第3話 いつもと変わらない夜
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「…………なら夕暮れの演劇団でどうだ?」
「え〜、そんな堅苦しい名前じゃなくてもっと気楽な感じにしようよ〜」
「では、燃ゆる情熱というのはどうですか? とても熱い響きがあります」
「お、それ良いかもね〜」
ロンド演劇祭に黄昏の家の皆で出場することになり、その最初の仕事は劇団名を決めることだった。
そうしてかれこれ三十分。しっくりくる名前が出ることもなくこうしてただ時間だけが過ぎていた。
マスターを含めた男四人組は、盛り上がっている二人の淑女に言われるがまま団名の案を出し続けている。
とはいえヴォリスさんの堪忍袋の緒が切れかかっている。そろそろ何とか良い名前を出さなくては酒場の平穏が危ない。
手を挙げて俺の渾身の劇団名を絞り出した。
「では夕暮れに憩いのひと時を与えるということで『黄昏の時間』というのはどうですか?」
「黄昏の…………」
「時間ですか…………」
頭の中で絞りに絞った渾身の団名。
果たして女性二人のお眼鏡に適うかどうか。
「うん、良いね!」
「はい、とても素晴らしい名前だと思います!」
「それじゃあ劇団名は『黄昏の時間』で決まり!」
よかった。どうやら気に入ってくれたようだ。
ホッと胸を撫で下ろしコップに入った酒を飲み干した。
窓から見えた空も暗くなり始めている。酔いも回り始めた頃だしそろそろいい時間だろう。
そんな風に考えていたらレイさんが立ち上がり手荷物を担ぎ始めた。
「では私はこれにて失礼しますね」
「あ、レイさん今日も大通りまで送って行きますよ」
いつものように見送りを提案する。
さすがにまだ幼さの目立つ彼女を一人で貧民街に出歩かせられない。
「あ、はい。ではお言葉に甘えて…………」
「ヒュ〜、お二人共お熱いね〜」
「茶化すなよ酔っ払い。レイちゃん、またね」
「…………ふん」
そうして彼女と共に酒場を後にし、薄暗い夜道を歩き始めた。
物音一つ聞こえない寂れた道。怪談なら恐ろしい魔物の一つでも出てきそうなぐらいには恐怖を与える道を俺たちは歩いている。
「………………」
「………………」
沈黙が痛い。以前から彼女の見送りをしているが、やはり会話が無いとこの雰囲気も合わさってどこか恐ろしく感じてしまう。
そのことを彼女も察したのだろう。ゆっくりとだが口を開いてくれるのだが。
「「あの…………」」
声が重なってしまうのだった。
俺は騎士であり男なのだ。しっかり彼女をエスコートする義務があるというのにこの体たらく。我ながら情け無くなってしまう。
だが次は失敗しない、俺は彼女を先導するように話を始めた。
「今日は色々ありましたね。ベルリンさんから演劇祭のことを聞いた時は驚きましたよ。まさかあそこまでグイグイ来るとは…………」
「あはは、ベルリン様は一度決めたら必ずやり通すお方ですからね。ですがこれからの事を思うと楽しみで胸が弾みます」
「それは良かった。是非とも演劇祭では良い結果を残しましょう」
「はい、黄昏の家の皆様と一緒に頑張りましょう!」
と、まあこんな感じでなんやかんやで話は弾んでいき、大通りの明かりが俺達を照らし始めてきた。
「それでは私はこれにて失礼します。お見送りありがとうございました」
そう言って彼女は茶色いコートの裾を持ち上げながら優雅にお辞儀をし、大通りの喧騒へ去っていくのであった。
その仕草からは高貴なる者の雰囲気をまざまざと感じられる。
「…………戻るか」
そうして俺は踵を返すと、酒場へ向かって貧民街の暗い夜道を歩いて行くのだった。
彼女の身分について少しは気になるが、酒の席では他人の事情に深入りするのは御法度。誰しも自分の秘密を探られるのは嫌だろう。
だからこれで良い。彼女はあくまでただの『レイさん』なのだから。
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時同じ頃。屋敷の執務室でブラノード・ドゥ・ワルツは蝋燭の淡い光を頼りに何かを書いていた。
山のように積み重なっていた書類は無くなり、最後の仕事であろうそれに対して彼は黙々と向かっている。
貴族に休む暇は無い。それが一国の舵取りを決めているダリアン十二貴族なら尚更だろう。
先の貴族会議にてアシュバルトが開発しようとしている新たな技術である『魔術』の調査をすることになったワルツ卿は、ある人物へ向けて一通の手紙をしたためていた。
流れる水のような美しい文字を綴り、最後は自身の署名を記す。そして便箋に蝋で封をし、ワルツ家の印を押し込んだ。
最後に手紙の送り主の名前を書けば終わりだ。
手紙を書き終わったワルツ卿はふうと息を吐きながら指で目頭を挟みこんだ。
長きに渡る公務で少し目が疲れているようだ。だがまだ仕事は終わりでは無い。貴族である彼の安息の時間は短いものだ。
「マリアン」
静かに、しかし確実に聞こえる声で信頼する侍女長の名前を呼ぶ。
そしてその声が聞こえると同時に執務室の扉が開かれ、マリアンが現れた。
「はい」
「この手紙をアシュバルトのレイズ殿に届けるように」
「かしこまりました」
手紙を渡し要件を伝える。
簡潔な言葉だが長年の付き合い故か、それだけでマリアンも理解しすぐに行動に移すのだった。
「それでは失礼します」
そうしてマリアンが執務室を後にし、ようやく本日の公務が全て終わった。
「………………」
沈黙がこの場を包み込む。
彼の心情は誰にも読み取れない。しかし彼の瞳はある一点を真っ直ぐに向けられていた。
それはデスクに立て掛けられた小さな、とても小さな人物画だった。
まるで静かに降る雨を思わせるような紺色のドレスに身を包んだ一人の猫族の女性。見目麗しい女性の姿はどことなく彼の娘の面影が見える。
そう、彼女はワルツ卿の奥方。娘が産まれた時同じくして亡くなってしまった最愛の存在。
「………………」
目を瞑り思い出の光景に浸る。
慌ただしい日々の終わりにこうして夢想するのが彼の唯一の楽しみなのだ。誰にも邪魔されない、ただ自身の思い出を蘇らせるその行為こそが。
「レインデイ…………」
ぽつりとその名前を零す。
それは雨に濡れるような悲痛が込められた哀悼か、それとも溺れるような後悔か。その言葉の真意は誰にもわからないだろう。
しかしその声色からはある種の決意が感じられるのだった。
「…………………」
直後、蝋燭の火が静かに消えていった。
まるで何かの終わりの始まりを告げるかのように、ただただ、静かに、消えていった。




