第22話 微笑みの狂詩曲(ラプソディ)③
○○○
ラプソディ家の屋敷へは難なく侵入できた。
中庭からしばらく潜みながら歩いた先にある窓が何故か開いていたからだ。
簡単に侵入できたのは良いが、この状況には疑問を覚えざる負えない。
仮にもここはダリアン十二貴族に名を連ねる屋敷だ、なのにまるで侵入してくださいと言わんばかりに管理が雑すぎるのだ。
(もしや潜入しようとしているのがバレているのか?)
狙い澄ましたかのような場所にあった地下通路に屋敷の雑な管理。明らかにこちらの行動が見抜かれているとしか思えない。
情報屋から出された依頼の条件は『ラプソディ家当主以外に見つからずに手紙を届ける』ことだ。故に慎重な行動が求められている。しかしこちらの動きが見抜かれている以上強行な手段も考えなければならない。
(だがまずは相手の出方を伺わないとな。それにこの屋敷に関して俺はまったくわかっていない)
ラプソディ卿の意図はわからない、そしてわからないというのはあらゆる行動を阻害させる。だから俺は今まで通りの行動、つまり慎重な潜入を続行するしかないのだ。
ラプソディ家の屋敷は二階建ての造りをしている。民家を一回り大きくした程度の大きさで貴族としてはまあまあな広さを誇る。
一階は厨房や食堂、来客を迎える応接室などがあるスペースで、二階におそらく当主の部屋があるのだろう。目指すは二階だ。
そして現在俺が居るのは一階の食堂前。屋敷の造りからして二階の階段は屋敷のエントランスにあるはずだ。
(さっさと終わらせて、さっさと帰ろう)
そうして俺は姿勢を低くしながら暗い屋敷の中を進み始めた。
暗闇の中で頼れるのは窓から差し込む月の光のみ。やはり心のどこかで不安という気持ちが募るのも仕方がないことだ。
それに類似するのかはわからないが、しばらく身を潜めながら進んでいると、この屋敷の中である違和感が俺の脳裏を過った。
(………………人が、使用人や警備の気配がまったく感じない)
この国の常識の話だが、貴族にとって雇っている使用人の数というのはその家系のステータスとされている。
広い屋敷の管理のためというのもあるが、なにより『これだけの人間を仕えさせている』と己の力を誇示すると同時に『それだけの人数を雇えるほどの財力がある』という証明になるからだ。
普通の貴族なら二、三人ぐらい。ダリアン十二貴族になると二十人以上も雇っている家もあるぐらいだ。
しかし少し歩いただけでもわかる。使用人が忙しなく働く音や寝静まった寝息など、この屋敷からは人の気配がまったく感じられない。
この自身の中にある貴族への常識と乖離する現象に、無意識に恐ろしさを感じ、胸の鼓動が強くなっていた。
「ッ…………」
落ち着け、落ち着けと己を律する。
ここは元々異様な家なのだと。こんな異様な家に使用人がいないというのもありそうな話じゃないかと。なんとか平常心を保とうと震える心を激励しようとした。
しかし、そんな俺のことをあざ笑うかのようにそれは唐突に訪れた。
『ガシャン!』
「!!??!?!!!」
跳ねる心臓と共に声にならない声が叫び出る。
背後から何かが割れるような音が大きく響いて来たのだ。
そして予定調和のように俺は振り返る、次の瞬間俺はその行動を後悔することとなった。
「ぁ……………………」
『………………ふふふ』
それはまるで俺を誘っているかのように、まるで困惑する俺を挑発するかのようにゆらゆらと揺らめいていた。
その物体を形容するな『虹色に輝く火の塊』。手のひらほどの大きさの火がふわりと宙に浮きながら笑い声を上げていたのだ。
一連の光景を見て大声を上げなかった俺を褒めて欲しい。もしレイさん辺りが目撃したらこの屋敷内は大惨事に陥っていたかもしれない。
とはいえそろそろ背中の寒さがとんでもないことになり始めている。このままじゃあ背中の冷たさで氷を作れてしまえそうだ。
『……………………おいで』
「あ、待て!」
そんな俺の心情なんて知った事かと、火の塊は揺らめきながら逃げて行った。そして俺はよせばいいのに、何故かその行方を追ってしまった。
どんなに恐ろしいことでもそれ以上の好奇心には勝てないのだ。悲しいことにね。
○○○
火の塊を追いかけて着いた先は先程通り過ぎた食堂だった。
大きなテーブルに並べられたイス。よくある貴族の屋敷の食堂の内装だが至る所に付着している埃がここがあまり使われていないことを教えてくれていた。
そしてテーブルで向かい合った場所で火の塊がゆらゆらしながら俺を待っていたのだった。
「お、お前は一体何なんだ、ラプソディ卿の手下か?」
『ふふふ………………』
火の塊は面白そうな笑い声を上げながら揺らめくだけ、暗闇の中で燃える火が嫌に目立っていた。
睨み合うように対峙する俺と火の塊。
しかし変化はすぐに訪れた。ヒュンという風を切る音と共になにかが俺に向かって飛んできたのだ。
「ッ!」
顔を逸らし避けると、飛んできた物は背後にある扉へと突き刺さった。
それは既に刀身の錆びたボロボロのナイフ。しかし扉に突き刺さったナイフの切れ味は見た目以上の物だった。
「……………………っ」
『ふふふ…………ふふふ…………』
笑っている。冷や汗を流した俺を見て火の塊は笑っていた。
その瞬間確信した、アイツは敵だと。
敵だと言うのなら容赦はしない。テーブルの上を駆け上がりながら火の塊へと近づいて行った。俺の行動が予想外だったのだろう、火の塊は何もできないまま接近を許してしまう。
「消えろ!」
『………………!』
そして手近にあったお皿を火の塊に向かって叩き付けた。
パリンという音と共に火は消え失せた。
「呆気ない…………?」
それは困惑だった。
あまりにも異様な存在。そんなヤツがまさか一撃で無くなるとは思わなかったのだ。
とはいえ俺は内心ホッとしていた。あんな理解できない存在でも殴れば消えるのかと。だがその安心こそが最も危険なことであるというのをまだ俺は知らなかった。
火の塊が消え失せた場所に突然再び大きな火が灯り始めたのだ。
「な、なんだ…………?」
それと同時に食堂にある食器が虹色の光によって照らされたのだ。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。
輝き出した虹色の光は目の前にある火に向かってゆっくりと集まっていく。そして火はまるで花の蜜を吸う蜂のように光を吸収している。
そして火は光が取り込まれる度にまるで風船のように大きくなっていた。
光が全て消え失せた頃には灯された小さな火種は業火となり轟々と虹色の炎を燃え盛らせていた。
『ふふふ…………アハハ!』
しかしこれだけでは終わらなかった。
業火がぐにゃり、ぐにゃりと子供が粘土をこねるようにその形を変容させ、実体の無い火が物質へと変化させている。
全てが異様、まさに奇想天外。それこそ下手な三文小説の方が予想外の展開ができるだろうに、今は小説以上の異常が目の前で起こっていた。
「なんだこれは、こんな物見たことがない…………」
そしてこねられた業火がその形を変貌し終える。
四つ足の、鋭い牙と爪を尖らせた気高き獣の姿へと。
それはまさに神話のような存在。かつて人間に支配されたダリアンの民を救った者を彷彿とさせた。
『アオオーン!!』
そして灯された火は虹色に輝く存在は雄叫びを上げると俺に対して限り無い敵意を向けている。
『グルルル…………グアッ!』
「グハッ!」
獣の行動は早かった。
喉を鳴らしたと同時に、呆気に取られた俺へ一直線に飛び掛かって来た。
反応の遅れた俺は獣にテーブルの上に押し倒されると、その鋭い牙が喉元へ迫ろうとしていた。
しかし俺は間一髪で噛もうとしている獣の口をなんとか掴み取ることができた。
「クソッ…………」
『ガァアアッ!』
そうして始まる決死の力比べ、敗北した者には死が待っているだろう。
幸いだったのは目の前の獣は押し込む力が強くなく、組み伏せられた状態でもなんとか拮抗することが出来た。
しかしながら俺の不利な状況は変わらない。このまま喉を噛みちぎられるのも時間の問題だろう。
(何か…………何かないのか!)
首を動かし逆転の手を探す。
目に付くのは割れた皿に、ひん曲がったフォーク、あとは先が崩れた燭台のみ。役に立つ道具は無かった。
そしてこの誰もいない屋敷の中で助けてくれる人など誰もいない。この状況を逆転する策も思い付かない。
無情なことにこの現状を打開できる方法など一切無かった。ただ刻一刻と迫る牙に怯えることしかできなかった。
『グアッア! ガウッ、ガウッ!』
そうしている間にも獣の顔が間近に迫っている。まさに絶対絶命の状況だ。
ああ、俺はこのわけのわからない炎の獣によってその命を終えようとしている。こんな終わりなんてあんまりだ。
「はあ、はあ、この火が………………"灯火のようにさっさと消えろやがれ!"」
その時だ。唐突に吹き出した突風が獣を突き飛ばした。
『グアッ…………!』
「え…………?」
突き飛ばされた獣は食堂の壁へと打ちつけられた。
俺はこの出来事に対して素っ頓狂な声を上げることしかできなかった。
「一体何が起こったんだ…………?」
窓が閉め切られた部屋の中で強烈な風が巻き起こった。本当にそれしか言いようがない現象が起きたのだ。
まるでわけがわからない。
風というのは屋外で発生する現象であり、室内で起こることなどありえない。だが舞い上がる埃や割れた食器がこの部屋で『風が吹き出た』ということを雄弁に語っていた。
この不可思議な現象に俺の頭はどうにかなりそうになっている。
しかしこれはチャンスでもあり、俺はチャンスを逃さない。手近にあった燭台を手に取ってテーブルを飛び上がると倒れた獣に向かって突き刺した。
「食らえッ!!」
『グギャアッ!!』
獣は苦悶の声を上げながら身体を暴れさせている。死にゆく者の最後に振り絞った力は侮れない。だが俺も負けるわけにはいかない。
「ググググググ……………………ラァ!」
『グアッ…………』
精一杯の力で燭台を押し込むと、ようやく獣は動かなくなった。そして七色に輝いたと思えばその身体は光となって霧のように霧散した。
「ハァ、ハァ。最後まで何がなんだかわからないヤツだった…………」
まさか人間ではなく怪物が屋敷の護衛をしているとは思わなかった。あんなのと戦っては命が幾つあっても足りない。
「あのアバズレ…………割の合わない依頼を投げやがって」
次会った時はただじゃ置かないと。顔もわからない気取った女に向かって恨み言を思い浮かべていたその時だった。
「ぷぷぷ…………いやぁ、ぷぷぷ、良いものを見させてもらったよ」
甲高い笑い声がこの食堂中に響き渡る。
声のした方を見るとそこには目を細めた猫族の女が口元を抑えながら立っていた。
「あ、あなたは…………」
「ぷぷ……………………」
さて、星も眠るような静寂に包まれた夜に相対する二人の男女。その神秘的な光景は大劇場で演じられらる舞台の一幕のようにも見える。
一人は騎士。闇に包まれた責務を果たすために今し方凶悪な魔物を倒した勇ましき者であり愚かな者。
一人は貴族。騎士の探し求めていた人物である謎多き魅惑の淑女。
騎士はまるで絵画を眺める評論家のようにじっくりと目を凝らしながら淑女を観察する。
長いブロンドヘアーに常に人を小馬鹿にするような笑み。隠そうと思っても隠しきれない高貴なる者の振る舞い。
騎士は確信する『間違いない、コイツだ』と。そしてハッキリと告げる、淑女の名を。
「へミアン・ドゥ・ラプソディ…………」
その名を耳にした淑女は子供と見違うほど綺麗な笑顔を己の顔に施すと、まるで騎士に助けられたお姫様のような口振りで言葉を紡いだ。
「ぷぷぷぷ、ごきげんようミスター・ロンリーナイト。ぷぷっ…………」
奇想曲が終わりを迎え、狂詩曲が奏でられる。
騎士の夜はまだ終わらない。




