第16話 悪辣なマリアン!
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秋の朝日はなんとも眩しい白い色を放っていました。
窓から差し込む生暖かい日差しに顔を覆われながら、私は重い瞼を開きました。
天気は快晴。本日も大変素晴らしい芸術の夜明けが訪れたのです。
「お嬢様、お早うございます」
「おはよう、マリアン」
「お着替えはこちらにあります、お召し替えが終わったらお呼びください」
「ええ、わかったわ」
そして私がベッドから起き上がった直後、まるで見計らったかのようなタイミングでマリアンがお部屋に入って来て私の着替えを置いていきました。
その様子はいつもと同じ、昨日のことなどまるで夢を見たかのように砥石で研いだナイフのような鋭さと光沢の放つ美しい女性の姿に戻っていました。
ですが私の脳裏にこびり付くあの気怠げな音色があれは夢では無いと切に訴えています。しかしこれを口に出すというのは野暮というものでしょう。
「着替え終わったわ」
「はい。では朝食へ向かいましょう」
つい先日ヴォリス様に教えられた『文字に隠された心意を見つける』ということ同じです。態度に隠された気持ちにこそ心の美しさは宿るのです。
そうして私はマリアンに連れられてお屋敷のテラスに案内されました。
テラスの扉を開くと晴れやか青空を背景に私の鼻腔が香ばしい匂いをはっきりと嗅ぎつけていました。
クロスの敷かれたテーブルの上には片面焼きのトーストに水々しく盛られたサラダ、太陽のように輝くサニーサイドアップの横にはカリカリに焼かれたベーコンが添えられています。
もちろん紅茶も完備しておりポットからカップに淹れられる時を今か今かと待ち望んでいるでしょう。
「わあ…………」
「本日の朝食はいつもと少しだけ趣向を変えて見ました。ダリアン十二貴族の序列第一位エアルト家の当主が愛してやまない朝食を再現させていただきました。お嬢様に必ず満足していただけると思います。さ、お座りください」
私が言われるがままに引かれたイスに座るのを確認すると、マリアンは慣れた手付きでポットに入った紅茶をカップの中へ淹れると私の目の前に差し出すのでした。
「今日はフェリアルで採れたりんごと特産の茶葉を使用して淹れさせていただきました。りんごの甘さとエルフが愛した自然豊かな爽やかな風味が特徴の一品です」
「…………いい匂いね」
匂いだけではありません。その解説を聞いただけでも舌がその一杯を求めるようになっていました。
待ちきれないと言わんばかりに私はカップ手に取り口元に傾けました。
「美味しい…………。りんごの甘さにクセが無く、それでいて奥行きがとてもある味わいになってるわ。それにこの鼻を抜けるような後味…………これはミント? 喉を癒すような風味に思わずトーストを求めてしまいそうになるわ」
「トーストはお嬢様のお好きな片面焼きに仕上げました。バターを塗って召し上がりください」
こうして私はマリアンの作った朝食にこれでもかと言うほどに舌鼓を打つのでした。
まさに至高の朝食。あのダリアン一の権力者が愛したと言うのも納得の美味しさです。
そして今、私とマリアンは同じテーブルに座りながら食後の一杯を楽しんでいました。
「…………」
「…………」
チュンチュンと鳴く小鳥の声が聞こえます。これはお互いが沈黙をしているが故の静寂の証明。
さっきまでの饒舌な解説はなんだったのやら。マリアンは少しだけ俯きながら己の顔色を誤魔化すようにして自身で淹れた紅茶を傾けていました。そして私はその時が来るのを庭を眺めながらゆっくりと待っているのでした。
朝食が終わってから十分ほどでしょうか。マリアンがようやくその重い口を開くのでした。
「……………………昨日のことは申し訳ありませんでした」
「ようやく話してくれたわね。まったく変わってなかったからあの出来事は夢なのではないかと疑ってしまったわ」
「すみません。言い出すタイミングがわからなかったので」
「大丈夫よ。こうして話してくれただけで充分だわ」
「……………………ありがとうございます」
感謝の言葉と共にマリアンは深くお辞儀をするのでした。
まがいなりにも私は貴族の娘。謝られる仕方のないことだけど少しだけ心がチクっとしてしまいます。マリアンのは特に。
「そういえばね、昨日夢を見たの。マリアンと一緒に遊んでいた時の夢を」
「…………………………」
「あそこの庭にあるお花に水をやって。講堂にあるピアノで歌を歌って。自分で言うのもだけどとても楽しかったわ」
「そう…………ですね」
「でも私は貴族の娘で貴女は侍女。いつまでも友達ではいられなかった。それに気付いてとても寂しかったの」
忘れられるはずが無い。
彼女が私のことを『レイちゃん』から『お嬢様』と呼び方を変えたあの日のことを。
忘れられるはずが無い。
私が彼女のことを『お姉様』から『マリアン』と呼び方を変えたあの日のことを。
それはサナギが蝶になるのと同じように誰もが訪れる成長で、その時に生じる痛みを私は忘れられることができませんでした。
「でも昨日ね。あの夜にマリアンが私の部屋で待っていて、そして私に打ち明けてくれた時、すごく嬉しかった。だって今のマリアンっていつもムスッとしてて悩みなんて無さそうに見えたのよ」
「私も、悩む時ぐらいありますよ」
「そうよね」
そうして私達は朗らかに笑い合った。
ああ、なんか、久しぶりにマリアンと真正面に話すことができた気がする。
とても、とても、嬉しい。まるで心が触れ合ったような温かい感触。
「そうだ。折角だしこの後お花に水をやりに行かないかしら。その後講堂で歌いましょう」
「………………仕方ありませんね」
これは今日だけのおまじない。明日になれば夢のように元通りになるのでしょう。だけど今だけは、この美しい瞬間を二人っきりで楽しましょう。
「そういえばお嬢様。昨日の帰りの時、門限をとうに過ぎていましたよね?」
「…………え?」
「本日の宿題は二倍にさせていただきます。もちろんピアノの練習も多く取らせていただきますので。それでは」
「え…………え?」
そうしてマリアンはサッと給仕服を翻すように勢いよく振り返ると、お花のあるお庭へ足早に歩いて行ったのでした。
一方一人テラスに残された私は先程の朗らかな雰囲気はどこへ行ったのやらと、唖然としながら歩いて行く彼女を見つめることしかできませんでした。
「………………」
たぶん、おそらく、確証は無いのですがマリアンは照れ隠しであのようなことを言ったのでしょう。振り返る時に見えた赤く染まった頬がその証拠です。
しかし先程の雰囲気を全て破壊するようなこのような不意打ち。到底許されるはずがありません。
「あ…………あ…………!」
悪辣なマリアン!
そう心の奥底からの気持ちを吐き出すと、私は彼女の背中を追いかけたのでした。




