第4話 夢の舞台
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一眼見た瞬間から理解できたよ。
これは夢なんだ、とね。
まるで霧のように覆い隠す紫色のカーテンが下げられた舞台の下。華美な装飾も無ければ、気取ったような厳粛さも無い。どこにでもあるような劇場にひっそりと並べられた観客席に俺は座っていた。
周りを見渡しても俺以外の観客の姿は無く、まるでどこかの儀式を思わせる神秘さが醸し出されている。
俺の心中はこの舞台を独り占めできる優越感と観客がいないことによる小さな不安が同時に渦巻いており、どうにももどかしい気持ちでいっぱいだ。
しかしそんな俺の気持ちなんてお構いなしに紫色のカーテンはゆっくりと開かれ、本日の公演が始まった。
「なんだボウズ、ここに何か用か?」
「お、俺を騎士にしてください!」
物語の舞台は民の安寧と自由を守る最後の砦。騎士団の門前から始まる。
門の前ではまだ成人にも満たない薄い緑の髪をした小さな犬族の男の子と鎧を着込み槍を手に持つ騎士が何やら言い合いをしていた。
「お願いします!」
「お前はまだ成人前だろう、子供は騎士になることができない。大人になってから出直して来い」
「そ、そこをなんとか! 育ての親は高齢で働くことが難しくなっています。それに他のところでは俺は働かせてもらえません。騎士団だけが頼りなんです!」
男の子の熱の籠った演技に思わず感服する。その真に迫る姿に思わず観客達も固唾を飲み込み後に何があるかハラハラするだろう。
それと同時に彼の無謀な試みに呆れてしまう。
彼の口振りからして働き口が無い故に最後の希望として騎士団の門を叩いたのだろう。
騎士というのは民を守る存在。当然ながら命の危険が伴う事が多々ある。そんな危険を冒さなくても金を稼ぐ手段なんていくらでもあるというのに、彼は騎士になろうとしている。
しかし子供の狭い視野というものは時折理に適わないおかしな行動をさせてしまう。悲しいことにね。
そして理に適わない行動は必ず失敗を迎えるのが世の無情さというものだろう。
「ダメだ! お前のような子供が騎士なる必要なんで無い! 大人しくまともな仕事をしろ!」
「お願いします! 俺にはもうここしか頼れる場所が無いのです!」
騎士の男がどれだけ声を荒げようが、男の子の意思は折れない。この様子では何があっても帰る気配は無いことに騎士の男に苛立ちを覚えさせることになった。
仕方ないかと槍で脅して追い払おうとしたその時だ。
「まあ待ちなよ。騎士が子供にそんなものを向けちゃダメだろう?」
まるでハープの音色を思わせるかのうよな声が聞こえて来ると同時に、舞台脇から一人の女性が現れた。
その姿は炎のような真っ赤な髪に、青い瞳。しかし何より目を引いたのは男の子と同じぐらいの小さな体躯だった。
そんな女性の登場に騎士の男は明確な動揺を見せた。
「貴女は…………」
「騒ぎがここまで聞こえてたよ。それでどうしたの、その子供が色々言ってた見たいだけど?」
「この子供が騎士団に入団したいと言っているんです。なんでも頼れるところが他に無いとかで」
「へえ、それは珍しいね」
女性は男の子に視線を合わせてその燃えるような瞳で見つめる。
思わず吸い込まれそうなほどに深い青に彼は一瞬だけ夢うつつになるような気分を味わった。
「あ…………」
「おっと、気をつけて」
少し身体をふらつかせた男の子を見て女性はふっと表情を綻ばせて彼の頭に手を置いた。
「ふふふ、話を聞く限り君は仕事を探している、つまりお金を稼ぐ手段として騎士団の門を叩いたのかい?」
「は、はい! 俺の両親はもういなくて、じいちゃんとばあちゃんが育ててくれたんですけど…………」
「年の波に負けて働けない…………ということだね」
その言葉に男の子は躊躇を滲ませながら頷いた。
女性は自らの手を彼の頭から口元に移動させると誰にとってもハッピーエンドになる一つの案を提示する。
「なら私が仕事を紹介しよう」
「…………え?」
「君みたいな子供が騎士になるべきじゃない。それよりももっと安全で簡単に稼げる仕事を紹介してあげるよ。それで君は育ての親を楽にできるし、私達も騎士として民の命を守れる」
「ま、待ってください!!」
途端、男の子はこれでもかと言わんばかり声を張り上げた。
その顔色が意味するものは焦燥。女性からの予想外の答えに焦っている様子だった。
それと同時に舞台の照明が男の子と女性にだけ照らされた。
槍を持った騎士も、騎士団の門も影となり暗闇へ溶けていった。
男の子は膝を地面に付いて、許してを請うかのように頭を下げた。
「ごめん…………なさい」
「…………どうしたんだい?」
「俺は、嘘を吐きました。おじいちゃんやおばあちゃんの生活を心配する必要が無いのです」
そう、男の子の祖父母はこの街では有力な商人だった。
加齢により働けなくなったのは事実だがそれでも死ぬまでは贅沢に暮らせるぐらいの資産は持っているのだ。
そして男の子が成人になるまでの養育費もちゃんとある。商人は金庫をいくつも持っているものだ。
しかし男の子は嘘を吐いた。金が無いから騎士にして欲しいと。そして女性の提案は男の子にとって全くもって不都合な提案だったのだ。
「金のためじゃないなら、どうして君は騎士になりたいんだい? 理由を聞かせてもらえるかな?」
「……………………ているからです」
「…………なんて?」
「ハートの騎士に、憧れているからです!」
ハートの騎士。それは男の子が心に抱いた夢の姿。
どこにでもある世界のどこにでもいる騎士が主役のどこにでもありそうな冒険譚。
そんなよくある物語に男の子は憧れを抱いた。
そして全てをかなぐり捨てて彼は夢を掴み取ろうとしたのだ。
「ハートの騎士に憧れているから騎士になりたい。ということかな?」
「はい、そうです! ハートの騎士みたいに悪いヤツらからみんなを守りたいんです! お願いします、俺を騎士にしてください!」
まったくもってとんでもない話だ。
まさか夢を掴みたいがために裕福な生活と将来を捨ててまでこうして行動を起こすとは無謀そのもの。もし俺がこの場に居るのなら引っ叩いてでも止めるだろう。
だが男の子の夢に女性は感心を寄せた。寄せてしまった。
「いいね。気に入ったよ」
「え?」
「君を騎士にしてあげるよ」
その時だ、舞台の照明が再び照らされ騎士団の門が大きく音を立てながら開かれた。
その様子を男の子は目を輝かせながら眺めている。まるで夢が叶う瞬間を間近に目撃しているかのように。
「これから君は苦しく、悲しい事が多々あるだろう。だが君が一人前になるまで、私が手解きをしてあげるよ」
「は、はい! 俺精一杯やります!」
女性は跪く男の子の手を取り、共に歩いて門の奥へ入って行く。
薄い緑色の男の子と真っ赤な女性の後ろ姿は徐々に門の奥へと消えていくのであった。
誰もいなくなると門は閉じていく。そして舞台の明かりが全て消えると、それに続くようにして紫色のカーテンがゆっくりと降りていくのであった。
これにて男の子の物語の第一幕はおしまい。またの公演をお待ちしております、ということだ。
その時だ、唐突にもの凄い眠気が俺を襲って来る。
抗いようのない睡魔。だがほのかに安心感と心地良さが俺の瞼を強制的に閉じさせた。
そして深い深い暗闇の中で俺はまるで赤子が母親に寄りかかるような気持ち良さを感じながら眠りに落ちるのであった。
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もっと腰に力を入れて剣を振え。
その踏み込みだ、一歩を意識しろ。
敵は待ってくれないぞ、常に警戒してことに当たれ。
窓を覗くと活気の言い声が俺の耳を刺激した。
早朝、騎士団長からお呼びを受けた俺は酒でふらついた頭を整えながら団長室に向かっていた。
秋も半ばに入り冷たい空気が肌を撫でるように流れている。そろそろタンスの奥で眠っている上着を引っ張り出す事になりそうだ。
「まあまだ大丈夫だろうがな」
そんなこんなで歩いていると団長室の前に着いた。そして「クレイングです」と軽くドアを叩き、返事を待たずに開いた。
ドアを開くと目の前にはニコロの姿が。俺は彼女に跪いて頭を下げた。
「やあ、おはようクレン」
「おはようございます騎士だ…………失礼、ニコロ。それでどのようなご用件でしょう?」
「まあまあ焦らないで。順を追って話すからさ」
ニコロは微笑みながら側にあるコップを手に取りその中身を飲むと「ふう」と息を吐きながらその小さな体躯で机の上に座り込んで足をぷらぷらと揺らした。
まったく彼女も破天荒なお方だ。これを外で早朝の訓練をしている騎士に見られたらさぞ驚かれるだろう。
「ワルツ家の任務とは別に新しく任務を君にお願いしたい」
「新しい任務?」
「ああ、簡単に言えば情報収集だね。近々ロンド家が演劇祭を開催するだろう。それに関連して様々な催し物が開催される。露店だったり辻演劇だったり色々あるんだけどね、その中に相応しくない催し物が入り込もうとしているんだ」
「…………ああ、なるほど。絵の具売りですか」
「そういうこと」
絵の具売り。要するに闇市の商売人という意味の隠語だ。
スケッチをして絵の具が無くなった芸術家に対して誰かが高値で道具を売ろうとしたことがこの隠語の由来になっている。
こういった祭りに乗じてよからぬことを企む輩は往々にして存在する。そしてそれらの情報を集めるのも俺達騎士団の役割だ。
「ちなみに今回はどちらですか?」
「裁判所。どうやらやんちゃな貴族が火遊びをしているみたいだね。まあ私としては十二貴族に借りを作れるのなら依頼者はどっちでも良いよ」
このような闇市には大きく分けて二種類存在する。
一つは貧民街の人間が狭い路地裏でコソコソ行っている小さなもの。
もう一つは悪徳貴族がフリーマーケットよろしく大きな会場を貸し切って大々的に行うもの。
今回は間違い無く後者だろう。
どちらも面倒な事に変わりは無いがはっきり言って後者は政治問題も絡むのでより面倒な部類になる。
ちなみに貧民街の者が仕切っている闇市を取り締まりを行うのが衛兵隊。
貴族連中の場合は裁判所が取り締まることがこの国の暗黙の了解になっている。
これは主犯によってその市場の規模が変わるのでその後の対応を円滑にするため取り締まりの役割を分けていることらしい。
まあ貴族と裁判所が関わっているという事でその裏では黒い取引をしていると噂が絶えない。どれも眉唾物だが。
そのことはどうでもいい、話を戻そう。
「市場の規模は?」
「不明。だけどロンド家の領地で開いているのは確かだろう。あの辺りで怪しい奴を沢山見かけたと衛兵隊から報告がある」
「任務の期限は?」
「ロンド演劇祭が終わるまでに。おそらく期間限定の市場なのだろう。これを逃したら完全に見失うと考えてくれ。もちろんやり方はクレンに任せる。いつものようにやってくれれば大丈夫だよ」
つまり準備はこちらに一任してくれるということだ。
ありがたいことだ。今回もまともな調査だけでは終わらなさそうだから。
「了解しました。それでは失礼します」
聞きたい事は全て聞いた。
ワルツ家の任務と並行しながらだが、まあ何とかなるだろう。今までも困難な状況は己の力で乗り越えて来たのだから。
まずは祭りの開催者であるロンド家から当たるべきだろう。
幸いにして彼らに近づく機会がちょうど控えているのだから。
そうして作戦を考えながら団長室を後にしようとした時、「クレン」という声が俺の足を止めた。
振り返ると真っ赤な髪をふわりと揺らすニコロがこちらを見つめていた。
「…………なんでしょうか?」
「私から真面目なクレンに一つだけでアドバイスを送ろう。『流れに身を任せるのは悪では無い』。前にも言ったけどクレンには余裕が足りないんだ、悲しいことにね」
彼女の言葉がまるで冬の夜にあたる焚き火のようにスッと胸の奥底まで染み込んだ。
余裕が足りない。確かに今の俺は任務任務とやる事が多くて客観的に張り詰めているように感じていた。
「…………わかりました、余裕を持ってことに当たります」
「うん、気をつけてね」
そうして俺は団長室を後にするのだった。
さあ、ここから忙しくなる。適度な緊張感を持って任務に当たろうではないか。
なに、流れに身を任せればやるべき事は自ずと見えてくるはずなのだから。




