余韻 絵筆で彩る夢景色
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ラギアン様の絵を売るということに奔走したあの日からしばらく。私はマリアンに連れられレゲ美術館へ訪れていました。
「ねえマリアン。どうしてまた来たの? 前に来てから一ヶ月と経ってないじゃない」
「風の噂で聞いたのですが、何やら新たな流行の兆しになりうる絵画が展示されたのです。お嬢様は十二貴族の娘として、ダリアンの流行に敏感でなくてはなりません」
「まだ社交界のデビューもしていないのに…………」
新たな流行と言っても、おそらく新しい風景画でしょう。
そんな変わり映えの無い青々とした風景画を見るより私は美術館の近くで開かれている屋台のお菓子が食べたいです。
「ちなみに、館内でお菓子が食べたいなどと仰ったときは宿題の数を二倍にしますからね」
「……………はい」
悪辣なマリアン!
いくら私が膨顔したとはいえこんな仕打ちはあんまりです。
それに私だって節制はできるのにこの言いよう。まったく、我が家の侍女とは思えません。
(いつかぎゃふんと言わせてやるわ)
そんなことを心の内に誓いながら私達は館内を歩き続けます。
「さあ、着きました」
「……………あぁ」
足を止めた先、そこには壁に飾られた一つの絵に向かって何人もの人が集まっていました。
華美な服装を装った者もおれば、みずほらしくも趣のある服装の者、頬に絵の具を付けた者など多種多様な人達が一つの絵に心を奪われていました。
「この情緒ある青色、この色は悲しくもありながらどこか温かい気持ちにさせてくれる」
「綺麗な女の人ですわ、それにこの表情を見たら思わずため息が出てしまいそうなぐらい美しいわ」
「背景の建物はメイデン独特の建築様式か。雨の描き方といい、ここまで丁寧な描画は稀に見る程の鬼才の持ち主だ」
彼らがこの絵を見て何を感じたのかは皆各々違うことでしょう。
しかし彼らが心で何を思ったのかを私は知っています。何故なら私もその体験をしたことがあるのですから。
「こちらの絵はこの美術館の館長であり、ダリアン十二貴族序列第六位であるレゲ家の当主が自ら選び出し購入した一枚です。作者、タイトルが不明であり、唯一の手掛かりは絵に添えられた解説文のみ。その引き込まれるような圧倒的な描画と作者不明というミステリアスさ。それがこの絵の魅力を最大限に引き出しております」
「ふっ…………ふふ」
マリアンの解説を聞いて思わず吹き出してしまいました。
まったく呆れたものです。
以前は青色が暗すぎるだの、女性を描くのは破廉恥だの、劣等品だの。好き勝手に酷評しておきながら今では絶賛の嵐なのですから。
ですが芸術の『流行り』とは空に浮かぶ雲のように気まぐれなもの。これも仕方のないことなのでしょう。
「マリアン、帰りましょう。こうも人が多くては落ち着いて見ることはできないわ」
「…………わかりました」
それに、あの絵についてはこの中で私が一番詳しいのですから。
解説文の内容だって見なくても覚えています。
『この絵は作者の心中の光景を鮮明に映し出した一枚である。
風景画と人物画の両方を情緒ある青色で表現し、風情がありながらも静かな仕上げに落ち着かせた。
作中に描かれた女性は作者の大切な人物と言われており、彼女との初めての出会いが描写されている。
深い雨の中、少年は一人の女性と運命的な出会いを果たす。それが前途多難の人生を映し出していながらも、彼の未来は彼女の笑顔のように明るいものになるであろう。
ヴォリス』
思わず歯が浮いてしまいそうなほどに気取った文面ですが、それこそがあの人の書く文章の魅力なのです。
それに解説文というのは料理に添えるパセリのようなもの。あくまで絵を彩るための付属品に過ぎません。
その感動は実際にその眼で絵を眺めてこそなのです。
それは雨の降る街で見上げている誰かに頭を撫でるように手を差し伸べる女性の絵。
異国情緒あるレンガ造りの建物を背景に女性は雨に顔を滴らせながらも心が燃え上がるほど気風の良い満面の笑顔を浮かべていました。
苦難の雨に濡らされながらも浮かべているその笑顔はまさに希望溢れる未来への夢景色。
その希望が叶う時がいつになるかは分かりません、しかしラギアン様なら必ずやその景色を描き切ると私は確信しています。
「…………夢を持つというのは、良いものですね」
「お嬢様、何か仰いましたか?」
「いえ、なんでもないわ」
だってあの日に私達が囲むテーブルの真ん中で輝いていたあの金貨こそが、ラギアン様の最初の夢を叶えられた証拠なのですから。
第二章はこれにて完結となります。
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