第12話 最高の瞬間
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さて、レイとヴォリスが去った後、噴水近くの広場に一人残ったラギアンは心ここに在らずという様子で周りの景色を眺めていた。
「はあ…………」
元気に走り回る子供達の声も、焼き菓子の店から香る芳ばしい匂いも、噴水が織りなす水の芸術も。今の彼の心にはその一切が響かなかった。
「何がダメだったんだろう」
渾身の、それこそ魂を込めたと言っても過言ではないほどの作品の評価は聞くに堪えない結果となった。
その評価に一貫することは『価値観に合わない』というなんとも理不尽なこと。絵の上手さや構図などの一切を無視されたその評価にため息も漏らしたくなるものだ。
「…………俺って才能無いのかなぁ」
今まで目を逸らしていた言葉をこぼしてしまう。
言いたくなってしまった。その言葉を言い訳に逃げ出してしまいたかった。
俺には才能が無いから絵を売れなくても仕方ない、と。
なんと甘美な毒だろうか。自分の心に毒を盛って慰めればどれだけ楽だろうか。
「…………いや、違う」
しかし、先にレイが言った通りこのラギアンという青年はとても強い精神の持ち主なのだ。
それこそ自ら飲んだ毒を容易く耐えれるほどに。
「そんなこと言っちゃあコイツに失礼だよな」
立ち上がり画架に掛けられた絵を一瞥する。
青色を基調とした自身の中にある思い出を模ったこの絵が一層輝いて見える。
まるであの時の光景のように。
「誰がなんと言おうとこれは『ダリアン一の画家による最高の作品』だ」
そしてこの絵を売るのならそれに相応しい相手でなくてはならない。
絵をよく見もしないで文句を言う輩は論外だ。もっと絵をよく見て、芸術というものをしっかり理解してる人物に売らなくては。
そう彼は自身の心は再び奮起させた。
「そうと決まったら気合い入れて呼び込みやらない…………」
「失礼」
その時だ、決意を新たにしたラギアンに一人の老人が声をかけてきた。
茶色を基調とした礼服に茶色い帽子、そこから覗き見えるは白い犬耳。杖を片手に上品に歩く姿はまさに紳士と言っても差し支えない。
「どうしました? 道に迷ったとかですか?」
「そこに飾られている絵を見せて欲しいんだ」
「え?」
その口調や振る舞いから由緒ある人物というのはラギアンでもわかった。
そんな人物が絵を見たいと言った。これにはさすがのラギアンも素っ頓狂な返事をするしかなかった。
「おや、この絵は売り物では無かったか?」
「い、いえ違います! どうぞご自由に見てください!」
「それでは、一見させてもらおう」
老人は身を屈めて、絵に視線を合わせた。
そしてゆっくりと、隅から隅まで絵の細部を観察している。
色使いから景色の描画、果ては絵に込められて思いさえも見透かそうと言わんばかりにじっくりと、丁寧に見続けた。
そして添えらたヴォリスの書いた解説文まで読み終えた老人は姿勢を戻すと一言、ラギアンに向けて問いかけた。
「この絵を描いたとき、君はこの絵にどんな光景を見たのかね?」
それはラギアンの奥底、自身の芸術の原点への問いかけだった。
このダリアンの都を最初に訪れた彼は夢見る青年だった。しかしその夢を呆気なく打ち砕かれ、荒んだ青年の心は原点を見失っていた。
しかし一人の友人の言葉は彼の原点を再び呼び覚ましたのだ。
「この絵を描いたとき、俺は…………」
「うむ」
「『ダリアンで一番の画家になった』。そんな光景が見えました」
「…………ほお」
「『この絵はダリアンの芸術の歴史に刻まれて、未来永劫語り継がれる』そんな確信を持ったんです」
そこにあるのは確かな自信のみ。
彼は迷いなく老人の問いに答えるのだった。
答えを聞いた老人は不敵な笑みを浮かべ。
「よかろう」
そう言ってコツンと杖を大きく鳴らすのだった。
この喧騒に包まれた広場の中で、その杖の鳴らす音が嫌と言うほどに響いて聴こえた。
「君のその確信に賭けてみたくなった。この絵の値段はいくらかね?」
「え? 銀貨二枚…………」
「銀貨二枚だと? ふうむ、『ダリアン一の画家の作品』としては些か値が安い。これでは趣も無ければ箔も付かないな」
そう言って老人は懐から硬貨を一枚だけ取り出すとピンと指で弾いてラギアンに投げ渡した。
薔薇の紋様が施された金色の硬貨。それはラギアンが人生の中で見たことも触れたことが一度たりともない代物だった。
「き、き、き、金貨!?」
「取っておけ、この絵にはそれほどの価値があるからな。おい!」
「はっ」
驚愕するラギアンを意に介さず、老人は背後に向かって呼びかけると、どこからともなく老人と同じ礼服を羽織った男が現れた。
「絵を持っていけ」
「かしこまりました」
そうして老人は絵を担いだ男と共に、人混みの中へ消えていくのだった。
再び一人になったラギアンは手のひらにある金貨をじっと見つめる。
「売れた…………のだよな?」
まるで嵐のように、そして夢のような突拍子もないこの出来事にラギアンは困惑するしかできなかった。
「ただいま戻りました。…………ラギアン様、どうしたのですか?」
「ふん、そんな目を点にしおってからに。まさかあの絵が売れたとでもいうのか?」
しかし手にした金貨の輝きが、友人達の声がこれは現実なのだとハッキリと伝えていた。
「…………ああ、売れた」
今になってようやく確信できた。
俺がダリアンで一番の画家なんだと。




