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ダリアン幻奏楽譚〜弦と剣にてワルツを奏でる〜  作者: ジョン・ヤマト
第三章 道化は愉快な舞台を閑歩する
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第18話 自分勝手な交響曲(シンフォニィ)②

   ○○○

 アコースティックギターの音色を求めてしばらく進むと、貧民街の入り口とは違う景色が私を出迎えるのでした。

 打ち捨てられた街並みの中には二十人程の住民がまるで小さな集落のように集まっていました。



「おい、これは食えそうか? 少し先に歩いたレストランの残飯なんだけど」

「ダメダメ! そんなの食べられるわけないじゃない。今日はこの野菜クズのスープで飢えを凌ぎなさい」


「よーし、そいつはここに置いてくれ! バラせばレゲのところでそれなりの値段になる」

「了解! 売れたら一杯飲もう」


「はあ、腹減ったな…………」

「おいおい、大丈夫かよ、後でひと稼ぎ行くんだろ?」



 薄暗くも活気に満ちた喧騒。ここにいる皆様の表情に影を感じながらも、どこかプライドに満ち溢れています。

 それはまるで森で暮らす獣のように誇り高く、そして目に見えない奇妙な一体感を肌に感じさせました。


 ここはダリアンという華々しい栄光の影により生まれた皮肉な結果。生活を追われた者達が今日という日を精一杯生きる為に皆で集まり形成した最後の拠り所である無名の街。

 


「みんな助け合って生きているんですね…………」



 皆が己のために生きている、だけどそれが結果的に誰かのためになっている。それは大変な事なのだと肌で理解できました。

 そして私には彼らを助けることはできません。今はただ彼らがより良い一日を過ごせることを静かに祈ることにしましょう。いつか彼らにとって良いことが起こることを願いながら。



「ちびっ子。目をつぶってどうした、眠くなったか?」

「そういえばオデも眠くなってきたなぁ、ふわぁ…………」


「あ、いえ。少しボーッとしていただけです。行きましょうか」



 私と元荒くれ者のお二人は賑やかな貧民街をそそくさと通り過ぎていき、狭い狭い路地を歩いて行きます。

 一歩歩くたびにアコースティックギターの音色が間近に迫っています。どうやら目的地はすぐそこのようです。


 そして路地を抜けた先には広場が私達を出迎えました。



「着いた。ここがポールのじいさんがいる場所だ」



 およそ小さな家一個ほどの広場の地面にはの大きなヨツバの花の絵が描いた煤けた赤い絨毯が所狭しと敷かれていました。

 下を向く赤い花に視線を奪われそうになりますが、その視線の先には小さな屋根が建てられていました。


『〜〜♪〜〜〜♪♪』


 そして屋根の下には黒眼鏡を掛けた赤髪の紳士が肘掛け椅子に座りながらアコースティックギターの音色を紡いでいたのです。

 一度(ひとたび)指で弦を震わせると、ホールからはこれでもかというほどの美しいメロディがこの広場にこだましています。



「あの方が、ポール様…………」

「……………………」



 訪れた私達に目にかける様子も無くただ静かに、そして厳かに演奏する様はまるで小説に出てくる知の賢者を彷彿とさせます。

 近づくことすら憚れてしまいそうなほどの目に見えない音の輝き。その光景に私はもちろん、そばにいるお二人すらも心を奪われていました。


 

「…………あの」



 おそらくこの時の私はある種のトリップ状態だったのでしょう。周りを誘惑する音の蜜に集まる蜂のように無意識にその一歩を踏み出していたのです。

 それと同時に今まで演奏をしていたポール様の手がぴたりと止められました。



「…………音が三つ」



 それは年老いた紳士とは思えないほどにはっきりとした声でした。



「男が二つに、女が一つ。だが女の音は聞いたことが無い」



 黒眼鏡越しにその瞳が私を射抜いてきました。

 手に持ったギターを地面に置くと、ゆっくりとこちらへその視線を向けるのでした。



「よお、ポールのじいさん。相変わらず元気そうだな」

「なあなあ、パンはあるかぁ?」


「その声はロウとニコのボウズか。…………はあ、どうやらまた面倒なことをやっているそうだな」


「ちょ、久しぶりに会ってそれは無いだろう! まったくポールのじいさんは!」

「オデ達も変わってるんだぞぉ!」



 紳士のため息混じりの小言にお二人は登った木を揺らされたお猿さんのようにあたふたとしながら返事をしており、私はそんな珍妙な光景に思わずクスッとしてしまいました。


 それにしても彼らのお名前はロウとニコと言うのですね。知りませんでした。



「それで、もう一人女がいるだろう、そいつの紹介はしてくれるのだろうな?」


「ああもちろんさ! こいつは俺たちを救ってくれた恩人の一人で名前は…………あー」


「レイと申します。貴方の奏でる音色をいつも聴いていました。会えて嬉しいです」



 そう言いながら私はポール様の方まで歩き彼に向けて手を差し出しました。が、彼はそれを気に留めることなくただ静かに「ほお」と呟くだけでした。



「おや、何かしたのか?」

「…………あ」



 その異様な行動、私の頭にある疑問が浮上しその答えを出すのに三秒とかかりません。

 それと同時に深い悲しみ、いえ、身勝手な哀れみの感情が私の心の内に湧き出てしまったのです。



「…………もしかしてポール様は」


「ご察しの通りだ。オレは眼が見えていない」



 そう、ポール様の瞳は光を感じることができないのでした。ただ真っ白に濁った瞳が深い虚空を見つめるだけです。



「………………」

「おっと哀れむなよ? オレはそうされるのが一番むず痒くなるんだ」



 そう言いながらポール様は唇を傾かせながら再び地面に置いてあったギターを拾い上げ膝の上で構えました。

 そして弦を撫でるように払うとポロロンと、小気味のよい音が通り過ぎるのでした。



「それで、レイと言ったか。お前さんは何の用でこのしみったれたじじいの下に来たのかな?」


「このちびっ子、ポールじいさんの持ってるそれみたいなヤツを持ってるんだ。それで紹介したら会ってみたいって言ったんだ」


「へえ、オレのファンということか。楽器はどんなヤツだ?」


「あ、今取り出します!」


 私は背負ったケースからその中身を取り出しました。

 そして古ぼけたバイオリンの弦を弓でゆっくりと引いて音を響かせるのでした。



「バイオリンか。…………って、アコギとはまったく別の楽器じゃねえか」


「え? 違うの?」

「でもじいさんの楽器に似てると思ったんだけどなぁ」


「そもそも大きさが違うだろうが。だいたいおめえらなぁ…………」



 少しだけポール様の言葉にマリアンの声が重なっているように感じてしまいました。

 年齢も体格も性別も違いますが、ただ心地の良い安心感があります。まあ少々口うるさいのは似てますけどね。




 そしてひとしきりお二人を叱ったポール様はため息と共に私に顔を向けました。



「はあ、もういい。そんでレイの嬢ちゃん、せっかく機会だしここは一つじいさんと即興演奏(ジャム)でもやってみるかい?」


「ジャム…………?」


「なあに気楽に音を合わせるようなもんだ。お前さんの腕前も聞いてみたいしな。…………それじゃあ行ってみようかぁ」



 そう言うとポール様はギターの音色を奏で始めます。が、その音色はいつも空に響く美しい音色とは程遠い、まるで私を挑発するかのような刹那的な激しいメロディが紡がれ始めたのです。



「え、え?」


「さあ、まずは軽く打ち合わせると行こうか。好きなタイミングで入って来い」


「は、はい!」



 ポール様から発せられる炎のような熱さに、私は反射的に返事をし、彼の隣で演奏の構えを作っていました。

 ああ、まさかこんな唐突に他者との初めてのセッションをする機会が来るとは。まさに小説で描写される淡い恋のような唐突さです。


 この素晴らしい熱に追いつくように、私は弦に弓を押し当て、力強く弾き始めるのでした。



「ん…………!」



 弓を引くと鳥の鳴き声のような甲高い音色が響き渡り、この貧民街全体へ届けられました。

 やはりと言うべきか、バイオリンを始めてから経験の浅い私のメロディは未だ拙く、ポール様の情熱的な旋律に追いつくことができません。

 しかし曲は既に奏でられてしまいました。たとえ拙くとも最後まで弾き切るのが演奏者の務めでしょう。たとえ額に汗を滲ませながら息を荒くさせようとも。



「………………フッ、前奏(イントロ)はこんなもんか。それじゃあ少し上げて行くぞ」


「なっ…………!」



 ですがそんな私の苦労などつゆ知らず、無情にもポール様は元から激しかったメロディをさらに暴れさせて来たのです。

 アコースティックギターから発せられたその音に思わず息を奪われてしまいます。それはまさしく空を照りつける夕陽の如く、全ての景色を飲み込まんとばかりに綺麗にそして残酷な音色でした。



(このままだとテンポが遅れてしまう……………………! なんとかポール様に合わせないと!)



 当然それに対して私は追いつこうと弓を引く速度を上げようとします。

 速く、速く、速く。駆け抜ける馬のように速く。



(…………ッ! 腕が…………)



 しかし私の腕ではポール様に追いつく技量はありません。準備も無く無理に走り始めた馬は静かに走り始めた脚を軋ませるだけに終わるのです。

 そしてそれはまさしく足元を掬われた馬のように、その速度を徐々に落とし始めるのでした。



 ああ、緊張の末に私は転げ落ちる、この深い深い夕陽の下へ。転げ、落ちてしまう。



「無理をするな」


「………………え?」



 その時、転げ落ちる私の手をポール様が握り締めると同時に演奏が中断され静寂が訪れました。

 


「悪かったな。久々の即興音楽(ジャム)で年甲斐もなく張り切っちまった」


「いえ、ポール様に合わせられなかった私が不甲斐ないだけ…………」


「それ! それが無理をするな、だ!」



 俯く私にポール様は掠れた声を大きく響かせました。その黒眼鏡の奥に熱い熱を込めながら。



即興音楽(ジャム)ってのはな、この世で一番自由な音楽なんだ。だがお前さんはオレの音に追いつこうと躍起になってただろ?」


「は、はい…………」


「それじゃあダメなんだ。もっと自由に、自分勝手に奏でるんだ。オレのことなんて気にするな! 誰のことも気にせず自分の好きな音楽を、思いっ切り。そこから最高で痺れるジャムメロディが作られるんだ」


「自由に、自分勝手に…………」



 反芻したその言葉にハッとします。

 確かに最近の私は『誰かのために』様々なことをしていました。


 目の前のお二人のお仕事を探すために他の街へ赴き。ソルちゃんのために街を歩き回り。マリアンのためにもの憂げなブルースを奏で。そして黄昏の家の皆のために演劇の稽古を頑張っていました。


 当然全て、楽しかったこと。しかし私の心のどこか抑圧された感情、『私もこんなことがやりたい』という気持ちが蓄積されていました。

 そんな状態で果たして最高の芸術が作れるでしょうか。


 答えは否、断じて否です!

 その証拠にポール様の音色に合わせようとした結果、『このメロディは弾きたくない』と腕が悲鳴を上げているのです。


 本来芸術とは己のために作り上げるもの。しかしその本質を心の奥に押し込め、他者に流されていては本当の芸術を作ることなど不可能でしょう。



「…………眼が覚めました」


「ほお? いい声だ」



 故に私は誓います。

『芸術に於いて私は自分勝手になる』ことを。最高の芸術を作り上げるために。



「それじゃあもう一度最初から始めようか」


「はい、よろしくお願いします!」


 

 そうして再び私とポール様は手に持った楽器を握り締めました。目の前にいるロウ様とニコ様は固唾を飲むかのように私達を見届けています。



「ワン、ツー………ワンツースリーフォー!」



 掛け声と同時に交響曲の第二幕が始まります。

 ポール様は変わらず燃える烈火のような激しいメロディを奏でていました。

 そして、私は…………。



「アニキ、ちびっ子の音…………」

「お、遅い…………?」



 それはあの晩マリアンへ奏でたブルースのように、ゆったりとしたメロディ。

 ああ、やはり私に速弾きなんて似合いません。バイオリンは波揺蕩う海のようにゆったりと奏でられるべきです。

 まるで空に浮かぶ雲に寝転んでるかのようなおぼつかなさ。しかしこれでこそ自由の音色を発せることができます。



「いやでもポールのじいさんの速い音楽にその遅さは…………」

「…………あれ?」



 炎のような激しいメロディと海のような静かなメロディ。一聴すると水と油のように音色同士がぶつかり合い背反すると思われるでしょう。

 しかしそれは違います。こと即興音楽(ジャム)においては背反こそ最高の芸術を作り上げるのです。



「…………意外と、いい音だな?」

「オデもそう思う。なんかカチッと隙間が埋まる感じだぁ」



 ポール様の激しい音色があらゆるものを飲み込む潮流を作り上げ、私の静かな音色が置き去られた余韻で埋める。

 低音高速のスピーディなメロディと高音低速のスロウリィなメロディが織りなす交響曲(シンフォニィ)が貧民街の空に飛び立つのに十秒とかかりません。



「ああ…………ああ! これ、この感覚!」



 その瞬間、地面に広がるヨツバの花が大きく揺れるほどの大きな風が吹いたような錯覚を覚えるのでした。

 それはまるで憂うつな雨が花弁からこぼれ落ちるかのように、私の心から緊張の雨粒が落ちたのです。


 そうなったらもう私は止められません。あともうただひたすらに、自分の奏でたいメロディを無我夢中に弾き続けるだけなのでした。


 そして最後に残るのは解き放った解放感(カタルシス)を含ませた余韻のみ。最高のフィナーレをもってここに私とポール様の即興音楽(ジャム)は終わりを迎えるのでした。



「…………ッ!!」

「はあ…………はあ…………はあ…………」



 最後のフィナーレと同時にとてつもない疲労が襲っできました。ポール様もかなり疲れているのか肩で息をしています。

 一体どのくらい弾き続けたのでしょう。空はもう暗く、綺麗な星々が顔を覗かせていました。


 この即興音楽(ジャム)は想像以上に楽しかったのですが、ここまで疲れるのも予想外でした。

 そして私が疲労の身体を休めるため、絨毯にへたり込むように座った時です。



「お二人とも、最高の音楽だったぞ!」


「ポールじいさんのそんな激しい音を聴くのは初めてだ。そこの小っちゃいのもよく頑張ったな」


「本当によかったわ。これを聴いたら明日も頑張る気がするわ」



 いつのまにか周りには十人ほどの貧民街の皆様が集まっており、私とポール様へ向けて温かな拍手を送ってくれていました。



「ヒュー、久々の即興音楽(ジャム)、マジで興奮したぜ。レイの嬢ちゃん、お前さんもそう思うだろ?」


「はあ…………はあ…………ええ、心躍るひとときでした。まるで生まれ変わったかのような感覚です」



 額に流れる汗と乱れる息が私の心からの情熱が太陽のように照らしています。まさに雨が上がりの空に虹が掛かってるかのような爽やかさです。



「それにしても未熟なりに気合いの入った演奏だった。そいつの弾き方はどうやって? 誰かに教えてもらったのか?」


「似たようなものです。この子と初めて会った時にある方がこの子の弾き方を教えてくれたのですよ。あとは独学です」


「へえ、ろくな師匠も無しでここまで弾けるとは驚いた。こりゃあ将来が楽しみだ」



 そうして最高の音楽を奏でた私とポール様は共に試練を乗り越えた戦友のような固い握手を交わしたのです。

 ああ本当に、本当に素晴らしい一曲でした。さっきのことを振り返ると思わず表情が綻んでしまいそうです。



「お〜い、レイちゃん!」



 恍惚とした気持ちに蕩けそうになった時、聞き覚えのある声が私の名前を呼びました。



「レイちゃん、いい演奏だったよ! 俺も柄になく興奮しちまった!」


「ふん、まだまだ未熟なのに変わりはない。だが晴れやかな顔を見るに迷いは抜けたようだな」


「…………いいメロディでした」



 視線を凝らして声がした方向を見てみると、人集りの後ろの方でベルリン様たちがこちらへ手を振っていました。

 満面の笑みが二つに、項垂れた顰めっ面と朗らかな安堵の笑み。その表情は各々違いますが、これ以上無い賛辞を送ってくれていました。

 どちらにせよ初めて奏でられた旋律を皆様に聴いていただけたということが今の私にとっては感無量です。



「ポール様、ありがとうございました。また一緒に演奏しましょう」


「ああ。また地面が震えるような即興音楽(ジャム)を奏でよう。それまではスロウリィなジャズをこの辺りに響かせておくさ」



 こうしてひょんなことから始まったポール様とのセッションは終わりを迎え、私はベルリン様たちと一緒に黄昏の家へ帰るのでした。

 さあ、音楽の次は舞台の時間。私の素晴らしい演技で物語を最高に彩らせていただきましょうか。

 芸術は身勝手にやってこそ華があるのですから。

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【連載版】星空を見上げれば 滅びゆく世界で戦い続ける女の子達の物語です。 近代ファンタジーがお好きな方はぜひお読みください。
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