第23話 微笑みの狂詩曲(ラプソディ)④
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「どうぞ。こんな場所だけど、ぷぷぷ…………ゆっくりしていきなよ」
「うっ…………」
ラプソディ家の屋敷の二階へと登り、廊下の奥まで歩いて行き通されたのはこの屋敷の当主の執務室だった。
部屋に入った瞬間感じたのは眼を覆いたくなるほどの眩しさ。壁一面がカーテンに包まれた部屋の中は昼間の時とまったく同じ明るさだ照らされていたのだ。
「蝋燭も無いのになんでこんなに明るい?」
「ぷぷぷぷ………………まあ座りなよ」
怪しさしかない部屋だが、今はこの部屋の女主人の意向に従うしかないと俺は勧められた椅子に腰を下ろす。
俺が座るのを確認した女主人は飄々とした足取りでテーブルを挟んだ反対側の椅子に座った。
「ぷぷ…………、知ってると思うがまずは自己紹介と行こうか。ワタシはヘミアン・ドゥ・ラプソディ。ぷぷぷ…………ダリアン十二貴族の序列第七位、ラプソディ家の当主だよ」
「私は…………」
「ミスター・クレイング・ラーブル。ぷぷぷぷ…………ダリアン騎士団内にある秘匿組織の人間。だろ?」
ラプソディ卿は小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら俺の所属を言い当てた。
「ッ…………」
「ぷぷっ…………動揺して喉を鳴らした音を聴くに正解のようだね。ぷぷぷぷっ…………まあ気にしない気にしない、これは軽い自己紹介だよ」
そう言って手元にある冷めた紅茶を口元で傾けるのだった。
やはり油断ならない存在だ。俺の秘密を知っているのもそうだが、何よりあの掴みどころのない笑顔が嫌に恐ろしく見えてくる。
少しでも隙を見せた瞬間、彼女はまるで獲物を狩り喰らう肉食獣のように俺を襲って来るに違いない。
細心の注意をして挑まなくては。
「ぷぷ…………それじゃあ要件を聴こうか。なんで君はこんな夜中にワタシのお屋敷に来たのかなぁ?」
「…………ある人物から手紙を届けるように依頼を受けました。これがその手紙です」
俺は懐に入れた緑のネズミの封蝋が押された手紙をラプソディ卿の前に置く。先の戦闘で少し紙が折れてしまったが、読む分には問題ないだろう。
その手紙を見たラプソディ卿はやはり面白そうな表情のまま、手紙を手に取るのだった。
「ぷぷ…………なるほどね、アレが他人に手紙を預けるとはね。ぷぷぷぷっ…………君、よっぽど信頼されてるみたいだよ」
「ははは………、それはそれは、大変光栄なことですね」
むず痒くなる耳を掻きたくなる衝動を精一杯我慢しながら俺は下手な笑みを作った。
アイツに気に入られてる? 冗談じゃない。あんなヤツに気に入られるぐらいなら貧民街の凸凹コンビとダンスする方が圧倒的にマシだ。
そうして俺が心中で悪態を付いてる合間にラプソディ卿は手紙の封を解いてその中身を拝見していた。
三枚の手紙。紙から透けて見えるインクの文字数からしてかなりの長文のようだ。
「ぷぷぷぷ…………それっ」
しばらく無言の時間が過ぎた頃、ラプソディ卿はおもむろに読み終えた手紙を乱暴に破り捨てた。
ビリッと、引き裂く音と共に三枚の手紙と封蝋の押された封筒は紙クズと化した。
「何か気に入らないことでも書いてありましたか?」
「ぷぷぷ…………『三引く二は一』っていう当たり前のことが長々と書いてあっただけだよ。ぷぷ…………さて、それじゃあ後はワタシのやるべき事をやろう。"風よ"」
仮にここが大通りの路上なら万雷の拍手が贈られるだろうか。
ラプソディ卿が一つ指を鳴らした瞬間、この部屋にそよ風が吹くと同時に破り捨てた紙くずが風に乗って暖炉へと焚べられたのだ。
まただ。また俺の目の前で理解不能な現象が繰り広げられた。そしてそれを起こしたであろう女主人は変わらぬ笑みで俺を見つめ続けている。まったくもって気に入らない。
「ぷぷぷぷっ…………そう興奮して心臓をバクバクさせないでくれよ、面白くて笑っちゃうじゃないか」
「さっきから何をやってるんですか。それに食堂で見たあの化け物は一体。あと貴女の…………」
「待て、待ちなよ。ぷぷっ…………そう勢いよく捲し立てなくても今のワタシは機嫌がいいのよ、ぷぷぷ…………だからミスターの質問にはしっかり答えてあげるよ」
俺の言葉を遮った彼女は機嫌良さそうに席を立つと、部屋全体を包んだカーテンの目の前まで移動する。
そして座っている俺に向けて三本の指を立てた。
「ただし質問は三つ。ぷぷっ…………教えてあげるのは三つだけだよ」
「三つ…………」
ラプソディ卿はこの状況を楽しんでいるのだろう。人を小馬鹿にしたような笑い声に混じって聞こえる子供のような初々しい声がその証拠だ。
だが今はその状況こそ俺の求めていたもの。良いだろう、ならここで俺の中にあるモヤモヤを晴らしてもらおうじゃないか。
「ぷぷぷぷぷぷ…………それで、一つ目の質問は何かな?」
「…………あの食堂で見た虹色の怪物は一体何ですか? それに貴女がやった摩訶不思議なモノとは…………」
「ぷぷ…………やっぱり気になるよねぇ。ぷぷぷ…………まあこれは実際に見せた方が早いね。"火の精よ"」
ラプソディ卿が右手をかざしながら念じるように言葉を紡いだ瞬間、かざした手から拳ほどの大きさの炎がどこからともなく出現した。
火種や油が無いのに、炎はめらめらと当たり前のように彼女の手のひらで燃え盛っている。
まるで訳の分からない光景。…………いや、俺はこれと似たような話を聞いたことがある。何も無いところから火や水を生み出せる摩訶不思議の技のことを。
「魔術…………?」
「ああ、そうか! 君、今はワルツ家に仕えているんだったね。なら知っていてもおかしくないね。ぷぷぷ…………そう、これは『魔術』。稀代の天才によって生み出された悪魔の技術だよ」
魔術。そう、以前にワルツ卿と鉱石商の商談の時に出てきた言葉。教育国家・アシュバルトで研究されているという新技術だ。あの時は誰もその存在を信じていなかったが、実際にその眼でその一端を見たのなら話は別だ。
「…………魔術とは一体何なのですか? 以前聞いた時は開発されたばかりでロクな役に立たないかもと」
「ぷぷ…………それが二つ目の質問で良いのかな?」
「ええ、もちろんです」
この時、俺は心の中で己の失敗を恥じた。大切な質問の回数を感情のままに消費してしまったからだ。だが、魔術について質問したことが、後の役に立ったという事をこの時の俺はまだ知らない。
「魔術、それは文字通り『魔の術』さ。ぷぷぷぷっ…………まあそんなに難しい話でもないけどね」
そんな俺の心境などさておき、魔術のことについてラプソディ卿の口から語られ始める。
勇者と魔、そして一人の魔法使いの物語が。
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なに、これはちょっと前の昔話さ。
ダリアンから遠い西の果て、海を渡った先にある一つの王国からこの物語が始まる。
王国の名は『ハルミオン』。不思議の力と神の祝福で繁栄した巨大な国だった。
この不思議の力はそう『魔術』のことだ。
この王国で開発された技術である魔術は民達の生活の髄まで染み込んでいたんだ。
火の魔術で暖を取り、水の魔術で乾きを潤し、土の魔術で田畑を耕し、風の魔術で船を動かした。
この大いなる術によって、ハルミオンは栄光の未来を欲しいままにし、王国の民達はこの栄光が永遠に続くと思っていた。
だがそんなに上手く行かないのが世の常…………いやこの場合は怠惰の結果と言うのかな?
魔術という便利すぎるものに民は堕落してしまったんだ。己の生きる意義を放棄し、ただただ享楽しか生の実感を感じられないけだものへと成り果てた。まあ一部の者は職務を全うし、辛苦を味わい感じながらもなんとか国を維持してきたが、長くは持たなかった。
理由は単純、追い討ちのように訪れた外敵の出現だ。
魔術という理外の方、欲しがるヤツなんて五万といるのは当たり前の話だ。
しかしこの外敵がなんともたちが悪いヤツだった。数多の魔の獣を統べ、自身を『魔王』と称した者こそ栄光の火を吹き消した張本人だ。
当然ハルミオンはなす術なく魔王に滅ぼされ、魔術はヤツらの物になってしまった。
しかし知っての通り、人というのは追い詰められた時にその真価を発揮できない生き物。今回もまた同様だった。
ハルミオンの滅亡を足掛けに世界の支配を企む魔王を討ち滅ぼさんと五人の勇者が立ち上がったんだ。
過程は端折らせてもらうが、結果的に勇者達は見事に魔王を討ち倒し、世界の危機を救ったのだ。記録には残っていないがね。
だがここに一つの疑問が生じる、ハルミオンが生み出し、魔王が貪り食べた技術である『魔術』はその後どうなったのか。ここからが主題だ。
結論から言えば魔術は『ある人物』の知識として頭の中に収められ、教育国家・アシュバルトへ持ち出されたんだ。そして今現在その人物によってあの教育の園の奥深くで研究されているのだろうよ。
当然次に気になるのは『ある人物』の正体だろう? それもシンプルだ。魔王を討ち倒し世界に平和をもたらした勇者の一人だよ。
今の魔術はその存在を誰も信じていない眉唾な技術だ。だがおそらくこれからの彼女の研究によって魔術は大いに発展し、それこそ小さな村に住む子供に読み書きを教えるのと同じように、魔術を教える時代が来るだろう。
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