第30話 蛇の道は蛇
○○○
時は遡る。
演劇祭前日、肌寒い夕方の頃。
薄暗い貧民街の通りにて。
「………………それじゃあ俺はお先に」
「ブルース様?」
誰かの声が聞こえたような気がしたが、構わず俺は酒場を後にして、暗い夜道を歩き始める。
黄昏の家で行う演劇に関しては順調そのもの。しかし俺の顔色は自分でもわかるぐらいに落ち窪んでいた。
鬱屈した気分のまま俯き歩く姿などまるで安物の道化そのもの。哀れな姿に我ながら笑えてくる。
まさか最後の最後でこんなことになるとは。気分は最悪だ。
理由はもちろん闇市の首謀者である貴族について。
その後も必死になって調査をしたが、結局何もわからずじまいに終わった。
黄昏の家にいた時は必死になって演技に躍起になっていたが、こんな調子では明日の本番なんてとてもじゃないがいい演技などできないだらう。
そんな風に俺は頭にモヤモヤを抱えたままに夜の貧民街を重い足取りで進んでいた。
そんな時だ。
「アニキィ…………オデお腹空いた…………」
「我慢しろ。なけなしの金は全て使っちまったんだ…………」
ぐぅ〜、と。気の抜けるような音が響き渡る。
そして音の先には何時ぞやを思い出すような、例の凸凹コンビがまるで自分達のものと言わんばかりに通りのど真ん中で寝転んでいた。
以前見かけた時に着ていた綺麗な燕尾服はシワと埃によりその輝きを鈍らせ、血色の良かった顔色は今の俺以上に青く痩せこけているように見えた。
「…………何やっているんですか?」
「…………あ、緑野郎」
気迫も覇気もない、嗄れた声。
流石に見るも無残と言わざる終えない光景。彼らはつい数日前に用心棒の仕事に就いていたのだ。貧民街の奥でレイさんとポールさんの演奏の後に嬉々として自慢していたのを今でも覚えている。
順風満帆だった彼らが何故こうなったのか、知りたいというのが人情だろう。
「何か食べ物でも持って来ましょうか」
「ほ、本当か!」
「もうこの際なんでも良いからオデ達に何か食べさせてくれ!」
そうして俺は大通りにある屋台で適当な食べ物を買って彼らに施した。
数日振りの食事なのだろう。渡された食べ物は五分も経たない内に彼らの胃の中へと消えていった。
「ぷはぁ、食った食った!」
「こんなにうまいの初めてだぞ!」
二人は満足そうにしながら大きく膨らませたお腹をパンパンと叩いた。嗄れた声もかなりマシになり血色も綺麗なピンク色に戻っている。
ちなみに彼らの胃の中に消えた食べ物の値段は合計して銀貨二枚もした。まったくもって悲しいことだ。
だがここまですればある程度のことは答えてくれるだろう。
「それで、何でまたこんな場所に? 用心棒の仕事はどうしたのです?」
「…………なくなった」
「なくなった? どういうことですか?」
「なんか鎧着たヤツらが乗り込んで来てさ。客とか店のヤツらを全員捕まえてた」
「それは災難でしたね…………」
どこかで聞いたことのある話。
この時はまだ『そんなこともあるか』という程度の軽い関心だったが、その後の言葉からこの話題の関心の色が大きく変わっていく。
「あの偉そうな奴は一目散に逃げやがったけどな」
「それって……………………ちなみに貴方達はどこで仕事していたのですか?」
「うん、あのロンド? とかいう奴の領地にある商業区だ。どっかの市場みたいに色々な物が売ってたな。」
「………………」
商業区にある色々な物が売っており、そして先日鎧を着た者達が乗り込んだ場所。間違い無い、摘発された闇市だ。
とんだ偶然とはこのことだろうか、まさかこの凸凹コンビの働き先が闇市だとは思わなかった。
というより何故この二人を雇うのか。闇市というのはそこまで人材に余裕が無いのかと疑いたくなってしまう。
(確か偉そうな奴が二人に声を掛けて誘ったんだよな。………………ん? 偉そうな奴?)
この時、『まさか』という言葉が脳裏に過ぎる。探すのに難航している存在の手掛かりがこんなにもあっさり見つかる筈がないと心の中でその事実を否定している。
しかしこれはまたとないチャンスでもある。今はどんなにか細い糸でも掴まなければならない時なのだ。
だから俺は聞く。か細い糸を掴み取るために。
「………………ふと気になったのですが、お二人を雇った『偉そうな奴』って一体どんな人なんです?」
「あー、なんかボスとか呼ばれてたな。たぶんあの中で一番偉いんじゃないかなぁ」
「店の奴がアイツにペコペコしてたのオデ見たことあるぞ!」
それは探し求めていた人物の影だった。その事実に驚きと興奮で背中がびっしょりと濡れている。
だがまだ終われない、最後に聞くべきことが残っている。
「そのボスの見た目とかは覚えていますか?」
「覚えてるぞ! あのじいさん、鼻のところに髭がボーボー生えてて、指にキラキラした宝石がたっぷりあったぞ!」
「目の下から口にかけて大きな傷跡もあったな。あと人を見下ろす偉そうな目付きだな。あれで睨まれたら小便チビっちまいそうだ」
まさか、まさか、まさかのまさかだ。
今の今まで影すら踏めなかった意中の存在が思いも寄らぬ形で見えてきた。
この事実に俺の興奮は最高潮を迎えてしまった。まるで恋愛小説に出てくる乙女のようだ。
「お二人とも、ありがとうございました! 俺はこれで失礼しますね!」
「え? ああうん」
「またオデ達にご飯を食べさせてくれなー!」
こうして俺は淡い期待を胸に秘めながら夜の貧民街を駆け足で抜けて行くのだった。
○○○
そして現在。祭りの騒がしさで包み込まれた頃。
エリア・キャン・ディーズ。観光商業区の薄れた路地の中にある荒んだ店内にて。
「まったく。先日の騒ぎのおかげで大事な服に埃が付いてしまった上にあのブツまで取り忘れてしまうとはな」
そこにはカイゼル髭を伸ばし、顔に大きな傷が刻まれているいかにも偉そうな男と三人の怪しげな男達がいた。
偉そうな男は苛々しげに薄暗く広い店内…………取り締まられた後の闇市の一角で男達と何かを探していた。
荒らされた店内での探し物は難航していたのか、秋の出口であるというのに彼らの額には汗が滲んでいた。
しかしその苦労の成果は今になって実る。
「ボス、ブツの金庫をみつけやしたぜ! 壊れた壁に埋もれてやした」
「ようやくか。私にこんな苦労をさせるとは…………、本当に騎士団とは忌々しい! 金庫を早く持って来い!」
「へい」
そうして男の一人が小さな金庫を男の目の前へと置くと、男は懐から鍵を取り出して閉ざされた扉を開いた。
中に入っていた物。それは丁寧に革装丁された紫色の書物だった。長年の経過により所々が日焼けし煤けているが、見る者が見ればかなりの上等品だというのがわかる。
男は金庫の中身を取り出してホッと一息を吐くと、すぐ様ニヤリとほくそ笑んだ。
「クックック…………。これがあれば忌々しいこの国へ復讐ができる。お前ら、今すぐにこれをあの人の下へ…………」
「ようやくだ………………ようやく見つけましたよ」
その時だ。
俺が愛しの愛しの標的に相見えたのは。
「私の行きつけの酒場のマスターの故郷には『蛇の道は蛇』という格言があるそうなんですが。どこの国でも先人の格言というのはつくづく私達の道標になりますよね。貴方もそう思いませんか?」
「な、何だてめえ!」
俺は一足で彼らの下まで詰め寄り、最初に声を荒げた男のみぞおちに向けて一突きを喰らわせた。
「グボっ…………」
「なっ…………」
体内に溜まった空気と大粒の唾液を吐き出しながら護衛の男は倒れ伏せる。その唐突な出来事にすぐ様この場を真っ赤な戦慄が包み込んだ。が、もう遅い。
次に不意を突かれたことに動揺している隙に近くにいた男の胸ぐらを掴み引き寄せると、遠心力を利用して背後へと回り込みながら首を締め上げた。
「ぐぁっ! ぐるじ…………」
「この野郎、さっさと離しやが…………」
言葉は最後まで続かない。何故なら最後まで言い切る前に離してあげたのだから。
だが勢いよく離したおかげ二人は接触。頭をぶつけ合った彼らはそのまま荒れ果てた闇市を飾る愉快なアートへと成り果てた。
十秒にも満たない短い戦闘。その結果この場に立っている者は五人から二人へとなった。
「紹介が遅くなりましたがダリアン騎士団です。闇市の首謀者である貴方を拘束し裁判所の場で厳命に処して頂きます。ご安心ください。貴族による闇市首謀の場合は最低でも三十年の拘留と二百回の鞭打ちで済むでしょう。それを過ぎれば貴方は自由の身になるはずです」
「き、騎士団だと…………? 何故貴様らがここにいるんだ! 証拠は残してないはずだ!」
「先程言いましたよ『蛇の道は蛇』です」
「何を訳のわからないことを! …………なるほど、貴様らはコレが目当てだったのか? だから前に私の市場を襲撃し、今まで私を付けていたのだな!?」
「はあ…………」
闇市の首謀者である貴族の男は手に持った書物を抱き抱えた。
そして聞いてもいないのに、錯乱した様子で言葉を続けるのだった。
「これは私のものだ、これがあれば騎士団なぞ簡単に屠れるのだ! ククク、今に見ていろ。貴様ら薄汚い十二貴族の犬は私の前に無様に這い蹲るのだ!」
「………………ではそうなる前にその原因を取り除かせてもらいましょうか」
このまま話していても埒が開かない。このままこいつを拘束してそのまま舞台へと戻ろう。
そう思い貴族の下まで歩み寄ろうとしたその時。
唐突にゴンッと背中に強い衝撃が響き渡ると、俺はそのまま地面へと叩きつけられてしまったのだ。
「…………ッ!」
「ボス、今のうちに!」
「よ、よくやった、報酬は後でたんまりと渡してやる!」
背後から現れた伏兵。油断から生まれたその不意の一撃は貴族を逃す隙を与えてしまった。まさかこんな三下相手に遅れを取ってしまうとは、我ながら情け無い話だ。
「ハァッ!」
「ぐえっ」
仰向けに倒れながらも足を使って伏兵の脛に攻撃を浴びせ、そのまま足を絡め取って転ばせて顔面に拳を喰らわせた。
結局のところ三下は三下。少しの時間稼ぎはできても俺を完全に押さえ込むのは不可能だ。
貴族は逃げてしまったが、まだ遠くまで行ってない。早く追いかけないと。
「待て!!」
闇市を飛び出して急い薄暗い路地を駆け抜ける。
現在は演劇祭の本番。おそらく奴は人混みに紛れながら逃走を図るはずだ。
そうして俺は盛況極める祭りの舞台へと向かった。
○○○
「はあ…………はあ…………待て、止まれ!」
「ふう…………ふう…………しつこいぞ!」
奴はすぐに見つかった。ノロノロとした足取りからあまり運動に慣れていないのが見受けられた。このまま捕まえるのも時間の問題だろう。
………………だが。
「おい、あれを見てみろよ! なんか騎士と貴族が追いかけっこしてるぜ!」
「演劇の演出なのかな? すごい面白そうね」
「アハハハ、負けるなぁ、貴族の旦那!」
あろうことか一番騒がしい通りの中、俺と貴族の首謀者は走り回っていた。
人混みの多さから俺の足は阻まれてしまい、近づくことも困難な状況。それは奴も同じなのだが、一つ奴の優位な点が生まれていた。
「きゃっ!」
「そこの下女、邪魔だ! おいお前ら、さっさとアイツを撃退しろ!」
「ここじゃあ無理ですぜ。戦うならもっと広い場所じゃないと」
「チッ…………」
護衛の男達と奴と合流していたのだ。その数実に六人も。
とはいえ人混みの多いこの場所では奴らも俺から逃れる決定打は欠けていた。
そうして生まれる極度の緊張、切迫した状況。そして息が詰まるほどのもどかしい現状。
それらの心理的圧迫が重なった結果なのか、まさか奴があの様な行動に出ることになるとはその時の俺は思ってもいなかった。
「あの舞台に行く! あそこなら容易に人質も取れるはずだ!」
「え、でも目立っちまいやすが…………」
「もう構うものか! いいからさっさと行くぞ!」
「おい、待て!」
そうして奴らは強引に観客達を掻き分りながらある舞台の上へと登り、俺も続くようにその舞台の上へと躍り出た。
「はあ…………はあ…………追い詰めたぞ、ここで観念しろ!」
「ひゅ…………ひゅ…………ゴホッ!」
静まり返った舞台の上で肩で息をしながら睨み合う両者。
その時の俺はわかっていなかった、登り上げた舞台が一体どこなのかを。
「ブ、ブルース様?」
「…………え?」
聞き馴染みのあるその声で我に帰る。そこには華美なドレスを身に纏ったレイさんの姿。そしてその周りには各々の衣装を着た黄昏の家の面々が眼を丸くしながら俺達を見つめていた。
「まさか………………」
そのまさかだった。
俺達の乱入によって、静まり返った舞台で繰り広げられていた物語の行方は大きく変わろうとしていた。
「悲しみに満ち溢れた悲劇から面白おかしく笑い転げられる喜劇へと、ね。ぷぷぷっ…………」
━━━━舞台の行く末を見守る観客の影の中で、七色の輝きは静かに嗤うのだった。




