第11話 甘さくすぐる午後一時
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三日という時間を掛けて、私はマリアンによって課せられた宿題四倍という大きな試練を終わらせました。
この三日間を言葉にするならまさしく阿鼻叫喚という一言に尽きます。
積み上がる教科書の山にマリアンの厳し指導の下行われたピアノ。
長い苦難でしたがそれらを乗り越えて私はようやく自由を手に入れたのです。
よく頑張りましたよ私!
もしこれが舞台劇の演目なら観客席から万来の拍手が贈られることでしょう。
ああ、自由というのはこんなにも素晴らしいモノなのですね。
「ということで今から黄昏の家へ行きましょう」
時刻は正午。
少々早い時間ですが、三日の間も皆様を待たせているのです。
ラギアン様の絵を売るという大事な目的を果たすために、一刻も早く向かわねばなりません。
私はいつものように屋敷の裏口の扉を開き、自由な外へ飛び出して行きます。
「悪いわねマリアン。私の心は決して鎖では縛られないのよ」
「何を言っているのですか、お嬢様?」
「!!?!??!?!!」
これがデジャヴというモノなのでしょう。
背後から浴びせられた声に振り返ると、バスケットを手にしたマリアンがそこには居ました。
「何故、何故マリアンがそこにいるの…………」
「はあ、お嬢様の考えは手に取るようにわかりますよ。相変わらず落ち着きが無いのですから」
神出鬼没なマリアン!
ああ、私の冒険はここで終わってしまうのでしょうか。
叶うことなら黄昏の家のミルクをもう一杯だけ飲みたかったです。
「お嬢様、落ち着いてください。別に引き止めに来たわけではありません」
「え…………?」
そう言ってマリアンは手に持ったバスケットを私の方へ差し出しました。
「こちらをお持ちください。以前お嬢様が食べたいと言っていたマフィンです」
「マ…………フィン……?」
「宿題を頑張ったご褒美です」
「あ…………あぁ!」
慈愛深きマリアン!
ダリアン神は私を見捨てていなかったのですね。
このマフィンは宿題四倍という試練を乗り越えた私へのご褒美。まさしく神からの贈り物なのでしょう。
「あ、ありがとうマリアン!」
「沢山入っていますが食べ過ぎないようにしてくださいね」
「ええ! それじゃあ行ってくるわ!」
そうしてマフィンが詰まったバスケットを受け取った私は、満面の笑みと共に自由な外へ飛び出して行くのでした。
「おや、裏口の前で立ってどうしたのですか、マリアンさん?」
「…………何でもありませんよ」
「そうですか? あ、ショーラさんが呼んでいましたよ。ワルツ卿の昼食の手伝いをして欲しいそうです」
「それは急がなければいけませんね。伝えていただきありがとうございます、クレイング様」
「いえいえ」
○○○
甘いお菓子と絵の具の香り。
二つの匂いはこの場の空間をまるで一つの絵画のように描き、彩っています。
この鼻腔を甘くくすぐる素晴らしき空間絵画はまさしくお伽話に出て来るようなお菓子の国そのもの。
その匂いにつられた子供達がお菓子の屋台へ吸い込まると、気の良い店員さんからあつあつ出来立てのワッフルを受け取り満面の笑みで頬張っています。
ここはダリアン十二貴族が一つ、『レゲ家』が統治する都、『エリア・マシュウ・マロン』。
極上の甘味と極上の芸術によって建てられた夢の街は本日も大変栄えておりました。
「ああ、このくすぐるような甘い匂いがたまりませんね」
「ほ、本当にここで売るのか?」
「なんだ、今更怖気付いたのか?」
そんな場所にて、私はラギアン様とヴォリス様の三人で歩いていました。
「う、うるさい、ちょっとびびっただけだ!」
「落ち着いてください。大丈夫、私達も手助けいたしますので」
「ふん、まあ空回りしないように気をつけろ」
私達が何故この場にいるのか、そして何故ベルリン様達がいないのか。それはつい一時間前まで遡ります。
「え、ベルリン様は行かないのですか?」
「そ〜だよ〜。ほら、自慢するわけじゃないけど私って結構な有名人でしょ。そんな私が売り子とかやったらさ、絵の一枚なんてすぐに売れるのよ」
「…………なるほど。そういうことか」
「そ、それで売れたとしてもそれはラギアン君の実力で売れたとは言えないよね。だから私ここでお酒を飲んで待っているよ〜」
と、このようなやり取りが交わされていたのでした。
改めてベルリン様の凄さと、他者を気遣える高潔な精神に感服します。
そうして歩き続けて、最も賑やかな場所である広場へ辿り着きました。
円形に作られた広場の中心には市民の憩いの場である噴水が建てられ、それを囲うように沢山の人が集まっています。
「さあ絵画の流行の中心地であるこの場所で、ラギアン様の傑作を皆様に見てもらいましょう!」
「レイちゃん、なんかはしゃいでいるね?」
「ふん、若さ故の勢いというヤツだろう。若造、画架は持ってきたのか?」
「あ、ああ。準備しようか」
ラギアン様は慣れた手付きで周りに見えるように画架に絵を立て掛けました。
「そういえばこの絵はいくらで売るつもりなんだ」
「あー、まあそこまで高値で売るつもりは無いから銀貨二枚ぐらいかなぁ」
「ヴォリス様の解説文はここに置いて、あとはこちらを…………」
最後に画架に飾られた絵を置いて完成、これにてラギアン様の絵を売る準備は整いました。
さあ、ここからが始まりです。
お菓子と絵画の都にて、新たな芸術を実らせましょう。このラギアン様の素晴らしき一枚から!
そう意気込んだは良いのですが。
「この青色はなんだ。暗すぎて見るに堪えない」
「自画像でもないのに女性を描くなんて破廉恥ですわ」
「絵描きのセンスを疑うな。こんな劣等品を売るなんて気狂いか?」
その評価は散々なものでした。
通りかかる人に絵を見せれば酷評の嵐。
散々な言われようとはまさにこのことなのでしょう。
「…………まるで売れる気配がありませんね」
「ははは……。さすがに笑っちまうな」
私とラギアン様は意気消沈のまま乾いた笑いを浮かべるしかありませんでした。
確かにこの絵は『流行り』とは程遠い奇をてらった作品ですが、まさかここまでの酷評されるとは思ってもいませんでした。
「大衆からすれば『斬新』というのは異物でしかないのだ。いくら素晴らしいモノでも自身の価値観に合わないモノは忌避し、嫌悪する。これは仕方のないことなのだ」
「…………じいさんのクセにわかったようなこと言うじゃないか」
ヴォリス様の鋭い指摘に、ラギアン様の声色に静かな怒りが帯びていました。
「わしだって経験があるからな。『斬新』と『流行』。どこまで妥協し、どこまでこだわるかは作者の匙加減だ」
「自分のこだわりは、妥協したくねえな…………」
やばいです。この状況はやばいやつです。
自分の渾身の作品を酷評されたことと、ヴォリス様の無常な指摘に直面した結果、今のラギアン様はまさに魂が抜けて真っ白になったように見えているのです。
このままではあの水があふれる噴水に頭から突っ込みかねません。何か手を打たなくては。
「少し小腹が空きませんか? 私、何か買って来ますよ!」
「…………じゃあ頼んでもいいかな?」
「もちろんです! ささ、行きましょうヴォリス様!」
「な、何故わしも連れて行く。こら、引っ張るな!」
こうして私はヴォリス様を無理矢理引き連れ、以前見かけた焼き菓子のお店へ向かうのでした。
「あ、おい…………」
辛い時は仲間を頼るのが大事でしょう。しかし時には一人でたそがれるというのも大切です。
今のラギアン様には厳しいお言葉よりも、一人で落ち着いてこの暖かい風を浴びる時間が必要なのです。
彼はきっと辛い出来事を乗り越えられる精神の持ち主なのですから。
「…………ふうむ」




