第17話 自分勝手な交響曲(シンフォニィ)①
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涼しさと暖かさが同居した秋の空。道行く女性達の長い袖の服が変化した頃にはもう直ぐ冬が訪れるというのを実感させてくれます。
しかし私達の心は芸術への探究心で燃え滾っていました。
「貴様が町娘を攫ったのだな。民達に圧政を強いるばかりか醜い欲に堕ちるとは。まったく救い難い」
「騎士マシャル・ハート、噂には聴いているぞ。根無し草よろしく小汚い放浪の旅をしているとな。ふん、そんな小物など私の敵では無いわ!」
「その言葉を宣った者は等しく同じ結末を迎えた。貴様は果たしてどうなるかな?」
演劇祭の舞台で披露することになるヴォリス様の執筆したハートの騎士の冒険譚の模倣作品。
最初こそ拙い演技に不安を募らせていましたが、毎日のように稽古をすることにより私達の演技力はまるで空へと飛び立つ鷹のように向上していました。
「お、お待ちなさい。ここにいるお、男が目に入らないのかしら? い、一歩でも動けばこの男がし、し、死ぬことになるわよ」
「なっ、テイラー! グッ、卑怯な…………」
「マシャル様! 俺のことは気にせず彼女を助けるんだ!」
覚えられなかったセリフもスラスラと言葉にすることができるようになり、セリフに隠された心意も少しずつですが読み解けるようになってきていました。
あとは来るべき本番に向けて演技力を研磨するのみ。
そう思っていたのですが…………。
「オーほほほほ! み、みみ見なさい! あのぶ、ぶぶふじゃまな騎士のすぎゃたを」
「……………………」
悪徳貴族の娘の言葉にハートの騎士が深い怒りの感情を昂らせるという重要な場面のセリフを盛大に噛んでしまったのです。
これでは折角の雰囲気が台無し。もしこれが本番なら固唾を飲み込むどころかダリアン神へ届きそうな深いため息で埋め尽くさせることになるでしょう。
「ストップ。大丈夫か嬢ちゃん」
「は、はい。すみません…………」
「まあずっと通しでやってたからね〜。今日はここまでにしようか〜」
ヴォリス様とベルリン様の気遣いにより、私達は端に寄せられていたテーブルをいつもの場所に戻すのでした。
そして皆様はいつも愛飲しているお酒を片手に本日の反省の時間が訪れたのでした。もちろん私はミルクです。
「とりあえず全員セリフは完璧に仕上がっている。あとはどれだけ演技力を伸ばせるかだろうな」
「演技力…………」
「レイちゃんは演技力というよりは緊張してしまう方だようね〜」
そうです。現在の私の課題はただ一つ、舞台というものへの恐怖から来る緊張でした。
自慢では無いのですが、私はセリフを覚えたり言葉の心意を気付くのは皆様より優れていたと自負しています。しかし舞台の上で最も重要なのは確実な演技ができること。
最初こそ、このような失敗も気楽に流すことができましたが、失敗の回数を積み重ねるたびに緊張の糸は刻一刻と私の心を締め付けようとしていました。
物語の中の私はまるで蛇に睨まれたカエルそのもの。やりたい演技をやることなど夢のまた夢という状況でした。
「なにか緊張を解せるような訓練ができれば良いのですが…………」
「まだ期間はある。じっくりと場に慣れれば良い」
「そうだぜ、俺だって最初はセリフをまるで覚えられなかったからな!」
ああ、皆様の優しさが心に沁みます。それと同時に皆様の期待に応えるべくしっかりしなくてはという責任感が大きく募らせていました。
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己の不甲斐なさ、そのどうしようもない事実に不満を持っていたとしても時間は無情にも過ぎていきます。
結局私は自身の欠点を直せることなく何日も無益にしてしまいました。
「どうしましょう」
未だに陽の高い頃、私は大通りの喧騒から離れアコースティックギターの音に包まれた貧民街を私は俯きながら歩いています。
脳裏で考えるのはもちろん先日の醜態について。あの情け無い己の姿。
「どうしましょう」
いくら頭を捻らせて顧みても妙案が思いつく事はありません、ただただ頼りのない足音だけが無情に貧民街の雑踏の中響くだけです。
そして散乱した塵が風に吹かれて寂しく空へと舞うと落ち込んでいる私の顔をあざ笑うかのように汚して去って行くのでした。
「…………はあ」
久方ぶりのため息。むなしいむなしい自嘲の念を吐き出した。
ああ、今の自分が情けないわ。緊張という張り詰めた糸はまるで枷のようになって自分で自分の心を拘束しているのです。
それを引きちぎらない限り私に自由は訪れないのでしょう。ですがどうやれば引きちぎれるのでしょうか。それが一向に思い浮かびません。
「お! お前はアネゴと一緒にいたちびっ子じゃん」
「おお、奇遇だなぁ」
「…………え?」
そんな風に悩んでいた時、ふと背後から聞き覚えのある声が聞こえて来たのです。
振り返るとそこには以前ベルリン様と共に『エリア・キャン・ディーズ』に向かいお仕事を探そうとしていた、元荒くれ者のお二人がそこに立っていました。
しかしその見た目は以前会った時よりも大きく変化していました。
まるで深い森のように伸びっぱなしになっていた髪は短く丁寧に整えられ、ボロ切れ同然だった服が厳粛な燕尾服へと着替えられていたのです。
もし彼らの声を聞かなければ、別人と勘違いしてもおかしくないほど清廉に、そして上品に変化していたのです。
「あの、それは…………?」
「お? やっぱ気になるか!」
「ぐふふ、気になるよなぁ」
「え、ええ…………」
お二人は勿体ぶったようにニヤニヤと笑っています。その顔色は嬉しさに満ち溢れていると同時に、この嬉しさを他者に自慢したいという感情がひしひしと伝わってきました。
そして道端で繰り広げられている奇術師の大道芸のように私の心を焦らすと、大手を広げながら声高々に言い放ちました。
「俺達、無事に用心棒になれたんだぜ!」
「オデ達はやったんだぜぇ!」
「いや〜、ちびっ子とアネゴに置いてかれそうになったあの後に偉そうな奴が声かけてくれさ。『働き先が無いなら俺のところに来い』って誘ってくれたんだよ!」
その言葉に少し唖然としました。まさかあの慌ただしい一日の後にそのような偶然があったとは思えなかったからです。
そう、それはまさしく偶然の産物。数奇な運命の幸福とはこのことなのでしょう。
ですがそれがたとえ幸運でも彼らは見事に目的を成し遂げたのです。それは大変喜ばしいことでしょう。
「それはよかったですね!」
「おう! そんでアネゴにお礼に行こうと思ってたんだけど…………」
ふと、小柄の男性は言葉を途切れさせると、首を傾げながら私の方をじっと見つめたのです。
「どうかしましたか?」
「いやさ。ちびっ子の背負ってるソレが気になった」
「あ、これですか? これはバイオリンですよ」
そう言って彼らにケースを開き中を見せますす。
そこには古ぼけた一挺のバイオリンが仕舞われています。
「うーん?」
「これって…………あっ!!」
それを見た二人は一瞬だけ不思議そうな顔をするとまるで寝ている時に身体が急に跳ねた時のような勢いで背中を弾ませました。
「これポールの持ってたヤツと同じ楽器だろ、前に見たことあるぞ!」
「確かにぃ! ポールのじいさんの持ってる楽器に似てる!」
そして私の知らない名前をこの貧民街に響かせるのでした。
「ポ、ポール様ですか?」
「あれ、知らないのか? 『弾き語りのポール』。この音を出してるじいさんだぞ」
「この音?」
そう言いながら彼らは空の彼方へと指を差しました。
疑問に思いながらも耳を澄ますと、空から沈みゆく夕陽を呼び込むような美しいメロディが私の耳に送り届けられたのです。
それは紛れもなく毎日のようにこの貧民街の中でこだましているアコースティックギターのメロディでした。
「この音を奏でている方なんですか!」
「そおそお、いい音だろ。この音で俺達は夕方が来るのを知るんだよ」
「この音が鳴ったからもう少して暗くなる。芸術とかよくわからんけどこれがいい音というのはオデわかるぞ」
「ええ、本当に美しい音色ですね、………………ッ!」
その時、アコースティックギターのポロロンという弾むような音が一度空に響いた瞬間、私の心を縛っていた緊張の糸がほんの一瞬だけ緩まったように感じました。
目を見開き、呼吸が止めるような衝動。まるで迷路の奥で輝く光が見えたような感覚が私の中にはっきりと見えたのです。
「おい、お前どうしたんだ?」
「…………! あ、はい、大丈夫ですよ。ところでそのポール様という方とはお会いになることってできませんか?」
「え? まあ案内はしてやれるけど」
「ポールじいさんに会いたいのか? いいヤツだぞぉ。たまにパンをくれたりする」
「ええ、会いたいです!」
迷いのない返事を私は返します。
貧民街に鳴り響くアコースティックギターの音色は木の根本で寝そべるような安心感を与えてくださり、落ち行く夕陽と共に私達を慰めてくれていました。
その音色を聴き続けていたある時から、いつかこの素晴らしい演奏家に会ってみたいと心のどこかで思っていました。
「それじゃあ行くぞ。そんなに歩かんから安心しろ」
「今日はパンくれるかなぁ」
「よろしいお願いします!」
弾き語りのポール様。もしかしたら彼は私の心の中で蔓延る緊張の糸を引きちぎるのに必要なピースなのかもしれません。
ああ、今から期待と不安で胸がいっぱいになりそうです。




