第13話 遠い夢のパスティーシュ
○○○
「あ〜すっごいだるい〜。マスター、お酒ちょうだい〜」
「べ、ベルリン様、疲れた身体にお酒は毒ですよ。こちらのお水をお飲みください」
黄昏の家の扉を開いて最初に目に入ったのは、やつれながらカウンターの上で泥のように伸びているベルリンさんと、それを甲斐甲斐しく介抱しているレイさんの姿というなんとも奇妙な光景だった。
「ふん、まさか若造ではなくあの踊り子がくたびれているとは珍しいな。明日は絵の具の雨でも降るんじゃないか?」
「絵の具の雨は言い過ぎだろ。でも彼女が酒じゃなくて疲労でこうなるのは確かに珍しいよな」
そしてその様子を男性陣二人は面白そうにしながら眺めている。つまるところ黄昏の家では変わらない日常が過ぎていた、ということだ。
だが今日からしばらくの間、その日常は大きく変化することになる。
「と、とりあえず演劇祭でやる内容を決めようか〜」
ベルリンさんのその言葉と共に皆がテーブルに着いた。
テーブルの上にはヴォリスさんの持ってきた数冊の本が並べられている。そのどれもが戯曲本だ。
「とりあえず言われた通り演劇に使えそうなモノを片っ端から持って来たぞ。まったく老体には堪えるわい」
「いやいやありがとうね〜ヴォリス君。とりあえず本を眺めながら何をするか決めようか〜」
「はい。とりあえずこれから見てみましょう」
黄昏の家が送る劇団『黄昏の時間』の最初の活動は読書からだった。
作家であるヴォリスさんを除けば、俺達は演劇については素人同然。故に俺達がまずやるべきことは勉強ということだ。
「戯曲は小説と同じようなものと勘違いする輩がいるがそれは大きな間違いだ。それを知らずして演劇をするのは不可能だろう」
この言葉からヴォリスさんの戯曲の解説が始まる。
戯曲は役者のセリフとその動作が文章の主だ。
小説との一番の違いは登場人物の心理描写がほとんど無いという点。故に演劇で重要なのは、戯曲に記された言葉や動作に隠された心を汲み取ること、そして汲み取ったものを表現する能力らしい。
例えば今読んでるこの戯曲本のセリフに『俺はあの憎き相手に復讐ためだけに生きている』というのがある。
文章だけ見れば相手への怒りを滲ませているようなセリフだ。
しかしこのセリフからは『俺にはもうこれしか生きる理由が無い』という悲しみがあると読み取ることもできる。
どちらの感情もあくまでセリフを彩るものに過ぎない。それをどのように演技するかは役者の匙加減に委ねられる。
しかし舞台の上では物語から逸脱した演技は許されない。故に表情や身振り手振りで感情を伝えることが重要になってくるのだ。
故に学ぶ必要がある。舞台で醜態を晒さないようにね。
まあ戯曲本を読む事自体も楽しいけどね。
「というように、文字に隠された心意の表現にこそ演劇の真髄がある。無論お前たちにここまでやれとは言わん、だがこれ覚えずして演劇をやるなど酒精の強い酒を飲むより困難になるだろうな」
「…………意外と面白いですね」
「マジか。俺なんて文字の羅列に眼が回りそうだよ…………」
「ふん、若造と違ってブルースは見込みがあるようだな」
軽い雑談を交えつつ、俺達は黙々と戯曲本を読み進むのであった。
久しぶりの学びの機会は俺に新鮮な知識を与えてくれた。
そうして本を読み続けたまま一時間ほどが過ぎただろうか。皆がある程度の区切りが付き、各々本を閉じつつ話をしようと顔を上げた。
「とりあえずある程度は読んだか?」
「この話がとても面白かったです!」
「お〜、こりゃあ何をやるかの話も盛り上がりそうだね〜」
そう、今日の本来の目的はロンド演劇祭でどんな舞台をやるかを決めること。この読書も話をするための過程に過ぎないのだ。
「とりあえずわしが取り仕切るぞ。で、お前達はどんな演劇がやりたいのだ?」
こうして演劇に関して一日の長があるヴォリスさんの号令の下、舞台でやる演目に付いての話し合いが始まった。
「私はみゅーじかる? っていうみんなでワイワイ踊る舞台が良いな〜」
「俺演技とかよくわからないからわかりやすいやつが良い」
「やはりヴォリス様の書いた素晴らしい作品でやってみたいです!」
しかし当然と言えば当然だろうか。ものの見事に三者三様の意見が出されるのであった。
そしてその意見のどれもが素人同然である皆にとって演じるのが困難な内容である。おかげさまでヴォリスさんも頭を抱えながら着ている軍服の襟を握り締めている。
「貴様らな、もう少し遠慮というものを知らんのか? わしにだってやれることの限度があるんだぞ…………」
「あ、あはは、やっぱり大変?」
「す、すみません…………」
「まあ俺の事は気にしないで良いよ、じいさんも難しいだろうからな」
さすがに無茶な提案をしてしまったことを自覚したのだろう、三人は申し訳なさそうにヴォリスさんに謝った。
まあみんな普段とは勝手の違う芸術をやる機会が唐突に訪れたんだ。こうなるのも仕方ない。
だが彼らのセリフの端々から聞こえる哀れみの言葉がプライドに障ったのだろう。老作家の眉がピクリと跳ねた。
「待て、良いだろう。貴様らのやりたい事を全てやらせてやる。わかりやすくミュージカルを交えた作品をわしが書いてやろう」
「え?」
まさしく無茶振りの提案。そんな事を実現するのは並大抵のことじゃないだろう。
しかし俺達の目の前にいる彼は違う。彼はかつて作家としての栄光を掴み取った人物。そんな偉大な人物が「流石にこれはできない」と暗に言われ自身のプライドが刺激された。
そんなことを言われては落ち込んでいた創作意欲がこれでもかと再燃するのも致し方ないことだろう。
「少し待っておれ」
「え、はい…………」
そう言ってヴォリスさんはテーブルにあった一冊の戯曲本を開くと、どこからともなく取り出した紙に向かってスラスラとペンを走らせた。
「出だしと導入はこれで良い。敵役はこいつにする、途中で心情を語る場面を作り、あとは…………」
眼を見開き血走らせぶつぶつ呟きながら凄まじい集中力で物語を描いている。まるで獲物を狙うオオカミのような鬼気迫る表情だ。
何が書かれているか見ようとしてもその筆の速さに目が追いつかない。気付けばあっという間に一つの物語の戯曲を完成させ俺達の目の前にドンと音を立てながら叩きつけた。
「…………完成だ。確認してみろ」
「は、はい」
そう言ってレイさんが代表して戯曲の確認をする。
使った紙の数は二十枚。まさかこんな短時間で物語を作り上げるとは思ってもいなかった。
「ああ、こうなって。…………はい。え、ここでそうなるのですか!」
そして確認するレイさんの表情が原稿を一枚捲るごとにまるで通りで大道芸をやっている道化のようにコロコロと多種多様に感情を変化させている。
だがそれらの表情はその内容が素晴らしいものである事をこれでもかと主張している。
「最高の物語でした」
そして最後の幕引きの言葉まで読み終えると静かな、しかしこれ以上ない感想を呟いた。どうやらこの作品は彼女の中では満点の出来のようだ。
そんな手放しの賞賛を聞かされてはヴォリスさんの書いたのが一体どのような作品なのか気になって仕方ない。そしてそれは俺以外も同様だった。
「それで、これってどんなやつなの〜?」
「俺も気になる、どんな話なんだ?」
「ある騎士の冒険の一幕を描いた物語です。ですがこの作風や登場人物は見た事がありますね」
「ふん、それはそうだ。なにせコイツはこれの模倣作品だからな」
そう言ってヴォリスさんは先程共に物語を描いた戯曲本を俺達に見せてくれた。
赤い表紙には可愛くデフォルメされた騎士と従者らしき青年、その後ろには大きなハートが背景として描かれている。
そしてその本のタイトルにはハッキリとこう書いてあった。
『戯曲版ハートの騎士の冒険譚』とね。
それは俺の抱いた夢の原点であり、俺の人生の失敗の始まり。忘れたくても忘れられない過去の記憶。
そんな愛おしくも忌々しい物語と以外な形で再開を果たしたのであった。
どうやら俺とコイツはなにか運命的なもの、それこそ真っ赤なハートのようなもので固く結ばれているらしい。悲しいことにな。




