に入らない。本当に気に入らない。

 このまま一発顔を殴ってやりたいがこれも任務のためだ。大人しくこちらの望む物を答えてやろう。


「要求は二つ。まず金貨を三枚、騎士団へ寄付しておいてください」

「その程度の金額で良いのかね。私は桁が二つほど多くても構わないが?」

「これに関しては、他の十二貴族に対しての辻褄合わせですよ。『ロンド家と騎士団がある小さな取引を交わした』というような内容を適当に言っておいた方がお互いの都合が良いでしょう?」

「なるほどな。確かに余計な火種は他所へ追いやるに限る。それで、二つ目の要求とは?」

「…………近々、ダリアン十二貴族序列第三位・アルアンビー家の領地にてちょっとした小火(ぼや)騒ぎが起こります。その騒ぎを貴方の力で穏便に治めて欲しいのですよ」

「なっ…………、アルアンビーだと!?」

 

 ここで初めて、ロンド卿の余裕の態度が崩れた。

 どうやらこの提案に関しては彼の予想を超えた内容だったようだ。

 いやはや、貴族の余裕が崩れた表情は少しスッキリするよ。


「貴様………………、一体何をするつもりだ?」

「それに答える義務はありませんね。ロンド卿、貴方が今すべき事はイエスかノーかを答えることです」

「………………良いだろう。背に腹はかえられない、貴様の要求、確と承ってやろう」

「応えていただき誠に感謝します。それでは取引成立という事でよろしくお願いしますね。顧客リストはこちらに置いておくので。…………それでは失礼します」


 そうして証拠である書類を雑に置くと、ゆっくりとした足取りで貴賓室から出て行く。


 これでやるべき事の準備は整った。あとは計画(プラン)を立て実行するのみだ。


「……………………」


 十六段の階段を下りながら先日の事を考える。

 それは演劇祭が終わってしばらく後、あの面倒くさい情報屋から呼び出された時の出来事だ。




「フフフ、やっぱり私の眼には狂いは無かったわぁ。自慢して良いわよ、ラプソディ家のニヤニヤ領主を口説き落としたのだからね♡」

「はあ、いきなり呼び出してご挨拶だな。それで、どんな用事だ」

「ヘミアンが貴方に借りを作るとか言っていたことよ。覚えてないかしら?」

「うん? あぁ、あれか」


 確かラプソディ卿が俺のことを気に入ったからとか何とか言われたような気もした。

 闇市の件のゴタゴタもありすっかり忘れていた。


「それで、彼女に頼まれてわざわざ子供のお使いをしてるってことか。ご苦労様だな」

「あら酷いわね、私はこれでも忙しいのよぉ」

「そんなこと、俺が知ったことか。さっさと渡せ」

「もう仕方ないわねぇ。フフフ、そんな貴方も可愛いわよ♡」

「はあ………………」


 と、まあこんな感じのやり取りをした後、情報屋からラプソディ家の封蝋が押された手紙を受け取ったのだ。


 気になるその中身だが非常にシンプルな内容だ。


 封筒の中には一枚の紙。

 そんな飾り気も気風も無い、安っぽいわら半紙にこう一言だけ書かれていた。


 『裏切り者について知りたければ"レインデイ・ドゥ・ワルツ"を調べろ』と。

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【連載版】星空を見上げれば 滅びゆく世界で戦い続ける女の子達の物語です。 近代ファンタジーがお好きな方はぜひお読みください。
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